コツコツやる人が結局、うまくいっています
だれでも本来、他人と争うことが嫌いです。
周りの人とは気持ちよく付き合いながら、仕事でも人生でも、自分の目標に向かってマイペースで歩んでいきたいと考えています。
それができたらたぶん、不安に襲われたり、他人をうらやんだり、自分に苛立つこともないでしょう。
毎日が充実感に満たされるはずです。
けれどもこれが難しいのです。
そんなつもりはなくても、他人のことばやペースにこころを惑わされたり、焦ったり、自信をなくしたりします。
つい反発したり、「わたしだって」と意地になったり、背伸びしたりします。
どれも充実感とはほど遠い気持ちです。
負けず嫌いな人は、争うことが自分を奮い立たせると思うかもしれませんが、仕事でも勉強でも、自分がやるべきことをきちんとできるかどうかが大事なのですから、マイペースが一番気持ちを楽にさせてくれます。
「あの人には負けたくない」と思って頑張るときでも、いっときの闘争心だけでは長続きしません。
コツコツと頑張り続けるためには、どこかで自分のペースをつかんで気持ちを安定させることが大切になってきます。
そして、それができたときにはもう、争う気持ちは消えているのです。
「このままでいいんだ」という自信が生まれてくれば、もう焦りはなくなります。
結局、コツコツやっている人が最後は結果を出すというのも、そういった精神的な安定感が味方していることになります。
争う気持ちが強いときには、一見、パワフルにふるまっているように見えますが、自分のペースは完全に見失っています。
頑張りも長くは続きません。
それどころか、負けを自覚した瞬間にガクンと力が抜けてしまいます。
他人にふりまわされただけで終わってしまうことが多いのです。
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争いは争い好きに任せておく
日本はいま、競争社会に入ったといわれます。
受験でも有名小学校、中高一貫校といった人気のある学校めざして、子どものときから激しい競争を勝ち抜かなければいけません。
会社に入っても年功序列は完全に崩壊していますから、ライバルに負けない実績を上げて生き残りをめざします。
そういった風潮だけを取り上げれば、たしかに競争社会になったんだなと感じるかもしれませんが、そういう感じ方はあまりに一面的なものだと思っています。
実際には公立の小中学校や高校に進んでコツコツと勉強し、自分が希望する大学に入学する子どもはいくらでもいるからです。
親の収入格差が教育格差を生むというのも、データの上ではそういった傾向がたしかに認められるかもしれませんが、経済的に苦しくても子どもにちゃんと学習習慣をつけさせ、継続的に勉強することの大切さを教えた家庭では、子どもも向上心を失うことはありません。
社会に出ても同じです。
企業に入って同期でトップの実績を上げなくても、自分の役割をきちんと果たしているビジネスマンであればかならず大切な人材として認められます。
出世コースから外れても、堅実な仕事さえしていればいくらでもチャンスは巡ってきます。
要するに、当たり前のことを当たり前に実行できる人でさえあればいいのです。
むしろ競争に負けまいとしてオーバーワークになってしまい、自分のペースを守れなくなった人のほうが脱落していきます。
「負けてはいけない」とか、「このままでは取り残されてしまう」といった焦りや不安に取りつかれてしまうと、できて当たり前のことをないがしろにするようになるからです。
もっと怖いのは「あきらめてしまう」ことです。
世の中が競争社会だとすれば、自分はもう「負け組」なんだから努力してもムダだと考えることです。
それによって、ふつうにちゃんとやっていれば手にすることができたはずの幸福感や、自分の目標さえ見失ってしまうことになるからです。
むしろわたしは、世の中が競争社会だというなら、「争いは争い好きに任せておけ」という考え方のほうが、はるかに健全で、現実的だと思っています。
当たり前のことを当たり前にやっていけばいいんだと気がついた人が、結局は自分の人生に充実感をもつことができるからです。
「争うのが嫌いな人」は静かな勝ち方をしっているものです
- 否応なく競争に巻き込まれて、疲れている人。
- 他人と争うたびにイヤな気分を味わっている人。
- 争ってもいまさら勝ち目はないと諦めている人。
そういった人たちのために書いています。
「自分は自分、人は人」と考える人です。
このスタンスは一見、受験勉強に勝ち抜くコツを教えてきたいままでのわたしとは異なるもののように思うかもしれませんが、じつは同じなのです。
勉強というのも、最後は自分の目標に向かってコツコツと、当たり前のことを当たり前に実行できるかどうかにかかっているからです。
仕事も暮らしも人生もすべて、同じだと思います。
社会を俯瞰すれば争いのように見えるかもしれませんが、主役は自分自身なのですから、その自分が毎日をどう過ごしていくかという問題でしかないのです。
そのとき大事になってくるのは、こころと体のコンディションです。
とくに「こころのコンディション」ということで考えた場合、じつは「争うのが嫌いな人」こそ、良好なコンディションを保ちながら毎日を過ごすことができるのです。
他人のことばや行動、ペースについ心を乱されてしまうというのも、ちょっとした工夫や気持ちの持ち方で乗り越えることができます。
それさえできれば、「争うのが嫌いな人」こそ落ち着いて自分の目標を見据えることができるはずです。
つまり、幸福な人生を歩んでいける素質があるのは、「争いの嫌いな人」です。
他人とむやみに争わなくても、自分自身の人生をしっかりと見据えることのできる人です。
そして実際に、「自分は自分、人は人」で生きて毎日が充実感に満たされている人はたくさんいます。
あなたの周りにもきっといるはずです。
そういった人たちの考え方や、日常習慣を思い出しながらこの本を読み進めてください。
きっと、気がつくことがあります。
自分が毎日をどう過ごしていけばいいのか、納得できるものがあるはずです。
「争わない生き方」は、だからこそ実現できる静かで確実な勝ち方でもあるのです。
「自分は自分、人は人」で自分だけの勝ち方を
「勝ち方」は人によって違います。
何が「勝ち」なのか、どういう結果が出れば勝ったことになるのか、これも人によってすべて違ってくるはずです。
単純ないい方をすれば、欲の強い人は大勝ちしなければ気が済まず、無欲な人は引き分けでも満足するのです。
すると、あとは生き方の問題になってきます。
引き分けでも満足できる人は、自分の人生を投げ出すことなくマイペースでやっていけます。
けれども大勝ちしなければ気が済まない人は、ほんの少しの負けで不満をもったり他人を恨んだりするでしょう。
生き方の問題として考えたときに、どちらが幸福感を持ち続けるかということです。
「小さな負け」にこだわる人は「大きな勝ち」を逃す
「自分は自分、人は人」という人は、小さな負けに振り回されるのが嫌いな人です。
このことが、思い通りの人生を生きていく上でとても大切な条件です。
「感情的なぶつかり合いが嫌い」
「自己主張の強い人間が苦手」
「自分のペースを乱されるのがイヤ」
こういったことはすべて、「争いの嫌いな人」がしばしば実感していることです。
それならどうすれば、「小さな負け」に振り回されることなくやっていけるでしょうか。
そう考えて、思いつくかぎりのヒントを述べたいと思います。
- スタートを早くするのは、つねに何かの作業や仕事に向き合っているためです。
- きちんと受け答えをするのは、自分の感情をコントロールするためです。
- 節目を大切にするのは自分の暮らしを見つめるためです。
マイペースでコツコツと目標に向かって歩いているすべての人が、いつか、「大きな勝ち」を手にできるのです。
自分の人生を、充実感をもって見つめることができるような、そんな瞬間があるのです。
とりあえず、実行できそうないくつかの法則を頭に置いて、折りにふれ思い出してみる習慣をつくってください。
それができたときいつかあなたは優しい心地よさに包まれていると信じます。