何と言っても他人から見たときに一番目に付くのは自分のルックス。
「こんな自分はどう見られるのだろう」と、他人の目を気にすることになってしまいます。
そこで、そんな「自分のルックス」との付き合い方を、ケーススタディを通して見ていくことにします。
ケース1.「あそこで笑っている人は、自分の体型を見て嘲笑しているんじゃないか?」といつも不安です。
最近SNS上で、「電車に超ブサイクがいた」「このデブ邪魔なんだけど」などの書き込みをよく見ます。
ひどいときには、その罵詈雑言とともに盗撮画像までもがインターネット上にアップされているんです!
自分もデブでブサイクなので、いつどこで誰に悪口を言われているかと思うと、怖くて怖くてたまりません。
1.分析
多くの人が、実はそれほど他人の外見を気にしていません。
基本的に、他人の外見についていろいろ言う人は、自分自身の外見もかなり気にしているものです。
そして、確かに、他人の外見を嘲笑するような不幸な人もいます。
「不幸な」と書いたのは、その人の人生がそれほど空虚だという意味です。
人生には、そんなことよりももっと豊かで大切なことがあると知らない人たち、と言えます。
2.解決法
もしも自分が逆の立場だったら、人の体型を見て嘲笑するでしょうか?
しませんよね。
外見はなかなか自分で選べないものだからです。
そんな人を嘲笑するなんて、それは人間として、とても悲しい行動だと思うのです。
もっと大切なことを知らないので、人の外見を嘲笑したりするしかないのでしょう。
「かわいそうに」と思う程度で十分だと思います。
自分の優しさを大切にしましょう。
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ケース2「自撮り」やプリクラでうまく撮影できた自分の姿意外を認められず、普段はマスクをして過ごしています・・・。
自分が一番かわいく見える角度をコントロールでき、なおかつ気に入るまで何度でも撮り直しができる「自撮り」やプリクラ。
それに比べて、街のショウウィンドウなどにふと映った自分のなんと醜いことか・・・。
この格差が辛くて辛くて、マスクが手放せなくなってしまいました。
1.分析
「自撮り」でかわいく見えるテクニックや、プリクラでの写真の加工。
これらは遊びとして楽しむ分にはかまわないのですが、自分の願望をある程度実現してしまっているために、素の自分とのつきあいが難しくなっているのだと思います。
2.解決法
この問題についてですが、「今は、これでよい」のだと思います。
今の社会、マスクをしている若い人たちはとてもたくさんいます。
多かれ少なかれ、自分を隠したい心の表われだと思うのです。
マスクが安心を提供してくれるのであれば、今はそれでよいのだと思います。
「マスクが外せないこと」よりも「マスクをすればできること」に目を向けてみたらどうでしょうか。
だんだんと、自信の幅が広がってくると思います。
そしていつか、マスクを外せるようになるのではないでしょうか。
ケース3.加齢で「今のルックス」を失うのが怖い!
ほうれい線が目立ち始め、白髪がちらほらしてきた頃から、加齢によるルックスの低下が怖くなってきました。
これからは、悪くなることはあってもよくなることはないのだと思うと、とても辛いです。
1.分析
人間、誰でも年をとります。
変化はどんな人にとってもストレスになり得るもの。
しかも、「喪失」が目立つ加齢という変化は、乗り越えるのがなかなか難しい性質を持っています。
しかし、「変化」には、マイナスの側面だけがあるのではありません。
プラスの側面もあります。
2.解決法
年をとることは、本当に「悪くなることはあってもよくなることはない」のでしょうか。
積み重ねられる社会経験、同じく年をとっていく人たちとの連帯意識も温かいものです。
それ以上に思うのは、多くの人が恐れる「加齢」を、ちょっと違った姿勢で経験してみよう、と考えるのはどうでしょうか。
人間は生物ですので、間違いなく年をとっていきます。
白髪も出てくるし、ほうれい線も目立ってきます。
その変化を恐れるのではなく、その変化に見合っただけの人間的成長をしていこう、と考えるのはいかがでしょうか。
もしも今の自分のことをネガティブに見る若者がいたら、「まあ、未熟だからまだわからないだろうけれど、あなたたちもいずれ年をとるのよ」という気持ちでいる程度でよいと思います。
なお、「年をとったからこれができない・・・」
「もうこの服は着られない・・・」
などと、加齢を理由にして自分で限界を設けるのをやめてみるだけでも、「喪失」は少なくすることができます。
格好のよいお年寄りは、間違いなく存在していますよね。
和服で凛としている人、大胆な格好をしている欧米人、年を重ねるごとに気品を増していく人、など、探してみればよいロールモデルが見つかると思います。
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効果のあるアイテムを見つけると、「これがこんなに効いたのだから、もっといいものがあるはず」「もっと、もっと」と際限なく求めてしまうんです・・・。
1.分析
人間にはそれぞれ事情がある、ということですが、生まれつきの体質、肌の状態など、自分で選べないことは沢山あります。
でも、同じ肌の状態でも、とても気になるときとそれほどでもないときがあると思います。
自分の欠点の気になり方というのは、実は生活の中のストレスのバロメーターとして役立てることができるのです。
2.解決法
「もっと、もっと」となってしまっているときは、人生がうまくいっていないときだと思います。
その背景は、肌そのものにあるのではなく、だれかとの関係がうまくいっていない、目標を見失ってしまった、など、違うところにある場合が多いです。
ですから、「コスメジプシー」状態になったときこそ、自分の生活を振り返ってストレスや不安の素を探してみてください。
「肌が汚いからうまくいかない」のではなく、「うまくいかないから肌が気になる」と考えてみると、別の視野が開けるはずです。
そちらを解決していければ、まあまあのコスメで仕方ないや、と思えるようになると思います。
また、ストレスフルな時期には、自分を労わることが必要です。
うまく装うことよりも、入浴してリラックスしたりする時間を作ってください。