私たちはいろいろな「ねばならない」「すべき」という意識にとらわれており、そのために、人間関係が硬直化し、余計なストレスを体験することになります。
たとえば、「何事もまじめに取り組まなければならない」という思いが強すぎると、意義を感じられないことでも手を抜くことができず、徒労感に苦しめられます。
「上手にやらなければならない」という思いが強すぎると、失敗がひどく恐ろしいことに感じられます。
「自分のことは自分ですべき」という思いが強すぎると、他の人に手伝ってもらうことに大きな心理的負担を感じてしまいます。
「ねばならない」を徹底すると、その行き着く先は完璧主義です。
でも、完璧になどできるはずがありません。
そのために、なにをやっても不全感にとらわれ、自己嫌悪に陥ってしまいます。
他の人の期待に応えられないと、「だめな人」になってしまうわけではありません。
他の人はあなたに完璧など期待してはいません。
他の人にとって、あなたが成功しようと失敗しようと、あなたはあなたなのです。
自分の「ねばならない」意識が、自分を苦しめているのです。
「ねばならない」の呪縛を解くと、気持ちが軽くなり、人間関係も楽になります。
「ねばならない」意識は周囲の人にも迷惑
「ねばならない」という思い込みは、周囲の人にもストレスを引き起こします。
「こうしなければならない」という思い込みがあると、それを他の人にも知らず知らずのうちに求めてしまうからです。
たとえば、「がんばるべき」という信念でがんばっている人は、他の人に対して「あなたもがんばるべきだ」というメッセージを含んだ行動をとってしまいがちです。
時間厳守に過度にこだわる人は、遅れた人につい冷たい視線を向けてしまいます。
こうしたことで、相手の人は非難されているとか、強制されていると感じて、反感を持ちます。
それはちょうど、周囲の車に迷惑なのに法定速度よりずっと遅いスピードでのろのろと走っている車のようなものです。
法定速度を守っている本人は満足でも、それにつきあわされる周囲の運転者はイライラします。
自分の「ねばならない」という思い込みを、他の人に押しつけていないでしょうか。
もし、押しつけることがあるなら、あなたは振り回される人であるだけでなく、周囲を振りまわす人でもあるのです。
ルールの厳守とか、正当性の主張などにかたくなになるのではなく、TPOにより柔軟に対応することです。
「自分とは別な人」と確認すること
言うまでもなく、他の人は自分とは別な人です。
他の人は自分ではないのだから、自分の期待通りに行動しないのは当たり前です。
この人にはこの人のやり方があり、あの人にはあの人のやり方があるのです。
それを当然と受け入れることです。
他の人の相談に乗る場合でも、治療としてのカウンセリングにおいても、この視点が大事です。
自分の価値観を強制するのではなく、相談する人の価値観の延長線上にある生き方を援助する姿勢が基礎になるのです。
セールスをする場合でも、相手に自分の願望を重ね合わせてしまい「相手は断るべきでない」と思い込んでいるから、断られると怒りが湧くのです。
「相手は自分とは別な人」と確認すれば、「当然断られることもあるさ」と受け止められるので、断られて残念とは思いますが、怒りにはなりません。
「相手は別な人」なのであり、自分の欲求で相手を見ないことです。
自分の期待通りに行動しないのは当たり前だと思うことです。
「すべきだ」でなく、「だといいな」と考え<考える
そうはいっても、自分の思うように行動して欲しいと、どうしても期待してしまいます。
このときに、「相手は〇〇すべきだ」ではなく、「〇〇だといいな」と考えるようにすることです。
そうすれば、期待したとおりにやってくれたとき、「うれしいな」という気持ちになり、感謝することができます。
たとえば、自分は会社で働いているのだから「妻は食事を作って待っているべきだ」と思っている夫は、食事ができていても「当たり前」としか受け止めません。
これに対し、「食事を作ってくれているといいな」と思っていると、食事ができていれば嬉しくなり、自然に「ありがとう」という言葉が出ます。
「夫はもっと家事を分担すべきだ」と考えている妻は、夫がなにかしてくれても「当たり前」だと思います。
「もっと分担してくれるといいな」と思っていれば、ちょっとでも分担してくれたことに感謝できます。
たとえ、分担してくれなくても、怒りの感情や恨む気持ちにはなりません。
「ねばならない」と肩肘張った気持ちよりも、「だといいな」くらいの気持ちでいる方が、ずっと心穏やかに生活できます。
●まとめ
「ねばならない」の呪縛を解こう。
そのために、「完璧などありえない」「他の人は別な人」であることを確認しよう。
「ねばならない」と思ったら、「だといいな」という言葉に置き換えよう。