ひきこもり克服の遅れ
ずっと適切な対応を続けているにもかかわらず、なかなか思うように改善しない場合もあります。
また十分な社会復帰をめざすためには、家族の対応だけでは限界もあります。
このため最初の段階から、まず家族だけでも専門の治療機関に相談することが必要です。
ここで治療機関と称しているのは、ほぼ精神科医によるものに限られています。
それ以外の施設については、何ともいえません。
ただし、臨床心理士による外来カウンセリングと診療内科医による克服への試みについては、「有効なものもありうる」という、やや控えめな評価になります。
また、次の諸施設はあらかじめ有害なものとして除外されています。
すなわち、医師の関与しない民間収容施設、催眠療法、自己啓発セミナー、新興宗教その他のあらゆる民間療法などです。
ひきこもりのケースでは治療相談の開始が遅れがちです。
調査では、発症時年齢の平均が15.5歳であるにもかかわらず、初診時平均年齢が19.6歳でした。
つまり発症してから治療機関を訪れるまでに、平均4.1年を経過していることになります。
また発症時に学校などに所属のないものは2.5%に過ぎなかったのに、初診時点では既に45.0%のものが所属を失った状態にありました。
なぜこのように治療導入に時間がかかるのでしょうか。
この理由としてまず考えられるのは、このような無気力・ひきこもり状態がなかなか事例化しにくいことです。
統合失調症のように明らかな異常性を欠き、また本人の葛藤も正常な部分と病的な部分の境目があいまいであるため、すぐには治療意欲につながりにくい。
したがって当初は、周囲もしばしば「怠け」として対応し、また精神科外来においてすら「精神病ではないからほっておくように」あるいは「怠けているだけだから少し力仕事でもさせてみたら」といった応対をうけているのが現状です。
さらにひきこもり事例では、本人が初診時から来院する事例はごく稀です。
このため本人の治療意欲が出てくるのを待ちながら、まず家族だけでも定期的に相談に通うことが必要となります。
しかし現行の保険診療体制では(治療導入に不可欠であるにもかかわらず)両親のみの相談を長く継続することが困難です。
また中には、「本人が来なければ診療できない」と門前払いをくわせられる場合も少なくありません。
こうした事情が直接間接に病院の敷居を高いものにしています。
したがって、まずなされなければならないのは、思春期の事例を多く扱っており、両親のみの相談にも便宜をはかってくれる地元の病院を探すことです。
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ひきこもりの場合、精神科をいかに選ぶか
医療機関を選ぶ際には、いくつかのポイントがあります。
もっとも信頼できる治療機関は大学附属病院である、ということがよくいわれますが、これはあまり当てになりません。
ひきこもり治療に関して、現時点ではほとんどの大学付属病院精神科は、第一選択ではないと考えていいでしょう。
高名な教授、助教授のもと、優秀な医師が結集している場合という大学病院のイメージは、必ずしも誤りではありません。
しかし忘れてはならないのは、大学が研究・教育のための機関であるということです。
大学病院は高度な専門施設という安心感がありますから、たいていひどく混み合っています。
医師の側も押し寄せる患者を前にして、つい診療が簡略になったり、粗い診療になってしまいがちです。
また診療にはしばしば、学生や研修医が実習の名目で立ち会うことがあり、とりわけ思春期の事例にはこれが負担となりやすい。
もちろん見学を断ることもできますが、そこまではしない人が多いでしょう。
それでも大学の専門性には、それなりに利用価値があります。
検査の設備や紹介の態勢はきちんとしているところが多いので、初期チェックには有用です。
もし本人の状態が、単純なひきこもり状態とは言い切れないと感ずるようなら、まず大学病院から相談してみるのも悪くはないでしょう。
大学病院以外の、一般の精神科を探すにはどうすればよいか。
もっとも手っ取り早いのは、地元の保健所に相談してみることです。
保健所にもよりますが、ひきこもり事例への対応に関心を示すところも増えてきているので、それに向いた診療所などを紹介してくれるかもしれません。
書籍で調べる方法もあります。
図書館や書店には、こころに関する専門書があふれています。
なかには治療機関のガイドブックもあります。
その中でももっとも重宝しているのは、全国精神障碍者家族連合会の資料です。
この本には全国の良心的な精神病院、診療所などが、かなり網羅的に紹介されています。
資料で探す場合は、通院の便などからいくつかの治療機関をピックアップしておき、まず電話で問い合わせてみることです。
そのさい「思春期事例は扱っているか」「当面は本人がいけないが、両親のみでも構わないか」という二点を確認しておきます。
個人的には、開設したての個人診療所やクリニックがお勧めです。
このところ若手の精神科医が次々と開業しつつあります。
彼らの多くは思春期の問題も敬遠せずに対応し、さまざまな新しい試みにも意欲的に取り組もうとしています。
技術という点からも、サービスの面から考えても、良い治療関係を結ぶことが期待できるでしょう。
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ひきこもり通院へ導入
治療機関が決まったら、とりあえず両親だけの相談をしばらく続けながら、対応や環境の改善をはかることになります。
これと並行して、徐々に本人の通院も促していくことになります。
まず折をみて本人に、両親が治療に定期的に通っていることを告げます。
「あなたのことが心配だから、相談に通っている。
担当医からは、できればあなたにも会いたいといわれている」というように、正攻法で淡々と伝えます。
この時点ではまだ本人は受診に応じないことがほとんどなので、あまり深追いしないほうがよいでしょう。
親が通院することすら「必要ない」と嫌がる場合もありますが、「心配だから親だけでも相談に通わせて欲しい」と説得すれば、だいたい受け入れられるようです。
その後は通院のたびに必ず、出がけにひと声本人に誘いをかけるようにします。
前日までは通院の話はせず、当日の朝になってから誘うのです。
ひきこもり事例の場合、日が変われば気が変わることが大変多い。
また、誘ってから当日まで時間が空き過ぎると、当日を待つことが微妙なプレッシャーになります。
前日までは受診を納得していたのに、いざ当日になったら嫌だといい出すことも珍しくありません。
これが繰り返されると、本人も家族も、次第に無気力になり、何か病院に行くことが越えがたい壁のように思われてきます。
それを防ぐためにも、通院の誘いは当日の朝にするほうがよいのです。
行きたがらない場合は無理に勧めず、親のみで相談に行き、帰宅してから診察の結果と次回の通院日を伝えます。
通院日をカレンダーに記入しておくこともよい工夫です。
こうした働きかけを続けるうちに、次第に本人も関心を示すようになってきます。
「今日は担当医は何と言っていたか」などと聞いてくる場合もあります。
ここまでくればしめたもので、後は時間の問題といってもよいでしょう。
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ひきこもり克服で大切なのは治療者との信頼関係
精神科ではどのような治療をするか。
これについても、簡単に紹介しておきましょう。
そうはいっても、社会的ひきこもりに対する「治療法」には、さして特別なものはありません。
特別な収容施設や特殊な心理治療もとりたてて必要ありません。
まして薬物だけで治るなどという問題でもありません。
ここで薬物療法についてふれておくなら、ひきこもり状態そのものに有効な向精神薬は存在しないといってよいでしょう。
数年前から欧米でベストセラーとなっている「プロザック」という抗うつ薬があります。
副作用が格段に弱く使用しやすいことなどから、「生き方を積極的に変える薬」として非常に有名になりました。
わが国でも輸入するなどして服用する人が増えているようです。
ある精神科医の事例でプロザックを飲んだことのある人は何人かいましたが、ひきこもり状態にはまったくといってよいほど無効でした。
むしろ攻撃的になったり暴力的になるなど、好ましくない影響のほうが印象に残りました。
もちろん薬効の評価は、これから時間をかけてなされるべきですが、どうなるでしょうか。
実際にはひきこもり事例に対しては、少量の抗うつ薬や抗不安薬などを対処療法的に用いることがほとんどです。
ひきこもり事例の治療において、もっとも大きな意味を持つのは、治療者との深い信頼関係です。
さきに紹介した医師のアンケートでも、「治療者との場の共有」にこそ意味があるとする回答が複数ありました。
必要とされるのはここでも、本人に共感し、一定の信頼関係を結び、長期間「場の共有」を維持し続けるためのテクニックということになるでしょう。
こうした何の変哲もない、精神療法のごく基本的な技術が、ひきこもりの治療ではもっとも重要なものとなります。
そして治療者もまた、「待つこと」に耐えるべき立場にいます。
ここでも焦らずに変化を待ち受ける能力こそが問われます。
「時ぐるり」という言葉がありますが、結局時間をかけて地道な働きかけを続けていくことにまさる方法はないように思います。
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ひきこもり青年の社会復帰の道筋
対応がある程度成功して、家庭内では十分くつろぎ、家族とのコミュニケーションも深まってきたら、さらに積極的な対応に進むことになります。
これ以降、本人のさらなる「成熟」を促すうえでもっとも重要なのは、「家族以外の人間関係」です。
その意味からも、家庭内で状態が安定したら、少しずつ活動を外向きにしていきたいものです。
ただし、初期のひきこもり事例や、対人困難感の比較的軽い事例などは、家庭での対応が適切になされるだけで、一人でさっさと社会復帰をはたす場合もあります。
ここから先、人付き合いをつくる能力の度合いによって、経過がかなり異なってきます。
そして人付き合いの能力だけは、まさに人付き合いの中でしか獲得することができない能力でもあるのです。
いかにして「生身の人間」に出会い、ふれあう経験を重ねていくか。
これは時として、非常に困難な問題となります。
もちろん、探そうと思えばルートはいくらでもあります。
まず一般的なところからみていきましょう。
例えばごく軽いアルバイト、カルチャーセンター、パソコン教室、英会話教室、料理教室、ボランティア活動、自動車教習所などのように、実用的で本人に心理的な負担をあまり与えないような場所があります。
どういった場所がよいか、本人と一緒に考えてみるのもよいでしょう。
もともと対人関係に相当の困難がある事例では、この段階が困難な壁になることが多いのです。
家庭では安定していても、なかなか外に向けての一歩を踏み出せない状態が続いてしまう。
さまざまなチャンスがうまく生かせず、ますます自信をなくしてひきこもりが深まってしまう。
さきに紹介したような社会復帰ルートでさえ、彼らにはまだ敷居が高すぎるのです。
場合によっては、保健所や精神保健センターで行われている、精神障碍者のためのデイケア活動を紹介する場合もあります。
また、デイケアとの関連でいえば、さまざまな作業所活動などの利用価値も高いものです。
ただ残念なのは、多くのひきこもり事例がプライドからこうした場所の利用を拒否しがちであることです。
それでも割り切って通えば、さまざまに有意義な成果が期待できるため、社会復帰ルートの有力な候補として念頭に置いて損はないでしょう。
こうした「社会復帰ルート」を考える上で、もう一つ重要であるのは、本人の自発性。
周囲の敷いたレールに沿って、計画通りきれいに復帰していくような事例は、むしろまれなのです。
さまざまな提案がなされた後に、すべて拒否していた本人が、ひょっこり思いもかけない解決策を自力で発見することがあります。
実はこの場合が、もっともうまくいくようなのです。
ある印象的な事例では、何カ月かのひきこもりののち、地元の釣り堀に日参するようになりました。
そこには釣り好きの人たちの一種のサークルが自然発生的に出来上がっていて、本人はそこで、すっかり馴染みの客になってしまいました。
このように実際のところ、本人が自発的に発見したルートにまさるものはないのです。
ただ、このようなことが可能であるのは、比較的軽症で、克服意欲もあるような事例に限られますが。
ひきこもり青年に有意義なたまり場
さきにデイケアについて簡単に紹介しました。
しかしひきこもり事例の場合は、ほぼ問題が対人関係にのみ限定されており、生活能力やさまざまな技能についてはまったく「健常」であるわけです。
こうしたケースに精神障碍者向けのコースを選択させるのは、さまざまな困難が伴うため、一般化しにくい。
ひきこもり事例が対人関係の技術を獲得するために、克服への試みの一環として利用できるような施設なりルートなりが、今後整備される必要があるでしょう。
あるセンターでは対人関係のための一種のたまり場として週に2回、2時間ずつの活動があるのですが、これまでにあげた成果には目覚ましいものがあります。
対人困難感、対人恐怖感が非常に強かった事例が、このクラブ活動に参加し、生まれて初めて親密な友人をつくり、女の子との会話を体験し、一人ではけっして得られなかったであろう自信を回復していきます。
このような体験は、ひきこもり事例にとって、本当に宝石のようなものだと思います。
もちろんこうしたクラブについても、まずそこを自発的に利用してみる気になるまで、何年もかかってしまう場合もあります。
また利用しはじめても、なかなか馴染めず、脱落してしまう事例もないではありません。
しかし条件がそろって適切な利用がなされれば、ある意味でこうした場所は、後述する入院治療などよりも有意義なものでありえます。
ある慢性的なひきこもり事例は、クラブへ行くよう勧めはじめて二年目に、やっと通い出したのですが、そこで何人かの親しい友人ができたことをきっかけに、非常に活動的になりました。
いくつかのアルバイトを経験した後、現在は定時制高校に通っています。
このほかにも、現在もクラブを利用しながらボランティア活動をはじめた事例、ほとんど準社員のような待遇でアルバイトを続けている事例など、かなりの数の成功例が、このクラブから生まれています。
こうした「たまり場」が有意義であるための条件として、以下のようなものが考えられます。
- 専属のスタッフが数人以上かかわり、「場」の調整とメンバー同士の関係を積極的に調整すること
- 「なんでもあり」の場ではなく、ある程度活動のメニューがスタッフによって定められること(あえてメンバー主導にしない。これは「自主性の強要」を排して参加を容易にするため)
- 「活性化」や「能力の向上」をじかにめざすのではなく、「親密さの醸成」を重視する
- メンバーは「社会的ひきこもり」事例にほぼ限定する。逆にいえば、非行事例、境界例、その他の行動化が起こりやすい事例の受け入れは慎重にする
- 問題行動の多い事例は参加を制限されるか、場合によっては除名されるような罰則規定を設け、場の心理的な安全保証感を高める
- 参加希望事例は、必ず担当医を通じて紹介してもらい、紹介状を審査会で検討して受け入れを決定する(つまり、精神科の治療と必ず同時進行での利用を条件とする)
- 「場」はきっかけであり、その外に関係性と活動性が広がる方向性を尊重する
- オプションとして勉強会やクラブ内クラブ活動など、目的を絞り込んだ場を設定しておく
- 保護者の参加できる場、例えば家族会に準ずるような形で保護者間の交流の場を設ける
- その場で活動するよりは、むしろ映画鑑賞やボウリングなど、対外的な活動も積極的に取り込む
- 活動の維持のためには有料であることは避けられないが、参加の妨げにならない程度の額に設定する
これらは実のところクラブを利用する中で、高く評価されている長所をまとめただけのものです。
もちろん中には願望を込め、やや理想化して書いた部分もありますが、ほとんど実現化されているものばかりといっても過言ではありません。
こうした活動を一つのモデルとして、同様の場所が各地に設けられれば、ひきこもり問題への対策もずっと容易になるでしょう。
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ひきこもり青年のインターネットの可能性
近年の技術的進歩、とりわけパソコンの分野はいまだに日進月歩で次々と新技術が開発されていますが、特筆すべきは、さまざまな通信の方法が簡単に利用できるようになったことです。
とりわけ、電子メールをはじめ、LINE、SNSなどという新しいかたちのコミュニケーションは、やりとりの幅を格段に広げるものです。
社会的ひきこもりの人たちにとって、PCやスマホやタブレット等のこうした利用は、それなりに有益であると考えられます。
患者さんとメールやLINEを介してコミュニケーションをとるセラピストもいます。
ただし、克服への試みのために使っているのではなくて、基本的には世間話をする場所として使用しています。
また、複数の患者さんとグループチャットを作り、やり取りの場を広げる試みもしています。
それが一つのきっかけとなってオフ会に参加したりといった活動につなげたメンバーもいます。
PCやスマホ、タブレット等という道具は、とりわけ社会的ひきこもり状態の人にとっては、非常に大きな意義を持つと思います。
これはPCやスマホ等を使えるようになるというだけで、さまざまな可能性が広がります。
就労に役立つという点もあるでしょうが、SNSなどを通じて、他人と話題が共有できるということも大きいでしょう。
とりわけ家族間のコミュニケーションを回復するうえで、パソコンの持つ意味は大きいものです。
本人が先に上達した場合は、両親が本人に教わりながら学ぶことも可能になります。
ひそかに「家族のために役立ちたい」と切望している彼らにとって、みずからの技術を生かして両親の役に立てるなど、願ってもないことでしょう。
あるいはまた、メールやLINE、SNSを使いこなせば、例えば父親が単身赴任中であっても、頻繁にやりとりが可能になります。
いや、同居している場合ですら、直接口ではいえないことを、メールで伝えるということも有意義かもしれません。
PCのゲーム依存などでひきこもりが悪化するのではないかという心配も、よく聞かれます。
しかし、先に挙げた例のように、対人関係が充実することはあっても、ひきこもりが悪化することはほとんどありません。
はた目にはPCへの没頭が逃避にみえるにしても、本人がそれを通じて他人とつながっているとしたら、PCもまた社会との接点を回復するための窓口として、十分に役立っているのです。
ひきこもりの入院治療・ハウス治療など
外来治療だけではなかなか進展しない場合は、本人が希望した場合に限り、入院治療も有効です。
ただし一般的な意味での「精神病院」は、あまりお勧めできません。
入院治療の主要な目的は、あくまでも対人関係の経験ですから、重症者の多い病棟では、あまり意味がない。
開放的で比較的若い患者の多い、できれば異性の患者とも交流ができるような病棟がのぞましいのです。
稲村氏によって提唱された宿泊療法は、現在のところ他にあまり類例のない治療技法ですが、ひきこもり事例の治療においてはきわめて有意義なものです。
これは一般民家を利用してスタッフ数名と寮生10名前後が共同で生活するもので、さまざまな活動や日々の生活指導を通じてひきこもり状態の改善を促します。
とくに対人困難などが著しい事例では、同世代の人間との濃密な共同生活を通じて、予想外の変化がもたらされることがあります。
その治療効果についてはまだ十分に定式化されていませんが、「たまり場」と同様に、今後の発展を期待したいところです。
家族会についても、ちょっとふれておきましょう。
ひきこもり事例を抱える親は、日々孤独な戦いを続けています。
こうした孤独が、時として孤立無援感や焦燥感につながり、「ひきこもりシステム」の悪循環を強化してしまいます。
他の精神障害と同様に、ひきこもり事例の家族も家族会を通じて連帯することが望ましいと考えています。
同じような子どもを持つ家族と連帯することが、長期戦でも心理的な安定を維持しやすくするからです。
ただし問題なのは、ここでも治療環境の立ち後れです。
このような家族会は、非常に少なく、小規模です。
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ひきこもりの三十歳という節目
対応が十分にうまくいって、私のいう最終段階までは達成できたのに、その先へ進まない。
本人も治療に通っているし、家族間の対話はスムーズにいっているのに、これ以上どうすればいいか判らない。
時折、このような相談も受けることがあります。
まず第一にいえることは、そのような事例は本当に例外的である、ということです。
対応の最終段階までが十分に達成されて、それでもなお同じようにひきこもりが続いている場合は、コミュニケーション回路のどこかに問題があると考えたほうがよいようです。
行き詰まりを嘆く前にもう一度、専門家とともに現段階でのコミュニケーションが十分なものになっているかどうか、丹念に問い直してみる必要があります。
そして本当にそうした問題がないにもかかわらず、なかなか改善しない場合にはどうすればよいか。
ここでは、それを取り上げたりと思います。
ひきこもり状態が十年以上続いていたり、あるいは年齢がもう四十歳近くなっていたりする場合などは、冷静に次のステップについて考えはじめるべきであると考えています。
残念なことですが、そうした事例は、これから少しずつ増えていかざるをえないでしょう。
両親が定年になり、あるいは病気になるなどすると、治療努力をたゆみなく続けることは次第に無理になっていきます。
そうした場合、とりわけ経済的な状況に関して、現実的な見通しを早くから立てておくべきであると考えます。
具体的には、本人が三十歳になる時点を一つの節目と考えて、長期的将来に向けての対策を本人も交えて話し合うことです。
話し合いは、かなり深刻なものになるかもしれません。
しかし、こうした「節目」を曖昧にやりすごしながら、さらに事態の深刻化を待つことのほうがましであると、いったい誰にいえるでしょうか。
ひきこもり問題がしばしば語られにくい理由の一つがここにあると考えています。
こうした「節目」の決定について責任のある回答を提示する勇気を、これまで多くの専門家は持ち得ませんでした。
したがってこの提案は、実用性を期待すると同時に、専門的な論議を挑発するためのものでもあります。
ひきこもりの見通しを共有
この節目で話し合われるべきこととして、
- 治療の見通し
- 経済的見通し
- 社会参加の見通し
の三点を取り上げるべきであると考えています。
1.治療の見通しについては、とりあえず、現在の治療方針の見通しと、家族がいつまでも治療に参加できないこと、また2.の経済的見通しにも関連しますが、通院医療費の公費負担制度や、障碍者手帳を交付してもらうべきこと、などを取り上げます。
私はここで、あえて「障害」という言葉をもちいました。
これはもちろん、長くひきこもりの状態が続いている人たちに「あなたは病気じゃないから大丈夫」などと、気楽に設け合うことができません。
ひきこもり状態が長期化し、こじれつつある場合に、病気かそうでないかはほとんど問題ではないのです。
むしろこういう状況は、ある意味で単純な病気以上に問題の根が深い。
また本人も、自分の状態が一種のハンディを背負った状態であるという自覚に立って、なんらかの軌道修正を迫られます。
この点に眼をつぶりながら、それでも「大丈夫」といい続けることは、できません。
専門家として見通しがはっきり立っているなら、それを患者に告げるべきであると考えられます。
ここで見通しというのはすなわち、これまで通りの対応では、これ以上の改善は望めない、という場合を指しています。
この「現実的」認識を、本人、家族がともに共有することで、次のステップに進むことが可能になります。
ひきこもり当人に家族の経済状況を話す
長期化とともに、両親は定年となって年金生活に入ります。
さらに長期化すれば、本人よりも両親が先に亡くなるであろうこともまた、動かしがたい現実です。
「節目」を迎えたら、こうした現実にも積極的に眼を向けるべきなのです。
家族の経済状況と今後の見通しについて、つつみかくさず本人に伝えること。
それは本人の将来を気遣い、いたわりの気持ちをこめて「遺言」を託すような行為になるでしょう。
まず本人に対して、家庭の資産や借金を含む経済状況を、できるだけ詳細に説明します。
定年後、それがどのように変化するか、それについても具体的にふれておきます。
万が一両親が亡くなるようなことがあった場合についても同様です。
昨今、生前の早い時期に遺言を作成することが奨励されますが、それが治療的な意義を持ちうると考えられます。
もちろん抵抗も予想されます。
資産のある家族は、本人が資産にゆとりがあることを知って、いっそう遊んで暮らそうと割り切るのではないか不安になるでしょう。
逆に経済的余裕がない家族は、本人をいたずらに不安に陥れるだけではないかと心配するでしょう。
もっともな心配ですが、しかしそのような事態はまず起こりません。
不安をあおるのは、具体性の欠けた脅しの場合だけです。
「親はいつまでも生きてはいないよ」「うちはもう、余分なお金はぜんぜんないよ」といった曖昧な脅し文句は、ただ有害なだけです。
冷静かつ誠実になされる具体的・現実的な話し合いはむしろ「家族の一員として信頼されている」という安堵感すら与えるでしょう。
あるひきこもり事例でも、父親が病気で倒れるなどして、経済的危機感を持ったことをきっかけに、長年のひきこもりから抜け出してアルバイトをはじめた青年がいます。
どうせ危機感を持ってもらうなら、現実的かつ具体的に、事実や数字で示されるべきなのです。
そうではない形で危機感を煽ることは、たんなる脅迫、恫喝に等しい行為をいえるでしょう。
この二つは、似ているようで、まったく違います。
ひきこもりの人にとってのスタートラインを書き直す
両親が定年後、年金生活に入り、経済的な見通しが持ちにくい場合は、どのような選択肢があるでしょうか。
この場合、本人が働けないままなら世帯分離して、生活保護の受給も考慮することにしています。
あるいは精神症状をともなう事例の場合、障碍者年金の受給を勧める場合もあります。
障害者年金の受給を受け入れることにも、治療的な意義があります。
自らの状態がすでにハンディを負っているということを、正確に認識する助けになるからです。
もちろんほとんどの事例は、生活保護や年金の受給などとんでもない、と反発します。
ときには治療者への不信感をあらわにされる場合もあります。
しかし私は、こうしたリアルな話題をあえて取り上げること自体が、長期的には本人の立ち直りを支えていくと信じています。
これまでに年金受給を勧めた事例はすべて、最終的には私の提案を受け入れ、いっそう安定した精神症状に至っているからです。
話し合いがここまで進むと、すでに話題は3.社会参加にも一部関連してきます。
つまり、この段階で社会参加のルートも見直してみるということです。
みずからの状態が、少なくとも社会適応という点からは、一般の精神障害者となんら変わらないという現実を受け入れること。
それはたいへん勇気のいることですが、いったん受け入れさえすれば、よい意味で「居直る」ことも可能になります。
この時点で、保健所や精神保健センターのデイケア、作業所などといった、精神障害者向けのリハビリ施設の利用も考えることになります。
実際に作業所から入り直し、そこでリーダーシップをとりつつ勤務を続けられるようになった事例を、私も何例か経験しました。
こうしたことは必ずしも「あきらめ」を意味しません。
むしろ制約を受け入れることで、新たな可能性が開かれることを十分に期待できる。
そのような確信と経験にもとづいて、私はあえて、このように過激にもみえる提案をしているのです。