争わない心理的距離で相手への不満や不信を解決する
心理的距離を自分の問題として捉えることをしてみる
心理的距離について、ある男性はこんな悩みを抱えていました。
『親友が新規事業を立ち上げたので、私も誘われて彼の会社に入社しました。
最初は、私がこれまでやっていた分野だけをすればいいという話だったのですが、蓋を開けてみると、まったく未知の分野の知識が必要だったり、雑用も私がこなさなければならない状態でした。
仕事のやり方にも、少し不満があります。
この前は、立場としては同じ権限なので、宣伝費や経費も折半してくれと言われました。
確かに共同経営の地位は与えられているのですが、実質的なオーナーは、親友です。
形ばかりの共同経営なので、これから一緒にやっていっていいものかどうか、悩んでいます』
それに対して、自分はどのようにしたか
もしあなたが、回答者だったら、こんな質問に、どう答えますか。
多分、どこから話をしていっていいか、わからないのではないでしょうか。
それはあまりにも、話が”大雑把”だからです。
しかもこの文章の中には、「自分がどうしたか」が述べられていません。
「未知の分野の知識」に対して、自分はどうしたか。
「雑用」に対して、自分はどうしたか。
「宣伝費」について、自分はどうしたか。
「経費」について、自分はどうしたか。
「仕事のやり方への不満」について、自分はどうしたか。
「形ばかりの共同経営者としての権限」について、自分はどうしたか。
起こったことに対しては、「自分がそれに対して、どうしたか」を具体的に知る必要があるでしょう。
さらに重要なのは「その結果、どうなったか」です。
「それに対して、自分がどうしたか」そして、「その結果、どうなったのか。それが成功したのか。失敗したのか」
こんな見方ができて初めて、その問題の対処方法が、具体的に見えてくるのです。
たとえば、「仕事のやり方への不満」という問題があります。
まだ、これだけでは、何が起こっているのかわかりません。
自分の対応方法が適切かどうかもわかりません。
仕事のやり方への不満がある。具体的には
具体的な一場面は、こうでした。
彼が私に「ちょっと来て」と、指で手招きして言いました。
私は、いまやっている作業を中断して、彼のデスクに向かいました。
彼は、書類を見せて、「このように変更したから」と、一方的に言ってきました。
それを手渡されて席に戻ったとき、自分は、不快な気分になっていました。
この場面だけでも、多くの情報が隠れています。
このとき私が不快になったのは、どうしてでしょうか。
それは、「いまやっている作業を中断させられた」からでしょうか。
それは、「内容が変更された」からでしょうか。
あるいは、「変更した内容に不満があった」からでしょうか。
あるいは、「彼が変更することを、事前に伝えて、私に了解を得なかった」からでしょうか。
それとも”私”は、すでにそれ以前も、「彼が一方的に言ってきた」その言い方が気に障っていたのでしょうか。
”私”が自分の心理的距離感覚を感じていれば、さらにそれ以前に「彼が私を指で手招きした」ときから、「不快な心理的距離感覚」を感じていたのかもしれません。
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なるべく具体的な事実にフォーカス
あなたが職場で「黙って従う」パターンになっていたら、それに対して「私がどうするか」です。
あなたがそのパターンを、自分の問題として改善したいと願うならば、すべての場面においてうまくいくようにと、自分にプレッシャーをかける必要はありません。
その中の一つだけでいいのです。
しかもそれは、あなたが「楽に挑戦できるもの」から始めましょう。
一つできれば、それが、自信につながるからです。
あなたが一つの場面だけでも対応を変えると、相手もそれに気付きます。
仮に鈍感な相手であっても、「あれ?」という感覚を覚えるでしょう。
それだけでも、あなたの対応の違いが、無意識に、相手の中に情報としてインプットされて、変わるきっかけを与えるのです。
この例で言うと、あなたが最も不快だったのは、「彼が私に了解や確認を取らずに、勝手に変更した」ことだったと気づきました。
さらに、焦点を絞ると、それは「勝手に変更した」という点です。
あなたは、これに対して、主張しようと決めました。
もちろん、「相手が自分を無視した態度をとったので傷ついた」のも事実ですが、そうした漠然とした内容よりも、まずは”具体的な事実”についてのほうが、主張しやすいからです。
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主張というより表現する
主張するときも「自分の主張を、何が何でも通す」という発想はしません。
「結果を目標にする」よりも、自分が「どんな気持ちで表現するか」に焦点を当てます。
「私の気持ちが楽になるために、表現する」
「私の心を解放するために、表現する」
表現しているときも、「できるだけ、気持ちよい響きで表現する」を目指します。
だから、「自己主張」というよりは、「自分表現」と呼んでいます。
こんな「気持ちよさ」を基準にするのは、それが、自分と相手との「心理的距離感覚」とも関連してくるからです。
●争わずに「自分表現」してみる
- 相手との「具体的なやりとり」をピックアップ
- その中から「私の不快なパターン」を特定
- 相手に「言いやすい事柄を一つだけ」選ぶ
- 責め口調ではなく穏やかに伝える
無理に主張を通そうとすれば、苛立ちながら責め口調で相手に立ち向かうことになるでしょう。
そうではなく、最も重要なポイントを具体的に相手に伝えるだけでいいのです。
それは、たとえばこんな言い方です。
「言いたいのは、僕が担当している案件の内容が変更されていたからでも、変更した内容に不満があるからでもないんだ。
君が、変更するときに、僕に一言、伝えてくれなかったことなんだよ。
先方との関係もあるんだから、僕が知らなかったじゃ、問題が起きたとき、対処できないだろう。
今度から、僕の担当案件を扱うときは、ちゃんと僕に確認を取ってくれるように頼むよ」
あなたが、こんな言い方をしたら、どんな気持ちになるでしょうか。
自己完結の言い方をすると、「言って終わり」になります。
表現することで完結するので、その瞬間、あなたは「言い終えた」という満足感を覚えるでしょう。
結果の有無よりも、「自分表現できた」満足感で満たされるでしょう。
と同時に、相手との距離感覚では、”相手へのこだわりが切れる感覚”を覚えるでしょう。
あなたを煩わせていた問題が、あなたの頭の中から、瞬時に消滅する感覚です。
しかも、それを聞いた相手としては、どうでしょうか。
「悪かった、これからは、ちゃんと確認を取ろう」という気持ちにもなるでしょう。
このように、結果にこだわった”何が何でもの主張”よりも”私の満足度が高い表現”ほど、結果として「相手の心にも響く」のです。
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心理的距離が近く、争いが起こりそうなら一旦中断する
感情的な勝ち負けに持ち込むことはしない
ただ、「争ってでも」という意気込みで臨むと、どうでしょうか。
よほど自分を鼓舞しないと、尻込みしたくなるでしょう。
たとえばあなたが話している途中で、相手が怒鳴り始めました。
「うるさいんだよ、君は。その話は、もう、この前終わったことじゃないか」
「それじゃあ、僕が、納得できないんだよ」
と、あなたは相手の前に立ちふさがりました。
「お前が納得しようがしまいが、俺とは関係ないよ。忙しいんだから、そんな話、聞いている暇なんてないよ。どいてくれ。」
などともみ合っていけば、争いが勃発するでしょう。
「言うと争いになる」と思うと、言うのが怖くなります。
争いになるのを恐れて我慢すれば、ネガティブな感情が深くなっていくでしょう。
このように、「争ってでも」という気持ちでいると、二人の距離間隔は、いつも相手のことが頭から離れないという”抱き合った状態”になるのです。
少しずつ、継続的に伝えていく
では、これはどうでしょうか。
相手が怒鳴って言いました。
「うるさいんだよ、君は。その話は、もう、この前終わったことじゃないか」
「そうか。わかった。君と言い争いするつもりはないから、また、後日の話し合いたいと思う」
と、言って引き下がったらどうでしょうか。
もちろん、それは「諦める」ということではありません。
「私は意志を持って、この問題を解決するまで続けよう」と決断しているからこそ、降りることができるのです。
さらに相手が感情的になりそうになったら、”いったん安全地帯に非難できる”からこそ、「また、話をしよう」「解決するまで、何度でも言っていこう」という気持ちになれるのです。
このように「争ってでも」よりも、「静かなる決意」のほうが、争わないで済むために、何度でも継続的に働きかけることができるのです。
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危ないなと感じたら避難をする
「継続できるというのは、頭ではわかります。
でも、ケンカしているときは、負けたくないので、争いをやめるなんて、できっこないですよ」
相手の感情に反応して、勝ち負けを争っていけば、そうでしょう。
こんなときは、「相手を見る」のではなく、自分の心理的距離感覚を感じて、それを目安にするのです。
相手の感情に振り回されるのではなく、自分を感じると、
「私自身が、これ以上、相手と話をしていると、きつくなってしまう」
「話をしながら、私自身の中に、ほのかに否定的な感情が湧き始めている」
こんな”心理的距離感覚”を感じたときは、相手にもっと突入していくことではなくて、「そろそろ潮時だぞ」というサインの警報が鳴り始めていると解釈するのです。
この警報に従ってあなたが、いったん避難することができれば、あなたは「自分を守る」ことができます。
自分を「傷つけない」で済みます。
むしろあなたが、そうやって「そろそろ潮時だ」感覚を優先して、自分から能動的にやめることができれば、あなたは、その瞬間、これまで味わったことのない無上の「自尊心」や「万能感」に満たされるに違いありません。
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攻撃をされた。さあ、どのようにする
たとえば職場で、上司からあなたはこんなふうに言われました。
「あのデータはどうした。なんだ、まだ揃えていなかったのか。今日、必要だと言っておいたじゃないか。どうして、前もって準備しておかなかったんだ。ちゃんと時間はあっただろう!」
あなたが自分の心理的距離感覚を基準にすると、上司から攻撃されているように感じるでしょう。
あなたがそれに反応して、ネガティブな言動をとっていけば、相手との距離はさらに縮まっていきます。
このときはもう、あなたは「相手をどうにかしなければならない」モードに陥っています。
上司もあなたに要求していますが、あなたも上司に要求している状態です。
これが高じれば、その上司が「目の上のたんこぶ」になって、あなたの悩みは深くなるでしょう。
上司の立場から見ると、上司はこんな形であなたと縁を結びたがっています。
なぜなら、上司はそうやって「相手を責める」という方法でしか、人と関わることができないからです。
あなたがそれに反応すると、上司は別格扱いで、あなたとの距離をどんどん縮めてくるでしょう。
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自分がやるべきことに意識を集中する
このときあなたが、相手との心理的距離を縮めたくなければ、行動するしかありません。
重要なのは、相手にそれを要求するのではなく、「あなた自身が、どう決断し、どう行動するか」です。
まずあなたは、上司の態度に、「居心地の悪い心理的距離感覚」を感じます。
これは、自分を守るために、「そんな相手とは縁を結ばないほうが安全だぞ」というシグナルと捉えますす。
それを無視して縁を結ぶと、「傷つけ合う関係」になっていくでしょう。
まずこの問題の、「具体的なテーマ」は何でしょうか。
それは、「データを揃えるかどうか」ですね。
もちろん、データを揃えていなかったのは、あなたのミスです。
これに対しては、あなたの責任です。
言い方を換えれば、あなたの責任は「これだけ」です。
上司の言葉やその表情や態度を丸呑みすれば、あなたは「取り返しのつかない重大なミスを犯してしまった、とんでもない極悪人」のように感じてしまうでしょう。
でも、事実だけを見れば、そうでないのは一目瞭然です。
あなたがそれを認識できるかどうかが、重要です。
相手の勢いは、そんな方法で、あなたとの心理的距離を縮めようとしているだけなのです。
相手との悪縁がプチンと切れる
あなたにとっての責任は「データを揃える」。これだけです。
文字でこの感覚を表現するのは多少困難ですが、あなたが「データを揃える」という客観的事実だけに焦点を当てると、上司との心理的距離が”遠くなる感覚”を感じることができるでしょうか。
この”遠くなる感覚”を実感することは大切です。
もう一度、あなたが上司の感情に反応していけば、上司との心理的距離は縮まります。
あなたの目に「データを揃える」だけが映っていれば、上司との心理的距離は遠くなります。
この両者の感覚の違いを実感してみてください。
もしこれが実感できなければ、何度でも、その状況をイメージして、その実感がわかるようにレッスンしてください。
これも小さな行動の一つです。
けれども、この行動の成果は、とても大きいでしょう。
あなたが上司との心理的距離間隔を”遠く感じている”とき、上司の目から見ると、あなたの態度や表情は穏やかです。
少なくとも、上司を否定している態度や表情にはなっていません。
ここで、あなたと上司との縁がプツンと切れるのです。
というふうに、コミュニケーションの大半が、”感情で交流し合って”います。
だからあなたが相手の感情に反応しなければ、相手との心理的距離間隔が遠くなっていくのです。
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心理的距離が近く、一触即発の相手にはここだけ主張しよう
人間関係が良くない職場では
ある保育園での出来事です。
彼女は上司に、「子どもたちが絨毯に乗って遊ばないように見張っていて」と言われました。
彼女は、丸太のように積まれている絨毯の山を見て、直感的に「崩れてしまったら、危ない!」と思いました。
そこで上司に、「あそこの安全な場所に移動させてもいいでしょうか」と尋ねました。
けれども上司は、「でも、園長に、見張っているようにと言われたので」と、なかなか首を縦に振りません。
「じゃあ、園長に許可をもらってきていただけませんか」
と頼んでも、上司は「園長に、見張っているように言われた」の一点張りです。
ちょうどそのとき、園長がやってきました。
彼女は上司を無視して、園長に事情を話しました。
園長は、即座に絨毯を移すように彼女たちに命じて「園児の安全」は確保されたのですが、彼女は上司の面子も潰してしまいました。
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お互いの責任よりも争うことが目的に
なぜ上司は、こんなふうに頑なな態度をとったのでしょうか。
それは、彼女に対して、上司が否定的な気持ちを抱いているからです。
上司の目に映っていたのは「園児の安全」よりも「彼女との戦い」でした。
そして結果的に、彼女のとった行動は、いっそう上司の反感を煽ることになってしまいました。
こんなとき、彼女はどんな態度や行動が望ましかったのでしょうか。
未来を予測すれば、園児たちが絨毯の山で遊び、事故が起こる可能性があります。
このとき「園児の安全」を訴えながらも、やはり彼女もまた、上司に対抗意識を燃やしていたはずです。
だから上司は素直に「そうだね。危ないから、園長に聞いてくるわ」と言わなかったのです。
相手と心理的距離が近いと、こんなふうに事故が起こる可能性を前にしてもなお、つい目が曇り「争い合う」を目標としてしまうのです。
では、彼女が上司との心理的距離間隔を離すには、どうしたらいいのでしょうか。
そして、彼女が上司に働きかけることで「園児の安全」を確保する方法はないものでしょうか。
その鍵になるのが、お互いの責任の所在です。
責任の範囲をこんな発言で確認
彼女の立場で言えば、彼女の責任は「園児たちを見張る」ということです。
彼女がこのとき、「自分の責任を果たす」だけに照準を当てれば、実は、言うことも、方程式のように決まってきます。
「子どもは、どんなに遊ぶなと言っても、遊びます」
実際に、見張っていて追いかければ追いかけるほど、子供は鬼ごっこ気分で逃げ回るでしょう。
「だから私は、あそこの安全な場所に移動させたほうがいいと思います。
もし、どうしてもここで見張っていろとおっしゃるのなら、そうします。
けれども、いま、私は、こうやって、事故の危険性を指摘させていただきました。
納得もしていません。
もし園児たちに事故が起こったとしたら、先生(上司)が責任をとっていただけますね」
これは、万が一のときのために、あいまいになっている彼女と上司の間の「責任の所在をはっきりさせておく」のが目的です。
彼女はそこに焦点を絞って上司に伝えれば、それでいいのです。
争うよりも、自分の責任を果たす。
上司の責任まで請け負わない。
そして、自分を守るために「自分表現」する。
自分の責任になる恐れがあれば、たいがいの人は慌てて動くでしょう。
だから彼女は、自分を守るために「私の責任は私が果たし」、上司の責任は、上司に返すだけでいいのです。
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とても自己中心的な相手とは心理的距離を離すと楽になる
憧れの人だけれど、一緒にいると苦しい
世には自由奔放に生きているバイタリティ溢れるある人がいます。
我慢している人たちにとっては、そういう人が「悪のヒーロー」や「悪女」のように、憧れの対象に見えるかもしれません。
けれども、そういう人は、実は相手のことをまったく感じられず、誰とも満たされた関係を築けない自己中心的な人と言ってもいいでしょう。
そんな人と日常生活を送るとしたら、
「ねえ、天気がいいから(一緒に)出かけたいね」
「俺、したいことがあるから、(独りで)行ってきなよ」
といった「相手との心理的距離間隔が”無いに等しい”会話」になるでしょう。
「この前、君が欲しいと言っていたから、買って来たけど」
「あ、もう、いらない」
などと、とりつく島もないでしょう。
相手はあなたに対して、「あなたが自分の細胞の一部」でもあるかのように無頓着であるために、あなたは、「いつも話がかみ合いません。全然、話を聞いてくれません。もう、まったく話が通じないんです」
といった、虚しさや寂しさを味わうことになるでしょう。
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つい、相手にしてしまうことを減らす
でもそんなやり方が通用するのは、あなたが、そんな人の望む通りに動いてあげているからです。
あなたが、そんな相手の手を引いてあげたり、責任の肩代わりをしてあげたりしているのです。
相手は、自分では、自立して自由にやっているつもりでいます。
あなたに手を引いてもらっているという自覚などありません。
自分が守っているつもりでいる人もいます。
だからあなたが、これまで無自覚に引き受けていたことを、たとえば、車で言われるままに送迎すること。
備品を、言われなくても揃えておくこと。
相手のものを片付けてあげること。
自分が出かけるときに、相手に不自由をかけないために、慌ただしく準備する。
といった「相手の快適さのために、自分がして”あげている”こと」を、少しずつでも減らしていくことです。
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離れて初めて「大切な人」だと気づく
もしそうやって、あなたが相手の手を離し始めると、相手は無意識に、また元の鞘に戻そうとして、不機嫌になったり、感情的になったり、暴力的になったり、迷惑行為をしたりして、あなたに面倒をかけるかもしれません。
もし、そういうことがあったとしても、あなたが決めたことは、「崩さない姿勢」が重要です。
そうやって、相手が「自分の責任は、自分で取る」ことを自覚したとき初めて、相手は、「あなたが大事な人」だと気づくでしょう。
それでもまだ、相手は、ほんの束の間しおらしくなったり、ほんの一時あなたを大事にしようと考えられるぐらいかもしれません。
あなたが、相手にとって「細胞の一部」ではなく、「心地よい心理的距離感覚」で付き合える関係になるには、さらにやさしさと根気が必要です。
たとえば、あなたのほうから、「天気がいいから、私はあなたと一緒に、散歩したいんだ」と働きかけたり、「これをまとめるのが大変だから、手伝ってくれないかなあ」「いま、時間がないから、この箇所だけ、お願いしたいんだ」などと、自分のほうから頼んだり、協力を求めることです。
あなたがこんな能動的な関わり方を実践することで、相手も少しずつ、ポジティブな気持ちを実感するでしょう。
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