男子より低い自己価値感
男女の自己価値感を比較すると、小学校ぐらいまではあまり差がありません。
しかし、中学くらいから女性の自己価値感が目に見えて低下する傾向があります。
このことは自信について直接質問した研究でも、自己評価を取り上げた研究でも、自己肯定感や自尊感情を取り上げた研究でも、ほぼ一貫して認められます。
優秀な女子でも、女子であるがゆえに、自己価値感の低下を免れ得ないという点について、イリノイ州の優秀な高校卒業生の追跡調査で見てみましょう。
彼らのうちで、自分の知性を「平均よりはるかに上」と評価した者は、高校卒業時には男子23%、女子21%でしたが、大学卒業時にはこの比率は男子25%、女子では0%になったということです。
女子のこうした自信のなさや複雑で屈折した心理を、フロイトは女児が自分の身体に気づくことから生じると考えました。
有名な男根羨望説です。
つまり、女児は、男児の身体に付いている物が自分にはないことに気がつきます。
そして、自分は去勢されてしまったのではないか、大事なものが自分から奪われてしまったのではないか、と不安になり、無意識のうちに男根を羨望するというのです。
これにより、女性の自信のなさや屈折した心理が形成されるというのです。
これに対し、女性の精神分析学者であるホーナイは、女性には子どもを宿す器官があるのであり、失われた器官にこだわるよりも、男児にはない器官に自信を持つことだってあるではないかと指摘し、男根羨望説に反論します。
たしかに少なくない男児が子どもを産みたいという願望を持つ時期があり、ホーナイの説に首肯できる人のほうが多いのではないでしょうか。
さらに、心と身体と社会とを有機的にとらえようとしたエリクソンは、内的空間論として女性の心理を考察しています。
男女の身体の違いが、男女の行動様式や意識の違いを生む源だというのです。
すなわち、女性の身体は、男性の身体を受け入れることで満たされる構造をしており、このために、自然に待ち受ける意識と行動が導かれます。
能動性といっても、せいぜい相手を魅惑するという程度です。
これに対し、男性の身体は、女性に侵入する構造をなしています。
このために、男性の意識や行動は能動的、攻撃的になるというのです。
そして、こうした行動様式や意識の違いに文化的な要因が重なってくると考えるのです。
しかし、自己価値感には、そうした器官の違いによるよりも、社会的な要因が大きく関係していると考えられます。
それは、女性について求められる社会規範です。
女性は、控えめで、自分のことを優先するよりも、自分を無にして男性にかしずくことを求められます。
男性に安心を与え、慰撫を与え、自尊心を与えることが求められます。
男の子は、母親から世話をしてもらうことによって、男としての自己価値感の基礎が与えられます。
女の子の場合には、世話をする母と自分とを同一化せざるをえません。
このために、母親から世話を受けることが、男子のように単純に自己価値感を強めるものとはならないのです。
女性にとって身体はイライラの対象
また、子どもは家庭で母親と父親の関係を見ており、女は男と同じように社会で活躍することはできないのだ、ということを知ります。
そして実際、それを裏付けるかのような出来事に遭遇します。
生理です。
月ごとに気分の落ち込みや身体の変調がもたらされます。
生理はそれだけで、女性の自己価値感に否定的な影響を与えている可能性があります。
確実に訪れる自分ではコントロールできない出血。
自分で自分の身体を統制できない無力感。
ある女子学生は、「自分の身体は」という言葉に自由に続きを書くことを求められて、「たえず管理しなければならないやっかいなもの」と書いています。
別な女子学生は、「イライラの対象」と書きました。
こうしたことが男性と同等にやっていく意欲を少なからず挫く作用をするのです。
男性の場合には、努力して能力を高めることに無条件の価値が置かれますが、女性の場合には、有能であることが男性の自尊心や慰撫の邪魔物になってしまいます。
このために女性は、ある年齢になると、自分が有能であることに疑惑を持つ傾向があります。
この点について、アメリカ人女性の心理学者ホーナーは、女性が成功することに恐怖心を持つことを指摘し、これを「成功恐怖」と命名しています。
こうしたことのために、女性は、有能でもストレートに自信につながらず、ましてや全体的な自己価値感に拡大しません。
そのために、非主張的で、リーダーとしての位置を避けがちになり、さらに、公的場面でたとえそのような役割を果たしていても、私的場面や秘められた場面では「女」になることが少なくないのです。
高校で生徒会長も務めた優秀な女子学生でさえ、つきあっている男子生徒には、試験の成績が自分のほうが高かったと言えず、いつも相手よりも低かったと嘘をついていたといいます。
女性の容貌と自己価値感
男性の場合は、能力を高めることが評価され、その能力は努力により獲得できます。
これに対し、女性の場合には容貌やスタイルが重視され、その容貌やスタイルは、努力で補える余地があまりありません。
このために、女性においては、容貌が自己価値感と大いに関係することになります。
女性を労働力として必要とした時代には、容貌上の不利は、「働き者」という誉め言葉で代償されました。
新生児の死亡率が高かった時代には、妊娠しやすいとか、元気な子どもを産むとか、お乳の出が良いなど、身体の機能で代替されました。
現在、女性がそうした美点で讃えられることはほとんどありません。
見た目だけが異常に重視され、出産に適さないほどの痩身が讃えられ、乳房も大きさだけが讃えられます。
このことは男性の意識のなかだけのものではありません。
じっさい美醜によって、女性の世界には大きな差異がもたらされます。
可愛い女の子は、より多く注目され、より多くの笑顔を向けられ、より多くの好意的場面を提供されます。
裁判でさえ、美醜が影響してしまう可能性があります。
実験によれば、同じ犯罪を犯した場合、被告が美人の場合にはそうでない場合よりも刑が軽くなってしまう、という結果が得られているのです。
もっとも、女性の武器を利用した犯罪の場合には、美人のほうが刑が重くなってしまうのですが。
美容整形をした人は、自分が美しくなったとたんに男性の扱いが変わった、と言います。
男性に限らず、同性である女性の接し方も変わります。
美人には媚びるか、羨望と嫉妬の目を向けます。
こうしたことから、美容整形がある程度自己価値感を高めるのは確かなようです。
しかし、本当の自己価値感には、他者の目に左右されない自己満足が必要です。
ですから、自分の内実を外見に左右されない超越心を持たないと、いつまでも自分に残る欠点に振り回され、何度も美容整形手術を繰り返してしまうということになります。
女性は、他の人から見られる自分に価値を置いてしまっています。
化粧室では、必ず鏡で自分をチェックします。
それは、いつでも自分に価値を置いてしまっています。
化粧室では、必ず鏡で自分をチェックします。
それは、いつでも自分に修繕が必要だと思っているかのようです。
若い女性は、健康のためではなく、美容のためにやせた身体を求めます。
ボディ・イメージの研究によれば、女性は実際よりも自分が太っていると思い込んでいます。
また、実際に男性が好む体型よりも、はるかにやせた体型を男性は好むものだ、と思い込んでいます。
拒食症の人は、病的なほどやせすぎの体型を、なお太りすぎと思っています。
こうしたことのために、女性の大部分は、自分の身体への慢性的な否定感のなかにいるといえます。
女性に非現実的な清純さを求める男性中心社会も、女性に無価値感覚をもたらす可能性があります。
女性の身体は、男性を興奮させ、男性を満足させるほど価値があるとされています。
しかし、当の女性が性欲を持つことは期待されていません。
むしろ、性欲がないことが清純さとして讃えられます。
せいぜい男性によって性欲を刺激され、男性に屈服してしまうという姿が好まれます。
しかし、思春期の性ホルモンの分泌により、若い女子にも性的欲求が高まります。
女の子は、自分のなかのそうした自然な肉欲を意識するだけで、自分が恥ずかしい存在であるかのように感じなければならないのです。
見目麗しい女性は、それだけで幸福な人生を得る有利な位置にいます。
この事実を認識し、受け入れることは、それまでがんばってきた女の子には大きな落胆になります。
とりわけ、自己無価値感を埋めるために勉強でがんばってきた子には、破滅的な事態になることがあります。
これまで努力により作ってきた自己価値が、まったく無意味であったかのように感じられてしまうからです。
大部分の女の子は、生まれつきの容貌とがんばりとを心のなかで折り合わせ、男子ともっぱら競り合うよりも、男子に好まれる女性になろうと生き方の舵をきります。
すなわち、自分の女性性を受け入れます。
ところが、こうした女性性を受容できず、中性的なままにとどまろうとする女子がいます。
そうした女の子は、それまで以上に勉強において過度の努力にこだわります。
化粧や装飾品を拒否し、男の子を遠ざけるなど、自分の性的要素を拒絶する傾向を強めます。
大学で精神的問題に遭遇する女性には、このタイプが少なくありません。
逆に、勉強や運動などで自己価値感をもてなかった女の子は、思春期以降の身体的成熟により性的魅力に自信を持つようになることがあります。
そうした女の子のなかには、地道にがんばることとの調和がとれず、もっぱら身体的魅力に頼って自己価値感を得ようとする人がいます。
性的身体を強調する服装をし、異性との急性な性的接触に走ったり、異性を翻弄することで自己価値を感じたり、身体的魅力をお金に換えるなどの行動をとることもあります。
加齢とともに、女性の身体の価値は減少していきます。
そして、やがて、閉経として女性の重要な一面を失うという年齢に至ります。
この卵巣機能の一部終了は、ホルモンのバランスを失わせ、心身ともに不安定さをもたらします。
子どもが独立し、空の巣症候群と呼ばれる精神状態と重なることも少なくありません。
こうしたことで、この時期、無価値感に悩まされる女性も少なくありません。
もちろん男性も年とともに身体の美しさを失いますが、男性の場合、それまでに達成した社会的価値や内面の深みなどが評価基準とされます。
ロマンスグレーなどといわれ、年相応の老いた身体さえ、それなりに評価されることもあります。
そのために、年をとること自体がもたらす無価値感は、女性ほど強いものではありません。
それよりも、男性の場合には、リストラや定年など仕事上で用済みと認定されることのほうが自己価値感を揺るがす要因になります。