愛される人、疎んじられる人

人のために尽くすなど優れた面を持ち、ほとんど欠点らしい欠点がないのに、なぜか疎んじられる人がいます。

逆に、他者への配慮に優れているわけでもなく、欠点だらけなのに、好かれる人がいます。

これはその人の根底的な自己価値感の違いによるのです。

自己価値感人間は、率直で自然な姿で人に接します。

疑念もなく、素直に自分を他の人に開示します。

他の人をもまた、そのまま受け入れます。

人を外見や地位などで区別することはなく、誰に対しても自然な配慮をし、率直で豊かな感情を持って接します。

こうした率直で自然な態度のために、周囲の人もまたありのままでいることができるのです。

それが、周囲の人に心地よさを与えるのであり、この心地よさゆえに、好かれ、愛される人となるのです。

自己無価値感人間は、周囲の人と接するときに、不自然で屈折した行動をとってしまいます。

その不自然が疎まれ、好かれないことにつながるのです。

こうした不自然さは、過度に気を遣ってしまうタイプ、攻撃的になるタイプ、人間関係に無関心を装うタイプなどとして表れます。

過度に気を遣うタイプ

このタイプは、素直に自分を表すと嫌われてしまうのではないかと恐れ、つねに相手の気持ちを先回りして推測してしまいます。

このために、人との接し方がぎこちなくなり、本当に言いたいことを言えず、心と裏腹なことを言ってしまったりします。

そのため、あとあとまでマイナスの感情を引きずることになります。

また、気を遣いすぎるために、人の好意や援助を素直に受け入れられません。

相手がかえって恐縮するほど慇懃にお礼を言ったりします。

何か人に頼むということも苦痛です。

頼むことは、負い目になり、自己無価値の表明であるかのように感じてしまうからです。

誉められることに関しても、じっさいは、それを望んでいるのに、いざ、誉められると素直に喜べません。

自分の無価値感との間に違和感を感じてしまうからです。

このタイプの人は、周囲の人に気を遣っているのですから、外界に大いに関心があるかのように思われます。

しかし、彼らの関心は自分にしか向いていないのです。

他者の目に映った自分の姿だけを他者のなかに見ているのです。

また、自分の態度の不自然さを感じていて、自然さを表そうと演技するのですが、演技すればするほど、不自然な姿を表わしてしまいます。

こうしたぎくしゃくした感じが、裏があるとか、フィーリングが合わないといった雰囲気を周囲の人に与え、良い人なのになぜか疎まれるということになるのです。

攻撃的タイプ

第二のタイプは、攻撃的タイプです。

このタイプの人は、相手を攻撃することで自己価値を守ろうとします。

彼らは攻撃的であるばかりでなく、競争心、対抗心が強く、負けず嫌いで、何にでも口を挟んで、無視されることに耐えられません。

そのため、表面的には自信がありそうに見えます。

しかし、自分の弱みや劣っている部分を素直に受け止めるには十分な自己価値感が獲得されていないために、攻撃的な行為で自己価値感の揺らぎを防衛しようとしているのです。

このタイプの人は、周囲の人を自分の味方か敵かという視点で区別します。

敵とは自己価値感を脅かす者であり、味方とは自己価値感を高めてくれる人のことです。

敵であると判断した人を徹底的にこきおろし、味方と判断した人を絶賛します。

このタイプの人が地位を得ると、部下を味方と敵とに分けます。

味方とは、自分を持ち上げてくれる部下、利用価値がある部下、優越感を与えてくれる無能な部下です。

自分になびかない部下、有能で自分を脅かす部下は敵です。

味方である部下には「えこひいき」をし、敵である部下には「いびり」を、あからさまな形でおこなったりします。

このタイプの人は、いびられている部下からも、えこひいきされている部下からも、蔑まれていて、仕事のために関係を持たなくとも済むようになれば、いずれの人からも離反されてしまいます。

無関心を装うタイプ

第三のタイプは、無関心を装うタイプです。

無価値感が刺激され、傷つくことを恐れているために、人と関わろうとしない人です。

このタイプの人は、会社の飲み会があっても参加しないし、職場での雑談の輪に加わろうとしません。

まるで人に関心がないかのようですが、内心では人の話に聞き耳をたてていて、他の人からの評価をひどくきにしているのです。

このタイプの人を飲み会にさそうのはかえって迷惑かと思って、人は誘わなくなりますが、じっさいは、誘われるのもイヤだが、誘われないのもイヤだ、と感じているのです。

「まわりの人が悪口を言っている」と被害妄想になりやすいのも、このタイプの人です。

ですから、周囲の人はどのように接すればいいのか戸惑い、気疲れしてしまい、結局は疎んじることになるのです。