「『他人』にすりへらされていると思う人」とは反対に、「『自分』で自分をすりへらしてしまう人」がいます。
自分の性格が嫌いな人は自分で自分を悪いと責めているような状態です。
何か悪いことが起きると、自分の性格が嫌いな人は自分の中に原因を探します。
あるいは、自分の性格や才能や過去の「せい」にして、自分の性格が嫌いな人はつらくなってしまっています。
そうして、自分の性格が嫌いな人の「自分を変えたい」「自分の性格が嫌だ」となってしまっています。
自分の性格が嫌いな人は「やっぱり」と、悪い思い込みを固めないこと
自分の性格が嫌いな人の多くが「自分は〇〇ができない」という劣等感や問題を抱えています。
- 自分の言いたいことを伝えることができない
- まわりの人と仲よくできない
- 要領よく仕事ができない
などと、自分の性格が嫌いな人はこういう悩みを抱えています。
そして、「こんな自分じゃダメだ!」と自分の性格が嫌いな人は自分を責めて、自分を否定しています。
自分の性格が嫌いな人は自分を否定して、自分の心を自分ですりへらしてしまっています。
だから、「できない自分は嫌だ」「できるようになりたい」と自分の性格が嫌いな人は思っています。
でも、自分の性格が嫌いな人はそう思えば思うほど、「できない自分」になっていきます。
それは、自分の性格が嫌いな人は本当は、「できない自分」を強く思っているからです。
自分の性格が嫌いな人は「願って」はいないけれど「強く信じている」から「引き寄せる」んです。
ちょっとわかりづらいかもしれませんが、「『自己認識』があると、それを証明する事実を探し出す」ということです。
「自己認識」とは、要は「自分のことをどう思っているか」ということです。
自分のことを「自分の言いたいことを伝えることができない」と思っている自分の性格が嫌いな人は、それができない状況を引き寄せます。
たとえば意見を飲み込まなくてはいけない出来事や自己主張の強い人を自分の性格が嫌いな人は引き寄せるのです。
そして、「自分の言いたいことを伝えることができない」という自己認識にふさわしい事実ばかりに自分の性格が嫌いな人は目が行くようになるのです。
自分のことを「どうせまわりの人と仲よくできない」と思っている自分の性格が嫌いな人は、「まわりの人と仲よくできない」を証明する出来事(意見が合わなかったり、嫌いな人が現れたり)を引き寄せます。
自分のことを「どうせ要領よく仕事ができない」と思っている自分の性格が嫌いな人は、それができない状況(大量の仕事がまわってきたり、自分よりも要領よく仕事をこなす人が現れたり)を引き寄せたり、わざわざ失敗したりします。
そうやって、自分の「自己認識」つまり「私は、こんな人だ」というものを証明しようとするのです。
つまり「自分が強く思っていることを証明してくれる出来事を引き寄せる」ということです。
そして「ほらね」と、自分の性格が嫌いな人は自己認識をどんどん強化していく。
だから、「自分は〇〇できない」にまつわる悪い出来事、悲しい出来事、不幸な出来事がよく起こる自分の性格が嫌いな人は思わず、その出来事があったら「やっぱり」って言ってませんか。
「やっぱり、言いたいことを伝えられなかった」
「やっぱり、うまくコミュニケーションがとれなかった」
「やっぱり要領よく仕事ができなかった」って。
なぜなら、ずっと、それを「思って」るんですもの、叶ってしまいますよね。
自分の性格が嫌いな人はそれほど、強く「念じて」いれば当然です。
自分の性格が嫌いな人はよりなりたい性格を考える
「優柔不断をなくしたい」
「すぐに怒ってしまう性格を直したい」
「自信がない性格が嫌い」
「明るすぎて、物事を軽率に考えてしまう性格をなくしたい」
このように自分の性格を嫌っている人は多くいます。
そして、たいてい「なりたい性格」ではなく、多くの人が「なりたくない性格」の話をします。
でも、考えてみてください。
ある日曜日、Aさんが、こう言いました。
「今日はいい天気だから、家にいたくない!」
ある日曜日、Bさんは、こう言いました。
「今日はいい天気だから、ディズニーランドに行きたい!」
さて、どちらのほうが楽しい休日を過ごせたでしょうか。
「性格を変えたい!」という人、一度、一緒に立ち止まって考えてみませんか。
「なりたい性格」ではなく、「なりたくない性格」を目指して、いい方向に変われるでしょうか。
「人生楽しい!」になれるでしょうか。
「なりたくない!」と強く思うと、自分の性格が嫌いな人の「なりたくない」を証明する状況を引き寄せます。
だから、「なりたい!」と強く思うと「なりたい」を証明する状況を引き寄せることができるのです。
「性格を変えたい」と思っている人は、ぜひ「どんな性格になりたいか」について考えるようにしてみてください。
性格の多面性
性格は、一つのパターンではなく、もっと多面的でいろんな顔があるものです。
なぜなら、内向的な人でも、接する相手によっては積極的になったり、とあるテーマになると饒舌になったりしませんか。
あるいは、小学生のころ、活発だったのに、大人になってから会ったら、落ち着いた人になっていた、ということもよくあることです。
自己チェックでの性格分析は、あくまで「自分が思っている性格」です。
そこに、「他人から見たあなた」という視点はありません。
他人に、同じチェックリストをやってもらったとき、あなたの結果とどこまで違うのかまではわかりません。
つまり「性格」っていうのは、単なる「比較」だということです。
「『私は、内向的なんです』って誰よりか?」
「『私は、人見知りが激しいんです』って誰よりか?誰と比べてか?」
「『私は、自分に怒りっぽいんです』ってすべての人よりか?」
「私、暗いんです」という人でも、もっと落ち込んでる人から見れば「あの人、いつもニコニコしてて、活動的で素敵よね」なんて言われてたりする。
「暗い」って勝手に自分の性格が嫌いな本人が思っているだけだったりするんです。
「自己主張が強い!」と自分で思っている人が、アメリカにいったら、「君は自己主張が強くないから、もっと自分を出したほうがいい」なんて言われたり。
だから性格は、あくまで身近な人との比較でしかないんです。
性格はワンパターンではなく、複雑で、多面的なものなんです。
だから、状況や相手や、時間の変化で変わっていくものなのです。
性格は、パズルのピースと考える
性格はワンパターンではなく、いろんな顔があって、多面的なものです。
「性格とは何か」を説明するとき、「自分はジグソーパズルでできていると想像してみてください」と言うことができます。
パズルのピース(性格)が集まって、一枚の絵(自分)になるようなものなのです。
そして、「自分の性格が嫌い」と言っている人は、パズルのうち何枚かのピースを嫌っているようなものといえばいいでしょうか。
自分(パズル)を見て、「形が悪い」とか「色が汚い」などと思うなどと思うピースが、「嫌いな性格」「変えたい性格」なのです。
では、その嫌なピース(性格)を捨てれば、楽になるのでしょうか、人生楽しくなるのでしょうか。
たしかに、自分の中から自分の嫌いなピースを捨てれば、自分の中はきれいになります。
いわゆる「いい人」「できる人」になります。
でも、実はその「捨てたピース」「できないピース」も含めて、全部そろってはじめて「あなた」です。
なのに、捨ててしまった。
そういうときに、どんなことが起こるか。
そのパズルのピースが、まわりで暴れだすんです。
たとえば、「ウジウジした自分が嫌い」といってそのピース(性格)を捨てたとします。
すると、まわりにウジウジした人が集まってきます。
「怒りっぽい自分を変えたい」といってそのピース(性格)を捨てると、怒りっぽい人やイライラした人が近寄ってくるんです。
「お金にだらしない自分が嫌だ」といって、そのピース(性格)を捨てると、なぜか「お金にルーズな人」「だらしない人」が友人になったり、部下になったり、上司になったり、結婚相手になったりします。
「あなたの中にもお金にルーズな部分があるんだよ」とばかりに、そういう人が目についたりするんです。
不思議ですよね。
自分の嫌な性格や嫌った性格も受け入れる。
自分の一部と思って受け入れてみる。
すると、自分のことが嫌いじゃなくなっていきます。
嫌な性格は、実は、自分を守ってくれていた
あなたの嫌ってきた、自分の嫌な性格(ピース)は、実は、一生懸命、自分を守っていてくれたんだとしたら、どう思いますか。
あなたの「性格」は、過去にあなたが体験した、つらいこと、苦しいこと、嫌なこと、痛いことそれらを、あなたにもう一度体験させないように守ってくれた「プログラム」なんです。
たとえば、「人前でうまく話せない」という性格が嫌だと言う人がいます。
でも、その自分の性格が嫌いな人は、かつて人前で話して恥ずかしい思いをした。
もう、あなたにあんな思いはさせたくない。
だから、人前に出るのが嫌いなプログラムがつくられた。
たとえば、高いところから落ちそうになって怖い思いをした。
もう、あなたにあんな命に危険のあることはさせたくない。
だから、高いところを嫌いになるプログラムがつくられた。
たとえば、友人に裏切られた。
もう、あなたにあんなつらい思いはさせたくない。
だから、人付き合いに距離をとるようにしようと、人付き合いが苦手になるプログラムがつくられた。
こういうふうにも考えられるのです。
あなたに、2度とつらい思いをさせないために、つくられたプログラムが、あなたの「性格」なのです。
やり方が不器用で、困ることも多いけど、うまくいかないことも多いけど、一生懸命、あなたを守ってくれた・・・それが、あなたの性格です。
だから、どんなに嫌な性格でも、嫌いな性格でも、そんな自分がいることに気付いてほしい。
受け入れてほしい。
そう思います。
自分の嫌な性格を拒否しない
1日、2箱半ぐらい吸っていたヘビースモーカーの人があるときスパッと禁煙することができました。
どうやってスパッとやめられたのか。
禁煙に入ったとき、彼は吸いかけのタバコとライターを机の上に置いたままにしておきました。
「いつでも、吸ってもいい」という状態をつくることで、まずはタバコを「嫌うのをやめた」のです。
なぜなら、長年彼を楽しませてくれたタバコ、もうまるで体の一部と化して、こんなに愛していたのに、ある日突然、ぐしゃっとつぶして捨てたりできませんでした。
かわりに、タバコに「今までありがとう」と感謝を伝えました。
すると、すぐに禁煙に成功しました。
「嫌だ」「変えたい」と思っている性格も、これと同じです。
長年、あなたと一緒に暮らしてきました。
なのに、嫌ったり、追い出そうとしてませんか。
パズルのピースを「これ、嫌い!」と捨てようとしていませんか。
これが、なかなか性格を変えられない人の共通点です。
しかし、あなたの性格は、嫌な性格であっても、嫌いな性格であっても、あなたの一部なのです。
そして、あなたを守るためにつくられたプログラムだったのです。
そんな性格を嫌って、ぐしゃって捨ててしまっていいのでしょうか。
そうはいっても、なかなか現状や欠点が受け入れられない、ましてや「今までありがとう」なんて感謝することはできない、という自分の性格が嫌いな人も多かったりします。
それは、今は感謝して、受け容れなくて大丈夫です。
なぜなら、受け容れようとしても、受け入れられないからです。
自分の性格が嫌いな人はいったん、そのムダな努力をやめましょう。
かわりに、「嫌わない」くらいでいってみませんか。
そこから、始めてみませんか。
自分の性格が嫌いな人の不必要な心のプログラムがなぜ入っているか
「快」をより追求し、「不快」を避けていくことを基本として、あなたの「命」を続けていくために性格はつくられます。
変わっていきます。
「三つ子の魂百までも」という言葉があるように、小さな命を育てていくためには、「怖いもの」「痛いもの」を避けていくプログラムが必要です。
小さなころに、熱いやかんに触れた、犬に噛まれた、高いところから落ちた、無理やり嫌いなものを食べさせられたなどの出来事を経験し、今後、こういった「不快」なものを避けるためのプログラムが組み込まれていきます。
「小さい頃に組み込まれた防衛プログラム」であっても、生活に支障がない場合は問題ありません。
しかしこれが、人によっては、「今のあなたの大きな足かせ」になっている場合があります。
人前で唄を歌って笑われて、以来、人前に立てなくなった。
叩かれて育てられたので、自分の性格が嫌いな人の無意識に「教えるときには叩く」ことしかできない。
お金で苦しい思いをしたので、お金がなくなることがとても怖い。
などは、自分の性格が嫌いな人の「今のあなたを苦しめる」プログラムになりえます。
もちろん、命を続けていくために必要な危険回避のプログラムは、そのまま必要です。
しかし、「今のあなたに必要でないプログラム」が、自分の性格が嫌いなあなたを息苦しくさせ、そして苦しめ続けているとしたら、そのプログラムははずしたほうがいいかもしれません。
ただ、これらのプログラムのほとんどが「無意識」に組み込まれています。
「無意識」というと意識しにくいので「習慣」と言い換えてもいいかもしれません。
お箸を持つ、ペンを持つ、シャーペンをカチカチやる、物を食べる、靴を履く、車の運転・・・などと同じように、無意識に行われる習慣と同じようなものだったりします。
「朝起きてすぐにごはんを食べないと怒られる」という家庭で育てば、無意識に、顔を洗うより着替えるより、真っ先に朝ご飯を食べるようになります。
「大きな声で挨拶しなければいけない」という社員教育を厳しく受ければ、どこへ行っても大きな声で挨拶するようになります。
「親の言うことを聞かないと、ダメ」と強く信じ込まされた人は、無意識のうちに親の言うことを聞きます。
数え上げればキリがないのですが、ほとんどの行動は無意識に作動している「プログラム」なのです。
これは、「三つ子」までにすべてが組み込まれるだけではなく、大人になってからもたくさんプログラムが組み込まれていきます。
こうした自分の中につくり上げられたプログラムに、自分の性格が嫌いな人がずっと苦しまされたりするのは、つらいですよね。
こういうときは、自分の習慣や考え方のクセを観察し、書きとめてみて、この性格(プログラム)は、自分のどんな経験や考え、親の教育からきたのだろう、と考えてみてください。
そのプログラムのできた理由がわかり、自分の性格が嫌いな人がそのプログラムから解き放たれたとき、あなたは楽になるのかもしれません。
だってもう、そのプログラムを守るべき場所にはいないのですから。
自分の性格が嫌いの克服で出来事の後におかげでをつけてみる
生きていれば、思い出すたびに嫌な気持ちになる出来事はあることでしょう。
それが自分の性格が嫌いな人のトラウマで一歩を踏み出せない人もいます。
そんなときはどうすればいいでしょうか。
まず、自分の性格が嫌いなあなたの過去の最悪の出来事を書き出してみてください。
最悪の出来事、またそれ以外にも「思い出すたびに嫌な感じ」を引き起こす思い出はたくさんあると思います。
そんな出来事を、あえて書き出してみてください。
そして、そのあとに「おかげで」をつけてみるのです、すると
・中学校のころにいじめに遭った(無視された)
おかげで、いじめのつらさや苦しさがわかり、今の仕事に役に立っている
・仕事の人間関係がこじれて配置転換された
おかげで、自分の天職に近い配置に出会うことができた
・同僚(上司・部下)と些細なことから大きなもめごとに発展した
おかげで、本音を言い合う機会ができた
・親・友人・彼・彼女・夫・妻からひどいことを言われた、された
おかげで、別れることができ、新しいパートナーと出会えた
・仕事で大きなミスをして、多くの人に迷惑をかけた
おかげで、社内の仕組みが大きく変わり、その功労者となった。
このように、自分の性格が嫌いな自分の「新しい能力や出会い」を手に入れるための出来事に変えることができるのです。
これは、心理学でいうと「リフレーミング」という「視点・見る目を変える」というやり方です。
これを「おかげで」をつけて考えるというやり方にアレンジしてみました。
このように考えていくと、自分の経験してきたことは、すべて自分の今につながっていたんだということに気付いていきます。
チャンスはピンチの顔をしてやってくるのです。
嫌な出来事を経験することでつくり上げられた性格もこれと同じです。
実は、今につながる自分にとって大切なものだったのです。
過去の出来事は変わりません。
「おかげで」という言葉をつけて、過去の出来事に「新しい意味」を加えてみませんか。
自分の性格が嫌いな人が「自分が悪い」という勘違いから抜け出す
「自分はダメだな」と思ってしまう自分の性格が嫌いな人は、たくさんいると思います。
では、なんでそんなに自分を責めてしまうのか。
そんな自分の性格が嫌いなからくりをここで述べたいと思います。
和美さん(仮名)は、さかのぼること、まだ幼稚園に通うころ、お母さんに、嫌なことを言われました。
「あなた、なんで良子ちゃんにあんなひどいことしたの!」
和美ちゃんには覚えのないことでした。
むしろ、自分がよかれと思って、良子ちゃんが喜ぶと思ってやったことだったのに、どこかで話がねじれてしまったよう。
「それを必死にお母さんに説明したのに、お母さん、わかってくれない・・・。なんでわかってくれないの・・・私、悪くないのに・・・」
でも、和美ちゃんは「お母さん大嫌い」とは言えなかった。
それは、お母さんのことが大好きだったから。
私の話を最後まで聞いてくれない、そんな嫌いなところももちろんある。
でも、お母さんを嫌いたくなかった。憎みたくなかった。
「大好きだもん、お母さんのこと。じゃあ、このやり場のない怒りはどうすればいいんだろう?誤解されたこの悲しみを、どうすればいいんだろう?」
と、思った和美ちゃんは、それを自分に向けた。
「お母さんのことは嫌いたくない」「嫌いって言えない」「じゃあ、自分が悪いことにしよう」と。
「うん、それがいい。だって私、ちゃんと言うこと聞かないし、お手伝いちゃんとできないし、良子ちゃんみたいに、ひらがな覚えてないし、素直じゃないし・・・」
と、自分のダメなところをいっぱい探した。
いっぱいいっぱい探した。
「だって、そうしたら、私が悪いって言えるもん。そしたらスッキリするもん」
そこから、和美ちゃんの「自分の悪いところ探しの旅」は始まりました。
最初は、ほんのちょっとした「話のねじれ」「誤解」だけだったのに。
こういう和美さんのように自分の性格が嫌いな人になっている大人が、実は多いんです。
「自分が嫌い」「自分がダメ」と思っている人は、ためしに「自分は、悪く、ない」と、口に出して言ってみてください。
案外、言えないものです。
主張してもいいんです。口答えしてもいいんです。
「自分がしっかりしてないから」「自分が気が弱いから」「自分ができないから」なんて、自分の悪いところ探しはもうやめましょう。
もう、十分です。
「自分が嫌われてるから」「自分が理不尽な目に遭うのはそういう理由なんだ」って言うのも、もう、やめましょう。
「わたし、悪くない」
「わたし、お母さんの『そこだけ』嫌い」って言ってもいいんです。
自分の性格が嫌いな人は自分で思う「らしさ」に縛られない
自分で思う、「似合う」「自分らしさ」。他人が思う、「似合う」「自分らしさ」は全然違うんです。
ある時、自分の性格が嫌いなAさんは賞を受賞した時、どうせだからとスタイリストの方についてもらいました。
すると、Aさんが今まで選んだことのない服やズボン、ベルト、靴、全部驚きでした。
それまでのAさんは、ファッションに興味がなく、自信もなかったので、衣類にお金を使っていませんでした。
安物ばっかりだったんですね。
でもスタイリストのアドバイスを受けるようになってから、つまり服装や持ち物を変えるだけで背筋が伸び、堂々とそして自信がみなぎってきたんです。
もちろん最初は、自分のセルフイメージに合わない金額や服の選び方に違和感だらけでした。
けれども、結局は自分の性格が嫌いなAさんのその「違和感」のほうがおかしかったというわけです。
スタイリストの勧めるままに授賞式で着た服は、とても評判がよくって、もう驚きでした。
「自分の感覚ってアテにならないんだなぁ」「自分で『似合う』って思ってても意外に違うんだなぁ」「自分の『馴染んだ』感覚って『ここにいたいだけ』なんだなぁ」と思いました。
そんな体験をして、自分の性格が嫌いなAさんは「自分を客観的に見てもらってアドバイスを受ける」ということを積極的にやるようになりました。
自分の習慣も性格もこれと同じようなことかもしれませんね。
自分の性格が嫌いな自分では「らしくない」「似合わない」と思っていても、他人は「似合う」「らしい」と認めてくれたり。
自分の性格が嫌いな自分では思ってもみない意外なところを他人は「いい」「似合う」と認めてくれたりする。
だから、「自分らしい」と思って嫌がっている性格も、実は他人からみたら「いい性格」かもしれません。
あるいは、「性格を変えるのが怖い」と思ってみても、他人からのアドバイスを受けたとき、勇気を出して変えてみたら「意外と似合う!」ということになるのかもしれません。
まとめ
〇自分の性格が嫌いな人は「~できない」と思っていると、「~できない」を証明する出来事、証明する人ばかりを集めてしまう。
〇性格は、パズルのピースのようなもの。いろんなピースがあって「自分(パズル)」が成り立っている。
〇性格は、自分の身を守るために形成されたプログラムでもある。だから嫌な性格であっても、あなたを守ってくれていた。
〇過去の嫌な出来事の後に「おかげで」をつけて、今の自分が得たものを考えてみる。
〇自分の性格が嫌いな人の克服として「私は悪くない」と言ってもいい。「自分が悪い」という勘違いから抜け出す。