完璧主義の心理と脱却方法

自己肯定感を高めるためには、完璧主義からの脱却が重要

完璧主義とは、物事を全て自分の思い通りにしようとする心の癖です。

一般的に、完璧主義に陥っている人はストレスを溜めやすく、心の病気になりやすいと言われています。

そのため、カウンセリングや各心理療法では相談者が完璧主義に陥っている場合、完璧主義を改めるように指導しています。

確かに、完璧主義にはプラスの側面もあります。

周りからすれば、完璧主義の人はとても真面目で、誠実に仕事をしているように見えます。

時間をきっちり守り、曲ったことをしません。

机の上も整理整頓が行き届き、秩序整然とした世界観ができあがっています。

目標に対しても一つ一つのプロセスを正確にこなし達成していきます。

しかし、その秩序整然とした世界観が崩れてしまうと、たちまち大きく混乱してしまいます。

完璧主義に陥っている人の思考回路は、なんらかの課題の達成率が70%だったときに、できなかった30%ばかりに目がいってしまいます。

できた70%にはなかなか目が行きません。

完璧に物事をこなすことが人生最大の課題ですので、できたことよりもできなかったことばかりに目が向いてしまうのです。

例えば、完璧主義に陥っている人は遅刻をしてしまったときに、激しい罪悪感に襲われます。

遅刻はいけないという絶対的なルールに囚われ、そのルールを破った自分に対して何度も何度も怒りをぶつけていきます。

目をつぶれば完璧でない自分ばかりに目がいき、成し遂げた自分を見つめてあげることができなくなってしまいます。

加えて、タチの悪いことに、自分だけではなく周りの人にも完璧な価値観を押し付けてしまうのです。

仮に相手が遅刻してきたときには人一倍怒りますし、相手がいい加減なことをしたらすぐに不機嫌になってしまいます。

結果的に他者を寄せ付けない雰囲気をかもし出します。

悪循環は果てしなく続きます。

人間関係も完璧にしたいのに、現実では孤立している自分がいます。

完璧でない自分を許すことはできません。

自己価値はどんどん低下し、ますます自分のことが嫌いになってしまいます。

本来、完璧主義は幸せな人生を送るために役立つものだったはずなのです。

それが、いつの間にか自分を苦しめる悪癖となってしまいます。

人間の社会は不完全です。

完璧な世の中ではありません。

社会に溢れる問題を見れば、まだまだ人間は不完全な存在であることがわかります。

それが社会の基本的な摂理ですので、完璧主義は今の世の中には合わない主義だと言えます。

大事なことは「完璧主義は決して自分の身を助けるためにはならない」と自覚することです。

怠けて生きて欲しいと言っているのではありません。

全ての生活に完璧を求めないで欲しいのです。

完璧主義については、残すところは残していいと思います。

私は「生徒さんを一人ひとり愛する」、「専門家として生涯勉強し続ける」

という心構えに関しては完璧を目指しています。

なぜなら完璧主義は大事な目標を成し遂げるために大きな味方となってくれるからです。

しかし、どうしても譲れないところ以外は不完全主義者となってしまいます。

こんなことを言っては生徒の信頼を失ってしまうかもしれませんが、コミュニケーション講座をする時すらいい加減なものです。

たまに講座の資料を忘れたり、話そうと思っていたことを忘れて次の単元に進んでしまうこともしばしばです。

ただ、それぐらいのスタンスで行ったほうが講師として肩の力が抜け、良い講義ができるのです。

不思議なもので完璧にやろうと思った講義ほど、いつも失敗してしまいます。

もし、あなたが何事もきっちりとこなさなければ気が済まない性格で、それによって心が悲鳴を上げていたとしたら、それは心が許しを求めている証拠です。

さらに、そういった殺伐とした世界観を他者にも求め、人を批判し、悪口を言ってしまうとしたら、あなたの人間関係を築く力は決して高まることはありません。

完璧主義からの脱却は自分にOKを

では、完璧主義から脱却するにはどうすればいいのでしょうか。

具体的には以下に挙げる三つのことを心掛けましょう。

1「完璧主義者の口癖」をやめる

まず、すぐにできる身近な心構えとして言葉遣いを直すところから始めましょう。

言葉には人間の思考の癖が如実に表れます。

言葉を直すことで自分の思考を変化させていきましょう。

以下の三つが完璧主義に陥りやすい言葉の代表例です。

~しなければならない

~するべき

絶対~だ

これらの言葉は完璧主義に陥っている人の典型的な口癖です。

そこで、これらの口癖を柔軟な言い回しに変えます。

~にこしたことはない

~かもしれない

この二つの言葉には、ある程度可能性が含まれていますので、言葉遣いに余裕が生まれてきます。

完璧主義にならないためにも、この二つの言葉を使うように心掛けましょう。

なお、どんな時でも「~しなければならない」、「~するべき、絶対~だ」という言葉を使ってはならないということではありません。

先ほどもお伝えした通り、完璧主義は何かを成し遂げようとする時の強い味方となります。

自分の環境に応じて使い分けるようにしましょう。

しかし、柔軟さが求められる人間関係や、自分を休める場である普段の生活の中ではあまり使わないように心掛けてください。

2.不完全な自分を許そう

コミュニケーションにおいては自己肯定感を持つことが大事だと述べました。

完璧主義に陥っている人は、完璧でない自分を許せず、自己嫌悪に陥る特徴があります。

周りから見ればとても立派で、なんらの落ち度もないような人が自己嫌悪に陥り、悩みを抱えることが頻繁にあるのです。

こんな立派な人がなぜ自分のことが嫌いなのだろうという人がたくさんいます。

そのような人は完璧な自分でなくては気がすまないので、どうしても自分のことが好きになれないのです。

これではコミュニケーションも楽しくありません。

さらに、彼等は人の目を人一倍気にします。

それこそ不完全に見られることが嫌でしょうがないのです。

発言にも人一倍気を使いますし、身のこなしから容姿まで、一点の曇りもない自分を目指します。

会話が終わった後も、会話を楽しんだ余韻に浸る余裕はありません。

今の会話で不完全なところがなかったか、1人で反省会を開き考え込んでしまうのです。

こういった姿勢は大事ではあるのですが、これが癖になってしまうと、会話をすること自体が嫌になってしまいます。

また、完璧主義に陥っている人はあがりやすい傾向にあります。

「あがり」とは失敗に対する恐怖心から落ち着きを保てない状態です。

完璧主義に陥っている人は失敗に対する恐怖心が人一倍強く、あがりのない堂々とした自分を理想とします。

しかし、その理想を目指せば目指すほど、ますますあがってしまうのです。

あがりから脱却するためにも完璧主義とはお別れする必要があります。

こうならなければならない、と自分を責めてしまう根底にあるのは完璧主義です。

思い通りにならず自分を責めてしまうことがあるでしょう。

しかし、自分を許す心の習慣をつけていただきたいのです。

大事なのはこうなりたい、ああなりたいと思う自分になれなかったとき、それは変えようのない自然の摂理だと前向きに認めることです。

むしろ、こうありたい、こうなりたいと思って行動した自分を認め、愛することが大事なのです。

自分への許しは、自己肯定感を持つ上で欠かすことのできない心構えです。

人間は誰しも完璧ではありません。

どんな偉い人でも欠点があるのは当然です。

周りにいる人を見てみましょう。

全てにおいて完璧で、悩みがなく生きている人が1人でもいるでしょうか。

ほとんどの人がそれなりに悩みを抱えて生きているのが世の中なのです。

自分を責めることは時に必要なこともありますが、もしベストを尽くしたのならそれはそれで自分を褒めてあげましょう。

責め続けてばかりいては自分のことが嫌いになってしまいます。

完璧ばかりを求め自分を責めないようにしましょう。

3.「とらわれる心」を捨て「流す心」を持つ

完璧主義から脱却するための三つ目の心構えは「とらわれ」を捨て、「流す心」を持つことです。

「とらわれ」とは、不完全な事象を完全なものとするまで執着する心のあり様です。

例えば今日、あなたが鍵を掛け忘れたかどうかが気になったとします。

家を出て、5分後にそれに気づき、家に帰って確かめるぐらいなら正常な状態です。

それが過剰になり、一度確認しに戻ったにも関わらず、再び心配になり家に再び帰ろうかと気になり出したら、それはもうとらわれ過ぎていると言っていいでしょう。

頭では鍵を閉めたと分かっていても、家に戻ってしまうのは危険信号です。

会話の中で相手が自分のことを少しだけ批判したとします。

多少の反省は次につながりますが、そのことをいつまでも頭の中で反復して、消し去ることができないでいるとしたら、それもとらわれ過ぎです。

こういったとらわれの心は完璧主義から派生した心の癖です。

とらわれの心が強いときは、「人間は一つの事しか考えることができない」という原則をもとに次のように考えましょう。

鍵を忘れたことが気になっていても、仕事のことや、友人と遊ぶことを考えましょう。

埃が気になっても、夕飯のことを考えましょう。

相手に批判されたことが頭をぐるぐるまわっていたら、ポジティブシンキングで批判されたところを改善している自分や、楽しく会話をしている自分を想像しましょう。

これは「流す心」と言います。

明らかに、それを考えることが生きていく上で、意味が無いのなら、勇気を出してそのとらわれの心を流すことです。

そして、本当に考えなくてはならないことを考えるように心掛けましょう。

全て完璧にはいきません。

不完全でもそれは当たり前のことなのです。

不完全なことは不完全なものとして受け入れて、流す心の余裕を持つようにしましょう。

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完璧主義をやめて失敗を受け入れると楽になる

心理学的な見地から若干離れますが、自己肯定感を持つ上で大事な最後の心構えをお伝えします。

それは胸を張って正しく生きるということです。

どういうものかと言えば、必要のない嘘をつかない、健康的な生活を送る、ごみのポイ捨てをしない、友情を大事にする、家族を大事にする、守るべき秘密をしっかりと守る・・・などといった人間として基本的なことです。

人が見ていないところだけではなく、自分の中で罪だと感じることは自己肯定感を持つ上で大きな障害になります。

自分にとって罪深いことをすると、それは心のわだかまりとなります。

そして、人とコミュニケーションをとるときに、その罪を背負った自分を発露しないように気を使いながら会話をしてしまいます。

それはとても苦しいものです。

もし、今あなたがゴミを道端にポイ捨てする衝動に駆られたら、それはじっと我慢してゴミ箱に正しく捨てましょう。

今あなたが、酒癖が悪いのを分かっていながら、お酒を飲もうとしていたなら、じっと我慢しましょう。

繰り返しますが、人と会話をする上で大事なことは、適切な量の自己肯定感を持つことです。

自己肯定感を持つことは、どこにいても恥ずかしくない自分であるということです。

それは学歴、収入などの社会的地位とは無関係です。

人間としての基本を守り、誠実に生きることです。

誠実に生きている限り、自分を嫌いになる道理はどこにもありません。

正しく生きた自分を大いに褒めて、胸を張って生きて下さい。

誰もあなたを批判することはできません。

恐れる必要などどこにもないのです。

いたずらなコミュニケーションテクニックを得ようとする前に、まずはこういった基本が何よりも大事だということを、強調しておきます。