自分の内面をコントロールする努力をやめると、私達はさまざまな感情に気付き始めるでしょう。
どんな感情でも、次の三つの点から眺めてみることが必要です。
・その感情への怖れ
・感情の正体を見分ける
・感情を表現する
感情を怖れ、その正体を見分けられずにいる人は多いのですが、自分が何を感じているのかはっきりわかっている人もいます。
ただしそれはたいてい、中心となるひとつの感情が存在する場合です。
ある人にとって、人生で知っている唯一の感情は怒りであり、別の人は悲しみしか知りません。
「自分にはどうしようもない」という無力感だけを意識している人もいます。
中には「愛に満ちた」生き方をしているように見える人もいます。
決して怒らず、悲しまず、不安におびえることもないかのようです。
彼らはいつも物事を受け入れ、愛し、理解にあふれているのです。
けれど本当は何が起こっているのかといえば、この人達は怒りや悲しみなどの感情を首尾よく隠していて、けれどときたま、葬ったはずの感情が表面に現われるために、怒りを爆発させたりうつになったりするのです。
イラつきも、怖れも、悲しみも、喜びも、どんな感情であれ自分のものとして受けとめることができたとき、私達は愛を生きることができるのです。
アダルトチルドレンからの回復とは、さまざまな感情に気づくようになり、適切に表現する方法を学ぶことでもあるのです。
どんな親でも子どもにとって完璧な手本となることはできませんが、問題を抱えた家族の親たちは、中でもゆがんだ模範を示してしまいます。
それは真実を見ることを拒み、大概の場合、プラスの感情もマイナスの感情も健康的に表わすことができない態度なのです。
私達はしばしば、誰かが怒り狂ったりむっつりと立ち去ったり、怖れや困惑に押しつぶされるさまを目にしてきました。
親たちは何度となく、ある感情を別の感情へとすり替え、たとえば本当は怒っているのに悲しんでいるように見せたり、あるいは逆のことをしたりしました。
また、子どもが怖がっているときに、こんなことが怖いはずがないと言い聞かせることで、さらに子どもを混乱させました。
そして、子どもには怒りを感じる権利などなく、ひたすら感謝すべきなのだとおしえたのです。
私たちは親を無条件で好きでいたいと思っていました。
でも何かが起こり、あまりに傷つけられたために、親のことが完全に好きではいられなくなったのです。
そして私達は混乱と罪悪感の中に取り残されてしまいました。
ゆがんだ感情表現の中で暮らしていたために、子どもの私達はそれを目にし、身につけ、同じパターンを繰り返すようになったのです。