私達はよく、「あの人は人格者ですね」「あんな悪党は見たことがない」などと人を評します。
なぜ、人格は人それぞれに違うのでしょうか。
「心」は広い意味の環境によって形づくられているということができます。
身体が育つにつれて、心も親の影響とか社会の影響とか、その他いろいろな環境の影響を受けて形づくられていき、そこからつくり出されてきたものを、私達は「人格」という言葉で表現しています。
「心は脳のはたらきである」と解説しましたが、「心は人柄である」という面が出てきました。
ストレスなどで生じる心の病気を考える場合も、外因的な環境によって、その人の心がいかにつくられたかが、重要な問題になってきます。
たとえば、最初から曲ってつくられた心は、ストレスが生じると、すごくもろいものです。
逆に、円満に作られた心は、ある程度のストレスがあっても、自然に耐えることができます。
つまり、ストレスに耐えられるだけの人格が形成されているからです。
これを、私達は「人格反応」と呼びます。
早い話が、冷酷無残な殺人犯も、好き好んで残忍な性格を求めたわけではありません。
つまり、私達が心のメカニズムを考える場合、人それぞれの人柄がひじょうに大きなウエイトを占めてくるのです。
性格形成については、フロイトを主流とする精神分析学者たちの功績を無視することができません。
一語で要約すれば、フロイトは性のエネルギーとも解されるリビドーを、アドラーは劣等感を、サリヴァンは対人関係を重視していますが、いずれにしても人間の心の不安を説明している点では共通しているのです。
精神分析が不安のよってきたる原因を解明しようとするのに対して、森田学説は、心の不安は人間本来のものだと解し、それ以上不安を分析することはしません。
心の不安は、人間ならだれしももっています。
性格とは、別の表現を使えば、自分の心の不安を回避しようとする反応なのです。
不安を回避するための手だてといってもよいでしょう。
その方法は、人それぞれによって違います。
が、だいたいその人特有の方法があり、一定しています。
つまり、これが性格であり、人格反応です。