憧れを恋愛に変えるための必要条件

手の届かない片想いを楽しんでばかりいる心理

現実的で冷めており夢をみることができない人がいる一方で、空想の世界にひたるあまり目の前の現実に取り組むことができない人がいます。

たとえば、いつも手の届かない片想いを秘かに楽しんでいる人がいます。

どういうわけか、身の回りにいる人、うまくいく可能性の高いと思われる人には無関心で、社内のみんながあこがれている高嶺の花にのぼせたり、カッコいい俳優やミュージシャンを熱狂的に追いかけてチケット売場に徹夜で並んだりします。
家に帰れば、あこがれのスターのポスターやら写真やらが飾ってあり、真っ先にただいまのあいさつをします。
ときに現実の異性に心を開くこともありますが、恋愛関係の生じそうもない妻子もちの安心できるおじさん的人物に限ります。
もちろん本人は、全て意識してそうしているのではありません。

彼女のような人は、じつは現実に恋愛関係が生じることに対する不安を抱いているのです。
現実の恋人がいなくて寂しいなどと口にすることもありますが、自分のほうから現実の恋愛関係を避けているのです。

その点、現実的接触の生じそうもない手の届かない存在に憧れていれば安全です。
なかには、自分のそういった傾向を少しは自覚している人もいます。
そして、
「近づきすぎないほうが、いつまでも気持ちがときめいていられる」
「なるべく異性とも友達関係でいたい。恋愛となると美しい部分だけで関わることができなくなって、嫉妬やらセックスやらドロドロしたなまなましい部分の関わりも生じてしまうから」
などと言います。

思春期によくありがちな心理ですが、成人してなおこうした心理を脱せないのは、ちょっと問題です。

中学生や高校生が、対人関係能力の未熟さのゆえに、異性へのあこがれと同時に実際の交際に及ぶことへの恐れや性的なものへの嫌悪を抱くというのはよくあることです。

昔、あだち充の「みゆき」という漫画が流行りました。

恋愛感情を描きつつ、生々しさは避けて、パンツ・ビキニ・アダルト本など性的な関心を刺激するものはよく出てきても、性そのものは回避され、ほのぼのとした清純な世界が果てしなく続くといった感じの漫画です。

そのとき、みゆきが肌をあらわにしすぎると抗議する高校生や、「みゆき」の連載が続く限り何年でも浪人生活に耐えられるという浪人生がいました。
みゆきに夢中になるあまり、現実の身近な異性への関心をなくすという者まで現れました。

この漫画に限らず、恋人が漫画のなかに出てくる魅力的な異性に熱をあげ、何かにつけて比較してはけなされ、挙げ句の果ては二次元の世界の異性に負けて嫌われてしまうといったケースがあるようです。

また、思春期の頃には、まだ自分の生き方というものがしっかり確立できていないため自信がなく、相手から受け入れてもらえなかったらどうしようという不安から、思い切って告白できないままに片想いの初恋が終わる、というのもよくあることです。

でも、そうした心理状態を二十代まで持ち越すとなると、やはり未熟としかいいようがありません。

好きな人の嫌なところ

たとえば、ゲームで同性の主人公をうまく画面上で操作することで素敵な異性とデートできるというようなものがあります。
同性の主人公に同一視することで、まるで自分が魅力的な異性にアタックするかのようなスリルと、うまくものにしたときの快感が味わえるのです。

こういったゲームに大学生あるいはそれ以降の年代になっても熱中している人がいます。

ネットやゲームの世界にはいりこむのはとくに男性にみられる傾向ですが、女性でも漫画や恋愛小説など二次元の世界に住む異性への恋愛感情を楽しむ人が少なくないようです。

テレビや漫画に囲まれて育った世代には、非現実の二次元の世界も現実世界と同様、あるいはそれ以上の刺激性とリアリティをもつのかもしれません。

二次元の世界では、自分勝手な欲望が全て満たされます。

アニメや漫画のなかの異性は、こちらの勝手な思い込みに異議を唱えたりしないし、こちらの好意的なまなざしを拒否したり裏切ったりしません。

ゲームのなかの異性は、プログラムさえマスターすれば、こちらの思いどおりに行動してくれます。

あまりに暗いと思うかもしれません。
でも、二次元の世界に遊んで現実逃避するのと、手の届きそうにない相手にばかり夢中になるのとは、たいして違いません。

「あこがれにとどめていたほうが美しい」というのは、一面の真実をついているかもしれません。

遠くであこがれの目をもって崇めているうちは、他人向けに開かれているよい面しかみえません。
しかし、人間は多面性をもった存在です。
近づけば近づくほど、意外な発見がつぎつぎと現れてくるものです。

でも、その人の欠点、弱点も含めて、まるごと受け入れることなしに、愛情関係は成り立ちません。
好きな人の嫌なところまでみたくないというのでは、憧れから愛情へと脱却することはできません。
愛情関係が成立するためには、こちらの心の成熟も必要とされるのです。

「魅力的な異性がいない」と言うあなた自身は魅力的か

恋には、勝手な思い込みによって火がつき、さらなる思い込みによって燃え上がるという性質があります。
その当然の帰結として、恋愛関係が進展し親密な間柄になるにしたがって、幻滅に直面せざるをえません。

それでもなお、つぎつぎに押し寄せる幻滅をひとつひとつ乗り越えて、目の前のそのかけがえのない恋人を、欠点もあるけれども愛すべき人間であると感じられてはじめて、愛情関係にはいっていけるのです。
美しい幻想にひたっているうちは、お互いの間にほんとうの関係は成立していないのです。

少女漫画や小説のヒロインに同一視して、その相手役の素敵な男性に恋焦がれるという心理は、昔からよくあるものです。
それは束の間の現実逃避として、心のオアシスになってくれる貴重な体験に違いありません。

でも、一方で、私たちは現実をも生きなければならないのです。
少女漫画によくありがちな見映えも美しく、とても優しく、しかも頼りがいのある好青年は、どういうわけか年不相応に人間ができていて、いつもヒロインを思いやって行動してくれます。

ヒロインに同一視する愛読者にとって、あまりに都合のよすぎる人物像として描かれるのがつねです。

現実には何万人に一人いるかいないかの理想的男性がたまたま自分の恋人である可能性は、ほとんどゼロに近いでしょう。
束の間の現実逃避のオアシス・タイムが終わって、現実の世界に立ち返ると、いつもひとりぼっちの自分がいるというのでは、あまりに寂しい話です。

空想の世界がすばらしければすばらしいほど、そのギャップによる落胆も大きいはずです。

架空の人物や手の届かない人物に恋していれば、自分の空想するままに美しい関係を保つことができ、相手の意外な醜さに幻滅したり、拒否されて魅力的な自分という幻想が崩れたりすることはありません。
でも、それは単に疑似的な恋愛気分にひたっている自分の姿にみとれているだけで、現実の目の前にいる他の人々に目を開いてはいません。

とても自己中心的で未熟なあり方です。

「心がときめくような男性が現実にいない」とうそぶく女性や、手の届かない外国人タレントを追いかける女性のなかには、自分の未熟さにまつわるコンプレックスがあり、現実の恋愛関係のなかで自分の魅力を問われることを恐れているのではないかと思われる人がいます。
もちろん、頼もしい男性が少なくなってきたという声には、なるほどと思わせるところもありますが。

なかなか思い通りにいかない現実、きらめくような出来事が乏しく単調に流れる現実を生きるなかで、ときに一方的で自分の思いのままになる空想の世界に憩うことは必要かもしれません。

想像の世界への飛翔は、元気回復の妙薬でもあります。

ただし、その一方的な安易さは、相手はこちらの期待どおりに動いてくれるものという錯覚にもつながります。
恋愛においては、互いに相手に合わせて自分が変わっていかざるをえないところがあります。
幼い頃から大切にしてきた自分の一面を無惨に破壊されることもあります。
そうしてはじめて二人の世界を再構築することができるのです。

ナルシシズムの世界ならともかく、相互性のある世界では、いつまでも過去のかわいい自分にこだわることは許されません。
思い切って現実の人間関係にとびこみ、憧れ、幻滅し、幻滅され、傷つき、泥まみれになって生き抜く体験をして、はじめてほんとうの恋愛がみえてきます。

たとえ人間の本性や欲望の醜い面に幻滅したり、自分が当然と信じていた価値観が通用しないジレンマに悩んだりで苦しい思いをしても、他人と真剣に向き合い、じかに触れあった体験は、人間としての深味を与えてくれます。

まずは、安易な夢の世界に遊んでばかりいないで、現実に他人のふところにとびこんで幻滅すること。

そこから、ほんとうの恋愛体験への道が開かれてくるでしょう。