井戸端会議で一人の友人のことを、彼はどんな人とでもうまくやっていける人間だとうわさする。
偶然その場に居合わせた共通の友人がその人物評を小耳にはさみ、翌日、話に尾ひれをつけて、まるであなたが彼には気骨がないと言っていたかのように彼に伝える。
それを聞いた彼は怒り狂う。
あなたは彼に電話して、勘違いにすぎないのだからと怒りをなんとか収めようとする。
だが、あれほど理知的で思慮分別のあった男が、あなたをうそつき呼ばわりしてガチャンと電話を切ってしまう。
言いがかりを真に受けてしまう人
Aさんが銀行へ行く用事ができて、町まで車を走らせていたときのことだ。
ついでに金物屋でつり棚とクギを買って帰ろうと駐車場所を探していたら、運よく店のすぐ前に空きスペースが見つかった。
ところが、Aさんのすぐ前に年代もののシボレーがいることに気づいた。
シボレーがそこへ駐車しようとしているのかわからなかったので、Aさんは車間距離をおいて、様子をうかがうことにした。
すると、あっという間にAさんの後ろには何台もの車が数珠つなぎ状態となり、そのうちの一台がクラクションを鳴らし、Aさんもいらだってきた。
シボレーの右側のドアが開き、年配の女性がゆっくりと降りるのを見て、Aさんは、彼女は買い物をするために車でここまで送ってもらったにちがいないと早合点してしまった。
Aさんはさっさと空いている駐車スペースに車を滑り込ませた。
今日は店のこんな近くに駐車できて幸運だと思いながら。
車を出て店まで歩いていくと、さっきのシボレーのバックライトが視界に入ってきた。
運転席に座っている老人はうまく駐車できないどころか駐車スペースさえとらわれてしまって、狼狽しきっていた。
Aさんは彼があの場所に駐車しようとしているとは思わずに自分の車を入れたのだから、良心の呵責にさいなまれることはなかったが、気の毒なので自分の車へ戻ろうとした。
彼は停車したままでいたが、何台もの車がクラクションを鳴らしていると気づくと、走り去っていった。
そのとき突然、一人の若者が私に近づいてきて、「俺は見ていたぞ。あんたはなんてひどいことをあのじいさんにしたんだ!」と大声で叫んだ。
Aさんはあっけにとられてなんとかことのてんまつを説明しようとした。
彼はすたすたと歩きながら通りがかりの誰彼かまわず―なかには私の知り合いもいたのだが―、「あんな思いやりのない人間は見たこともない」と言いふらしてまわった。
慌てふためいて後をついていくAさんに、「うるさい!黙れ!」と怒鳴り返して返してきた。
Aさんは人道的に許されない、とんでもないことをしでかしたかのように自分を責めてしまい、不愉快な思いをいつまでもぬぐいきれなかった。
人生ではつねに理性的にことが運ぶわけではない。
私たちが経験する日常茶飯事は、きわめて非論理的なことから成り立っている。
理屈に合わない事柄でも、情熱に駆られたり、冒険や不思議探し、またははめをはずす行動など、人生を充分楽しくしてくれる要素はいろいろある。
しかし、実際にやっていないことで非難されたり、やむにやまれぬ理由があってやった行為をわざとそうしたように言われるのは、耐え難いものだ。
たいていの人は、脅かされているとか、侵害されていると感じても、争いごとは極力避けたほうがいい、という内なる良心のささやきに従うものだ。
しかし、そうとばかりは言えないのが、この世の中だ。
逃げるが勝ち、という声をかき消してしまうほどの怒りに燃えた声に、このまま引き下がるつもりかとけしかけられ、あらぬ言いがかりをつけてくる人もいる。
一つ例をあげてみよう。
ある男性は、職場の同僚と誰彼の区別なく接していたが、一人の女性社員が勘違いして、自分だけ不当に扱われたと感情的に友人に打ち明ける。
話を鵜呑みにしたその友人が、彼が身勝手な理由で彼女を軽くあしらった、というよからぬうわさを一方的にまき散らす。
家庭内でも、非難されるような落度は何一つないのに、たまたま相手の感情を傷つけるようなことを言ってしまったり、そういう態度をとってしまったために、わざとそうしたのではないかなどとあらぬ疑いをかけられ、当たり散らされる経験があるはずだ。
いつ、どんなかたちで理不尽な言いがかりをつけられるかということは予測できない。
相手の怒りはパッと燃え上がり、すぐに鎮火して、その後はよそよそしい態度になるだけかもしれないし、訴訟にまでもつれ込んでしまうかもしれない。
第三者に悪口を言いふらすかもしれない。
顔を合わせたとたん、まるで安全装置の外れた銃から弾丸がとんでくるように、すごい勢いで恨み言をぶちまけてくるかもしれない。
あるいは、誰もいないところで、寝首をかかれることもある。
いずれにしろ、理不尽な言いがかりをつけられれば、自分の名前や人格が傷つけられ、評判まで汚されたのではないかと感じてしまうものだ。
どんな言いがかりであろうと、それを受け止める側はびっくりして、傷つき、憤慨する。
そんな時でもいい人は、相手に対して怒りを爆発させる反撃には出ない。
せいぜい、誰でもいいから味方を増やそうとして、ことの成り行きを周囲に説いてまわるのが関の山だ。
言いがかりをつけられた側にも、言い分というものがある。
相手の言いがかりがどれほど理不尽なものかをきちんと説明して、白黒はっきりさせたいと思うだろう。
なのに、相手の言い分があまりに的外れという場合でも、いい人は内なる善き人の声に従って、「まあ、相手も思慮分別のある大人だ、しかたがないか」と良心的に解釈しようと試みるのだ。
相手の動機が不純なのではとか、精神状態に問題があるのではないか、などとは少しも疑ってみない。
論理的に話せばわかってもらえるだろうと期待して、どんな種類の理不尽な言いがかりにも同じような対応をしてしまう。
言いがかりとは何かを知る
理不尽な言いがかりをつけられたら、論理的に対応しようとしないことだ。
いい人であるために、そんな態度をとってしまい、自分は正しいことをしたと思い込みがちだが、明らかに間違いなのだ。
では、それがなぜ、間違いなのかを検証していこう。
理不尽な人に理屈は通用しない
理不尽な言いがかりをつけてくる相手に対して、事実がどうだったかを論理的に説明しても、ちちがあかない。
事実をはっきりさせれば相手が自分の過ちに気付き、言ったことを撤回するだろうなどと思うのは、まったくの勘違いだ。
いい人は、自分の言い分が理にかなっていると決め込んで、説明すればきっとわかってくれるだろうという甘い期待を抱いてしまう。
たとえ同意しなくても、相手にも意見の食い違いを認めるくらいの思慮分別はあるだろうと期待するのだ。
だが、理不尽な言いがかりをつけてくる相手を論理的に説得するのは、かんしゃくを起こした子どもに道理を説いておとなしくさせるのと同じくらいに難しい。
自分の言い分がそのまま通じると思ってはいけない。
きっと理解してもらえるという、見当違いの思い込みのうえに自分の言い分を通そうとするのは、まるで大海原を小さな網で手中に収めようとするような無謀なことだ。
こちらの言い分は聞いてもらえない
理不尽な言いがかりをつける人は、自分の心の傷を誰かに癒してほしいのだ。
言いがかりをつけられたとたんに、あなたが自己防衛にまわれば、相手は無視されたと思い込んでしまう。
何かやさしい言葉のひとつでもかけてもらえるかと期待して文句を言っているのに、見当外れの話を聞かされたら、たまったものではないだろう。
この時点で、お互いに期待することが食い違っている。
話せばわかると思うと、損をする
こちらが腹を立てていれば、相手に伝わる。
言いがかりをつけられたときに、同じようにやりかえせば、相手もいらついて腹を立てる。
そんな状況でも、私たちはいい人でいる。
自分の怒りを心の中に閉じ込めて何事もなかったかのようにふるまい、自分の言い分がいかに正しいかを冷静に主張しようとする。
こうして、怒りも葛藤も心の奥底に押し込められ、放置されてしまう。
いい人の善意から発した冷静な対応は、誤解を解けないばかりか、事態を悪化させることもある。
こちらが自己防衛にまわったと感じたとたん相手はいらつきはじめ、さらに根も葉もない言いがかりをつけてくる。
事態はエスカレートし、双方の間の「勘違いの溝」はいっそう深くなる。
そのうえ精神的にますます痛めつけられるだけだとわかったら、相手との関係を断つしかない。
理不尽な言いがかりへの対処法
理不尽な言いがかりに対して、論理的に応じてもむだだが、ほかにも対応の仕方はある。
まず、何はともあれ自己防衛に走るのをやめることだ。
それから、次の言葉を思い出すといい。
「理不尽な言いがかりを論理的に理解しようとしてもむだだ。
そんなことはいっさいやめよう。
自己防衛にまわれば、事態はさらに悪化するので、それもやめよう」
このことをしっかり頭に入れて適切に対応すれば、人格をズタズタに引き裂かれるところまで追い込まれずに済む。
ぎくしゃくしてしまった関係を修復することさえ可能かもしれない。
相手の理不尽な言いがかりを充分理解して、対処法をしっかり習得することだ。
言いがかりをつけられる理由はいろいろ
相手の誤解の原因を考えてみると、次のようになる。
- 脅かされているとか危害を加えられると勘違いしている。
- 体調が悪いため、あるいは失業や離婚などの精神的ショックから、事実を曲解している。
- 性、政治、宗教などの分野で見解の相違があることを認められず、冷静に考えられない。
- たまたま運悪くあなたがその場に居合わせたために、じゃましに来たと勘違いしている。
- あなたではなく、あなたが知らせたニュースで動揺した。
- 罪悪感や怒りがわきあがったのを、あなたのせいにしている。
- 悪いのは自分だと思いながら、何もできない。
- 自分の大きな期待に相手がこたえない、あるいはこたえられないことが不満だ。
- あなたに弱みを握られ、思い通りに操られてしまうのではないかと心配している。
- 人が自分の思い通りにならないことに怒っている。
- あなたを自分の非現実的な理想像にあてはめようとして失敗した。
- 性別、身体的特徴、性的嗜好などによって人格を決めつけてしまう癖がある。
- イライラしたり、精神が乱れるような薬物を服用している。
- もともと情緒不安定で物事に過剰反応する性格である。
原因を的確に把握する
どう考えても原因の分からない言いがかりというのはたいてい、複数の要素が微妙に絡み合っていることが多い。
その原因を一つひとつ突きとめることは、容易ではない。
だが、原因がどんな種類かによって対応を変える必要があるので、できるだけ個別に、しかも具体的に突きとめておいたほうがいい。
たとえば、単なる勘違いから言いがかりをつけられた場合と、相手が精神を病んでいる場合では対応を変えなければならない。
言いがかりをつけられたと感じた場合にはすぐに、その理由を考えてみることだ。
言いがかりをつける人は思い込みが激しい
言いがかりそのものが理不尽なうえに、それを言ってくる相手はたいがい、「自分の言い分こそが正しい」と頭から思い込んでいるので、よけいに厄介だ。
しかし、すぐに何が問題なのかを正確に把握しておけば、あとは根気強く対応して解決できる。
もし、大切な友人との間が気まずい関係になってしまったら、ひたすら事態の悪化を避けるように努力するしかない。
言いがかりをつける人は、じつは傷ついている
じつは深く傷ついているために、そのはけ口を求めて言いがかりをつけてくる人もいる。
その場合は、それを個人攻撃と受け取らず、過剰に反応しないほうがいい。
たしかに、攻撃のきっかけをつくったのはあなたかもしれないが、原因は相手個人の精神状態、つまり、傷ついていたり、恐れおののいていたり、動転していることにある。
この点さえ理解すれば、理不尽な言いがかりを真に受ける必要はない。
言いたいだけ言わせて、しずかになるまでじっと聞いていることが最もいい解決法だ。
けっして相手をむやみに刺激して、火に油を注ぐようなことをしてはいけない。
どんな怒りでも、いずれ時間がたてば静まる。
相手の無礼な態度を見て見ぬふりをしろとか、いじめに耐えその場をうまくやりすごせとすすめているわけではない。
ただ、相手の心の傷や動揺の度合いは、あなたへの理不尽な言いがかりとは比べものにならないくらい大きいということだ。
言いがかりそのものをうんぬんするより、まず、相手の感情を考えて、対応しよう。
相手の感情の変化を把握し、柔軟に対応
相手のことが理解できたら、今度は自分の感情を客観的にとらえ、それを相手に理解してもらえるように表現する。
それと同時に、相手の感情があなたの態度に対してどう変化していくかを正確に把握しておく。
そうすれば、相手に自分の正直な気持ちを伝えても大丈夫なのか、それとも沈黙を守っていた方がいいかの判断がつくはずだ。
自分にも誤解がないかを確かめる
相手の言いがかりに対応する前に、それがほんとうに理不尽なものかどうかを客観的に検討する。
人には、何か言いがかりをつけられると相手の言い分も理解しないで、とっさに自己防衛にまわる傾向がある。
勘違いして過剰反応することさえある。
自分の判断に間違いがないと確認してから対応すれば、ぶざまな醜態を演じることもないし、大切な人間関係にひびを入れずにすむ。
もし、言いがかりをつけてきた相手が感情的ではなく、単なる勘違いのようだったら、それを確かめるいい方法がある。
まずは自分から、「どうも話の内容が複雑すぎたようですね。もう一度、話し合ってみましょうか?」あるいは「ちょっと、確認させてください。私はこういうつもりであなたにお話ししたと思うのですが・・・」と水を向けてみる。
相手の反応によって、勘違いかどうかが判断できるはずだ。
もし「あら、そうだったの。私は、まったく別のことだと思っていましたよ」という答えなら、ただの勘違いだ。
ところが残念なことに、言いがかりをつけてくるたいていの相手は、攻撃の手をゆるめはしない。
どんなに立派な大義名分を振りかざそうと、聞く耳をもたないからだ。
理不尽な言いがかりをつけてくる人には、共通した珍しいパターンがある。
たとえば、過去にも同じような言動が見られた、もともと相手の立場になって物事を考えることができない、意見の食い違いを認めようとしない、また、他人が人前で恥をかかされたりひどい目に遭っているのを見てほくそ笑んだりする性格である、というぐあいだ。
どれか一つでも思い当たる節があれば、その人は本来、理不尽な言いがかりをつけてくる人間だと考えていい。
だが、これだけ注意深く相手を観察しても、あなたが誤解していないとは言い切れない。
第三者に双方の話を聞いてもらって、判断してもらうことも賢明な選択だ。
もし第三者があなたに非があり、相手の言い分も無理ないことだと判断した場合は、素直に謝って、関係の修復に努めるようにしよう。
反対に、どう見ても相手の言いがかりが理不尽なものと判断されたなら、今度は自信をもって説得すればいい。
言いがかりに対処する練習
物事をはっきりさせることも大切だが、相手と良好な関係を築くことのほうがもっと大切だ。
ここで、ある人から受けた理不尽な個人攻撃に対して、論理的に対応しようとしてひどい目に遭った若い女性の話を紹介しよう。
メアリーはある奉仕団体の秘書だった。
たまたま組織変更の最中だったので、運営委員会から各会員に対して職務割り当てを伝える仕事も任されていた。
ある朝、エンジニアとしては優秀だが、扱いづらいといううわさのある会員から電話がかかってきた。
彼は設備委員会の仕事担当になったことに怒っており、予算委員会への移動を要求してきた。
メアリーはすぐに、運営委員会が開催されていたときのことを思い出した。
たしかに彼は予算委員会の仕事を希望していたが、運営委員会は彼の職歴から判断して、設備委員会への所属を決めていた。
メアリーは、なぜ彼が設備委員会へ配置されたかを説明しはじめた。
ところが彼は彼女の話の出ばなをくじくと、いかに運営委員会が彼の意志を踏みにじったかをなじった。
メアリーは彼のためを思って、委員会へ不服申し立てをするための手順を話そうとした。
すると、彼はそんな面倒なことはまっぴらごめんだと言った。
さらに、声を荒げて、「俺を予算委員会へ移動させろ!」と迫った。
メアリーは、それはできないと冷静に対応しようとした。
彼は電話の向こう側で、「俺を予算委員会に入れろ!」と大声でどなりまくった。
彼女はそれはできない相談だと繰り返し、自分で手続きをするよう説得しようとした。
だが、「みんなが俺をコントロールしようとしている。おまえも俺をコントロールしようとするのか」とわめかれてびっくりし、頭の中が混乱した。
そして言葉を返す間もなく、彼は悪態をついて電話を切ってしまった。
メアリーはどうしてこんなとばっちりを受けるはめになったのか理解に苦しみ、どうしようもない怒りが込み上げてくるのを感じた。
こうして彼女は、厄介な問題を抱え込むことになったのである。
ここで、自分自身をメアリーの立場に置き換えてみよう。
あなたに失礼な電話がかかってきた。
その電話にうまく対応するには、この章で検証してきた次の五項目を活用することだ。
- 言いがかりをつけられた理由は一つか、それとも複数かを知る。
- 原因を的確に把握する。
- 言いがかりをつける人は思い込みが激しい
- 言いがかりをつける人は傷ついている。
- 相手の感情の変化を把握して、柔軟に対応する。
ここで、彼の言いがかりは不当なものであり、あなたと彼双方に、ひいては組織にもプラスに働かないという事実をしっかり認識しておくことだ。
また、何よりもお互いを尊重し合えるような、円滑な人間関係を築くための努力を惜しまないことが大切だ。
冷却期間をおく
言いがかりをつけてきた人間を必死にコントロールしようとしたり、厄介ごとにかかわらないように自己防衛にまわる必要はない。
理不尽な言いがかりには過剰反応しないことだ。
手もつけられないくらい感情的になっている相手同様、自分も怒りでかなり動揺しているかもしれない。
そう気づいたら、まずは心の平静を取り戻すことだ。
相手に言いたいことを言わせておいて、タイミングを見計らって対応する。
もちろん、自分の気持ちを伝えずにおこうなどと思ってはいけない。
伝えなければ、半永久的に相手のえじきにされてしまう。
ただ、あせって自分の気持ちを伝えないこと。
確実に理解してもらえるように伝える時間は充分あるはずだ。
自分を見失わないよう心の平静を保ち、相手の言い分を聞き、いいタイミングに、「あまりに唐突で冷静に話ができそうもないので、落ち着くまで冷却期間をおきましょう」と言ってみる。
もし、相手が聞く耳をもたなかったら、「おっしゃることが理解できません。私に分かるように、もうちょっと、ゆっくり話してもらえませんか」と言ってみる。
それでもだめなら、相手が口を開くのをやめたとたんに、「あなたのお話しを正しく理解できたか、確認させてください」と差しはさみ、相手の言葉を同じように繰り返してみる。
それすらさせてもらえないなら、「そんな言い方をされる覚えはありません。言い方を変えないなら、そんな話はこれ以上お聞きできません」とはっきり言い切るのだ。
それでもだめな場合は深追いをせずに、後で電話するとだけ伝えるほうがいい。
何度も繰り返すが、この状況では、ケンカ別れという最悪のシナリオを避けるために、自分の感情をコントロールする必要がある。
さらに相手が、書面などであなたの非を責め立ててきたり、あちこちであらぬうわさをながしているようなら、なおさら、冷却期間がいるだろう。
言いがかりをつける相手に共感する
まともな人格の持ち主なら誰でも、相手の感情の変化を敏感に感じ取り、相手の立場になって共感できるはずだ。
だからといって、相手の責任を肩代わりしたり、個人的な問題を解決してやれということではない。
気の毒に思ったり、残念がってみせたり、同情する必要もない。
相手に共感することと同情することはまったく別だ。
共感するには、一段ずつ確かめながら階段を上るように、相手の反応を見ながら、こちらの対応も変えていかなくてはいけない。
進んで相手との距離を狭め、きちんと話ができるように努力することだ。
相手の立場になる
まず、相手の物差しで物事を見るという共感的な立場をとる。
言いがかりをつけられても、感情的にならず、相手の身になってみるのだ。
いま、自分は相手の靴をはいて、相手の目を通して物事を見ていると想像してみよう。
それができれば、相互理解の第一段階はクリアできたことになる。
相手の気持ちになる
相手と共に苦しむ、つまり相手の感情を共有してみる。
相手を自分の一部として感じ、傷ついた人間として認めることだ。
相手を尊重し、大切に思っていなければ、その心の痛みをともに苦しんだりはできない。
好きこのんで、理不尽な言いがかりをつけてきた相手の心の痛みを共有したいと思う人はいない。
すぐにでも相手の非を責め立てたいのは、山々だろう。
だが、いい人はお互いの関係をこわしたくないと思うためにじっとがまんする。
たとえ何か言い返すことができたとしても、腹の虫がほんの少し収まるだけで、相手の気持ちを楽にしたリ、態度を軟化させることはできないのだから。
ひとまず自分の感情は抑えて、冷静さを取り戻そう。
それから直感を働かせて、相手の感情の起伏を正確に把握し、これまでに培ってきた分別、思いやり、あるいはさまざまなスキルを活用して、相手の心の痛みを感じ取るのだ。
相手の痛みを共有するのは、がまんでもないし、失礼な態度を見過ごしたり、気持ちを踏みにじられても何も言わないでいい、という意味ではない。
傷ついた心の痛みを感じとり、それが原因で言いがかりをつけてきたという事情を理解する行為だ。
心の痛みを共有するには、言葉一つひとつを注意深く聞いてやり、その言葉の裏に隠された感情を把握する。
相手の声の調子、大きさ、感情的な表現を使っていないかなどから判断するのは、簡単ではない。
相手がそばにいれば、顔の表情や身振り手振りからも感情を読み取ることができる。
そうしようとする一方、ときには自分の中で、「相手のことなどかまっていられるか、この際とことんやっつけてしまえ」と騒がしくけしかけてくる声があっても、そんな誘いには乗らないことだ。
相当な自制心と訓練がいるだろうが。
相手の感情を映す鏡になる
次に、相手の感情を投影させる鏡の役割を果たすには、自分の怒りを抑え、相手の話を聞き、かたくなな態度をとらせないようにする。
そして、こちらが相手の痛みを理解していることを伝える。
相手を真剣に扱い、時間も割いて、心配しているとわかってもらえれば、怒りもかなり静まるはずだ。
相手の感情を映すとは、相手の言葉をただオウム返しに繰り返すことではないし、単に言葉を言い換えることでもない。
相手の言い分を正しく理解しているかどうかを確かめるために、ときには内容をかいつまんで言って聞かせる。
どうすることもできない怒りという、強い感情を投影させる鏡の役割を果たし、相手に自分自身の感情を理解してもらう。
相手の感情ではなく、言葉だけを映す鏡の役割ならば、「まともに対応してくれなかったじゃないか!」と言われれば、「私の対応が悪かったというのですね」となり、「予算委員会にまわしてくれ、とあれほど頼んだはずだ」と言われれば、「予算委員会が希望でしたね」と答えてしまう。
これでは言葉のゲームであって、相手の身になって考えてなどいない。
こんな会話を繰り返していると相手はイライラし、さらに態度を硬化させるかもしれない。
しかし、相手の感情を投影して受け答えすれば、話をきちんと聞いてもらえるという安心感から、相手の答えも自然と変化する。
- 「私の対応に怒っているのですね」(怒りという感情を映す)。
- 「予算委員会に所属できないことに憤っているのですね」(憤るという感情を映す)。
経験不足でうまく会話を進めることができない場合には、まず手始めに、「そういうことでご立腹なのですね」とか「気分を害されている・・・」「ご不満・・・なのですね」というふうに決まり文句で対応してみる。
この言い回しをしっかり頭の中に入れておけば、どうすれば相手の感情を投影させることができるかが、おのずと明らかになる。
怒りの感情を映し出してやれば、相手も歩み寄ってくるはずだ。
「怒るのも当然でしょう?」などと話しかけてきたら、さらに安心させ、もう少し感情を表現しても受け入れますよと伝えることだ。
相手が怒りを隠そうとしたり、こちらの対応にピンとこないようなら、その場は、「ちゃんと聞こえていますよ。おっしゃっていることはよくわかります」とだけ伝えておく。
相手の感情を整理して確認する
次は、そもそも相手の身に起こったことも受け入れて、その感情を確認する。
ただし、同意する必要はない。
たとえ相手の感情が手に取るようにわかっても-そんなことはめったにありえないが-「あなたの気持ちはよくわかる」と言ったり「ごめんなさい」と口走ってはいけない。
謝るのは、こちらが相手を傷つけた場合に限る。
相手の感情を確認するためには、その身に降りかかった現実は知っているし、動揺するのも無理はないとわかっていると伝えるだけで充分だ。
- 何の説明もなく、設備委員会に配属されたなんてひどい話ですね。気を悪くするのももっともですね。
- 予算委員会がご希望でしたか。なるほど、私にもあなたが怒っている理由がわかりましたよ。
- あなたと同じように見てとれば、私だって怒るでしょうね。
- あなたと同じ目にあったら、私だって喜べないでしょうね。
繰り返し言うが、相手の立場になったからといって、むやみに謝ってはいけない。
救済事業の関係者を研究している専門家によれば、相手に共感できれば、9割がた相手の心の傷を癒やし、人間関係を改善することができるという。
私たちはずっと、カウンセラー、ソーシャル・ワーカー、医師や看護師、教師や聖職者など、どのみちのプロに対してだけ、共感を期待してきた。
1950年代から心理学の領域では、自己本位な行動や妄想に関する研究が盛んに行われるようになった。
それによると、だれでも相手に共感することができる。
共感のスキルをうまく使いこなせば、心の重荷を軽くしてあげられる。
うまくつきあって、和解の道が見いだせるかもしれない。
もしそれがだめでも、信頼される関係を築き、前向きに話し合える状況をつくればいい。
相手の立場に共感するのは、自由の尊重でもある。
いずれにしろ、自分の立場を守ることだけに必死になっても、いい結果は生まれない。
相手の心の痛みを思いやる
相手の感情を見極め、映し出し、確認する作業を終えたら、まず、相手の心の痛みに対して気の毒に思うと話そう。
「きちんと対応してもらえなかったから、傷ついたのですね。大変でしたね」というふうに伝えるのだ。
自分の対応がまずかったとか、相手の言いがかりはもっともだなどと認めるのではない。
相手の立場を受け止めていること、言い分もきちんと聞いていること、これらの相手にとって最も気がかりな二点さえクリアすれば、こちらにも理解を示し、態度を軟化させてくるはずだ。
ここで注意したいのは、相手が勘違いして、別の困った状況に陥ってしまうことだ。
たとえば、あなたの身になって考えている、あなたの身になって考えている、あなたの身に降りかかった不幸を自分も悲しんでいるなどと言うと、「こちらの言い分に同意しているのではないか、あるいは詫びているのではないか」と勘違いされるかもしれない。
すると、相手はさらに考えを押し付け、違うと説明しようとしても、聞く耳をもたなくなったりする。
そんなときは、「私が同意したとお思いのようですが、そんなつもりはありません。あなたがひどい目に遭われたのは遺憾なことです。けれど、この状況を少しでもよくしたいのなら、こちらの意図もきちんと理解してほしいのです」と、きっぱり伝えることだ。
ここまでくればようやくお互いを尊重し合い、ごく普通の会話が交わせるようになる。
常軌を逸した相手を正気に戻して、謝らせる段階まで進むことも可能かもしれない。
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自分を信じられないと他人も信じられない
言いがかりを解決に導く
これから先のステップはより複雑になるので、細心の注意と、さらにいっそう研ぎ澄まされたスキルが要求される。
お互いに冷静になったら自分の意見を言う
相手が心の平静を取り戻し、あなたを多少なりとも信頼し、尊重するようになったら、理不尽な言いがかりをつけられて自分も怒っている、と言ってみることだ。
ここに至るには、ある程度時間がかかるだろうし、できればこの話題は避けて通りたいかもしれない。
しかし、健全な人間関係を築いていくためには、自分もまた不愉快な思いをさせられたと相手にしっかりと伝えなくてはならない。
自分の立場や感情も知ってほしいなら、率直に伝える。
お互いの勘違いを正すために話し合いが必要だと思うなら、そう言えばいい。
相手の同意が得られたら、まずあなたが自分の気持ちを伝え、次に相手の反応をたずねる。
ここで大切なのは、相手の立場と感情を理解する聞き上手になることだ。
相手も自分も冷静でないと、このステップは踏めない。
お互いの精神状態と、のどが締め付けられるように緊張しているのか、それともリラックスしているのかなど、自分自身の体の反応を敏感に察知することも必要だ。
お互いに比較的冷静で、この話題にだけ気持ちを集中できると判断したら、おだやかに、自分の思っていることを包み隠さず伝えよう。
- わざとではなくても、突然言いがかりをつけられた私は、踏みつけにされように感じました。あなたの怒りが伝わってきて、緊張してしまった。どう説明したらいいのかわからないんです。
- まあ、ちょっと落ち着いて私の話も聞いてください。私があなたをコントロールしているなんて勘違いですよ。そんなふうに言われたら私だって動揺してしまって、返す言葉もない。
- こちらも腹が立って、気が動転してしまって、どうしたらいいか途方に暮れています。
まず自分の気持ちを伝え、それから相手がどう感じたかをたずねる。
さらに、気持ちを聞いてどう感じたかを再び伝え、その反応を聞く。
この心のキャッチボールとでもいえるプロセスを納得いくまで繰り返そう。
自分の気持ちを正直に伝える努力を怠らなければ、勘違いは解消されるはずだ。
相手はなるべく、自分がつけた理不尽な言いがかりに話が及ぶのを避けようとするだろう。
ここで、引き下がってはいけない。
話をそらさずに、事実だけを淡々と話すことだ。
お互いの感情を少しでも分かり合えるようになったら、ひとりでじっくり考える時間が欲しいので、後日、また話し合おうと提案してみる。
ここまでくれば、次に話し合う日時を設定したくなるかもしれない。
こちらの意見も聞くように頼む
今度はあなたの立場や感情を理解してもらう番だ。
話をしても大丈夫だと思ったら、相手の目を見据えて、「私のほうの話も聞いてほしいのですが」と話しかける。
それに対して、聞いてもいいという意志が感じられたら、具体的に事情を説明する。
こちらの話を聞くつもりはないというような態度で出たら、それでは困るときちんと伝える。
たとえば、「私の立場も考えて、話を聞いてもらわなければ困ります」と言ってみる。
せめて、意見の食い違いがあると認めさせる
あなたが話を始めた途端、ケンカ腰の態度をとってきたら、冷却期間をもとうと提案する。
あなたができるのはここまでだろうし、最悪の場合、相手は冷静にならないかもしれない。
また、たとえあなたの話に理解を示してくれても、意見が食い違うこともあるだろう。
その場合には、相手の同意を得ることではなく、お互いの立場を尊重し、正直に話し合い、理解しあう関係を築くことが最終目標だったと思い出そう。
「明らかに解釈の違いがあるようだ。言い争いになったわけだ。あなたも私も歩み寄る必要がありそうだね」と言ってみてもいい。
言いがかりをつける人は、これまで、誰にも理路整然と話をしてもらえなかったのかもしれない。
率直に主張すれば、相手の緊張もゆるみ、「ああ、理性を欠いた行動をとってしまったな」と考えて、態度を改めてくる可能性もある。
もちろんさらに理不尽なことを言って、あなたを困らせてくる人もいるだろう。
理性をなくした無分別な人間が相手という、最悪の事態もありうる。
これまで説明してきた方法が、どれ一つとしてうまくいかないケースもある。
傷つけるようなことは言わなかったかのようにふるまい、謝りもしない相手なら、こちらはそれ以上、どうすることもできない。
無理に謝らせたところで何にもならない。
相手は言い争うきっかけをつくったとすら認めずに、すべての責任をあなたに押し付けて、詫びを入れるべきだと主張してくるかもしれない。
そんなときは、できることとできないことを割り切ってしまうことだ。
そして、「きちんと対応していないと感じさせてしまったのは残念です。今後は気を付けます」とだけ言う。
言いがかりをつけられたあとで、こんなふうに冷静に伝えるのは、至難の業かもしれない。
率直な意見の交換ができても、結局は効果がないかもしれない。
それでも、相手と自分の両方に、誠実な態度で精いっぱい対応したのだからと納得できればそれでいいのだ。
理不尽な言いがかりには耐えられないと言う
たとえ、相手が謝らなくても、こちらの怒りを上手に伝えて、それまでの関係を維持することはできる。
それには怒りを表現するための三つポイントをしっかり押さえて、伝えよう。
- あなたが私に対して、わめき散らし、悪態をついた(相手の行動)ので、
- 私は言葉の暴力を振るわれたと感じた(私の感情)。
- というのも、私は故意にあなたの気持ちを踏みにじったつもりはないし、あなたの言い分をきちんと聞いたから(言葉の暴力を振るわれたと感じた理由)。
どうしても、あなたの言うことを無視して、おかしな言いがかりを繰り返すようなら、丁寧にやめてほしいと伝えることだ。
それでも止まらない場合には、言わせておくかいっさい交際を断つしかない。
自分のことが大に切なら、そうするべきだ。
もし相手を大切に思う気持ちが残っていたら、これ以上付き合っていられないと直接伝えよう。
そのときには、態度を改める気になったら、いつでも、歓迎すると忘れずにつけ加える。
もう大丈夫、一方的にやられない
理不尽な言いがかりをつけられたら、次の七つのステップを順を追って、あるいは繰り返したり、省略したり、工夫しながら、実際の会話にちりばめていけばいい。
- 心の平静を取り戻すために、冷却期間が必要だと伝える。
- 言いがかりをつけてきた相手のおかれた状況や感情に共感する。
- 相手が傷つき、動揺していることを理解し、気の毒に思っていると伝える。
- お互いの感情のやりとりをする。
- 相手が配慮を示して来たら、こちらの言い分も聞いてもらう。
- 必要ならば、意見の食い違いを認めさせる。
- 理不尽な言いがかりにはがまんできないと言い切る。
これからも、理不尽な言いがかりが突然振りかかってきて、悩まされることだろう。
しかし、そんな相手に論理的に対応する必要はない。
無視したり、大目に見たり、怯えてしまうこともない。
言いがかりをつけられたら、相手との関係が自分のエネルギーや時間を注ぎ込むに値するものかどうか見極めることだ。
そして、相手のことを考慮しながら、これら七つのステップのうち必要なだけ試せばよい。
たとえ、思うような結果が導き出せなくても、努力した自分をほめてあげたくなるかもしれない。
また、相手の言いがかりに面食らって、思わぬことを口走ってしまったり、言いたいことも言えずに、後悔するかもしれないが、いずれもかまわない。
いろいろな対応の仕方があることを知り、それを試してみる努力を惜しまなければ理論武装して自己防衛に走るよりも納得のできる、効果的な対応ができるはずだ。
もう、言いがかりを真に受けるのはやめよう。
それでも、いい人でいられる。
まとめ
感情的になって言いがかりをつけてくる人に向かって論理的に話をしようとしても無駄である。
相手が感情的になっている場合は、冷静になるまで話を設ける場を待つことだ。
言いがかりをつけてくる人との間で何が問題かということを理解しておくことは大切である。
相手が冷静さを取り戻したら「あなたがひどい目に遭われたことは気の毒に思います。しかしお互いに理解ために私の意図も話してもいいですか?」と話してみよう。
お互いに正直に話し合い、お互いの立場を尊重し合い、そして理解し合うことが最終目的である。