バスに乗ると、いつも心臓がドキドキして動悸が高まり、呼吸が止まるのではと不安を感じます。
それでもあえてバスに乗ったほうがいいのですか。
第二次大戦中、ドイツにおけるユダヤ人収容所で辛酸をなめたオーストリアの精神医学者フランクル博士は、著書『夜と霧』で知られています。
彼はドイツ軍に抵抗し、最後まで生き延びようとして、どんな苛酷なことにも耐えてきた多くのユダヤ人たちが、アメリカ軍によって解放されて助かるやいなや、神経症、心身症になって倒れていった事実を目のあたりにしました。
そうした体験をふまえて彼は、人間は本来3つの価値に向かうと考えました。
1.体験価値
2.創造価値
3.態度価値
の三つです。
1と2については容易におわかりいただけると思います。
3の意味は、心の中に不安があろうとなかろうと、人間はそれとは関係なく、ある「態度」をとりうる。
そこに価値があるというわけです。
やさしくいえば、心の中に不安があっても、外に表れる態度・行動はきちんとしておくということで、フランクル博士は、特に3の態度価値を重視しました。
これは森田療法でいうところの、「外形をととのえる」と非常に考え方が似ているのです。
つまり、自分が行為の主であれば、行為をするかしないかをあれこれ悩まず、まず(不安があってもいいから)行為をして外形だけはととのえる、ということになるでしょう。
また、相手が行為の主であるならば、相手が心中で自分をどう思っていようと、外に表れた行為・態度は素直に信じるようにします。
つまり、学問的に価値を規定するのではなく、外形をととのえる、相手の行為を信じるというように、ただちに具体的行動に移って実を添えるわけです。
誤解してほしくないのは、森田療法は外形だけを問題にしていると考えることです。
そうではありません。
まず外形をととのえることが重要だといっているのです。
この違いをご理解いただきたいと思います。
相談者がいくらそのことを不安に思ったところで、「バスに乗る」という外形に表われる行為から逃げていたのでは問題は解決できません。
まず乗って態度価値を実現していくのです。
苦しいと感じたら、苦しさを「あるがまま」にして、乗るという目的を果たしていくのです。
また、たとえば弱気でとても会議ではしゃべれないからといって、いつも会議をすっぽかすのではなく、しゃべらなくともよいから、不安をもってとにかく参加し、外形をととのえるのです。
私達の日常生活において、対人関係からくる不安の多くは、相手がよくわからない点からきます。
あなたがそうなら、相手だってそう感じているはずです。
例えばの話、「ほんとうはお姑さんに愛情をもっている」のだったら、そう思うだけでなく、具体的行為や言動で相手に愛情を伝えるべきなのです。
逆にいうなら、相手の具体的行為や言動は心の表われなのですから、素直に認めてやるのです。
森田式の態度価値を重視した生活とは、つまりはこのようなものといってよいでしょう。