相手が悪い!私は悪くない!

相手が悪い!とは

相手が悪いという思考を溜め込むと苦しくなる

どうして争ってまで、相手に変わるように要求してしまうのでしょうか。

もちろんそれは、「相手のせいで」と思っているからでしょう。

「相手のほうが悪いのに、どうして、私がかわらなければならないのよ」

相手を責める人達の常套句です。

では、もう一度、

「相手のせいでこうなった。相手のほうが悪いんだ。相手が悪い」。

こんなふうにつぶやくと、今、どんな気持ちになりますか。

頭の中も心の中も、「相手が悪い」でいっぱいになっています。

そのとき、あなたが心の中で責めている張本人が、あなたの傍にやってきました。

その瞬間、あなたは、

「感情を抑えていないと、争いになって、人間関係が壊れてしまう」

そんな恐れから、相手が悪いと思う人は自分の感情を抑えます。

そんな心の状態のまま「我慢している相手。腹が立つ相手」に対して、「いつもありがとうございます。助かっています」などと”心から”感謝の言葉を述べることができるでしょうか。

まず”心から”なんて無理でしょう。

人間関係が壊れるのを恐れてしまう

あなたがどんなに争いにならないように腐心して、自分の気持ちを隠しても、すでにその時点で、相手が悪いと思うあなたの心は、あなたの態度や表情に表れています。

しかも、相手が悪いと思う人は非常に矛盾した複雑な表情や態度をとっています。

相手が悪いと思うあなたは「言うと人間関係が壊れてしまう」と恐れて争いを避けようとしています。

その一方で、心の中では「相手のせいで」と相手を否定したり責めたり、腹を立てたりしています。

あなたがどんなに自分を隠しても、そんな思いが、相手が悪いと思うあなたの身構えた態度、硬直した表情、怒らせた肩、戦いを恐れる瞳、不満を表した唇や怯えたように震える唇というふうに、あなたの態度や表情に表れています。

相手が悪いと思う人は争いを恐れながら、同時に、心の中で争いを仕掛けているのです。

相手はそんな相手が悪いと思うあなたの状態を素早くキャッチして、それに反応しているのです。

否定的な表情や態度を無意識にとってしまう

もちろん、相手もあなたと同じような心理状態でいれば、相手が悪いと思うあなたと同じような態度や表情をとるでしょう。

相手が悪いと思うあなたの目から見ると、相手のそんな態度や表情が、「私を避けている。私に不満を抱いている。私を嫌っている。私に敵意を抱いている。私を拒絶している」といったふうに映るかもしれません。

このときあなたが相手の表情や態度に反応して否定的な気持ちを抱けば、同様に、相手に対して「否定的な表情や態度」を無意識にとっていくでしょう。

また、相手が悪いと思う自分ではそれらの感情を抑えているつもりでも、作為的にドアを荒々しく閉めたり、相手と視線が合いそうになると逸らしたり、デスクの上にあるものを乱暴に扱ったり、素っ気ない返事をしたりして、「私は、腹を立てているんだ」ということを態度で相手にわからせようとしたりもしているでしょう。

むろん相手もそれをキャッチして不快に思うというふうに、「不快のキャッチボール」を始めるのです。

だから、実際のところ、どちらが発信源かはわかりません。

ただ、どちらが発信源であっても、「私と相手」の相互作用がそんな「関係性」を築いていきます。

つまり、お互いに、お互いを怪物だと思って、すごい形相で怯えながら戦おうとしているようなものです。

「争いを恐れながら戦いを挑んでいる」状態なのです。

相手が悪いと考えると苦しい心理

感情の我慢を続けると怖くなる

では、どうしてあなたはそんなふうに、「相手のせいで」という強い感情に囚われるようになっていったのでしょうか。

しかも、そうであるにもかかわらず、相手と争いになるから我慢しなければならないと”強く”思っています。

ところが、本当はあなたがそうやって我慢するからこそ恐怖が募り、その恐怖から、いっそう「相手が悪い」になってしまうという悪循環に、あなたは気づいているでしょうか。

「嫌な相手でも、苦手な相手でも付き合わなければならない。

つらい職場でも自分を抑えて我慢しなければならない。

相手に腹が立っても、それを表にだしてはいけない」

と思い込んでいるように、実は、”しなければならない””してはいけない”という思考を、自分の頭のコンピュータに入力設定しているから、いっそう恐れをエスカレートさせていると言えるのです。

相手と争うのを恐れながら我慢すると苦しくなる

「相手が悪い」という思いを募らせつつも我慢していると、心の中で、相手に向かって何といっているでしょうか。

「あんたなんか、とっととクビになってしまえばいいのよ」

「どうして、こんな無能な人間が、上司としてのさばっていられるんだか」

「心にもないことを、よくもあんなに平気な顔して言えるもんだわ」

「自分では頭がいいと思っているんだから、笑っちゃうわよね」

「こんな奴、さっさと〇〇しちゃえばいいんだよ」

というふうに、とても相手に面と向かっては言えないようなひどい言葉を繰り返しているはずです。

争いにこそなっていないけれども、相手と争うのを恐れながら我慢するからこそ、こんな言葉が泡立つように生まれるのです。

もちろん、相手に面と向かって言えば、争いになるのは必至でしょう。

しかし我慢できなくなったときにはすでに遅し。

感情を爆発させてしまうために、普段から心の中で相手を繰り返し責めていた相手が悪いという言葉が飛び出しています。

相手のほうも、心の中で似たような言葉を繰り返していますから、言ったが最後、熾烈な争いとなって、傷つけ合うことになるでしょう。

相手をやりこめて傷つけても、自分も傷つきます。

それが怖いから、あなたは「我慢しなければならない」と自分に言い聞かせているのです。

自分のことなのに、自分を守ることができない

ところで、「相手が悪い」という気持ちになって、他人の目を意識して相手を責めれば責めるほど、あなたはいっそう傷ついていくでしょう。

どうして”いっそう傷つく”のでしょうか。

「どんなに苦しんでも、どんなに悩んでも、どうにもならないんですよ。責めないではいられません!」

相手が悪いと思うあなたはそう叫びたくなるかもしれません。

もちろんあなたは傷ついています。

けれども、相手が悪いと思うあなたが自分をいっそう傷つけるのは、相手を責めるからでもあるのです。

実は、あなたがそうやって、「責めないではいられません」と言いたくなるような状態そのものが、

「私は、自分のことなのに、自分を守ることができない。私は私が直面するさまざまな出来事に対して、何もできない、無力な存在なんだ」
と、絶えず自分にこんなメッセージを送っていることにもなるからなのです。

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戦うか逃げるか

相手が悪いと思うあなたは自分が「傷つく」ことに耐えられません。

けれども、あなたには、「傷つく」よりも”もっと怖い”ものがあります。

それは、相手と”争うことになる”という恐怖です。

脳幹には「戦うか・逃げるか」という反応をする自律神経があります。

戦闘モードになると、この脳幹にスイッチが入ります。

争っている最中は、恐怖心が麻痺してしまうので、怖いと感じないかもしれません。

怖いものは人それぞれですが、例えば、突発的なアクシデントが命が助かった後に、恐怖心が襲ってきたりします。

怖い相手と向き合って主張した後、緊張してプレゼントした後、身体が震える。

こういったことを体験したり、聞いたりしたことはありませんか?

生命の危機というのは、人間にとって最も恐怖をもたらすものです。

脳幹は、私達の生命そのものを維持する装置です。

「戦うか・逃げるか」という反応をしているときは、この「生命の危機」に直面して、恐怖を覚えているということです。

一般的な日常生活で、とりわけ人間関係においては、「生命の危機」がもたらされるようなことは滅多にありません。

にもかかわらず、戦闘モードになると、「戦う」ということだけで、生命の危険を覚えるような恐怖を抱いてしまいます。

それは私達の脳に、動物から人へと進化していった弱肉強食時代の記憶が、遺伝子にインプットされているからなのではないでしょうか。

そんな生命の恐怖と重なって、「傷つくのが怖い」という反応が起こるほど、私達の恐怖は根源的なものなのです。

「争う」というのは、そういうことなのです。

我慢ならない。許しがたい。耐えがたい。

相手が悪いと思う人は実際には、争いになるのを”恐れて”我慢しています。

それでも、しばしば恐れていた通りに争いが起こるのは、すでに水面下で心理戦を展開させているからです。

相手が悪いと思う人はどんなに「しなければならない」という思考で自分を押さえ込んでも、「我慢ならない。許しがたい。腹が立つ。耐えがたい」といった「感情」を思考で打ち負かすことはできません。

すでにそうなっている状態ですので、それが表面化するのは、時間の問題と言えるでしょう。

我慢するというのは、結局は、そうやって争いの時期を延ばしているだけにすぎないと言えるのです。

「我慢できない。耐え難い」といった苦痛の感情は、時として「争うのが怖い」という恐怖心すらも乗り越えてしまうのです。

しかもひとたび争うと、降りることができません。

戦闘モードになっている人達は、争いから降りることを、「降りる」とは解釈しません。

「私は、負けた。私は敵前逃亡した」

相手が悪いと思う彼らにとって、それは完全なる敗北です。

「戦う人たち」にとって”完敗する”というのは相手に全面降伏することですから、最も怖いことが起こるという”負ける恐怖”を感じています。

相手が悪いと思う人は争うのも怖い。

負けるのも怖い。

降りるのも怖い。

そう感じているのです。

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負けを認めると、「私が悪い」という公式

多くの人がそうであるようにあなたも、さまざまなトラブルや問題は、相手だけが悪いわけではなくて、「自分もその担い手である」ということは、頭ではわかっているはずです。

でも相手が悪いと思う自分の感情が、それを認めることを許しません。

どうしてでしょうか。

認めるわけにいかない理由があるのです。

それは、認めるのが怖いからです。

とりわけ「白か黒」の二極化思考で判定を下したい人にとっては、「相手が悪くない」とすれば、「私が悪い」という公式になってしまいます。

それを認めてしまうと、これまでずっと「相手が悪い」と信じることで構築していた心の建造物が、足下から崩れてしまいます。

そうなると途端にあなたは拠り所を失い、どうしたらいいかわからず混乱していくでしょう。

相手が悪いと思う人は戦っているうちは、恐怖から目を逸らしていられました。

しかし、戦いそのものの根拠をなくしてしまえば、残るのは、恐怖だけです。

だから、相手が悪いと思う人は認めるわけにはいかないのです。

争いになりそうな人とは論理的客観的に距離をとってみる

距離を取る、認めるというのは、「戦い」をやめざるを得ないということです。

武器を捨ててしまうということです。

「相手が悪い」と信じて、戦うことでしか自分の心のバランスを保てない人にとって、武器を捨ててしまえば何が残るでしょうか。

相手を心の中で責めたり、戦ったりすることでしか”自分を守る方法”を知りません。

そんな人が武器を捨てざるを得なくなったら、残るのは”自分を守れない恐怖”だけでしょう。

こんなふうに、どんなに思考で「しなければならない」と考えたり、我慢して冷静であろうとしても、「感情」を基準にしないと、かえって恐怖を現実化させてしまうような状況を引き起こすだけでなく、さまざまな恐怖に囚われていくのです。

しかもその大半は、自分が勝手につくり出した恐怖なのです。

相手が悪い!自分は悪くない!と気になって仕方がない人は、論理的、客観的に距離をとってみることをおすすめします。

例えば、会社に行くのは人間関係の中を生き抜くためではなく、仕事をしに行くのです。

仕事を目標に論理的客観的に行動すれば、楽になれます。