思いやりの裏側にある本当の感情とは

本当に親切な人は「やってあげた」アピールをしない

お葬式の話。
故人のために何もしなかった人は、「私はこういうことをした」と延々と言う。

自分はこれをした、あれをしたと宣伝する。

一番故人に迷惑をかけた人が、親切したと言って、自分のしたことを誇張する。
故人が自分のことをよく思っていたと言う。

自分のほうが故人から世話になった人は、「お世話になりました」とは決して言わない。

逆に故人のためにいろいろと尽くした人は「お世話になりました」と言う。

「いろいろお世話になりました」という人は、人に迷惑をかけない人。

迷惑をかけない人は、最後まで迷惑をかけない。

葬式とか、結婚式などの大きなセレモニーで、人は分かる。

両親が離婚した子どもの小学校の参観日である。

父親をよびたい。

「母親も行けばいいじゃない」と優しくない離婚の担当弁護士が言う。

子どもにとって別れた両親が並んでいるのを見ることは嫌なことである。

だから母親は行かないことが優しさ。
それが弁護士には理解できない。

この弁護士はやってあげることが優しいことと思っている。

その場その場できれいごとをしている。

それは優しさではない。

優しい母親なら、参観に来た父親に挨拶の仕方を練習さす。
礼儀を教える。

「これだけ子どもは立派になったのだから、オレも頑張る」と父親も思うだろう。

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関係を断ち切れないのは淋しいから

「泥棒に追い銭」の格言が表すもの。

損に損を重ねても、まだお金を貸す人がいる。
つまり相手との関係を断ちがたい人がいる。
いわゆるカモと言われる人は、相手と温かい心を交わしたい。

断った後で味わう罪悪感、損した後で怨恨、自己嫌悪。
そうしたマイナスの感情を避けようと、自分には無理なことでも断れない。

他人のお気に入りになって交流しようとしている人をもう一歩進めると、損をした後でも怨恨を抑圧する。

犠牲的役割を演じるのは淋しいからである。
苦労性を演じるのは淋しいからである。

愛情飢餓感が強いと、恨んでいる相手との関係を断ちがたく憎しみを抑圧する。
無意識に憎しみを持ちながら相手が喜びそうなことを言う。

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愛の言葉で相手を縛るモラル・ハラスメント

自分は理想の母と思うから「どうして誰それさんのようになれないの」と子どもに言う。
子どもの現実を無視したいじめである。
つまり母親はモラル・ハラスメントの加害者である。

母親らしさの強調をして子どもを束縛する。
母親らしさという美徳で、子どもの心に手錠をかけたのである。

「こんなに愛している」という誇示で子どもを束縛する。
しかし母親は自分の支配欲を意識していない。

子どもを通して、美徳を通して、自分の自己中心的要求を通す。
美徳だから子どもは抵抗できない。

「自分は思いやりのある人間」というイメージを維持しつつ思いやりのない要求を通す。

これがモラル・ハラスメントである。

この種のモラル・ハラスメントは、本人は相手のために努力したと思っているが、加害者である。

報われない努力には、本人は気がついていないが、モラル・ハラスメントがある。