自信が持てる人持てない人

いかなる養育環境においても、自己価値感の形成にとって有利な環境と、自己無価値感をもたらしやすい環境とが混在します。

このために、私たちは、自己価値感と自己無価値感とを両極とする直線上のいずれかの地点に位置しています。

両極に近いところにいる人を自己価値感人間と自己無価値感人間として対比し、両者の特徴を明確にします。

なお、自己価値感人間と自己無価値感人間という言葉は、木村隆介氏の『悪魔への挑戦状―真の人間の価値とは何か―』によるものです。

「存在への自信」と「能力への自信」

自己価値感人間は、自分そのものへの信頼があります。

自分を信頼する(self-confidence)

という本来の意味での自信があり、心と行動は、全面的で根底的なこの自信に基礎づけられています。

自己価値感人間は、自分の感覚、感情、欲求、要求、意思、願い、行動が尊重され、大事にされてきた人たちです。

このために、自分が感じていること、考えていること、願っていること、これらへの価値を疑いません。

これらに基づく自分の選択や行動を正当なものと考えます。

また、幼く未熟なままに歓迎されてきたのですから、自分の未熟さや、能力不足、欠陥、弱点をも、そのままに認め、受け入れることができ、それらにより自己価値が低減されるという感覚はありません。

さらに、外界を信頼しているので、自分を防御したり、自分の価値を無理に外界にアピールする必要性を感じません。

それゆえに、人への接し方は自然であり、率直であり、泰然としています。

これに対して、自己無価値感人間は、自己信頼という意味での根底的な自信を欠いています。

このために、「社会的価値を達成する」という自信によって、自己価値感を獲得しようとします。

状況的自己価値感を得る道は、愛されること、自分の力の向上、他者からの賞賛などであることは前述しました。

養育過程のなかで、これらはしばしば結合しています。

すなわち、一番になるとか、良い成績をとるとか、良い子であるなど、何か社会的に価値あることを為し遂げたときに、愛や賞賛、自分の力への自信が得られます。

このために、社会的価値に過度に執着する傾向を強めるのです。

なぜ優等生でも自信が持てないのか

子どもにとって、社会的価値の達成におけるもっとも明確な基準は、他の子どもとの比較です。

このために、いつでも人と比べる心性が身についてしまいます。

とりわけ同年齢の友達は、親友としてよりも、ライバルとして位置づけてしまう傾向があります。

その結果、同年齢の友達に圧迫感を感じ、自分より優秀な者に対しては劣等感を、下の者に対しては優越感を持つということになります。

自己信頼という意味での自信は、存在そのものへの広汎な自信です。

これに対し、社会的価値を達成することで得られる自信は、特定の領域に限定されたものでしかありません。

勉強ができるという自信は、スポーツができるという自信とはまったく別物ですし、勉強ができるという自信は、社会に出てやっていけるという自信とも直結しません。

成績の良い優等生がしばしば自信がないのは、このためであり、がんばって、がんばって、高い地位についたとしても、いつか失敗するのではないかという不安を感じるのもこのためです。

能力への自信によって、基底的な自己無価値感を払拭することはできないのです。

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決断できる人、優柔不断な人

日常生活におけるさまざまな決断は、その人の感覚や価値観、そのときの感情、欲求、願望などが決断の基準をなしているのであり、純粋に論理的な判断でおこなわれるものではありません。

たとえば、レストランで何を注文するか、どの映画を見るか、大学で何を専攻するか、どのような仕事を選択するか、いまつきあっている相手と結婚するか、それとも別れるか、こうした判断の基礎をなすのは、自分の好みとか、欲求とか、好き・嫌いという感情とか、こうありたいという願望とか、価値観などです。

自己価値感人間は決断力があります。

それは、自分の感覚や感情、欲求、願望、そして大切にすべきものがわかっているからです。

そして、これらに疑念を持たないからです。

決断とは、また、その判断に責任を負うことです。

自己価値感人間は、自分への信頼があるので、決断の責任を恐れません。

また、自分と外界を信頼しているので、楽天的です。

いたずらに悲観的な見通しを持つことはありませんし、たとえ自分の決断が間違っていたとしても、それが判明した時点で修正すれば良いと考えます。

いっぽう自己無価値感人間は優柔不断です。

自分の本当の感覚や感情、欲求、願望がわからないためであり、わかっていても信頼しきれないからです。

どのレストランに入るか迷ったり、自分で進学先を決められない、職業を決められない、ということになります。

そして、親など他の人の意向に沿って決めてしまうことが多くなります。

また、自信がないために、決断への責任を恐れます。

このために、とりわけ責任がともなう場面で、優柔不断さが顕著になります。

リーダーシップが要求される状況になると、大きなストレスを感じてしまいます。

さらに、自己無価値感人間は、自分と外界を信頼できないために悲観的であり、しばしば不適切な決断をしてしまいます。

そうした体験があるために、決断したあとでもそれが正しかったかどうかをいつまでもくよくよと考えるということになります。