対人恐怖症であっても挨拶は心を開く
挨拶は心を開く第一歩です。
「おはようございます」と、大きな声で挨拶することで、自分の心が開放されます。
相手の人も挨拶を返すことで、お互いの心の通路を開くきっかけになります。
あちらでも、こちらでも元気よく挨拶を交わすことで、職場の雰囲気が変わります。
「先に挨拶するのは部下。鷹揚に挨拶を返すのが上司」というイメージがあるので、先に挨拶するのは自分を下に置くかのような意識があるかもしれませんが、実際はその逆です。
先に挨拶することは先制攻撃のようなものなのです。
挨拶は受けるよりも、自分の方から先にした方が気持ちがすっきりします。
挨拶を受ける側になると、相手に主導権を握られているかのような感じになります。
とくに気持ちが沈んでいるときには、圧倒されるような感じがします。
大きな声で、自分から先に挨拶するように心掛けましょう。
大きな声で挨拶を交わすほどの間柄ではない相手でも、黙礼程度はするようにしたいものです。
挨拶し合う関係を保っておけば、なにかの折りに接触しやすくなります。
挨拶は人脈の端緒であり、人脈はあなたの能力を拡大させるものでもあるのです。
嫌いな人には挨拶しないということは、未熟さの表れです。
たとえ嫌いな相手でも、人生の一部を共有している相手なのですから、挨拶程度のコミュニケーションさえ交わさないということはさみしい限りです。
学生運動の華やかな時期、学生運動の中心的な存在のTさんがいました。
そのTさんが、夜間にまで及ぶ大学側との長い団体交渉があった翌日、大学側の管理の中枢を担っている教授に対して、「昨日はお疲れ様でした。お疲れになったでしょう」と、丁寧に挨拶していました。
教授もまた、それに返礼していました。
「意見は対立しているけれども、共に大学を良くしようとすることでは同志なのだから当たり前のこと」と、Tさんは語ったものでした。
挨拶についてのもうひとつのエピソードとして会社で組合運動をして差別されている人たちの挨拶運動のことがあります。
組合を敵視する会社側の「彼らとは話すな。一切交流するな」との指令で、同僚達が挨拶さえもしてくれなくなったのです。
それでも、彼らは毎朝出勤すると、元気よく挨拶の言葉をかけ続けました。
そのうちに、相当数の社員がリストラされることがはっきりしてきて、組合の主張の正しさが証明されました。
すると同僚達は会社側の指令に逆らって挨拶を返すようになり、最後には組合を中心に団結し、会社側と渡り合うようになったということです。
挨拶は心の交流の第一歩です。
挨拶がなくては、関係改善の第一歩を踏み出すこともできません。
「挨拶なんかしているさ」と思っている人も、次のような実験結果があることを覚えておくと良いでしょう。
ある心理学者が学校に行って「新しく開発された潜在能力を調べる検査によって、将来伸びるはずだとされた子ども達の名前」を教師に伝えました。
その後、その子どもの能力は、他の子どもたちよりはるかに伸びていました。
ところが、将来伸びるとされた子どもたちは、実際にはまったくランダムに選出された子どもたちだったのです。
なぜこんなことが生じたのでしょうか。
それは、「伸びる子ども」とされた子どもたちに対しては、教師は笑顔を向ける回数が多いとか、ヒントを与える回数が多いなど、他の子どもとは異なる対応をしていたためでした。
ところが、こうした対応の違いを、教師本人はまったく意識していなかったのです。
自分では同じように挨拶しているつもりでも、意識しないうちに相手によって態度が変わっているものです。
特定の人をカルンじるような態度になっていないか、とくに注意したいものです。
対人恐怖症の人の挨拶はどのようにすればよいか
対人恐怖症の人の挨拶はどのようにすればよいか、それはびくびく怯えながら、緊張しながら震えながら赤くなりながらあがったまま、「おはようございます」や「お疲れ様」と挨拶することです。
これはエクスポージャー法(曝露療法)といって認知行動療法の一つの技法でもあります。
びくびくおびえながら挨拶をすることは等身大の自分で相手と接することですので、緊張する必要がなくなってきます。
逆に早い段階で、元気に相手の目を見ながらはっきりと「おはようございます」や「お疲れ様」を言うと逆に緊張するようになります。
また、挨拶をせずにスルーすることも安全確保行動といって、次の挨拶のときの緊張を高めることになります。
挨拶をすることとは、実は等身大の自分を相手にわかってもらうチャンスでもあるのです。
●まとめ
挨拶は心の交流の第一歩