よく考えてから引き受ける
100パーセント、自分ひとりで時間を使える人などいない。
がんばりすぎる人はとくに、人のために使う時間が多いはずだ。
その癖を直していこう。
すぐにイエスと言う必要はない
誰かに助けを求められて、内心うれしくて、思わずすぐにイエスと言いたくなる人もいるだろう。
そんな誘惑に負けて損害をこうむらないために、時間をとって次のことを考えよう。
その仕事は
- みんなの幸せや、自分の長期的な優先事項の役に立つか、
- 自分の技能にふさわしいか、
- ほかにすることがあってもできるか、
- 楽しいか。
ときには、楽しくなくても重要だから、代わりの人がいないから、順番だから、または、もっと大きな約束の一部として、引き受けることもあるだろう。
でも通常は、この四つの基準に合致しないことはやりたくないものだ。
すでに反射的にイエスと言うつもりがなくなった人なら、はっきりとこんなふうに伝えると、頼みごとをしてくるほうも助かる。
「頼まれたことを何でもやっていると、燃え尽き症候群になるって気づいたんだ。
もう、そんなことはやめようと思う。
ノーと言うのは、現実的に責任をとろうとしているからだとわかってほしい」
生き方を変えたと明確にすれば、相手の支持を得られるかもしれない。
もし、頼まれごとを断わったために、夫、妻、パートナー、親友などに直接影響があると思ったら、断る前に相談すればいい。
自分の生活を彼らに左右されるのはお断りでも、あなたにとっては大事な人たちなのだから。
彼らがどう言おうと、する必要がないと思ったら断ればいい。
それでも決断を下す前に相談すれば、無視されたと相手が気を悪くする心配はないだろう。
ノーと言っても嫌われない
もし頼まれごとが先の四つの基準を満たさなかったときは、ノーと言うことがみんなのためになる。
つまり、「悪いけど、できない」と言ってまったくかまわないということだ。
そして、がんばりすぎたりせず、仕事を背負い込まなかったのだから、自分で自分をほめてあげよう。
もしはじめてノーと言ったのなら、あまりにも気分がいいことにびっくりするかもしれない。
頼まれごとを断わるときは、理由を説明しなくてもいいが、かといって冷淡になる必要も、ぶっきらぼうになる必要もない。
状況によっては、「代わりにできそうな人を思いついたら連絡する」と付け加えてもいい。
例えば同僚から何か頼まれ、負担が大きいと思ったとき、こんなふうに言うといいだろう。
「悪いけれど、できないな。前も、負担が大きい仕事にイエスと言ってしまって自分で腹が立ち、結局いい仕事ができなかったことがあってね。
そういうことはやめにしたんだ」
誰もがなりたがっている「本当の自分」に、自尊心は欠かせない。
私たちは、ノーと言うべきときにノーと言う人を尊敬し、イエスと言うべきでないときにイエスと言う人を尊敬しない。
同様に、するべきではないことを頼まれた時は、ノーと言ったほうが尊敬される―たとえ相手がほんとうはイエスと言ってほしいと思っていても。
あなたに自尊心があることがわかったからだ。
イエスと言っては害があると思ったら、ノーと言おう。
その結果、得られた尊敬と自尊心はあなたを豊かにしてくれるだろう。
さざ波効果を避ける
仕事によっては、役割や責任が異なることもある。
PTAの会長を引き受けるなら、どのくらいの時間をとられるかを調べてからにしたほうがいい。
この仕事は月に一度の会合ですむわけがない。
もし聞かないで引き受け、月に二回は校長と打ち合わせる必要があり、小委員会や地域ごとの会合にも出席するはめになったなら、「さざ波効果」の犠牲になっているのだ。
何かの仕事を頼まれたら、何が要求されているのかを確認し、その範囲内でイエスと言うこと。
もし要求がエスカレートするようなら、いつでも再交渉したりやめる余地があることを覚えておこう。
新しい仕事を引き受けたら、代わりに一つやめる
抱えている仕事や「やるべきこと」のうち、どれを捨てればいいか迷ったら、こう自問自答してみよう。
いちばん満足を得にくいのはどれが?
得るものよりも犠牲にするもののほうが多いのは?
長く続け過ぎているのは?
そういうものがあったら、できるだけ早くやめよう。
同様に、もし何か重要な活動にもっと時間やエネルギーを使う必要が出てきたら、そして自分でも続けたいのなら、ほかのものを捨てて続ければいい。
短期間なら、無理をしてもストレスからうつ状態になるとは限らないが、やむをえないときだけにしよう。
健全な状態を保つためには節制と適度なバランスが必要で、それには自分の限界を現実的にとらえることだ。
時間を有効に使う
釣り合いのとれた生活法を学ぶには、時間と努力が必要だ。
ある女性は、時間管理の本を図書館から借りたが、返却が何カ月も遅れ、しかもほとんど読んでいなかった!彼女には、時間の使い方を学ぶ時間も努力も足りなかったようだ。
生きていくのに必要な時間を、効果的に管理し、効果的に使うことは、ほかの誰の権利でも責任でもない。
うまくできてほめられるのは自分であり、できなくて責任をとるのも自分だ。
一日は二十四時間しかない。
ふつうは、そのうち十時間を、食事、睡眠、入浴、着替えなどに使う。
それから週五日は、やはり十時間ぐらいを仕事(通勤、身支度、自宅作業、残業も含めて)に費やす。
残った週末の一部と、平日の約四時間の間に、買い物、家事、車の手入れ、家族のこと、友人とのつきあい、ボランティア、金銭管理、接待、その他もろもろの仕事やレジャーを詰め込まなければならない。
これは大変なことだ。
だから多くの人は人生に直面して、ヘッドライトに目がくらんで立ち往生するシカのようになるか、あるいはタイヤをスピンさせるレーシングカーのようになってしまうのだ。
私たちの目的は、自分の時間を自分で管理することであり、時間に管理されることでも、時間を手の届かないものにすることでもない。
目標は、自分が選んだ優先事項をできるだけ達成することであって、そのすべてをやろうとしたり、手に入れようとする必要はない。
どんなに価値がある楽しい仕事でも、重なりすぎれば疲れ果てて、どれも満足にできなくなってしまう。
時間は無限ではない。
優先順位の高いものならがんばりすぎていいということはなく、高かろうが低かろうが、自分で燃え尽き症候群にならないようにしなくてはいけない。
自分で行う時間の管理には、毎日数分、何をするかを考えて選ぶ作業が伴う。
目の前のことをひたすらやるという癖を直し、効果的に時間を管理できるようになる次のアイデアを試してほしい。
その日やることに優先順位をつける
毎晩、翌日の「やるべきこと」をリストアップしておくと、次の日をスムーズにスタートできる。
寝る前に、朝の忙しさにまぎれて大事なことを忘れないかと心配しないですむ。
解決しなければならない問題をメモすることで、睡眠中、無意識の中でその問題を検討できるかもしれない。
この方法で、朝、目が覚めたときよい解決方法を思いついた人がかなりいる。
この方法のカギは、重要度の高いものを先にもってくることだ。
楽しいこと、手近なこと、一大事に見えてもほんとうはそうでもないかもしれないようなことは後回しにする。
書き出したら、締め切り時間など時間的要素を考慮しながら、重要度の高い順に番号をふる。
緊急性や重要性の低い事柄は午後、あるいは翌日にまわす。
計画通りに進まないうちに一日が終わってしまうかもしれない。
その場合は翌日に持ち越して番号をつけ直すか、計画から外そう。
もし後のほうの番号にも大事なことが入っていたら、それは仕事を背負い込み過ぎているしるしだ。
毎日、分刻みのスケジュールをつくる必要はないし、スケジュールづくりに専念する必要もない。
ただ、このように物事に優先順位をつけると、プレッシャーが少なくなり、一日の終わりに、時間を有効に使えたという気分を味わえる。
不測の事態を予想する
友達からびっくりするような電話をもらった、車が故障した、トイレがあふれた、会議が長引いた、同僚が病気になった、顧客が約束の時間に来ない、古い友人にばったり会ったなど、私たちの生活には、遅延、中断、緊急事態は日常茶飯事だ。
だから予定表のところどころに三十分か一時間、何もない時間枠をつくり、中断と記入する。
そうすれば、不測の事態に対処できるし、生活もより効果的にコントロールでき、もっと楽しむことができるだろう。
仕事は処理できる単位に分ける
大きなケーキ全部をひと口で食べようとするのはスマートではない。
それと同じで、大きなプロジェクトはひと口サイズに分けるといい。
たとえば税金の申告書類をつくるような仕事は、仕事の規模に圧倒されて延ばしに延ばしたくなるものだ。
「しかたがないから土曜日を全部使ってやろう」などと思うと、その週の間中、気が重いだろう。
だからそんなことはしないで、まず土曜日に一時間、領収書の整理をすると決める(ずるずる泥沼に引き込まれないように、タイマーをセットしておこう)。
また別の日に一時間とって、その日は利息と支払った税金を調べる。
その次は控除、次は寄付というふうに分けてやると、いつの間にか終わってしまうものだ。
見込みより長くかかることを予想する
仕事が思った時間の二倍もかかるといった人がどれほどいることだろう。
仕事のペースは、理想ではなく現実的に考え、はじめに必要と思われる時間より、多くとっておいたほうがいい。
小学校の卒業行事の準備委員会を引き受けてくれた母親の悩みである。
彼女は夜、三回集まれば仕事は終わると思った。
ただし、すべてが順調に進めばの話だ。
そこでセラピストはもし予定した三回で終わらず、もう一回集まるはめになったらどう思うか、と聞いた。
彼女は、自分はストレスを覚え、委員は文句を言うだろう、と答えた。
そこで彼女は委員たちにあらかじめ四回、夜の時間を空けてくれるよう頼み、了承を得た。
結局、仕事は三回で終わり、最後の集まりはキャンセルされてみんな喜んだ。
そこで彼女は学んだのだ―ストレスを感じるスケジュールではなく、現実的なスケジュールで目標をめざすほうがずっと楽しいと。
ほかの人にまわせる仕事はまわす
いい人には、思いやりがあって勤勉だと思われたいために、ほかの人でもできることまで引き受けてしまう傾向がある。
だが、手の届く範囲のものを何もかも取り込む必要はない。
ほかの人にまわせる仕事はないだろうか、と考えてみてはどうだろう。
自分のための時間を早めにとる
ときには休養、気分転換、変化、間食のための休憩や、ペースダウンをし、生活を味わい、エネルギーを充電する時間が必要だ。
来月当たり、本を読んだり、ウィンドウショッピングをしたり、ビデオを見たり、あるいは何もしない時間が必要だと思ったら、今のうちにその時間をとり、予定表には何のための時間か明記しておこう。
そうすれば、人から何か頼まれたとき、「悪いが、その日は予定があるんだ」と言える。
このような方法で時間を管理すれば、バランスのよい生活が送れるし、楽しみの日ができるうえ、がんばりすぎなくなる。
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もう大丈夫、ストレスはたまらない
自分には、人に与えられるものも、うまく処理できることもたくさんあるとわかっただろう。
もう自分に負担をかけすぎないと決めたし、そのために家族や友達にも協力してもらおうと思っているはずだ。
また、すでに人生の長期目標も考え始めているかもしれない。
これからは、時間やエネルギーを割いてほしいと頼まれても、次のようにできるだろう。
- イエスと言う前に、立ち止まって考える。
- 自分に合わない仕事、時間がとれない仕事、楽しめない仕事にはノーと言う。
- 自分が明らかに期待されている仕事にだけイエスと言う。
- 新しい仕事を引き受けたら、代わりに一つやめる。
- その日やることに優先順位をつける。
- 不測の中断を予想し、それも予定に入れる。
- 複雑な仕事は、処理できる単位に分ける。
- 見込みより長くかかることを予想する。
- ほかの人にまわせる仕事はまわす。
- 自分のための時間を、早めにとっておく。
生活の管理ができると、くたくたに疲れてベッドに入りながら、何か腹立たしくてたまらないなどということもなく、翌朝、燃え尽き症候群に陥り、憂うつな気分で目が覚めることもない。
いや、まったくないとは限らない―人間は完璧ではないから!
でも、今ではいつも完璧でいようと思ったり、仕事を背負い込んでがんばりすぎることはない。
人を喜ばせたとか、よい仕事ができたということで自己評価しなくなったからだ。
それより、自分のほんとうの価値を認め、自分の生活を自分でコントロールし、みんなの幸せに役立つ決断をし、それによって自分も得をする。
もう、がんばりすぎはやめよう。
それでもいい人でいられる。
まとめ
がんばりすぎる人は、他人の為に時間を使う傾向にある。
ノーを言うことで自分で責任をとることもでき、自尊心がうまれる。
やることに優先順位をつけ、リストアップすることで有効的に時間を使うことができる。
さらに効果的に時間を使うには、すこし余分に時間をとっておくことだ。