いつも自分を悩ます部下がいる。
いちいち変なことで怒って、人を振り回す上司がいる。
意味もなく自分を敵対視して、悪口を言う同僚がいる。
職場にはいろんな人が集まってきていますから、気の合う人ばかりではありません。
当然ながら、気の合わない人や苦手な人、もっといえば嫌いな人がいます。
そういう人たちに対して、イライラしたり、悩んだり、怒ってしまっていませんか。
ここでは、心をすりへらす原因が「他人」にあると思っている人のために述べてみたいと思います。
問題だと思うから問題になる
生きていると、身の回りにいろんな出来事が起こります。
いろんな人にも出会います。
なんだか嫌だな、という人も、苦手な人も、嫌いな人もいたりします。
職場に、嫌なことばかりする人、嫌なことばかり言う人がいると、それこそ悩みの種です。
とある職場でAさんが、こう言いました。
「うちの社内に問題児がいるんです。
彼のせいで、まわりはみんな振り回されるんです。
上司にはくだらないことで反抗するし、社内のルールは平気でやぶるし、まるで空気読まない言動ばかりなんです」
どうやら、Aさんは、「彼」のことを問題に思っているようです。
けれども、同じ職場のBさんは「彼」のことをこう言いました。
「彼は、自由に動くところはあるけれども、きちんと自分の意見をもっているし、課題点を見つけるのもうまい。
伝え方はまだ少し未熟だけど、将来性を感じる」
さて、同じ「彼」のことですが、まるでとらえ方が違います。
Aさんは、「上司に反抗する」とか「社内のルールをやぶる」として「彼」を問題だと思っています。
けれども、Bさんは、「上司に反抗する」ことも「社内のルールをやぶる」ことも気にしていません。
「自分の意見をもっている」「課題点を見つけるのがうまい」というふうにとらえて「彼」を問題だと思っていません。
同じ「彼」のことなのに、人によって問題になったり、ならなかったりするのです。
だから、それを見て「問題だ」「解決しないと」と思った瞬間から、実はその「問題」は、その人の問題ではなく「問題だと感じた人の問題」になっていくのです。
つまり、自分自身のモノサシで測り始めたことになるからなのです。
あなたに「嫌いな人」や「苦手な人」などの「問題があると思う人」がいる場合、実は、あなたの中に問題の種があるのです。
イライラするのは、自分の価値観に合ってないだけ
「問題だ」と思った瞬間から、実はその「問題」は、他人の問題ではなく「問題だと感じた人の問題」になっていくと言いました。
「問題だ」と感じる人と「問題ではない」と感じる人がいるからです。
では、なぜ「問題だ」と感じるのでしょう。
「職場に嫌いな先輩がいるんです」と悩んでいる女性がいました。
「その先輩が問題だ」というわけです。
「先輩は、全然仕事しなくて、後輩である私たちに仕事を押し付けるんです。忙しい時期でも、好きな仕事はするけど、それ以外は、いつも私たち。だから、先輩の言動にイライラします」
たしかに、そういう人、職場にいたりしますよね。
しかしこれは、彼女がイライラするのは、彼女と先輩の価値観が合っていないだけなんです。
彼女には、「私は、こんなに嫌な仕事も、大量の仕事も我慢しているのに!」という意識があります。
「嫌な仕事も大量の仕事も我慢すべき」という価値観が彼女にはあるのです。
なのに先輩は、嫌な仕事も大量の仕事も我慢せずにいる。
だから、「イライラする」「腹が立つ」ってなるんです。
よく「公務員ってズルイ」と言われているのと、同じような理屈です。
身近に嫌な公務員がいるわけじゃないのに、危害を加えられているわけではないのに、なぜか公務員に腹が立つ。
それは、「公務員は、楽な仕事をして給料をもらっている」という思いがあるからです。
本当の大変さなんて知らないのに。
そして、「自分は、大変な思いをしながら仕事しているのに、給料は少ない」だったりするからです。
「仕事は大変なもの。楽して給料をもらうのはよくない」という価値観が強い人ほど、腹が立ったりします。
結局、自分の価値観に合わない人にイライラしたり、腹が立ってしまうんです。
時間をきっちり守る人は、時間にルーズな人にイライラする。
上司の言うことを聞く人は、上司に逆らう人にムカムカする。
積極的に仕事に取り組む人は、仕事は適当にして家に早く帰る人に腹が立つ。
もし、職場や身の回りに、「嫌いな人」「イライラする人」がいる場合、「私の価値観とこの人の価値観はどこが違うんだろう」と考えてみてください。
「価値観がどう違うから、不満なんだろう」って。
その答えが、あなたが強固にもっている価値観だったりします。
私は、我慢して嫌な仕事もしているのに、あの人は好きな仕事しかしない。
嫌な仕事も我慢してすべき。
我慢せずに好きな仕事ばかりして、平気でいられるのはズルイ。
きっとそういうことなんだろうと思います。
「あー!、うらやましい!」なんです。
正しいと思っている価値観を疑ってみよう
「『問題』は、その出来事を『問題だ』と思う人のなかにある」
人は、目の前の出来事や人を、自分の価値観に照らし合わせて、合わないものを「問題だ」として裁いていたりします。
では、どうして「問題だ」と思う価値観ができるのでしょう。
たとえば、生まれたばかりの赤ちゃんが「忙しい後輩に仕事を押し付けてはいけない」と言うでしょうか。
言わないですよね。
ということは、この「忙しい後輩に仕事を押し付けてはいけない」という価値観は、どこかで、いつからか手に入れたのです。
それは誰かから、「後輩に仕事を押し付けること」を強く否定されたのかもしれない。
あるいは、忙しいときにも誰にも仕事を押し付けずにがんばったら、すごく褒められたからかもしれない。
もしくは、誰かから「仕事を後輩に押し付ける人間は最低だ」と教え込まれたのかもしれない。
つまり、基本的に僕たちのもっている価値観は「他人からもらったもの」なのです。
他人から、褒められる、叱られる、バカにされる、などを経験して、「ありのままの自分ではいけないんだ」、と考えた結果、「〇〇すべき」「〇〇したほうがいい」という価値観がつくられるのです。
そして、その価値観をもってして、目の前の人を、裁くのです。
そして、あの人はおかしい、ズルイ、間違ってる、あの人が嫌い、この人が苦手、となっていきます。
今の価値観で、人間関係に支障がない場合は、もちろんそのままでいいでしょう。
でも、今の価値観をもっていることで、いつも特定の誰かにイライラしてしまう、苦手な人に悩まされるのならば、つまりそれが「問題」となっているのならば、自分が「正しい」と思っているその価値観を疑ってみたほうがいいかもしれません。
まずは、一つから価値観を変える
嫌いな人や苦手な人がいる場合、人間関係がうまくいかない場合、「自分を苦しめている価値観を変える」ことが有効です。
ところが悩んでいる人は価値観を変えるために、「こんなことやってみませんか」という提案に対して「それは無理です」「そんなことできるわけないです」と言われることがあります。
「どうして無理なんですか」と聞くと「前にも同じことしたけどダメでした」と言われます。
「そんなに簡単に決めつけないで、何度もやってみればいいのに」と思う瞬間です。
価値観を変えるには、時間がかかります。
一気に変えようとせず、まずは1つか2つから変えるようにしてはどうでしょうか。
動かない岩を動かそうとするのをやめる
「『問題だ』と思う人に問題がある」から、価値観を変えてみようと言いました。
でも、「相手がどう見ても間違っている。自分のほうが正しい」そうおっしゃる人もいます。
そういう人は、「遅刻ばかりする人」「仕事で嘘をついて現場を混乱させる人」「仕事に積極的に取り組まないばかりか、足を引っ張ることをする人」に対して、「遅刻すべきじゃない」「仕事で嘘をついてはいけない」「足を引っ張る行動は正しくない」と思います。
そして、相手を変えようとします。
そして、「何をやっても変わらない!」なんて腹を立てたりしています。
そういう人に対して、次のようにたとえます。
「動かない岩を動かそうとしている」ようですよ、と。
自分が進みたい道に岩が置いてある。
その岩が邪魔なので動かそうとする。
叩いたり、なでたり、いろいろやってみる。
でも、動かない。
「動くまで待つ」と思ってみても、待ちきれずに、また叩きはじめる。
そのあげく「動かない」と文句を言ってしまう。
そして「自分がこんなにやってるのに」と言う。
動かない岩を目の前にして、このようにやっている人がいたら、あなたはどう思いますか。
「自分が動けばいいのに」そう思うはずです。
なぜなら岩は動かないんですから。
その岩が動かないのなら、迂回するか、よじ登れば越えていけるのに「どうして私が遠回りして動かないといけないのか」「道をふさいでるのは岩のほうなんだ」と、てこでも動かない。
相手を「間違っている人」「問題がある人」として、相手を変えようとするのは、まさにそんな状態です。
「部下が動かない(変わらない)」「上司が動かない(変わらない)」
そんなふうに思ったら、自分自身のことを「岩を目の前にしてどうにか動かそうとしている人」だと想像してみてください。
相手を変えようとすることをやめると、相手は変わり出す
人間関係に困っている人には、「他人を変えようとしないで、あなたが動けばいいんですよ」と言います。
前項でお話しした「動かない岩を動かそうとする」の話をします。
ある心理カウンセラーは起業したてのころは、よくそうクライアントに感じていました。
だから、「あなたが動かないとダメだよ」「あなたがこうすればいいんだよ」と、そうアドバイスしていました。
それでも、全然、考え方を変えようとしない人がいます。
実行に移さない人がいます。
「でも、あなたが変われば、相手も変わるかもしれないじゃないですか」などとアドバイスしても自分を変えようとしない人に、ちょっとイライラしたり。
「自分を変えるなんて、できない・・・」という人に、何度も「動きましょう」と言ってみたり。
これは、「動かない岩を動かそうとしている」のは、カウンセラーの方でした。
他人を動かそうと躍起になっている人を、カウンセラーが躍起になって動かそう(変えよう)としていたのです。
それは動きません。
「動かそうとしない」
カウンセラーはそれに気付いたので、悩んでいる人を動かそう(変えよう)とするのをやめました。
すると、悩んでいる人が動き(変わり)だしました。
だから、「嫌な人」や「苦手な人」「あなたを困らせる人」がいる場合、変えようとしないと思ったとたん変わりだしたりします。
仕事を早くさせようと思わない。
受け答えをはっきりさせようと思わない。
遅刻を直そうと思わない。
不思議なことに、そう思ったとたん、相手は変わり出すことがあるんです。
「べき」より「したいからする」を基準にする
「相手に変わってほしい」と願う人は、「自分にできること、自分がやってきたことは、他人にもできるはずだ」と思い込みがちです。
「自分にできることが相手にできないはずはない。なぜしないんだろう?」と思って、相手に不満を感じたり、イライラしがちです。
「自分は、営業先を10軒回って帰ってきても、日報はちゃんと書いてきた」からこそ、「日報を書かずに帰ってしまう」部下や同僚に疑問をもったり、腹が立つのです。
「私はメールの返事をすぐにするのに、どうしてあなたは返事がないの?」
「私は見を粉にして働いてるのに、どうしてあなたは、さっさと帰るの?」
こんな具合です。
みんなそれぞれが、それぞれの価値観で生きています。
でも、「相手に変わってほしい」と願う人は、他人も同じだという前提で「期待」し、他人にもそれを「べき」だと求めてしまうようです。
「私はこう感じるんだから、あなたも同じように感じるべき」「私が我慢しているんだから、あなたも我慢すべき」というように。
そして、それを裏切られたときに「なんであなたは私と違うんだ」と怒る。
実は、これは、「べき」ではなく、「自分がしたいからする」場合には、こういう反応はしません。
「メールを早く返したいから、返している人」は、メールの返事が遅くても気になりません。
「身を粉にして働きたいから働いている人」は、まわりの人が早く帰っても気になりません。
自分が他人に対して「どうしてそんなことするのよ」「どうして、やらないの」と、憤りを感じたとき、それは、「したいからする」ではなく、「べき」と思っているからでは、と考えてみてください。
そして、「べき」は、本当に「べき」ことなのか、も考えてみてもいいかもしれません。
本当はやりたくないのに我慢しているとき「べき」って出るんです。
褒めることは自分の価値観と合っているから
よく教育のハウツー本には「褒めて育てる」「いいところを見つけて伸ばす」ということがよく書いてあります。
「褒める」とは自分の価値観に合っているからできることです。
たとえば「仕事は丁寧にやるべきだ」という価値観があると、遅くても丁寧に仕事をしている人には「いいね」と褒めることができます。
逆に、仕事は早いけど雑な仕事をする人のことは、その人の価値観に沿わないので、褒めることができません。
同様に、「仕事はスピーディにやるべきだ」という価値観をもっている人は、ゆっくり丁寧に仕事をしている人のことは褒めることができません。
つまり、人は、自分で見たり聞いたりしたものを、自分の中にある「価値観」に照らし合わせて、自分の価値観に沿うものは「いいこと」「素晴らしい」となり、自分の価値観に沿わないものは「間違っている」「ダメなこと」となるのです。
人それぞれ価値観が違うので、人によって褒めるポイントが違ってきます。
Aさんには褒められたのに、Bさんには怒られた、なんてことも出てきます。
だから、褒める努力をする場合、あくまでも自分の価値観に合うものを探すことになります。
自分の中の価値観を探って、目の前の褒めたい人の価値観と共通のものを探せばいいのです。
「なかなか他人を褒められない」という人、自分の価値観についてあらためてじっくり考えてみてはいかがでしょう。
褒めるのが苦手な人は、価値観の閾値が高い
「仕事はスピーディに丁寧にやるべきだ」と思っている人はいませんか。
前項の「仕事は丁寧にやるべきだ」や「仕事はスピーディにやるべきだ」という価値観より厳しいですよね。
だから、仕事が早くても雑だったり、仕事が丁寧でも遅かったりすると、もう、とてもじゃないけど褒められない。
「嫌いな人、苦手な人でも褒めるところがあるよ」と言っても、「褒めるところがないんです」と言う人の場合、自分の中の「価値観の基準・合格ライン」が高すぎるのかもしれません。
かつての僕のような人は、「褒める」ための自分の価値観のハードルが高い人です。
こういう価値観のハードルが高い人は、苦しいです。
だって、自分の価値観に沿う人が少ないのですから。
自分のまわりには、欠点ばかりの人、仕事のできない人、自分をイライラさせる人、そういう人ばかりがいることになります。
褒める人が少ない。
また、自分自身ができないときには自分のことも責めてしまう。
僕自身も実際は「スピーディで雑」なところも多々あったので、自分も責めていました。
もちろん、仕事のクオリティを高めていけるのであればそれはそれで素晴らしいことなのですが。
でも、そのせいでいつもイライラしたり、まわりの人の文句ばかり言ってるのでは、全然よくないですよね。
価値観のハードルの低い人にはどうでもいいことでも、価値観のハードルの高い人には、なんでもかんでも問題に変わってしまう。
だから、自分のことをイライラさせる人、欠点ばかりの人、苦手な人が多いと思ったら、「自分の価値観のハードルが高いだけじゃないのか」と考えてみるのもいいでしょう。
「そんなのは無理!」という人は、「〇をつけよう」「褒めよう」と考えずに、「そういう人もいるんだ」「そういうこともあるんだ」と考え、いい悪いのジャッジをしないくらいでもいいかもしれません。
全ての人に気に入られようとはしない
世の中にはいろんな人がいます。年齢も性別も考え方もそれぞれです。
そして、みんなから気に入られようとすると苦しくなります。
だって「好き」も「嫌い」も人それぞれなんですから。
「全ての人に気に入られようとする」病になってしまったら、次のような言葉を思い浮かべてみてください。
「あなたがそうしたいのなら、そうすればいい。でも、それを私に押し付けないで」
「私がそうしたいから、そうしているのです。そして、それをあなたには押しつけません」
それを受け取るか受け取らないか、当然のことですが、それはその情報を受け取った人しだいなんです。
気に入らない人がいるのは、「価値観が違うだけ」。
本当に、ただ、それだけなんです。
まとめ
- 他人に対して「問題だ」と感じるときは、自分の中に問題がある。
- イライラしたり、怒ったり、不満に思うのは、自分の価値観に合わないから。
- 他人を変えようとするのは、動かない岩を動かそうとするもの。無理に動かそうとしない。自分が動く。
- 自分の行動が「べき」で動いていると、他人にも求めてしまう。「したいからする」基準で動く。
- どうしても嫌いな人からは、目をそらしてもいい。すべての人に気に入られようとしない。