競争社会の罠から抜け出す「勝とうとしない」

社会は競争であり、同僚はライバルだと信じている人がいます。

「学校を出れば競争なのだから、学校では競争する力を育てることだ」と主張する人さえいます。

こうした人は、人間関係で親密さを求めるよりも、勝つことを求めているのでしょうか。

でも、これは間違いです。

社会的地位を争う競争などに勝っても、幸福は保証されません。

人間関係の基本は親密さであり、協力であり、協働であるからです。

周囲を見回して下さい。

職場では協力しあって仕事をしています。

地域では、町内会やお祭り、一斉清掃など、協力して活動しています。

家庭では、家族みんなが強力し合うことで幸福な生活が営まれています。

生存競争という言葉から、競争と争いが基本のように思い込んでいますが、昆虫や動物の社会でも協働が基本なのです。

昆虫では蟻や蜂に代表されるように協働で社会が成立していますし、魚や鳥類、哺乳類は群れを作り、協力することによって自分たちの生存と種の保守をはかっているのです。

私たちが最も大事な力として育てるべきは、協力と協働の能力です。

勝とうとする姿勢からは、心地よい関係は生まれません。

勝とうとするのではなく、いつでも協力という基本姿勢を保つことです。

たしかに、仕事の能力評価などで、競争関係に置かれることがあります。

その場合には、あくまでもスポーツマンシップでいくことです。

スポーツとは、定められたルールをお互いに遵守することで成り立つのであり、敵・味方といってもその基礎には協力関係があるのです。

スポーツマンシップとは、そうした基礎の上に、勝っても負けても相手を讃える姿勢だといえます。

後悔する反論の一言

日常的な会話さえ、勝ち負けととらえてしまう人がいます。

たしかに相手をやりこめれば、本人は良い気分かもしれませんが、相手は嫌な気持ちになります。

本人はすぐにこの出来事を忘れても、相手の人は簡単には忘れられません。

負けたくない意識が強いと、つい余計な一言を付け加えてしまいます。

相手の言葉を自分への攻撃と受け取って、過度の自己防衛をしてしまうこともあります。

たとえば、「使い終わった器材は、必ず元に戻すように」と課の全員に対して言われたのに、「私はいつもちゃんと戻してますよ」と、言い返してしまうなどです。

こうしたとき、「あの一言を言わなければ良かった」と、後悔することになります。

会議の場では、論争を避けられないことがあります。

そんなときには、相手の意見の賛同できる部分をしっかりと伝えることです。

そのうえで、自分の考えを述べることです。

「あなたがおっしゃった〇〇について、私は賛成です。

その上で、自分の考えを述べることです。

「あなたがおっしゃった〇〇について、私は賛成です。

その上で、××だということを言いたいのです」

特に訳の分からない人達には、わからせようとせずに、関わらないか、負けておく方が賢明です。

訳の分からない人に正面から「それは違います」と言うと、全面対決になるので、合気道のごとく、相手の勢いを利用するのです。

反論せずに、話をさえぎらずに、存分にしゃべらせます。

もう相手が話すことがなくなったという段階で、「そうですか。それで?」と、さらに話したければどうぞという姿勢を示します。

たいがいこれで相手の勢いがそげてしまいます。

かつてミッテラン仏大統領が、愛人の存在について記者から非難めいた質問をされたとき、「それがなにか?」と返して、その記者はぐうの音も出なかったということが話題になりました。

言い争いになったときは、それが自分にとって感情を乱してまで懸命に反論するほどの価値があるかを考えてみることです。

それほどの価値のあることは、めったにあるものではありません。

命令口調にならないために

勝とうとすると、無意識のうちに、相手を自分の思う方向に変えようと行動することがあります。

すると言葉足らずになり、命令口調になりがちです。

相手を従わせようとするのではなく、相手と同等の立場での言い方や対処の仕方を心がけることです。

どのような医者が患者や患者の家族から裁判に訴えられるかを分析した研究によれば、医師が患者や家族に話したことよりも、どのような態度で接し、どのような話し方をしたかで訴えられたり、訴えられなかったりする、という結果がでています。

つまり、「何を言ったか」よりも「どのような態度で、どのように言ったか」の方が、人の心に影響するのです。

相手に何かを求めるときは、理由を説明することが大事です。

理由なしの場合には、命令になります。

受け手は、単なる好みの押しつけと受け止めます。

たとえば、「文書は、最初にかならず一行空けて書くように」と上司に言われたら、それが上司の好みであり、好みの押しつけだと受け取ります。

それに対して、「一行目には、後で文書番号と日時を押印するので、かならず一行空けて書くように」と言われれば、素直に納得し、文書の書式を教えてもらったことに感謝します。

別の例で、ある人はトイレの洗浄剤はブルーの色付きの物が好きなので、それを買ってきたら、奥さんが「今度買うときは、透明のを買ってきて」と要求しました。

それは奥さんの単なる好みなのだと思って、次も自分の好きなブルーの物を買ってきました。

すると、「お小水の色で健康状態をチェックしているの。ブルーだとそれがわからないの」と、透明の物を要求する理由を説明してくれたのです。

即座に納得し、透明の物に買い換えました。

意見と感情を分ける

人間関係とは感情の交流です。

考えよりも感情こそがその人自身なのです。

なぜなら、日常生活での決定は、論理的思考ではなく、感情によってなされるからです。

たとえば、この人と付き合うか、別れるか、この人と結婚するか、どの仕事に就くか、この仕事を続けるか、転職するか、いずれも自分の感情に頼って決断します。

日常的にも、どの服を着るか、昼食は何を食べるか、晩酌をするか・しないか、どの番組を見るかなど、感情による決定の連続です。

このように、私たちは感情こそ自分自身といえるものなので、たとえ意見が異なっても、感情が受け入れられれば、かなりの程度満足するのです。

「それには賛成できませんが、お気持ちはわかりますよ」

「あの人の言うことが正しいとしても、そんな言い方されたら、怒りたくもなりますよね」

このように、意見と感情とを分けてあげることで、たとえ意見が違っても、関係に影響するのを防ぐことができます。

●まとめ

競争社会で勝とうとせずに、協力の精神で接しよう