自己否定感が根っこにある家庭に育った私達は、もしも自分がどこか不完全だとしたら、それは人より劣っていて価値が無いということなのだと考えていました。
完全さこそが人に受け入れられ愛される唯一の道だと信じ、完全を追い求めてきました。
そして、愛されずに傷ついた過去を埋め合わせたいと思うあまり、おとなになってから無条件の愛を得ようとあがくことに時間を費やしてきたのです。
けれど実は、私達が過去の痛みを手放せるようになるのは、過去が変えられないことを心から認めたときなのです。
そのためには、人間としての限界を持った自分を許し、他人を許すことが必要です。
自分を許すこと
私達は不完全な存在で、人を傷つけるような間違いもおかします。
人に言えない怖れを抱いていたり、大それているとしか思えない秘密の望みも持っているかもしれません。
こんなに弱くて不完全な自分を、どうやって受け入れ、許すことができるのでしょう?
まず、「自分のこととして責任を負い結果を引き受ける」ことと、「自分を許す」こととは別だというのをはっきりさせておきましょう。
私達が誰かを傷つけたとき、それを他でもない自分のしたこととして引き受け、結果に責任を負うことが必要だし、できることなら埋め合わせをすることも必要です。
けれどその上で、間違いをおかした自分を許し、いかにも人間くさい誤りにはまってしまった自分を許すことが必要なのです。
起きたことについて後悔しながらも、自分を許すことはできます。
許しとは、自己否定感にとらわれなくなること。
自己否定感は自分のおかした間違いそのものよりも、さらに破壊的な結果をもたらすのです。
自分はいけない人間だから罰せられるべきなのだと、なぜだか信じこんでいる人も大勢います。
こう問いかけてみて下さい。「自分はダメな人間だとか悪い人間だと信じ続けることで、私は何を得ただろうか?」
そして次のような言葉を、繰り返し自分にかけてください。
生き延びるためにやってきたことについて、私は自分を許す。
何度も間違いをおかしてしまうことについて、私は自分を許す。
人間としての限界を受け入れることは、私達に内面の平和をもたらします。
それは自分自身の中での戦いを終わらせることによる安堵感です。
●あなたはどんな分野について、自分を許すことが必要ですか?
他人を許すこと
自分の限界を受け入れることで、私たちは他人の不完全さを受け入れることも学びます。
ただし虐待によってひどい恥辱と痛みを体験してきた人にとって、自分を虐待した相手を許すことは非常に苦しい作業です。
その苦しさの理由の一つは、許しというものに「べき」をつけて考えてしまうこと。
自分は許せるようになる「べき」なのにと思い込んで、許せる自分ならばよくて、許せない自分は間違っているのだということになってしまうのです。
そして他のメッセージも聞こえてきます。
一つは、許せないほどの怒りを感じている自分は悪くて間違っているというものです。
もう一つは、自分を優先するから許せないわけで、それは自分勝手だというメッセージです。
許しとは、いいとか悪いとかではないし、正しいとか間違っているという問題でもありません。
大切なのは、自分に正直になることなのです。
<許しとは、どういうことではないか>
許すことは、忘れることではない
起こったことは忘れられないし、忘れるべきでもありません。
痛みをともなう体験は、二度と犠牲にならないことや他人を犠牲にしないことを教えてくれる大切な意味を持ちます。
許すこととは、大目に見ることではない
自分を傷つけた人を許すのは、その行動を受け入れるとか、大したことではなかったと相手にいうことではありません。
苦痛を受けたというのは重大な出来事です。
許すことは、相手を免責することではない
許すことは、相手を無罪放免することではありません。
相手の行動を「なかったことにする」わけではないのです。
相手は依然として、自分が及ぼした害について責任があります。
許すことは自己犠牲ではない
許すことで、自分の感情をがまんし飲み込むわけではありません。
感情を抑えつけるのと、感情に縛られなくなるのとでは、大きな違いがあります。
許すことは、そのことについて二度と怒りを感じないということではない
そのことで私達は傷つきました。
それは間違っていたし不当な扱いでした。
だから私達は怒る理由と権利があります。
けれどもう、自分の人生を怒りに妨げられたくないのです。
許すことは、一時の決心でできることではない
過去を手放して先に進みたいとどれほど真剣に願ったとしても、魔法の杖を振って一瞬のうちに過去を消して愉快に暮らすわけにはいきません。
許しが訪れるためには、グリーフワークのプロセスが必要なのです。
<許しとは、どういうことか>
許すとは、自分にはもう恨みも敵意も、自己憐憫も必要ないと気づくこと
こうした否定的な感情を、自分が望むような生き方ができない言い訳として使う必要は、もうなくなります。
自分を傷つけた人を痛めつけるため、あるいは他人に再び傷つけられないよう距離をとるための武器として、こうした感情を必要とすることもなくなります。
そして、自分を許すことです。
許すとは、自分を傷つけた人を罰したいとは思わなくなること
自分が本当は「おあいこにする」ことを望んではいないのだと気づき、罰しようとする努力をやめることで、心の中に平和がやってきます。
そして、自分を許すことです。
許すとは、過去に起こったことで自分という人間を決めるのをやめること
自分には過去だけでなくもっと他のものがあることに気付きます。
過去は、今の私達を形づくるものの一部として、本来の場所におかれます。
そして、自分を許すことです。
許すことは、自然に訪れる結果
それは過去のつらい体験に向き合い、傷を癒やすことで自然に訪れるものです。
相手に対して「許した」と宣言するかどうかに関わりなく、自分の心の中で起こることです。
それは自然に生まれてくるプロセスであって義務ではありません。
そして、自分を許すことです。
許すことは、忘れないけれど手放すこと
ほとんどの人にとって、許しは長い年月の間に少しずつ形になるものです。
涙を流すたび、怒りの叫びを解き放つたびに、心の中に許しが訪れるための場所が生まれるのです。
そして、自分を許すことです。
●あなたが許したいと思う人はいますか?
その人がどんなふうにあなたを傷つけ、それがあなたにどんな影響を与えたかを書いてください。
あなたにとって許しはどんな意味を持ちますか?