依存症に陥るのは、なんらかのストレスが引き金となることが多いのですが、当人に深淵な自己無価値の感覚が存在しなければ、依存症にまで進展することはなく、依存症とは、多かれ少なかれ自己無価値感を埋めようとする行為だといえます。
買い物依存症には、それがもっともあからさまに表現されています。
なぜなら、買い物をすることは、いろいろな面で自己価値感の高揚をもたらすからです。
【買い物依存症Y子の場合】-モノを買う高揚感がたまらない
Y子は、短大を出て、小さな企業に勤務し、結婚と同時に家庭に入りました。
夫は5歳年上の地方公務員。
まじめで神経質で典型的な公務員タイプです。
毎日、8時には家を出て、夜7時には帰宅します。
Y子はおしゃべりを楽しみたいのですが、夫は自分から話すことはほとんどなく、二人で共有する話題もありませんので、二人の会話はすぐに尽きてしまいます。
夫は食事の内容にこだわることもなく、テレビを見ながら出されたものを食べるだけです。
結婚前に、休日はどこかに出かけたり、買い物をしたりして、一緒に楽しむことを夢見ていましたが、夫のほうは、休日ぐらいは家でゆっくりしたいと、自分の部屋に入り、一日中パソコンの前にいます。
少し気弱な自分の性格と夫の性格は共通する部分があると思うのですが、家庭でお互いに求めているものはまるで違っていたのだと、Y子は結婚してすぐにさとりました。
いや、じつは結婚を決意し、結婚式の準備を進めるなかで、夫のそうした性格に気づいてはいました。
しかし、取りやめる決心がつかなかったというのが本音でした。
Y子は、短大時代は気の合う友達と青春を楽しんでいましたし、OL時代も、会社に若い女の子が少なかったので、ちやほやされていました。
しかし、結婚と同時に、そうした人たちとの関係もとぎれました。
結婚当初は、夫を送り出し、掃除や洗濯をして、夕食を作って夫の帰りを待つ静かで安定した生活に、「これが幸福というものなのだ」と思おうとしました。
しかし、しだいに寂しさや満たされなさがつのり、毎日が空虚な時間の流れのように思われました。
そんなときテレホン・ショッピングに関心が向きました。
最初はちょっとした小物でしたが、しだいに頻繁に、高額な品物を買うようになっていきました。
短大のときに亡くなった祖母が結婚資金として残してくれた五百万円ほどの貯金が手つかずにありました。
いざというときのために大事にしてきたのですが、これに手をつけはじめました。
一度その貯金を切り崩すと、あとは平気になって、堰を切ったように、デパートでバッグや靴、化粧品などを買いあさるようになりました。
何かを買いたいと思うと、その思いだけが高じて、居ても立ってもいられないのです。
そして、デパートに行くと、ウィンドウ・ショッピングで終わることができません。
「どうせ買わないんでしょ」というような店員の視線を感じて、それに対抗するような見栄も働いて、ついつい高額な商品を買ってしまうのです。
モノを買うときの高揚感がたまりません。
物質的にも、精神的にも自分が豊かな人間になった、と感じられ、さらに店員からちやほやされることが快感です。
自分がその店から価値ある人物として扱われている、という気分になるのです。
ところが、お金を払って店を出た瞬間には、もう後悔しています。
祖母の好意にそむいてしまった罪悪感、夫に隠し事をしているうしろめたさ、買い物袋を手にしながらひどい自己嫌悪に落ち込むのです。
でも止められません。
Y子はまったく相反する行動をとることも少なくありません。
たとえば、スーパーに食料品を買いに行って、野菜が少し高いと思うと、買えないで帰ってくるようなことがあります。
こうしたことから、いつしか、一人になると過食し、トイレで吐くということを繰り返すようになりました。
押入れにしまいこんでいた高額な商品を夫が発見したことから、Y子の買い物依存症が発覚しました。
夫がきびしく詰問してけんかになり、夫は離婚すると迫りましたが、このときには、両方の親が出てきて、もとの鞘に収まりました。
しかし、ほどなく、Y子の買い物癖が再発しました。
夫は性格的にこうしたことがとくに耐え難く、結局、実家がY子を引き取るかたちで、離婚になりました。
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Y子は、一人娘として大事に育てられました。
これ以前に、金銭的な問題を起こしたことはなく、むしろ、堅実すぎるほどでした。
たとえば、お年玉をもらって友達と買い物に行っても、ほとんど使わないで帰ってくるし、給料をもらうようになってからも、スーツやコートなど少し値が張るものを自分で買うことはできず、親の方が気を遣って、買い物につれてゆくような状態でした。
Y子は、きまじめで、融通がきかない性格でした。
たとえば、高校までは授業中にとったノートを家で清書してきちんとしたノートを作る習慣がついていたのですが、短大に入ってからも同じように続けようとしました。
ところが、通学に往復三時間以上かかるので、とても時間がたりません。
そのために、パニック状態になったことがありました。
また、友だちのなかで中心的な存在になることは避けるのですが、ある程度の注目を得ていないと満足できない顕示欲がありました。
たとえば、みんなが盛り上がっているときに、突拍子のないことを言ったりして注目を集めます。
ところが、みんなの注目が集中したとたん、自分から引いてしまうのです。
Y子の父親はふつうのサラリーマンでしたが、母親は美容師の資格があって、自宅の一階で美容院を開いていました。
母親は、姑とうまくいかない嫁でした。
姑から逃げるために店に出るのです。
ですから、Y子は幼い頃から、母親と二人でゆったりした時間を過ごすという体験はあまりありませんでした。
日常のことは、もっぱら、祖母が面倒をみてくれました。
確執のある祖母と母親の間で、Y子は両方の機嫌をとろうとした子どもでした。
自分が「良い子」でいることが、祖母の母親に注がれるきつい視線から母親を守ることであったし、店で忙しくしている母親の手を煩わせないことが、母親から愛される条件でありました。
こうした養育環境ゆえに、注目してほしいという強い願望を持ちながら、素直に甘えることのできるだけの自己価値感を持ち得なかったものと推測されます。
Y子と夫との短い結婚生活は、夫に上手に甘えられない妻と、甘えさせられる許容性を持たない夫との、不協和音の必然的な結末のようにも思われるのです。