人前に出るといつもあがってしまい、びくびく、はらはらして口もきけなくなるのではないかと恐れてしまいます。
ですから人と接触しません。
まず「あるがまま」の心で生活するということでしょう。
「あるがまま」とは、生きていく上で起きてくる不安や苦悩、恐怖や劣等感を、自分だけにある苦痛、マイナスだとして取り除こうとするのではなく、人間なら誰にでも存在する現象として、そのまま受け入れる姿勢です。
「人前に出てあがってしまい、口もきけないのではないか」と恐れ、不安がって人前に出ないのではなく、びくびく、はらはらしながらでも、とにかく人前に出ろということになるでしょう。
「哲学する劇作家」として、大正年間、青年たちに支持された倉田百三は、その著『絶対的生活』の書き出し、すなわち第一行に「生きていくことは悩みである」と、ずばり述べています。
彼は、それを敷衍して、悩みとは生きること自体のなかにあざなわれた縄のごとき運命であるといいます。
倉田百三はよく知られているように、強迫神経症となって悩みぬき、森田博士の主張と巡り合って光明を見出した人ですが、彼の論法を借りますと、生きることは、すなわち不安とともに生活することなのです。
人間である以上、なんぴとも不安から例外たりえません。
仏教に「不安常住」という言葉があります。
不安から救われんがために出家して修行を重ねた釈尊が、最後には「生、老、病、死」には抗えないという認識を得たいということですが、森田博士のいう「あるがまま」とは、「不安常住」ともいいかえることができるでしょう。
以前、ある舞台俳優が病院に来院してきました。
「演技をしていると、不安で不安でしかたない。今にも心臓が止まりそうで頭がくらくらして狂ってしまいそうだから、この不安をなんとかしてほしい」
というのです。
つまり、彼は、そうしないと芝居なんかできないと訴えたわけです。
そこで医師は、「不安であってどうしていけないのか。人間には混沌(カオス)がつきものだが、芸術とは、創造性とは、その混沌が形づくるものではないか。
不安でなくしようとすることは、その混沌をなくすことだ。
である以上、不安のままそれを演技に表現したらどうか」と助言しました。
彼は最初はびっくりしていましたが、医師の助言をいれ、不安を認めたうえで芝居をし、やがて不安が芝居に大切だということに気付いていきました。
それを転機に徐々に逃避から立ち直り、誰からも認められる俳優に成長していったのです。
倉田百三は、「あるがまま」の対極に位置する言葉として「はからい」をあげ、「この数年の私の体験は「はからい」のなくなる過程を実地に識得したところにあるのです」(『強迫観念から絶対的生活へ』)と述べています。
「はかる」とは、予測したり見当をつけたりもくろんだりすることで、ある辞書には「分からないことに対してつける見当」と注釈がつけられています。
わからないことをあれこれ考えて悩んだりおかしくなったりするよりも、まず不安を抱いたまま行動する―これが実践によって裏付けられた森田療法のエッセンスなのです。