気持ちを伝える言い方

「私は」という一人称から始める

「うーん、先生が言わんとしていることはわかるけど、私には難しそう。とてもうまく言えそうにないなあ」

彼女が難しいと思ってしまうのは、頭の中でまとめて喋ろうとしたり、うまく喋ろうとしたりするからでした。

「(他人よりも)うまく言わなくちゃ」と他者を意識してしまうと、ますます喋り辛くなってしまうでしょう。

「自分の気持ちを中心にしていれば、自然に穏やかな言い方になるものです。頭の中でまとめようとは考えないで」

カウンセラーは彼女にもう一度、彼への気持ちを表現してもらいました。

「うーんと・・・私はすごく悲しい。いきなり一方的に別れたいなんて言われても、黙ってあきらめられるわけないじゃない。

私、どうにかなってしまいそう・・・。あなたは、私がどうなったって、関係ないって思うんでしょう。あなたは私が黙って引き下がればラクかもしれないけれど、そうはいかないのです」

「ちょっと待って」とカウンセラーはストップをかけました。

彼の立場で聞いていると、まだ責められている感じがします。

もちろん責めたくなるのは当然です。

言いたいことを言えばすっきりするでしょうし、彼女にとっては我慢しているよりも、怒鳴ったりわめいたりしてでも言ったほうが、精神的にははるかにラクになるはずです。

しかし彼とは、争うことを目標にしたいのか、親しくなりたいのか、それとも自分の憎しみを軽くするために表現するのか・・・その”目標の設定”を間違えると、よけいにストレスを引きずることになります。

「あなたは彼と徹底的に争いたいと思っているんですか?」

「争いたくはないです。また傷つけ合うのはイヤだし、自分の憎いという感情から解放されたいのです。それに・・・。まだ、戻ってきてくれるかもしれないって、期待しているところもあります」

「自分の気持ちを中心にした表現をすると、そのすべての条件を満たすことができるはずです」

「どういうふうに言えばいいか、まだわからないです」

「自分の気持ちだけを言えばいいんです。いま言ったことを、”私は”という一人称の言い方で言ってみてください」

”あなたは”という言い方を”私は”という言い方に変えるだけで、その伝わり方は全く変わっていきます。

同じことを言うにしても、その言い方だけでなく、表情も声のトーンも変化してしまうのです。

「私は」は魔法の言葉です。

ぜひみなさんも、気持ちを伝えるときに、「『私』を主語にする」ということを心がけてください。

では、なぜ「私は」という主語なのでしょう?

それは、至極単純なことですが、”あなたは”という言葉からスタートすると、どうしても相手をみてしまうからです。

そもそも”あなた”という文字がすぐ頭に浮かぶのは、意識の中で絶えず「相手が悪い」という責め方をしているからでもあるでしょう。

こんなとき、”私は”という言い方からスタートさせてみると、それだけで気分まで変わってしまうから不思議です。

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矛盾した気持ちも伝えていい

表現するのが難しいと感じてしまうのは、頭の中でまとめてうまく喋ろうとしてしまうからだとお話ししましたが、そこでカウンセラーは、矛盾する気持ちもそのまま表現してほしいと彼女にお願いしました。

「矛盾する気持ちも?」

「そうです、だって、頭の中は、矛盾することも考えているでしょう」

例えば彼女は心の中で、こんなふうに肯定したり否定したりしているかもしれません。

〇彼はまた戻ってきてくれるかもしれない。

●でもあの女がいるから、それは無理だろうな。あの女がいなければ彼は私から去ることはなかったのに。あの女が私から彼を奪ったんだ。

〇いや違う。心変わりをしたのは彼なんだから彼が悪いんだ。あの女を恨むのはいけないことだ。

●でもあの女が憎い。

自分の気持ちを中心にして、そんな矛盾する思考も言葉にして表現していくと、どうなるのでしょう。

「悲しくて悔しくて、復讐したくなって。でも私も悪いところがあったとか、また戻ってきてくれるかもしれないっていう未練も捨てきれなくて・・・」

「そんな矛盾する気持ちも含めて、もう一度、一人称で言ってみて」

「・・・あなたに、いきなり別れるって言われて、私すごく悲しかった。

私はバレるという形ではなく、あなたの口から聞きたかった。

私はあなたのこと信じていたから、すごくショックだった。

私はいまでもあなたを好きだという気持ちもあるし、戻ってきてほしいと思ったりもするけど、裏切られたと思うと、どうしても許せないって、腹が立ってくる。

私も悪いところがあったんだって、あなたを許そうと努力しているんだけど、うまくいかない・・・」

「つづけて」

「あなたは、別れるときに、『君は優等生だから、一緒にいると息苦しかった』と言いましたね。

でも、私はあなたに嫌われるのが怖かった。

あなたとケンカして、別れることになったらどうしよう、ってあなたの顔色ばかりうかがっていました。だから、言いたいことがあっても我慢しました。

私はあなたと別れたくはないけど、でもあなたがどうしても別れたいっていうのなら、あきらめるしかないと思う。

でも、だからって、自分の気持ちも伝えないまま、一方的に切られてしまうのは辛い。

私だって、このままじゃ苦しいから、何とかしたいのよ。

だから、もう少し時間がほしいです。

あなたが逃げなければ、私、自分の気持ちに整理がつけられるように努力するから・・・。

それまで待って、お願い」

それは、彼女のこれまでのどの表現よりも私の心を打ちました。

彼女の体から緊張の糸がほぐれ、肩の力が抜けているのがわかりました。

「どう、気分は?先ほどのあなたと比べて、どういう違いがあったかな」

「すごい。こんな気持ちになったのははじめて!なんて表現していいかわからないんだけど、喋りながら、憎いという気持ちや悲しい気持ちが、薄らいでいくの。霧が晴れていくような気分」

いまこの瞬間、彼女は彼のことを考えてはいません。

ただ自分の気持ちだけをみつめながら、頭の中に浮ぶことをそのまま言葉にしていっただけでした。

「彼の言動をいちいち気にして神経を使わなくてもいいから、嘘のようにラクだった」

そう言って、彼女は満足そうな表情を浮かべていました。

自分のために表現すれば相手の心に響く

相手に気持ちを伝えるというのは、もちろん、理解してもらいたいと思うからなのですが、「相手に理解してもらいたいために表現する」ことと、「相手が自分を理解してくれる」こととは別問題です。

相手が自分に理解を示すかどうかは、相手の問題で、それを強制することはできません。

それを無理に理解させようとするのは相手に対する支配です。

相手を支配しようとしたりコントロールしようとしたりすると、それに傾けるエネルギーであなたは疲れてしまうでしょう。

相手も、責められたり攻撃されたりすれば、話を聞くよりも、反撃するか逃げようとしてしまうでしょう。

恋愛に脅迫は通用しません。

「カウンセラーの私は彼の立場で聞いていたけど、あなたの気持ちが痛いほど心と体に響いてきました。

あなたの話にじっくりと耳を傾けることができます。

そして、あなたをものすごく傷つけてしまったんだという気持ちになっていきました。」

それは彼女が自分の気持ちだけを感じて、彼を責めていなかったからでした。

相手が「彼女にひどい仕打ちをしてしまったのだ」と自覚し、いたわりと優しさに目醒めるのは、こんな瞬間なのです。

「心からすまないと思えば、逃げないで、あなたの悲しみを受け止めようという気持ちにもなると思うわ」

大切なのは、相手を支配することはできないという前提に立つこと。

そして、相手の思いはどうであれ、「自分が満足するためにはどうしたらいいか」を目標にすることなのです。

そのスタンスで表現できれば、仮に結果が悪くても、少なくとも「充分に表現できた」という満足感は残ります。

長い目でみるなら、「結果の善し悪し」よりも、このような自分の満足感のほうがはるかに大切なことなのです。

また、そんな表現の仕方は、自分の肉体の快感にもつながります。

他者に意識を向けている人は、こんな表現する快感すら経験していないのではないでしょうか。

しかも、彼女の例でもわかるように、自分が自分のために表現しているときのほうが、相手の心にもっともダイレクトに響き伝わるのです。

意地悪の正体とは

彼女の「相手の顔色をうかがって、我慢しながら心で恨んでしまう」といった表現の仕方は、恋愛に限りませんでした。

「私って裏切られやすいのかな。会社でも、信じていた同僚にのけ者にされたり、先輩に馬鹿にされたり。みんな意地悪なんです」

「裏切られる、のけ者扱いされる。馬鹿にされる。みんな意地悪。これって、どういう意識だと思いますか?」

自分を「犠牲者」だと思い込んでいると、それ以外のことが目に映らず、たとえ自分が先に否定的な感情を抱いていたとしても、「相手が悪いからだ」と感じてしまいます。

「もし、あなたが彼らに悪意をもっていて、その中の一人があなたに優しくしたとしたら、あなたはそれをどういうふうに受け止める?素直にそれを善意だと思うかなあ」

「そうだなあ、素直には受け止められないと思う。何か下心があるんじゃないかと疑ってしまうかも」

自分が「犠牲者」だと思い込み、周囲を敵だと信じていると、善意は空気のように自覚できなくなってしまいます。

なぜなら「犠牲者意識」を持つ人は善意よりも、悪意に目を光らせてしまうからです。

「会社の彼らは、いつもあなたに悪意を向けているのかな。彼らがあなたに優しくしてくれたことはまったくないのですか?」

「いつもってことはないです。楽しくやっているときもあるし、食事に誘ってくれたこともあるし、仕事のミスをかばってくれる人もいます。」

「そうですね。それに会社の人があなたに悪意を抱いているとしても、会社のみんながみんなではないでしょう」

前述したように”いつも””みんな””全く”という単純な言葉の繰り返しが、疎外感を深めてしまっている場合も少なくありません。

例えば、ごく一部と対立しているにすぎないのに、「いつものけ者にされる」「みんなが馬鹿にする」といった言葉を使うことで、ごく一部を全部だとみなしてしまいます。

とくに被害者意識の強い人は、こういった言葉を使いやすい傾向にあります。

「彼らの前では、あなたはどういう顔をしていますか?」

「・・・いい顔はしてないですね」

彼女の言い分に従うと「私はあなたたちを嫌いだけれど、あなたたちは私を好きにならなければいけない」ということになります。

彼女は自分が相手に無理な要求をしていることに気づいていませんでした。

困っていることを具体的に挙げてみる

他人への不平不満をもたらしているときは、意識を相手に向けていて、自分に向けていません。

彼女にもう少し「他人の目を気にしない」ように考えてほしいと思いました。

「もし、あなたの悩みがスッカリなくなったら、あなたは何をしたい?」

「そうですね、バリバリ仕事をして、いまやっている分野の知識や技術を身につけます。

そしてできるだけ早く独立できたらいいなと思っています」

「いまその努力をしていますか?」

「うーん。いまは職場の雰囲気が悪いから、それどころじゃないですね」

「職場の雰囲気が悪いのと、あなたが独立するために、会社で知識や技術を学ぶのとどういう関係がありますか?

「周りがイライラしているから、こっちまで影響されてしまうんですね」

彼女は「知識や技術を学ぶこと」と「人間関係のわずらわしさ」という二つの問題を混同して、感情的にとらえていました。

こういった場合は、具体的に問題点を挙げていくことが重要です。

感情的になっていると、この具体的な問題の本質がみえなくなってしまい、解決の糸口すら見出せないでしょう。

「あなたがいま職場で困っていることを、具体的に挙げてくれますか」

「専門的な仕事をもっと知りたいのに、先輩が教えてくれないことですね。

自分の仕事を私に頼むのも困ります。

会社は女性をそれほど重要だと考えていないし、同僚と仲良くしようと思っても、うまく溶け込めないし・・・」

問題点を整理してみましょう。

1.先輩が教えてくれない。
2.先輩の仕事をしなければならない。
3.この会社は女性を重視していない。
4.同僚が仲間に入れてくれない。

彼女は、これらの問題を変えることのできない前提条件として受け入れ、「だから私はあきらめる」という結論を出していました。

彼女のように、諸々の問題を前提条件としてとらえれば、当然のことながら、否定的、悲観的な結論を導き出すしかありません。

では、本当にそうした選択肢しかないのでしょうか。

「いまあなたは四つの問題を挙げてくれたけど、この一つ一つをあなたが、どういうふうに解決していくかが、あなたを独立へと導くものだと思います」

「私が独立することと、どう関係がありますか?」

「独立するためには、ただ資金があればいいというものではないでしょう。料理をまったくやったことがない人が、さあ、あなたはいまからホテルのコック長ですよと言われて、すぐにやれますか?」

「つまり、上に立つには、それなりのステップが必要だって言いたいんでしょう?それは私もわかっています」

「じゃあ、そのステップというのは、あなたの場合だと何に当たるでしょう。独立するまでにできることと言ったら」

「もっと技術や知識を身につける」

「そのほかには?」

「人間関係も大事ですよね」

「それならこの環境を、自分の器を大きくする実験場として考えられませんか」

私がこのように彼女に回りくどく聞いていったのは、自分が何を目標としているのかを再確認してほしかったからでした。

自分の目標を意識するとそれだけで、同じ環境がまったく異なってみえてくるのです。

苦手な人間関係は自己表現の試しの場

他人の目が気になる人」はこう考えます。

「独立したい」→「でも、Aもうまくいかないし、Bも困る」→「AとBをクリアするまでは、独立は無理だわ」

一方、「他人の目が気にならない人」はこう考えます。

「独立したい」→「Aがうまくいかない。Bは困る」→「独立するために、Aはどうするか。Bをいまはどうするか」

カウンセラーは四つの問題に戻って、彼女に問いかけました。

「先輩に『教えて』って頼んでも、専門知識を教えてくれないんですか?」

「頼んだことはないです」

「どうして」

「だって、人に頭を下げるのはイヤですから」

「じゃあ、先輩が教えてくれないのではなくて、あなたが教えてほしいとお願いできないのですね」

もしも、「独立する」という目標を中心に考えてみたらどうでしょう?

イヤだから頼まないでいるか。

それとも、これまでと違った自分を育てるために、ほんのちょっと挑戦してみるか。

彼女が率直に頼むことができれば、専門知識が増えるだけではなく、「頼む勇気」を練習することができるでしょう。

先輩の仕事を断れないという悩みについてはどうでしょうか?

「先輩に断ったことありますか」

「まだリサーチの仕事が残っているんです、ってやんわりと断ったことはあるけど、じゃあ終わったらお願いね、と言われました」

「これからも、頼まれても断れないという状態をずっと続けていたいですか?」

「いいえ。いつか私は怒りを爆発させてしまうかもしれないです」

怒りの感情を爆発させるまでもなく、彼女がその先輩に対して次第に否定的な態度をとるようになれば、いずれは険悪な関係になってしまうでしょう。

「『独立したい』という目標に戻って考えるなら、自分をごまかしてやり過ごすのと、主張できたという満足感を体験するのとどちらが重要だと思いますか?」

「少しずつだったらできると思う」

「先輩を実験台だと思って、主張の仕方を練習してみるのはどうでしょう?」

「実験台?・・・そうですね。そう考えると、これは実験なんだから失敗してもいいと思えてラクになりますね」

目的を何にするかで、気分は変わります。

先輩との人間関係を実験台ととらえるなら、「こういう話し方をしたときは先輩が怖くなかった。あんな言い方をしたときは自分が満足できた」と自分を観察する余裕も生まれてくるでしょう。

苦痛だった状況が一変してしまうかもしれません。

「自分を大事にする練習だと思えば、断られても落ち込むほどのショックにはならないでしょう?練習なんだから、断られてもいい。無理に親しくする必要もない。ダメ元でやってみようと思えば、気がラクになると思います。あなたはただ、将来独立してもうまくやっていけるように、その練習をいま会社でしているんだって考えて、プロセスを大事にしていけばいいだけなのです」

感情的になって混同してしまいがちな問題も、こうやって分離させて、具体的な解決方法を考えていくと、そんなに複雑ではないと気づきます。

しかもそれらはずべて、どんな結果になったとしても、自分を成長させるための練習にすぎないのです。

不満を感じたら、自分に立ち戻って

「勇気を出そう、って気持ちになってきました。しかし、その先輩、私のことを馬鹿にするんです。そんな人に話をするのは、気が進まないです」

もし彼女が、いまの人間関係の問題を避けたままで辞めたとしても、いつかまた同じ問題に直面するでしょう。

だったら、独立のために、どうやったら解決するかを考えたほうが、自分の成長のためにもなります。

問題というのは、そのやり方ではまずいという、シグナルみたいなもの。

長期的な目でみれば、目先の結果ばかりを追い求めて一喜一憂するよりは、その時々において「どういう行動をとったか」というプロセスのほうがずっと大事なのです。

彼女の場合、トラブルはたいてい人間関係において起こりました。

恋愛でも職場でも、もちろん親子問題でも、人は自分がなじんだ言動パターンで動きます。

そのパターンのまずさで問題が起こっているのなら、そのパターンが変わらなければ、問題は再び何度でも起こるでしょう。

再三繰り返してきたように彼女のパターンは「意識を他者に向けている」ことにありました。

他者を中心として彼女の言い方ではこうなります。

「何度も馬鹿、馬鹿って言うのはやめてくれませんか!ミスしたのは事実だけど、そんな言い方ってないでしょう。私だって一生懸命にやっているんです。

そんなふうに言うのなら、教えてくれればいいじゃないですか。

やり方は教えないくせに、どうして馬鹿呼ばわりされなくちゃならないんですか」

これを、自分を中心にした表現に変えていくと、どうなるのでしょう。

先輩に馬鹿と言われた。

(それを私はどう感じているか)「とても傷ついた」

(私はそれに対してどうしたいのか)「馬鹿と言ってほしくない」「もっと丁寧に仕事を教えてほしい」

(では、それをどうすればいいか)いままでは不平不満は陰口を言ってやり過ごしてきたが、相手にちゃんと言おう。そして仕事のことは聞いてみよう。

(それでは、どういう言い方がいいか)相手を責めないで、自分の気持ちや感情を中心にした言い方をしてみよう。

このようにして自分の気持ちを整理し、それを言葉で表現してみるとどうなるでしょう。

私はそれを彼女に、体の感覚や感情を味わいながらやってもらいました。

「馬鹿じゃないのと言われると、とっても傷つきます。前にもそう言われて、私はすごく落ち込みました。

私は一生懸命努力したつもりです。

でも、はじめての仕事だったから戸惑って、どうやっていいか分かりませんでした。

結果的に先輩に迷惑をかけてしまったのは、悪かったと思っています。

あの後で、私がどうすればいいかって考えたんですが、聞けばよかったんだと思いました。これからはそうしますので、やり方を教えてください」

「言ってみてどうですか?」

「すごくラクです。体の力が抜けていく感じ」

もしもあなたが他人に対して不満を感じたら、このようにしてすぐに自分に立ち戻ってみましょう。

そして、自分を中心にして、つまり「自分の気持ちに焦点を当てて」考えてみましょう。

「それを私はどう感じている?」

「それに対して自分はどうしたい?」

「どう表現できる?」

「どう行動すればいい?」

そうやって、自問自答しながら、自分が満足できる方向へと自分を導いていけばいいのです。

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「でもねえ、大丈夫でしょうか。」

「何が?」

「例えば『馬鹿って言われると、とても傷つきます』なんて伝えるでしょ、そうしたら、『何、甘いこと言っているんだ!世の中、傷つきますで通用すると思っているのか』なんて、たたみかけてくるかもしれないです」

「そうですね」

「私だったら、怖くなっちゃって、何も言えなくなってしまいそうです」

「でしたら、正直な気持ちを話したらいかがでしょう」

「怖くなって何も言えなくなってしまいそうだ」が、先輩に対する彼女の正直な気持ち。

その気持ちをそのまま相手に伝えるとどうなるでしょう。

彼女が先輩役、カウンセラーが彼女役となってその状況を再現してみました。

「何、甘いこと言っているんだ。世の中、傷つきますで通用するとでも思っているのか。

そんなふうだから馬鹿って言うんだよ!」

「そういうふうに言われると、怖くなって、何も言えなくなってしまいます」

「何、言っているんだ!俺のどこが怖いって言うんだよ!」

「(ため息)そういうふうに怒鳴られると、ますますイヤになってきます」

「それはお前が馬鹿だからだろう」

「あ~あ、もう何を言っても無駄なんだって、絶望的な気持ちになってきました。残念です。失礼します」

彼女は呆気にとられてしまいました。

私は、相手をやり込めようと戦闘態勢で臨んだわけではありません。

ただ「怖い」という気持ちを伝えることを目標にしただけでした。

その目標から外れない限り、何度でも安心して同じことを言えます。

相手を攻撃して打ち負かそうとするわけではないので、雄弁である必要もありません。

ただ「怖い」と繰り返し、私はそのたびに、気持ちがラクになっていきました。

彼女のほうはどうだったのでしょう。

「ああ~ショック。こんなふうに言われたら、一言も言えなくなってしまうのね。

私、精一杯、虚勢を張っている感じだった。

気分的には、負けていたかも。

自分とは話す気がしなくなったのか、とすごく見捨てられたような気がしたの。

最後の『絶望』『残念』という言葉が胸にささりました。

自分が発した「馬鹿という言葉を”原因”とすると、その”結果”として「相手をひどく傷つけてしまった」という失意と自責の念がわいてきて、最終的には「絶望」「残念」という言葉がブーメランのように自分に跳ね返ってくる。

それは、ちょうど自分勝手に火をつけて騒いで、揚げ句にその火に自ら巻き込まれて自滅してしまったようなものでした。