ソシオトロピー(社交性)とオートノミー(自律性)とは
チーム、団体など集団に所属していないと落ち着かない
これが必ずしも問題かというと、そうでもないと思います。
人間にはオートノミック(自律的)な人と、ソシオトロピック(社交的)な人がいます。
別にどちらかが優れているというわけではなく、単なるタイプの違いです。
ざっと言えば、前者は自分で何かをコツコツと積み上げていくのが好きなタイプ。
後者は人との関わりの中で幸せを見いだしていくタイプです。
もちろん、どちらか一方に絞り込む必要はないのですが、自分が「どちらかというとどっちか」ということは知っておくと役立つと思います。
オートノミックな人の中には集団行動が苦手な人も少なくありません。
自分のペースで物事を成し遂げていきたいのです。
一方、ソシオトロピックなタイプは、集団の中でこそ、幸せを感じます。
ですから、ソシオトロピックな人は、所属できるチームや団体があるのなら、その中で充実して振る舞っていけばよいと思います。
すべての人間が、自立的に何かをしていく必要はなく、自分がどちらのタイプかを考えてみれば幸せになれるでしょう。
最近では、「対人関係力」「コミュニケーション力」が、もてはやされていると感じます。
しかし、どんな時代にもコツコツと自分の世界を積み上げていくオートノミックな人はいます。
それはそれで十分価値があることなのです。
ソシオトロピックな人から見れば、オートノミックな人は「そっけない」と感じられるかもしれません。
オートノミックな人から見ればソシオトロピックな人は「依存しすぎ」と感じるかもしれません。
どちらが勝っている、ということはなく、それぞれタイプが違うだけなのです。
ですから、自分がオートノミックなタイプだな、と思う人は一人でいることを恥ずかしく思う必要もないし、「人間としてだめだ」と落ち込む必要もないのです。
関心のあることをコツコツと積み上げていけばよいでしょう。
「居場所」は、「自分がコツコツと取り組んでいること」に感じられると思います。
ソシオトロピックなタイプの人は、自分を受け入れてくれる人や集団を求めていけばよいでしょう。
そこが「居場所」になると思います。
いろいろなタイプがある、ということを知っておけば、単に居場所がないという感覚に取り憑かれずに済むのではないでしょうか。
その場を離れることの方がよいこともある
居場所がないと感じるときは、それが自己受容に関わることが多い、ということをお話ししてきましたが、たとえば、ブラックな職場や、いじめなどは、それ以前の話です。
怒りや不安など、あらゆる感情は、「その状況が自分にとってどういう意味を持つか」を教えてくれるものです。
それと同じように、居場所がないと強く感じる場所は、実際に自分を人間扱いしていない可能性も高いのです。
自分の尊厳が踏みにじられていると感じたら、その場から離れるなり、人に相談するなりしてください。
この場合は、人間扱いされないことによって傷ついた自分をそのまま認めることが「自己受容」となります。
しかし、それが案外難しいのは、人の尊厳を平気で踏みにじるような人たちは、「お前の努力が足りない」「お前がいけない」というメッセージばかりを出してくるから。
ひどい目に遭っているのに「自分がもっと努力しなければ」と、その場にとどまってしまうのです。
こんなときにも、ぜひ「心の平和(やすらぎ)」に目を向け、「形のつながり」から解放されてください。
また、個人的な関係においても、いくら自分が安全を提供しても、相手は、今まで受けてきた傷があまりにも重くて現時点では心を開くことができない、ということもあると思います。
DVのようなことが起こってくるかもしれません。
そんなときには、「相手はまだ準備ができていないんだな」と考えればよいでしょう。
自分の物理的安全のために距離をとることが必要な場合もあると思います。
ここでの目的は、あくまでも居場所がないの解消。
「その場にいなければいけない」ということとは全く違います。
あくまでも感じ方の話です。
そしてそのために唯一守っていきたいのは「自分自身の心の平和(やすらぎ)」です。
そのような姿勢でいると相手にも「安全」「居場所」を与えることが可能になりますが、現時点ではまだそこまでプロセスが進んでいない人もいる、と知っておけば十分でしょう。
アドバイスする時は要注意
アドバイスは人間関係につきものです。
とくに、相手が何かを打ち明けてくれたときには、「役に立つアドバイスをしなければ」と思いがちです。
あるいは、あまり好きになれない人に、「〇〇したらいいんじゃない?」などと変化を促すアドバイスをする場合もあります。
しかし、アドバイスは要注意なのです。
アドバイスをしたり、自分の意見を言ったりすると、話している人は自分のプロセスを歩めなくなってしまいます。
なぜかと言うと、アドバイスには常に「今のままではよくないから、こういうふうにしたら?」という現状否定のニュアンスが含まれているからです。
否定されると人間は防衛するものです。
あるいは、傷ついてしまうこともあります。
「あの人に話すと否定されるから、話したくない」と思われてしまうことも少なくないでしょう。
これでは相手に「居場所」を提供することもできませんし、自分も居場所がないを解消することができないでしょう。
その場では「よいことを言った」と思っても、だんだんと人が離れてしまう、あるいは人が離れていくように感じてしまうと思います。
ですから、何か言いたくなっても、それはぐっと我慢する必要があるのです。
まさに、アドバイスも「脇に置く」ことが重要です。
アドバイスを脇に置いて、頑張っている相手を尊重するような気持ちが持てるとよいでしょう。
自分とは全然違う価値観や生活歴を持つ人の話は、ふと油断すると「違う」「おかしい」という気持ちになりがちです。
これは厳しいジャッジメントですね。
でも、「それぞれの人にはプロセスがあるのだから」と心を落ち着けてみると、「そうか、頑張っているな」「愛おしいな」という気持ちが出てくるものなのです。
人間は本質的に前向きに進む生き物です。
前に進みたいと思えないときは、環境のどこかしらに「危険」「否定」があるものです。
ですから、余計なアドバイスをしたり評価を下したりすることなく、その話を尊重して聴いてあげると、話し手が前進するのです。
話し始める前には「どうしたらよいかわからない!」と思っていた人でも、無条件の温かさで話を聴いてもらうと、「そうか、こうすればいいんだ」「そうか、悩む必要なんてないんだ。私はちゃんとやっているんだ」ということに気づいたりするものなのです。
話す前には「アドバイスがほしい」と言っていた人でも、安全な環境で話すことによって、自分で解決策を見つけていくことはとても多いです。
自己防衛をせずに、本当のテーマに取り組むことができるからでしょう。
居場所がないに取り組むためには、そういう人間の力を信じる必要がありそうです。
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笑うことの効用
「笑い」は、人のつながりをつくる特効薬です。
一緒にお腹を抱えて笑った同士は、「居場所」どころではありません。
すでに仲間です。
そんなふうに、笑いが人々を結び付けていくといいなと思っています。
欧米では、ユーモアのセンスは社交・教養の重要な核です。
でも日本はなんだかその点まじめすぎるような印象を受けます。
一緒に笑い合えるような機会が増えれば、居場所がないを感じる人は減るのではないでしょうか。