人の言動・反応にはそれぞれの理由がある
これまで見てきたように、人は誰でも、つい「上から目線」になったり、弱音や愚痴を吐きやすいものだ。
それが普通のことだとしても、そんな人の話を聞くのは、疲れる。
多くの場合、エネルギーを消耗したくない安全に過ごしたい、という「個の保存」に関する自然な欲求と、仲間を助けたい、迷惑をかけたくないという「種の保存」の欲求のはざまで、苦しみが大きくなることが多い。
結局行動がちぐはぐになって、周囲とのトラブルが生じたり、自分でも訳がわからなくなっているが、よくよく聞いてみると、ごく自然で、清らかなものからスタートし、少しでもよりよく生きようと、みんな必死に頑張って生きているのだ。
「人の言動にはそれなりの理由がある」は、性善説のようなものだ。
幸い私は、100%悪意で行動しているという人とまだ会っていない。
マスコミのニュースなどを見ると、もしかしたらそういう人も存在するのかもしれないが、私の原始人的感覚からは、幸いにも「人」は愛するべき存在だ。
嫌な人もいる、付き合いにくい人もいる、問題ばかり起こす人もいる。
しかし100%悪意の人は、まず、いない。
もちろん、問題行動を容認するわけではない。
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悪いことは悪いと、現実的には対処されるべきだ。
危害を与える人からはしっかり距離を取るべきだ。
けれども「人の言動・反応にはそれなりの理由がある」という考えを持つことは、一般的な人間関係の中で違う価値観を受け入れ、自分の許容範囲を広げるのに役立つ。
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欲求は同時多発でも体は一つの宿命
「どうすれば人間関係で悩まないようになれるか」という悩みを抱えている人は多い。
実はこの悩みにも「価値観」によって、不必要に苦しんでしまっている要素が隠れている。
人間関係に疲れるのは本当に嫌なことだ。
対人関係の苦しさだけでなく、多くの人は、苦しみから解放されたい、苦しみをゼロにしたいと思っている。
しかし、それは無理な話だ。
確かに苦しいのは嫌で、解放されたい。
しかし実は、感情と同じように、苦しみにも役割があるのだ。
もし、苦しみ、つまり「不快という仕組み」が無いとしよう。
私たちは、どうやって体の水分が低下していることを知るのだろう。
どうやって足にけがをしているのを知ればいいのか。
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痛みやかゆみ、のどの渇きや飢え、疲労の感覚、つまり苦しみは、私たちの生命に何らかの危険が迫っていることを教えてくれているのだ。
その苦しみに従い、それを軽減するための何らかの行動をとることで、私たちは命をつなぐことができる。
水分が足りない時、渇きの苦しみを覚え、水を飲むと快を感じる。
苦しいからこそ生きられる。
逆に言うと、苦しみが無いということは、生きていないということだ。
「苦しみの機能」は、それだけにとどまらない。
実は、ヒトをはじめ動物は、「欲求は同時多発、体は一つ」という宿命を持っている。
「水が飲みたい」「食べたい」「休みたい」「異性を得たい」など、本来、人にはさまざまな欲求が同時に存在し、それぞれの苦しみが発生する。
しかし、体は一つだ。
ある時、脱水の苦しみと空腹の苦しみが、同じぐらいだったとしよう。
水を求めて川まで行けばいいのか、飢えをしのぐために山に行くのか、迷ってしまう。
ちぐはぐな行動をしているうちに、結局脱水がひどくなり動けなくなるかもしれない。
そこで苦しみは生命維持に最も危険な欲求の苦しさを、本来よりもぐっと拡大して、感じさせるという機能を持つようになった。
これによって、原始人は、まずは「水、水、水」と水分のことばかりを考えられるようになったのだ。
ただ、水を求めている間は、その裏で、お腹がすいた、休みたいといった欲求の「潜在的苦しみ」は増している。
ようやく水を得たら、その次に苦しみが大きい欲求に対して行動する。
例えば、お腹がすいたと、疲れて眠い、が天秤にかけられるのだ。
このときも「苦しさ」がそれぞれの欲求の共通通貨となり、比較を容易にしてくれ、どちらか少しでも危険なほうが、またぐっと大きな苦しみと感じられ、原始人の行動を律してくれる。
これが、無意識に行われる。
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いちいち考えなくても、苦しさに任せていれば、複数の欲求に上手に優先順位をつけてくれ、生命を維持するための行動を行うことができるのだ。
素晴らしいシステムではないか。
だから、苦しみをゼロにすることなどできないのだ。
必要な苦しさというものがあるのだ。
仏教はそのことにずっと前から気がついていて、人には四苦八苦といって、避けられない苦しみがあると説いてくれている。
人間関係の疲れにしても、それをゼロしたいとか、疲れない性格になりたいと思いすぎないほうが良い。
無理なことを期待していると、それだけで自分に疲れてしまうからだ。
現実的な目標は、「人間関係に疲れすぎない」こと。
これまで述べてきたように、人間関係トラブルはなくならない。苦しみもゼロにはならない。
ということは、どうしても私たちは、人間関係に疲れるのだ。
できるのは、疲れすぎないように工夫することのみである。
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苦しみのシステムが人間関係の疲れを増やしている
苦しみのシステムについて、礼賛してきたが、このシステムも感情と同じように、原始時代仕様だ。
生きるために必死の「欲求」が連続している時、原始人は、一つの欲求が満たされたら、すぐ次の欲求が大きくクローズアップされ、それを何とかしてきた。
いや、してこなければ生きていけなかった。
いつも、これを満たさなければ命が危ないという欲求が、順番待ちしていたのだ。
おそらく一番上が、10の苦しさ、続く二つぐらいが5の苦しさ、他の苦しさが3から1のレベルで順番待ちをしているようなものだろう。
上の三つは、「苦しい」といつも自覚できる。
他は時々思い出すレベル。
これを仮に、「心の会議には必ず議題が三つ用意される」と表現している。
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会社で毎週定例の会議が開かれる時、重要な議題がたくさんあることもあるだろうが、会議の時間は限られている。
だから議題は三つに絞られる。
一方、特に大きな懸案事項がない時はどうだろう。
定例会議のシステムがあるので、やはり三つぐらいはテーマを載せる。
特に切羽詰まったテーマではないのに、議論を始めると、「あーでもない、こーでもない」と結構、議論してしまうものだ。
原始人の心の会議にも、喫緊の課題が三つ並んでいた。
そのほとんどが、食料か安全に関するもの。
たまに人間関係が登場する。
ところが現代では、安全と、衣食住については、ほぼ生命の危険を感じるようなことはない。
ただ、「人」に関しては、やはり原始人と同じように、警戒し、気を遣い、注意を向けている。
また、人間関係の欲求は、水を飲めば終わる、というように簡単に充足できるものではない。
孤独の苦しみを解消し、ある人の愛や仲間の信頼を獲得したいと思ったら、ある程度の長い期間、行動をしなくてはならない。
しかも相手があることなので、うまくいくとも限らない。
その結果、現代人の心の会議の議題は、常に「人間関係の問題」になってしまいがちだ。
現代人の場合、原始人と比べてとても生きやすい環境にあるにもかかわらず、苦しみのシステムには、手ごわい「人間関係」のテーマだけが続いてしまっている。
だから私は、もしかしたら我々は、人類史上最も悩みの多い時代を生きているのではないかと感じることがある。
自殺の多さは、それを物語っているのかもしれない。
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二者択一では、人間関係はうまくいかない
ここでは、価値観について考えてきた。
子どもの心に代表される縛りの強い価値観を持っていると、それが自分や他者に対する評価の基準となってしまい、人間関係の疲れの原因になる。
それでは、価値観をどう緩めればいいのだろう。
陥りやすいのが、「自分の価値観を全否定する」という対処だ。
これまで南に向いていて苦しくなったのだから、もう一歩も南方向には行かない、北に向かう。
一見正しいようだが、実際は、何も真逆の北ではなく、東や西、北西や、南南東でもいい。
ほぼ360度どの方向にも新たな一歩を踏み出せるのだ。
北がダメなら南というのは、アクセルとブレーキしかないようなもの。
東には、それ以外にハンドルがついている。
子どもの時代は、子どもが行きたい方向(自由な欲求)と大人が示す方向の二つしかない場合が多い。
成長するにしたがって、新たな方向を子どもが探るのを大人が見守るというプロセスを進む。
これが「大人の心」が育つ過程だ。
この機会が十分でないと、どうしても、「やるか、やらないか」「会社を続けるか、潔くやめるか」「離婚するか、しないか」などの二者択一思考に陥りやすい。
もちろん、誰でも蓄積疲労が大きくなれば、考察するエネルギーが出せなくなるし、うつ状態になれば、二者択一思考になってしまう。
しかしできれば日頃から、もっと柔軟な思考を練習しておきたいものだ。
ポイントは、「極端を避ける」ということ。
例えば、人間関係に疲れて、会社を辞めようか続けようかと迷っているとしよう。
続けるという案を突き詰めると、確かに生活は安定するが、しかし苦しみには耐えられない。
では、辞めれば確かに人間関係の苦しみからは解放されるが、生活や今後のキャリアの不安が大きくなる。
こんな時、二者択一思考では、なかなか結論が出にくい。
その結果、今の苦しみの時間が長引き、苦しみが大きくなってしまう。
そうして結局、会社を辞めることになるが、この時は、自分で選択したものではなく、「不幸にも追い詰められて選択せざるを得なかった自分」になってしまう。
こうなると自信が低下し、さらに、例えば後悔、不安、悲しみ、恨みなどの「不快感情」が続くという悪循環になりやすい。
この二者択一思考のわなから抜け出すためには、人間関係の苦しみを緩める方法を練習するといい。