群れる人とは
群れるのは思春期の一過程
基本的に、思春期は群れる時期です。
思春期の役割とは、それまでは絶対的な存在だった親に反発し、親との間に距離を作り、自分なりの価値観や自分なりの対人関係を育てることだからです。
このときに大切なのは友人や先輩です。
友人や先輩と群れたりしながら、価値観や対人関係を育てていくのです。
もちろんその多くが、その世代の若者が共有することを身に付ける、という作業に当てられます。
しかし同時に、大切な先輩ではあるけれども、あの考え方だけは受け入れられない、と感じたり、幼なじみではあるけれども、どうも自分とは価値観が違うようだ、というようなことにも気づいたりしていきます。
こうやって、思春期を通り抜けた子どもたちは、その時代の子であれば皆が知っているようなことを身に付けると同時に、自分の価値観や対人関係を身に付けていくのです。
そして、その間、疎外されていた親も再び「大切な存在」として(あるいは「親自身が病んでいて、親としての機能が果たせなかったのだ」と納得することによって)その中に位置づけることができると、思春期は終わり、大人になります。
つまり、群れるというのは、本来、思春期に通る一つの過程なのです。
思春期に一番大切なのは「仲間」であることが多いものです。
お互いに共感し合い、お互いを真似し合い、新しい習慣や価値観を学び合い、親と一緒にいるだけでは体験できない世界を体験していくのです。
もちろん、すべての人が群れるわけではありません。
先天的に「ひとりでいることが好きな人」は、思春期においても群れずに孤立しながら自分の価値観を育てる場合が多いです。
また、比較的早く精神的に大人になった人は、群れることを「子どもっぽい」「面倒くさい」と感じ、我が道を行くこともあります。
ポイント:本来、群れるというのは、思春期に通る一つの過程
大人は「目的中心」に行動する
思春期までにいじめや疎外などによって心の傷を負ってしまった人たちは、その頃の人間関係を「人間関係の標準」として心にすり込んでしまいます。
つまり、「うまく群れていないと干される」というような感覚がどこまでも残ってしまうのです。
これが、「他人の目が気になって、ひとりでいるのがつらい」という心理のもとであると言えるでしょう。
確かに、職場でも、同僚の陰口を言ったり昼食時に誰かを疎外したりするなど、「あなたたちは本当に大人?」とつい思ってしまうような言動をとる人はいます。
しかし、社会は中学校ではありませんし、多くの大人は目的を持って動いています。
ですから、「あなたたちは本当に大人?」と思うような言動をとる人は、結局は未熟な人格と見なされるようになることが多いものです。
つまり、社会人の主流として尊敬されることはないのです。
また、大人の環境では、すべての人がひとりだけを疎外する、というようなことは、よほど特殊な環境でない限り、ほとんど起こりません。
そういうやり方はよくないと感じる人や、人付き合いに興味がないため疎外にすら興味を示さない人もいるので、結果としては「全員から干される」というようなことにはならないのです。
思春期までの時代の人間関係を「人間関係の標準」と位置づけてしまった人たちは、「群れる」ことに価値を置き、群れていなければやられてしまう、と思い込んでいます。
その思い込みが他人の目となり、「ひとりぼっちでいるなんて、私は寂しい人だと思われているに違いない」という、ひとりぼっちを恐れる心理につながるのです。
しかし、大人になるということは、そこから脱して、もっと「目的中心」「自分中心」に生きることです。
親や教師の言うことを聞くことがよしとされた子ども時代から脱皮して、自分なりに「社会において自分は何をしていくべきか」「自分はどういう人生を歩んでいくべきか」を考えながら生きるようになるからです。
人が集まる場においても、実際、大人は何らかの目的を持っていることが多いですから、そこでひとりだろうと、目的さえ達成できればよいのです。
もちろん、社交も目的の一つにはなり得ますが、それは群れることが人間として望ましいからではなく、ある仕事や近所付き合いのために社交が必要とされるから、という場合も多いでしょう。
何らかの学校に通うのであっても、資格取得のために、あるいはキャリアアップのために、などという目的があるので、その目的さえ達成できれば、別にひとりでいてもかまわないのです。
わからないことがある場合には、「わかるようになる」という目的が中心になりますから、普段親しくしていない人にも質問することができます。
とにかくわかるようになりさえすればよいからです。
別に「図々しい」などという評価を乗せる必要もなく、ただ大人として礼儀正しく聞けばよいのです。
そして、相手も大人であれば、礼儀正しく聞かれた質問にはちゃんと答えてくれるでしょう。
大人の社会では、目的さえはっきりとしていれば、「ひとり」の状態にあってもなにも恐れることはないのです。
また群れることが嫌いと言っても全く問題はないのです。
例えば、結婚式の二次会などは好き嫌いが大きく分かれる場でしょうが、かなりの「義理」(目的)があってそこに参加しなければならないのであれば、ただ義理のために参加すればよいのです。
社交したり群れたりするのが嫌いだったら、楽しむ必要はありません。
ポイント:大人になるということは、「目的中心」「自分中心」に生きること
群れる人は本当の大人ではない
本当の大人は、他人がひとりでも何とも思わない
こうやって見てくると、「ひとりでいると寂しい人だと思われるのではないか」と心配している人は、未だに思春期を引きずっているようなものだということがわかります。
実際に、「本当の大人」は、他人がひとりでいるところを見ても、基本的に何とも思わないものです。
パーティの主催者などはそれなりに気をつかったりしますが、それは「気が合いそうな同士を知り合わせて楽しませるため」であったり、「仕事上、知り合っておいたほうがお互いによさそうなため」である場合がほとんどです。
「ひとりでいると寂しく見えるから」という動機でやっている人がいたら、その人は自分が楽しいパーティを提供できなかったという罪悪感から頑張っているだけなのでしょう。
パーティにはいろいろな参加の仕方があって、水を得た魚のように楽しむ人もいれば、仕事のためにそつなく利用する人もいれば、ただ義理で来たためにぽつんとしている人もいるのです。
大人は目的意識を持ってそれぞれが勝手に行動するとは言っても、確かに、職場の同僚など、学生時代の同級生を思わせるような関係性の人もいるかもしれません。
学校と重ね合わせてしまうと、職場での昼食をひとりぼっちでとることに抵抗があるのは理解できます。
しかし、仕事をしている大人にとって、昼休みは貴重な自由時間です。
その時間をどう過ごすかは、自分で決めてよいのです。
読書しながら食事をしてもよいし、時間があればひとりで外食をしてもよいでしょう。
天気が良い日なら屋外で食べるのも気持ちよいと思います。
昼休みを利用して、いろいろと用事をすませたい人もいるでしょう。
また、ある程度ひとりの時間が必要だというタイプの人が、ガヤガヤした職場で働いている場合は、昼食くらいは静かにひとりで食べないと疲れてしまうと思います。
ポイント:本当の大人は、他人がひとりでいても、特に気にしない
ここは学校ではない
群れなければ干されるという不安がわき起こってきたら、「自分は大人になったのだ」ということを思い出しましょう。
もうここは中学校ではないのです。
大人なのだから、ひとりで行動しても、せいぜい「ちょっと変わっている」「ひとりが好きみたい」と思われるくらいで、いじめられたりはしないのです。
仮に干されたとしても、自分の仕事に支障がない限り、そんな人たちのご機嫌をとる必要はありません。
仕事に支障を来すようであれば、信頼できる上司などに相談して、道を開いていけばよいでしょう。
ただし、「一緒に行動しない」ということと「好意を示さない」ということは別物です。
一緒に行動しない場合、相手によっては「私たちのこと、嫌いなのかな」「私たちのことをバカにしている?」などと疑念を抱く人もいます。
ですから、普段から挨拶などはきちんとして、愛想よくしたり、困ったときに助けてあげたりしておくことは重要です。
そうすれば、少なくとも「嫌っているわけではないのだ」ということがわかり、いじめにはつながらないでしょう。
相手の心が自分に対して閉じている、相手が自分を人間として尊重していない、と感じるときに、いじめは起こりやすいのです。
媚びてもいじめられる、というケースがありますが、他人に媚びるとき、私たちの心は開いていないし、本当の意味で相手を尊重していない(媚びれば上機嫌になる程度の人だと思っている)と言えます。
「中学生レベル」の価値観を引きずった大人も確かに存在します。
しかし、それが多数派なのではない、ということはわかっておいていただきたいと思います。
「クラスの中で友達とうまくやっていくこと」が至上命題の中学生とは異なり、大人は、私生活でも社会生活でも、忙しく、いろいろな「目的」を持っているのです。
また、大人は、決まった中学校に通わなければならないわけではなく、いつでも異動や転職の自由があります。
「もう自分は無力な子どもではないのだ。自分が思った通りの人生を描いていけるのだ」ということは常に頭に置いておいてください。
「ひとりで行動できる」ことは、「本当の大人」として生きるということ。
「社会人になったのだから、仕事を頑張らなければ」と思うのと同じように、「社会人になったのだから、ひとりで行動できるようにならなければ」と考えてもよいでしょう。
もちろん、他の人と一緒に昼食をとってはいけないということは全くありませんし、複数で行動したほうが楽しいときはそうすればよいでしょう。
ただ、それは「自分にとってそのほうが楽しいから」であって、「そうしないと暗いと思われるから」ではないのです。
ポイント:仮に干されたとしても、仕事や生活に支障がなければ、相手の機嫌を取る必要はない
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ひとりで行動することに慣れる
「自分はひとりでレストランでランチなんてしたことがない。本当にそんなことができるのだろうか?」と高いハードルを感じている方がおられるかもしれません。
それは決しておかしな感じ方ではありません。
「ひとり」でいるということは、実は「慣れ」の要素も大きいからです。
群れるのは思春期までの課題だということをお話ししましたが、大人になっていくということは、新しい生き方に一つ一つ慣れていくということ。
初めてビジネススーツを着る、初めて大人っぽい言葉遣いで仕事をする、初めて名刺を持つ、初めて他人のミスのために頭を下げて謝る・・・というように、大人になって初めて経験することも多いでしょう。
最初は自分にとってちぐはぐに感じられる体験でも、慣れていくうちに当然の日常になっていきます。
「ひとりで行動する」というのも、大人になるに当たって慣れる必要があることの一つだと考えるとわかりやすいと思います。
最初はドキドキしていてもかまわないのです。
周りの目が気になるのも当然です。
でも、何回か体験しているうちに、だんだんとそれが当たり前のことになっていきます。
できれば、ドキドキしながら「ひとりで行動する」プロセスも「初々しい」と楽しんでしまいましょう。
ちなみに、映画のヒーローやヒロインはひとりで行動していても格好よく見えます。
また、日常生活で見かける人であっても、「ひとりで堂々としている」「さりげなくひとりでいられる」と、むしろ憧れを感じさせる人もいます。
ファッショナブルな人が、ひとりでレストランで食事をとり、堂々と店員と話している姿などを見ると、「格好いい」と思うことが多いですよね。
まさに、自分の人生を落ち着いて楽しんでいる感じがするからだと思います。
「ひとりで行動する」というのはあくまでも行動の形態であって、それ自体が惨めなものではないのです。
思春期流の「ひとりでいる人は寂しい人」という意味づけさえ乗せなければ、ひとりで行動することはむしろ自由を提供してくれるものだと言えるでしょう。
そして、自分の行動に責任を持つ大人の象徴であるとも言えるのです。
年齢的にはとっくに大人になった方でも、まだまだ「ひとりでいる人は寂しい人」という概念に縛られている人は、「本当の大人」になるため「孤独力」作りに真剣に取り組んだことがないだけなのだと思います。
小さなチャレンジを積み重ねて、それぞれが「ひとりでも楽しい、一緒でも楽しい」人生を送っていけるようになるとよいです。
ポイント:ひとりでいるのは実は慣れの要素も大きい
SNSは利用目的を明確にして付き合う
「ネット上でつながっている友達の数が少ないと恥ずかしい」という心理についても考えておきましょう。
これは、「大人は目的意識を持って行動する」を当てはめてみるとよいと思います。
そもそも、ツイッターやフェイスブックなどを利用する目的は何でしょうか。
もしもそれが、「他の人もやっていることだから」なのであれば、「本当の大人」の目的意識とは違いますね。
情報収集のためなのであれば、例えばツイッターだったら、フォロー数だけ増やして、自分は何もつぶやかないという選択肢があります。
プロフィールのところに「人のツイートを読むことに興味あり。私自身はつぶやかないのでご了承を」などと書いておけば、責任感が感じられますし、「この人、何?」と思われたときに、理由がわかるでしょう。
フェイスブックなどはとかく手がかかるもの。
単に「友達がみんなやっているから」という理由で始めてしまうと、メンテナンスにかなりの時間とエネルギーを取られてしまうこともありますし、「友達」の数の競い合いや、内容の質の争い合いに巻き込まれてしまうこともあります。
実際に、気づくと「自慢競争」みたいになってしまうことも多いようです。
本当に自分はそういうことがしたいのか、一度自らに問う必要があるでしょう。
「やめる」という選択肢は、いつでもあるのです。
やめることが難しい状況にいるのであれば(友達グループで利用しているなど)「自分は無精だから続けられない」と、あくまでも自分側の問題を理由にすると、やめやすいと思います。
そうすれば、周りに「自分たちは拒絶された」という印象を与えないで済むからです。
一方で、フェイスブックを同窓会のための管理や、仕事上の目的で使っている人もいます。
そのような人にとっては、フェイスブックはとても便利なツールと言えます。
このように考えていけば、自分は何をどういう目的で使うか、あるいは使わないかを決めていくことができるはずです。
次々と新しいツールが出てくる現代社会ですから、「あれもこれも」ではなく、自分が本当に必要とするものを選ぶ目も、「本当の大人」としては磨いていきたいですね。
みんながやっていることでも、「自分は〇〇という理由でやっていない」ときっぱり言える人は、やはり格好よいものです。
そして、実は内心同じような思いを持っている人たちに勇気を与えるでしょう。
これも一種の「ひとり」が楽になるヒントと言えると思います。
ポイント:SNSを利用する目的は何か?自分自身に一度問いかけてみよう
まとめ
群れる人とは、思春期によく通る一つの過程ですが、大人になるにつれて目的中心、自分中心に行動するようになる。
本当の大人は、ひとりで行動することを気にしませんし、生活や仕事に影響しなければ問題ありません。
ましてや相手のご機嫌をとる必要もありません。
ひとりでいることはだんだん慣れていきます。
SNSの使用目的を明確にしておけば有用な活用ができます。