節目を大切にする

独身でもお正月はお正月らしく過ごす

ここで提案することはどちらかといえば家庭をもっている人向けになるかもしれませんが、独身の人にこそ意識して心がけてもらいたい気もします。

それは、自分の生活のなかのさまざまな節目を大切にしようということです。

そういう意識があれば、自然に「自分は自分、人は人」という気持ちにもなると思います。

たとえば家族のいる人でしたら妻や夫、子どもたちの誕生日を祝うとか、お正月やクリスマスは「わが家のやり方」で楽しむといったことです。

一家揃っての夏休みとか、入学や卒業のお祝い、就職や転職や異動や昇進といった仕事上の節目もふくめて、ささやかではあっても一区切りのついたときにはお祝いしたりイベントを楽しむといったようなことです。

それによって、生活のリズムが自分や家族の節目を中心にしてつくられるようになります。

仕事に追われるストレスや、人間関係の悩みがあったとしても、その節目を楽しんで過ごすことで気持ちの落ち着きを取り戻せるのです。

人生の節目、季節の節目というのは争いとは無縁の世界です。

あなたが独身だとしても同じです。

「今日は誕生日だな」と気がついたら、「忙しくてそれどころじゃない」なんていわずに、上等のワインを奮発してゆったりした時間を過ごしてみることです。

生ハムもそえてみましょうか。

季節の行事も同じで、「世間はお正月だけど自分には関係ない」なんて意地を張るのではなく、初詣に出かけたりコンビニのおせち料理をテレビでも観ながらのんびり楽しみましょう。

暮らしや人生の節目を大切にする気持ちをもつと、マイペースに過ごす心地よさに気がついてくるはずです。

単純であっても一日の節目にできる

節目は大きなものとはかぎりません。

一日のなかに、「これを実行しないと落ち着かない」とか「いちばんホッとする」と感じる時間があるようでしたら、それも一日の節目ということになります。

たとえば朝は早起きして軽い運動をするとか、就寝前の最後の時間にグラス一杯のワインを飲むといった程度のことでも、その人の一日を区切ってくれる小さな節目になります。

ビジネスマンの一日は、どんなに自分で予定を立ててもその通りにいかないことがあります。

定時に帰るつもりが3時間も残業になったり、午前中に終わるはずの会議が昼休みをつぶしたりします。

どんなにマイペースを心がけても、状況に振り回されてしまうのです。

その振り回されたままの状態で毎日が過ぎていくと、自分自身とゆっくり向き合う時間さえなくなってしまいます。

その日にあったことを振り返ったり、明日に向かって気持ちを切り替えることもできないまま、一日が終わってしまうからです。

自分のペースで仕事ができる人は、一日のなかに節目となる時間をもっています。

たとえば小さな子どものいるビジネスマンが、帰宅してその子どもと一緒にお風呂に入るのが何よりの楽しみだと感じているときには、まさに入浴の時間がこの人の一日の節目ということになります。

毎日でなくてもいいのです。

土曜日の午前中はゴルフの練習場で汗を流すのが楽しみというのでもいいし、天気のいい日は自転車で遠出するのが楽しみというのでもいいです。

それによって一週間の疲れが取れ、また来週から頑張ろうという気持ちになれるのでしたら、その人にとっての大事な節目といえるはずです。

一日を過ごすことでかき乱されたこころを落ち着かせるのです。

平凡な日々だからこそ、節目が大事

「自分は自分、人は人」という人の毎日は、本来でしたら淡々と過ぎていくはずです。

自分の仕事や勉強をコツコツと続けるだけの毎日だからです。

でもそのことで、「平凡だなあ」という気持ちになることはあっても、それを嫌ったり恥じたりする人はいないはずです。

「こんな平凡な毎日でいいんだろうか」と不安になる人もいないはずです。

なぜなら、どんなに平凡な毎日にも節目はきちんと訪れるからです。

会社に勤めていれば異動や転勤があります。

およそ三年の周期で上司やチーム編成もかわります。

自分自身の仕事の内容も変わってくるでしょう。

家族がいればそこにもさまざまな節目が訪れます。

子どもの入学や卒業があり、転居やマイホームの購入もあります。

季節ごとの行事や誕生日のようなお祝いもあるでしょう。

こういったことは独身者でも同じです。

ここまでに書いたように、自分の節目を大事にする気持ちさえ忘れなければ、仕事の上でも私生活の上でもくつかの節目は訪れてくるはずなのです。

そういった節目さえ大切にすれば、平凡な毎日のなかにいくつもの起伏が生まれてきます。

どんなに平凡でも、決して無味乾燥な日々ではないのです。

むしろ平凡に不満をもつ人が、節目を見逃してしまいます。

「つまらない人生だなあ」と嘆いてばかりいる人にかぎって、節目に気がつかずにやり過ごしてしまうのです。

たとえば職場で異動があったときに、「またつまらない部署に移されたなあ」と受け止めるか、

「一つの節目だと思って頑張ってみよう」と受け止めるか、

では、その後の仕事に向かう気持ちが全然、違ってくるはずです。

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定年だけが節目ではない

幸福感は人それぞれの感じ方の問題になります。

その人が幸せだと思えば、それがその人の幸福です。

したがって、人との争いや競争に勝つことで幸福感をもつ人もいるし、人とは争わずに自分のペースでやりたいことをやり遂げたときに幸福感をもつ人もいます。

この問題に関しては、どちらがいいとか悪いといったことはいえないでしょう。

けれども、争いに勝つことで幸福感をもつ人は、負けたときには自分を不幸に感じます。

相手を恨んだり、運の悪さを嘆いたりするかもしれません。

あるいは「つぎは負けないぞ」という気持ちになって闘志をかき立てるかもしれません。

そういう人にとって、人生の節目など興味がありません。

勝手も負けても戦いは続くのですから、節目を実感しているヒマがないのです。

たとえばかつての企業戦士にはそういったイメージがあります。

「ビジネスは戦争だ」(そういうイメージはいまでもあります)と思い込めば勝つか負けるかの世界になってしまいますから、心休まる時間は訪れません。

入学や卒業といった子どもの成長の節目を見逃してしまう父親はいくらでもいましたし、休日返上で働き続ければ家族の行事やお祝いにつき合うこともできませんでした。

その結果、気がついてみれば家族のなかで一人だけ疎外感を抱く父親になっていました。

戦う相手や土俵のあるうちはまだいいのですが、定年を迎えたときにはもはや、妻も子どもたちも相手をしてくれません。

非常に皮肉ないい方かもしれませんが、戦い続けたかつてのビジネスマンが初めて迎える人生の節目は、定年退職の日でしかなかったのです。