ひきこもり青年への声掛け
言いたいことを我慢する必要はあるのか
本人に対して言いたいことを我慢したり、取り繕ったりしています。
気を遣うのは当然だとは思うのですが、言いたいことを言ったり時には喧嘩したりするほうが自然でいいと思うのですが。
これは、いまの家族関係がどうなっているかによって異なります。
克服への試みにおいて理想とする家族関係のイメージは、親御さんとご本人が互いに冗談を言い合えるような関係です。
軽く相手をからかうような言葉が、怒りや暴力につながらず、日常的に自然に交わされるような関係です。
もうそのぐらいコミュニケーションが回復しているのであれば、ある程度は「本音のつきあい」でもよいでしょう。
ただし、私が見てきたなかでも、そうした関係に至りえたご家族はけっして多くはありません。
まだコミュニケーションが不十分なうちは、多少不自然に思えても、気を遣い、取り繕う努力をすべきで、けっして喧嘩や本音のつきあいはすべきではありません。
言いたいことを言えば、一時的にご両親はスッキリするかもしれませんが、ご本人は傷つけられるだけで、せっかく回復しかけた関係が逆戻りする危険性もあります。
ただしご本人がご家族に対して迷惑行為を繰り返しているような場合については、事情が異なってきます。
意図的であれどうであれ、ご家族がその行為によって困惑させられる(トイレや風呂場を長時間占拠される、深夜に騒音を立てる、自分の持ち物でリビングなどを占拠する等)ような場合、なにもかも呑み込んでじっと我慢する必要はありません。
では、どうすればいいのでしょうか。
そのような迷惑行為が目に余る場合は、とりあえず「お願い」をしてみていただきたいと思います。
「あなたにそれをされると、家族がとても困る。
もしできることなら、そういうことをしないでおいてくれると、助かるんだけど」という具合に、丁寧に頼んでみていただきたいのです。
あくまでも丁重に、です。
ご本人も潜在的には家族に罪悪感を持っていることが多いので、案外お願いを聞いてくれるものです。
逆に、お願いで駄目だったことは、少々強く言っても無駄と考えたほうがいいでしょう。
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親への恨みつらみばかりを言われる
ようやく話しはじめたのはよいのですが、親への恨みつらみばかりで参ってしまいます。
まったく覚えのないことや、あきらかに事実ではないことも含まれているので、そういう点は訂正したいのですが、少しでも反論するとひどく怒ります。
まったく口をきこうとしないご本人に対して、親御さんがねばり強く話しかけ、働きかけを続けていきますと、ご本人の中に親御さんの言葉が溜まってきます。
やがて言葉が溢れ出してくるのですが、その時に親御さんは絶対にうろたえないでいただきたいのです。
ここで何を言われるかというのはだいたい決まっています。
それまでの過去の恨みつらみです。
最初は、ご自分の青春を台無しにした親御さんへの恨みつらみを、延々何時間も聞かされると覚悟してください。
たとえば「自分がひきこもって惨めな境遇にあるのは、すべて育てた親の責任である」「不本意だった学校に、無理矢理行かされた」「何も悪いことをしていないのに、体罰を受けた。これはあきらかに虐待だ」「良い成績をとっても、一度もほめてもらえなかった」「自分だけ学習塾に行かせてくれなかった」「いじめられて苦しんでいる時に、気づいてくれなかった」「近所の環境が悪かったのに、引っ越しをしてくれなかった」などなど。
親御さんにとっては、ちょっと後悔していることから、まったく身に覚えがないことまで、いろいろあると思います。
いずれにしても、これほどの批判をぶつけられて、落ち着いて対応できる親御さんはまずいないでしょう。
だからこそ、こうした事態を予測して、覚悟を固めておいていただきたいのです。
うろたえずに、少しでも適切な対応をしていただくために。
とにかく言いたいことは遮らずに、最後まで言わせ、耳を傾けていただきたいと思います。
どんなにご本人の言い分が理不尽に思えても、けっして遮らずに聴いてください。
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ついつい言質をとられまいとして、ご本人の言い分にいちいち反論される親御さんも多いのですが、これではなんにもなりません。
「一度認めたら一生言われるのではないか」とお考えかもしれませんが、実はそうではありません。
そうした言い分がかなり無茶であることは、ご本人もある程度はわかっているのです。
わかっていながら、言わずにはいられない。
だから「それは事実ではない」とか「そんな理屈は通らない」といった、「正しい反論」をするべきではないのです。
「正しさ」は、さして重要なことではありません。
ご本人の記憶が不正確で、あきらかな事実誤認があったとしても、ご本人がどのような思いで苦しんできたか、まずそれを丁寧に聴き取ることに意味があるのです。
これは「記憶の供養」なのです。
たとえ事実ではなかったとしても、そうした記憶を語らずにはいられないご本人の気持ちに寄り添いながら、少しでもその苦しさを共有するようにつとめること。
それは本当のコミュニケーションに入る手前で、親子の信頼関係をもう一度しっかり築くうえでも、どうしても必要とされる儀式なのです。
「儀式」ですから、意味や正しさを問うても仕方ありません。
よく「いつも同じことを、毎晩のように、くどくど聞かされるので参ってしまう」とこぼすご家族もおられます。
しかし、そのようなご家族は、しばしばご本人に言いたいことを十分に言わせていないことが多い。
正面切っての反論はしないまでも、訴えをいい加減な態度で聞いていたり、いかにも面倒くさそうな態度だったりと、ご本人に不満足感を残していることが多いのです。
とにかくきちんと「儀式」につきあって、ご本人に「十分聞いてもらえた」という満足感を残さなければ、訴えはけっして終わらないでしょう。
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ただし、もう一点、注意していただきたいことがあります。
それは「耳を傾けること」と、「言いなりになること」はまったく異なる、ということです。
たとえば、ご本人が腹立ちのあまり、「人生を台無しにした代償として一千万円よこせ」といった要求をしてくることがあります。
こうした要求に対しては、原則として応ずるべきではありません。
一千万円は多すぎるにしても、百万円くらいだったら、あっさり渡してしまうご家族もいます。
しかし、こうした対応ははっきりと間違っています。
ご本人は別にお金など欲しくないのです。
こうした要求は、自分の辛さをなんとしてもご家族に理解させようとして、たまたま強烈な表現が選ばれたにすぎません。
ですから、言いなりになってもご本人は満足しません。
むしろ要求には応じずに、その要求の背後にこめられたご本人の苦しさや悲しさに耳を傾けていただきたい。
そのような努力を重ねることで、不毛なやりとりは次第になりをひそめていくことでしょう。
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ひきこもり青年との攻防
「もういい」と話をやめてしまう場合
いつも自分から話しだしてきては、最後には「もういい」と話をやめてしまいます。
こちらの聴き方がよくないのでしょうか?
どの程度の時間、どのような内容について話すかにもよりますが、いずれにせよ、しばしば話しかけてくるということはきわめて良い兆候だと思います。
聴き方の原則論としては「話している間はけっして遮らない」「結論が見えていても、それは本人に言わせる」「反論があっても、それを本人から求められない限り沈黙を守る」「いい加減な態度で聴かない」「家事をしながら、テレビを見ながら、といった”ながら聴き”はしない」「誠実な態度で、相槌を打ちながら耳を傾ける」ということが大事になります。
要するに、人の話を真剣に聴くとはどういうことか、というごく一般的な常識が試されているわけです。
ご質問にある「もういい」という言葉は、やはり「親に話しても無駄だ」という思いが言わせているものではないかと思われます。
ただ、いつもご本人からはなしかけてくるということは、それでもご両親に聴いてほしいという期待がまだあるからでしょう。
そのチャンスを逃さないように、こちらは積極的にご本人の話を聴きたいと思っているという態度を示し、その上で、どういうところが気に入らないのか、という点について話題にされていくのがよいのではないでしょうか。
こうした会話について、ご両親はついつい受け身になりがちですが、むしろ会話の機会は、こちらから積極的に設けるべきでしょう。
ご本人から話しかけられたときだけではなく、ご両親からも積極的に話しかけ、長い対話の機会に誘い込んでいくことです。
このほか、ご家族間のコミュニケーションには、ご家族自身にも気づきにくい癖のようなものがあります。
こうした癖がご本人を不愉快にさせている場合も考えられます。
ご両親が協力しあって、お互いの癖を指摘しあいながら(もちろん夫婦喧嘩にならないように)、ご本人の言葉を十分に聴き取れるよう努力していただきたいと思います。
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「謝れ」と言われたら
現在24歳の息子は、中学生のときに不登校になり、そのままひきこもり続けています。
「あのとき、転校させてくれなかったからだ」と両親を責め、「謝れ」と要求しますが、このような場合は、応じたほうがいいのでしょうか。
恨みがこうじて謝罪や賠償を要求してくることはよくありますが、私がこれまで見てきたケースでは、このような要求は、「自分の気持ちをわかってほしい」という訴えに十分にとりあわないご家族に対して向けられることが多いようです。
ご自分の訴えをご家族に伝えるための強烈な手段としての、謝罪の要求なのです。
前の項目でも述べたとおり、本質的な解決策としては、やはりご本人の訴えを十分納得がいくまで聴き取るほかはありません。
金銭的な要求は断ってかまいませんが、謝罪の要求については、ある程度応じておいたほうがよいでしょう。
ただし、あまりあっさりと謝罪の言葉を連発しますと、それはそれで逆効果です。
謝罪の大安売りになってしまっては、ご本人もそれに飽き足らず、さらなる要求にエスカレートしてしまう可能性があるからです。
できる限り言葉の重みを保つためにも、謝罪の言葉は節約したほうがよいでしょう。
「謝れ」と要求されても、まずは「何がそんなに辛かったのか」「親のどんなところがいけなかったか」「本当はどうしてほしかったのか」といった質問を返しつつ、できるだけ具体的にご本人の不満と怒りを聞き出していただきたいと思います。
そうした話を十分に時間をかけて聴いた後に、ようやく「申し訳なかった」と言うほうが、ずっと満足度が高いと思います。
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ひきこもり青年にどうしたらいいかのアドバイス
夜の叫びにどのように対応したらいいか、声をかけると暴れる
夜中に部屋でよく「ウォー」と叫んでいます。
どうしたのか尋ねても無言です。
どう理解し、対応したらいいのでしょうか?
声をかけるだけで部屋で暴れるが、それでも声掛けを続けるほうがよいのでしょうか?
過去の失敗や悔しい思いなどが、こうした夜中の叫びになることはよくあります。
ご本人が非常に苦しんでいるサインとしてまず理解すべきでしょう。
すぐにやめさせようとするのではなく、まず翌日、「昨日はうなされていたようだけど、どうしたの?」と尋ねてみてください。
ご本人からの直接の答えはなくとも、なんらかの関心を向けられたというだけで、安心する場合があります。
声掛けで暴れるケースについても、その暴力がコミュニケーションの糸口になりえないか、まず考えていただきたいのです。
こうした攻撃性や暴力でさえも、まったくの無視や没交渉よりはましであるとも考えられます。
たしかに声掛けをしなければ穏やかに過ごせるでしょうし、ご家族もその間は平和な状態が続くかもしれません。
ただし、治療的な変化もそこでストップしてしまいます。
もちろん、ごく初期の段階なら、そっとしておくことにも意味があります。
しかし、慢性化した「ひきこもり」を抱えているご本人を、このようなかたちで「放置」することはあまりにも危険です。
まず、なぜかならず暴れるのか、その理由から推測してみていただきたいと思います。
ひょっとしたらご両親の対応に、なんらかの問題がないとも限りません。
この章で述べてきたさまざまな注意事項について、十分に配慮して対応されているか、まずこの点から慎重にご検討いただきたいと思います。
まったく思い当たることがなければ、あとはひたすら部屋の外からの声掛けを続けていただくことです。
暴力が次第におさまるようでしたら会話の糸口が開かれる可能性があります。
逆にエスカレートするような場合は、いったん声掛けは中止したほうがいい場合もあります。
もしそういう事態になった場合は、もはや一般論では対応することができません。
治療者や支援スタッフと連携しつつ、ご家族間の関係性の見直しや、第三者による介入の可能性、どのタイミングなどを含めて、ケースバイケースで対策を練っていただきたいと思います。
「このままでいいのだろうか」と息子に聞かれた
息子が不登校になって二ヵ月が経ち、最近息子とのコミュニケーションがとれるようになりましたが、「僕はこのままでいいのだろうか」と質問されて返事ができませんでした。
このような場合、なんと答えたらよいのでしょうか?
本当は、こういう質問に対してマニュアル的に答えることは良くないのです。
もちろんご本人には、安心させてほしいという思いがあります。
しかし同時に、ご両親の本音はどうなんだ、という疑問もあるわけです。
ですから、こういう質問をぶつけられて、うろたえたり沈黙したりするほうが自然な反応ですし、そこから有意義なやりとりに発展していく可能性もあります。
ただ、親御さんのほうに余裕がないときは「このままで良いわけがない」「学校に行かないなら就職しろ」などといった、厳し過ぎる答えが飛び出すこともある。
それはあまりにも危険すぎます。
これらの「本音」は、ご本人を深く傷つけ、親御さんへの不信感を決定的なものにしてしまうからです。
ですから、とりあえず言っていただきたいことを記しておきます。
もちろん「このままでいいと思う」という回答も悪くはありません。
ただ、不登校からひきこもりへと長期化した場合に「親が『このままでいい』と言ったからだ」と非難される場合もありえます。
また、本当にこのままで良いわけがないことはご本人もわかっていますから、こうした回答に白々しさを感じる場合もあるでしょう。
ではどう答えるか。
「あなたが自分で良いと判断したことなら、親はそれを全面的に支持する」という答えのほうをお勧めしたいと思います。
つまり「現在の状態」ではなくて、「ご本人の判断」のほうを肯定するということです。
そうすることで、ご本人は全面的に承認されたという安堵感と同時に、自分の状態に対して一定の自己責任を負わされたことに気づくことができるでしょう。