家庭内暴力

家庭内暴力を甘んじて受ける対応は間違っている

社会的ひきこもりの事例では、かなりの割合でいわゆる「家庭内暴力」を伴います。

これがひきこもり問題をいっそう扱いにくいものにしてしまいます。

些細なこと、時には理由もなしに突発する暴力は、家庭の雰囲気を荒涼とさせずにはおきません。

家中を不自然でこわばった沈黙が支配し、家族は本人のちょっとした表情、しぐさにもおびえながら生活する日々を強いられます。

とりわけ母親が暴力を受けやすく、本人から表面的にはまるで奴隷同然の扱いを何年も受け続けていることがしばしばあります。

誇張ではなく24時間、べったりと密着した生活が続き、ゆっくり眠る時間すら奪われてしまいます。

真夜中に叩き起こされ、本人が唐突に思い出した昔の恨みつらみを何時間でも延々と聞かされます。

それでも「母親の相槌が気に入らない」といったことから、理不尽な暴力がはじまります。

思春期問題の専門家の中には、こうした暴力は甘んじて受けなさい、といったアドバイスをする人もいます。

気が済めばおさまるし、親は暴力を振るわれるだけのことを子どもにしてきたんだから、というのが、その理由のようです。

しかし臨床の現場にたちかえるなら、こうした対応は単純に間違いです。

間違っているだけではなく、時には暴力を助長してしまいます。

「進んで暴力に身をさらす」などという行為は、危険な挑発にほかならないからです。

家庭内暴力の底にあるものは「悲しみ」なのです。

単純な攻撃性なら、たしかに「気が済む」こともあるでしょう。

しかし家庭内暴力は、そのような爽快感とは一切無縁です。

暴力を振るうほどみずからも傷つき、暴力を振るう自分が許しがたく、しかしそのような「許せない自分」を育てたのはやはり両親なのだ、という自責と他責の悪循環があるだけです。

「親は暴力を振るわれるだけのことをしてきた」という見解もまた、古くは「母原病」などに遡りうる「犯人探し」の論理です。

これに関連して、ある興味深い事実に気付きました。

「社会的ひきこもり」や「家庭内暴力」の事例では、本来の意味での「幼児虐待」を受けた事例がほとんどないのです。

もちろんこれは「診察室の印象」に過ぎませんから、一般化できるかどうかはわかりません。

しかし、実際に児童虐待の被害者も治療してきた経験から、その理由を推測することはできます。

深刻な虐待の経験者は、より病理性の深い「解離性同一性障害(いわゆる「多重人格」)」や「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」を発症することになりますが、家庭内暴力による「親への復讐」などは思いもよらないことが多いのです。

むしろ虐待の犠牲者は、自分が家庭を持った時に、妻や子に対して暴力を振るうようになることが多いようです。

過去の恨みつらみとの付き合い方は、会話のところでもふれましたので繰り返しません。

本人の恨みを言葉として十分に聞き取ること、同時にその言葉に振り回されないことだけを強調しておきます。

暴力の拒否という基本的立場

基本的立場は、「暴力の拒否」です。

それが正当な「体罰」であろうと、共感可能な「復讐」であろうと、いっさいの暴力は、方法としては否定されるべきです。

「方法としては」といった言い方になるのは、制度としての体罰は否定されるにしても、あえて制度を犯してなされる体罰のなかには、肯定せざるをえないものもある、ということですが、それはまた別の話です。

「拒否」といいましたが、もちろんそれは暴力との「対決」を意味していません。

「対決」もまた、暴力を助長するだけだからです。

暴力の拒否とは「暴力を押さえ込むための暴力」も拒否するということです。

力で家庭内暴力を制圧する試みは、ほとんど確実に失敗します。

暴力は暴力の連鎖しか生み出すことはないという一つの常識を、ここで再確認しておきましょう。

家庭内暴力に対しても「拒否」で向き合うしかない。

ここまでは判っています。

しかし「拒否」の方法は、事例によってさまざまになるでしょう。

家庭内暴力について、その重症度、あるいは難しさを決めるのは、暴力の内容ではありません。

むしろ問題となるのは「暴力の続いている期間」ということになります。

かなり激しい暴力であっても、まだはじまって数週間なら、対処は比較的容易です。

しかしそれほど激しさはなくても、何年も続いている慢性的な暴力では、かなり対応が難しくなります。

ここでは大きく分けて、比較的対応しやすい「初期の暴力」と、長期化し、こじれた「慢性的暴力」の二つについて、その対応方法を具体的に述べてみましょう。

家庭内暴力は苦しみを一人きりで背負いきれない悲しみ

どのような対応をするにせよ、まず暴力の背景を十分に理解しておくことはどうしても必要です。

暴力を振るわずにはいられないという気持ちを、どのように理解するか。

客観的な事実はどうあれ、本人の中では、これまでの人生が悲惨たるものだったとの思いが強くあります。

受験に失敗したこと、自分の容貌のこと、恋人や友人ができなかったこと、望んだ会社に入れなかったことなど、本人はみずからのこれまでの歴史を、あたかも失敗の連続のように捉えているはずです。

彼らが辛うじて自殺の誘惑に陥らずに済んでいるのは、まさに「失敗」を他人のせいにすることによってです。

しかし本人は必ずしも「自分がこうなったのは親のせい」であると確信しきっているわけではない。

家庭内暴力の事例を治療していくなかで、ほとんどすべての事例が「自分は親に迷惑をかけ続けてきた、ダメな人間である」と告白します。

これもまた、彼らの本心なのです。

このように彼らは自責と他責の間で引き裂かれ、心安らぐことのない日々を過ごしています。

精神分析家の神田橋條治氏が指摘するように、家庭内暴力の背後にある感情は、「憎しみ」ではなく「悲しみ」なのです。

初期の家庭内暴力の基本は刺激しないこと

初期の家庭内暴力を沈静化するためには、まず「刺激しないこと」です。

簡単なようで、これは意外に難しい。

これを確実に成功させるには、本人にとってどんなことが刺激になりうるかを正確に知っておく必要があります。

暴力を振るわずにはいられないほどの「悲しみ」が、どのように起こってきたか。

本人の劣等感を刺激せず、「をかかせない」ためには、何に気をつけるべきか。

それを知るためには、ひきこもり事例とも共通する彼らの葛藤のありようを共感的に理解するところからはじめなければなりません。

そして、ごく初期の家庭内暴力の事例であれば、このような理解とコミュニケーションが十分になされるだけで、暴力はきれいに解消することもあります。

家庭内暴力への他人による介在

それではさらに重症の、長期にわたって続いている暴力についてはどうでしょうか。

こちらはいうまでもなく、対応が格段に難しくなります。

慢性化した事例の場合、小手先の対応を変える程度では、びくともしないことが多いからです。

いや、それ以前に、対応を変えることすら難しくなっている。

親がそれこそ、蛇に睨まれた蛙のようにすくんでしまい、身動きがとれない状況におかれてしまうのです。

これほどこじれた事例に対してどのような解決策がありうるでしょうか。

比較的穏当な方法として考えられるのは、他人を介在させることです。

これはもちろん、誰かに暴力の仲裁役を頼むということではありません。

そうではなくて、ただ家庭の中に他人が入ってくるというだけでよいのです。

母親へ激しい暴力を振るっていた息子が、妹の婚約者が同居するようになってから、ぴったりと暴力を振るわなくなったというケースを経験したことがあります。

もちろん本人は、他人が入り込むことをひどく嫌うのですが、いったん受け入れてしまうと、それが暴力を鎮めるきっかけになりやすいのです。

ここでいう「他人」には、「警察」も含まれます。

暴力の程度によっては、もちろん警察への通報も考えるべきです。

ただしこれは、「警察が何とかしてくれる」からではありません。

家庭内暴力の事例では、家族が通報して警察官が駆け付けてみると、暴力はすっかりおさまっていることがほとんどです。

ご存知の通り警察は、現行犯でもない本人に対して、せいぜい説諭するくらいしかできません。

しかし、それでいいのです。

要は「家族は場合によっては警察を呼ぶほどの覚悟ができている」ということが理解されればいい。

同じ意味で、警備会社と契約しておき、暴力が起こったら警備員を呼ぶということも有意義かもしれません。

家族によっては「そんなことをしたら、後の仕返しがこわい」と考えて踏みとどまることも多いのですが、これは家族の態度いかんです。

通報すべき時は断固として通報し、それを繰り返すこと。

このような毅然とした態度があれば「仕返し」のおそれはほとんどないといえます。

もう一つ、暴力の拒否のためにしばしば採用しているのは「家族の避難」です。

暴力と対決せずに、暴力を拒否するためには、暴力の場面から避難すること。

もちろん家族には多大な負担となるでしょうが、適切に行えば、確実な効果が期待できます。

その具体的な方法について述べる前に、次のことは確認しておかねばなりません。

これらの方法は、効果も大きい分だけ、リスクも伴います。

またタイミングを誤れば、失敗する可能性も十分にあります。

したがって、克服への試みとしての「避難」を実践する場合には、専門家と連携することが必要となります。

家庭内暴力からの避難-ある家族のケース

ここではある家庭内暴力のケースに基づいて、実際にどのようにことを運ぶべきかを解説します。

ケースはもちろんフィクションですが、細部はすべて実例に基づいて合成したものです。

もう十年以上もひきこもりと家庭内暴力が続いている事例でした。

もちろん本人は、治療場面にはあらわれません。

暴力の対象は、もっぱら母親と、五歳年下の高校生の弟でした。

暴れはじめるきっかけは、常に些細な不満からです。

母親の食事の支度が遅い、弟がTVゲームにつきあってくれない、風呂場のタオルが新しいものに交換されていない、自分がいないところで家族が楽しそうに笑っていた、そういったことの一つ一つが引き金となって、激しい暴力がはじまります。

長男の部屋の壁はもう穴だらけで、無傷な家具は一つもありません。

とりわけ被害を受けやすい母親は、青アザや生傷が絶えない状態です。

しかし本人は、ひどく暴れた後ほど、泣かんばかりに母親に謝ります。

母親の体を気遣い、もう絶対にしないと誓います。

「そんな態度をみていると、つい不憫に思えてしまい、そばにいてなんとかしてあげたいと思う」と母親はいいます。

このような献身的母親は少なくないのですが、まさにこうした関係こそが、「共依存」関係にほかならないことは、強調するまでもないでしょう。

長男の生活はかなり不規則で、起きている間中母親をそばにかしずかせて世話をさせます。

おかげで母親は外出もままならず、ほとんど四六時中、長男に付き従わなければなりません。

慢性的な寝不足が続き、家から緊張が絶えたことがありません。

会社員の父親は、一度暴力を止めに入って手ひどく逆襲されてからは、ほとんど仕事に逃避してしまっている状態です。

治療者は何度となく避難を勧めましたが、母親は次男のことを気遣って、逃げるに逃げられない状態が続いていました。

しかし次男が大学進学を機に単身生活をはじめることが決まって、母親はやっと避難勧告に応じようという気持ちになってくれました。

セラピストはさっそく両親と会って、避難の計画を立てることにしました。

父親の協力が得られるかどうかが心配されましたが、避難したい旨を話すと、喜んで協力してくれることになりました。

長男の暴力は、ほとんど毎日続いていましたが、かなり強弱の波がありました。

つねったり小突いたりする程度の弱いものが何日か続くかと思えば、突発的に母親の首を絞めたり、背中を強く蹴ったりするような、激しい暴力が起こります。

避難にはタイミングが重要ですから、まずそれを慎重にはかることにしました。

ある日、大きな爆発が起こりました。

弟が家を出てから、母親は毎週日曜日、洗濯や食事の差し入れに弟のアパートを訪れていました。

その日はたまたま帰宅が遅れて、長男は苛立っていたようでしたが、母親が帰宅するなりつかみかかり、頭を強く殴りつけました。

相当ひどい殴り方だったため、母親は一時目の前が暗くなり、その場に倒れ込んでしまいました。

倒れた母親をみて、長男はあわてはじめました。

日曜日で家にいた父親を呼び、「すぐ救急車を呼べ、息子に殴られたと言って呼べ!」と怒鳴りつけました。

父親はいわれるままに救急隊に連絡し、自分も行くという息子を強く制して留守番を頼み、近くの救急病院に母親を運びました。

病院で診察を待つ間、父親はセラピストと連絡を取り、セラピストは電話で次のように指示しました。

「お母さんの容態がさほどではなくとも、是非入院させてもらいたいと頼んでみてください。

それがダメなら、ともかく今夜だけでも泊まれる場所を確保してください。ご長男には早めに電話を入れて、しばらく入院することになると伝えてください。

それから、くれぐれもお説教だけは、絶対にしないでください」

幸い、母親は軽い脳震盪と皮下出血程度で、入院の必要はないとの判断でした。

父親はとりあえず近くのホテルに部屋を取り、そこから長男に電話を入れました。

本人はひどく動揺しているようでした。

長男「俺のせいで母さんが死んだり、障害が残ったりするようなら、俺は自首して刑務所に入る!」

父親「母さんはそれほど悪くはないが、ともかくしばらく入院して、いろいろ検査することになりそうだ」

長男「じゃあ俺が母さんの付き添いをするから、病院を教えてくれ!」

父親「お前に殴られたことを先生に話したら、当分は面会させない方がいいといわれた。だから入院先は教えられない」

本人は、絶対にもうしないから教えてくれと懇願しましたが、父親は私の指示通り、頑として応じませんでした。

翌日、母親が家に電話を入れました。

長男は昨晩は一睡もできなかったようでした。

長男「母さん、ごめんなさい。まだどっか痛む?いつごろ帰って来れる?」

母親「怪我のほうは大したことないようだけど、いろいろ検査があるから、まだ帰れそうにないの。しばらくは父さんと二人でがんばってね」

長男「わかった。本当にごめんなさい。もう俺のこと嫌いになった?もう見捨てる?」

母親「そんなはずないでしょう。でも先生の指示で、しばらくは面会もできないから、そのかわり電話は毎日するから」

長男はそれでも母親に許しを乞い続け、会いに行きたいと哀願し続けて、なかなか電話を切らせてくれません。

母親はやむを得ず、話の途中で受話器を置いてしまいました。

これもセラピストが「電話は定期的に入れること、ただし必ず5分以内で切ること」と指示した通りでした。

母親は結局、しばらくは次男のアパートに同居することになりました。

父親はそのまま自宅に戻り、長男と二人だけの生活がはじまりました。

いざ二人だけになってみると、長男は意外なほど素直に家事もこなすようになり、暴力はすっかり鳴りをひそめてしまいました。

母親は一日おきくらいに電話を入れ、長男もそれを待ちこがれているようでした。

そのような生活が二週間程続いた時点で、私は再び両親と会いました。

ここまでの経過は、ほぼ予想どおりの展開だったのぼ展開だったので、セラピストは次の指示を出すことにしました。

「そろそろ退院しないと不自然ですが、まだ家には戻れません。今戻れば、必ず暴力は再発します。お母さんがこんど電話する時は、次のように伝えてください。

『検査の結果、大きな異常はなかったので、退院することになった。でもお母さんは、今度の入院中にいろいろ考えた。実は専門家にも相談してみた。もうお母さんは暴力はこりごりだ。あなたが本当に暴力を振るわなくなるまで、お母さんは家に帰らないことにした。お父さんも賛成してくれた』

きっとご本人は怒るでしょうが、これは『相談』ではなくて『宣言』なのです。

ご本人が泣こうがわめこうが、けっして譲らないでください。

ここで折れたら、これまでの努力はぜんぶ水の泡です」

母親は同意し、さっそく次の電話で指示通りのことを長男に伝えました。

はじめ長男は「もう絶対に絶対に暴れないから戻ってきてほしい」と、何度も懇願しました。

それでも母親の決意が変わらないとみるや、案の定怒りはじめました。

長男「お前は俺を見捨てるのか。俺をこんな風に育てた責任もとらずに逃げるってのか。弟ばかり可愛がりやがって。そんな卑怯者はもう帰ってくるな!」

母親「お母さんはあなたに十年間も叩かれながらお世話をしてきたから、もう償いは十分にしたよ。これからは貸し借りなしでいきます。しばらくは帰れそうにないけど、でもそこはお母さんの家でもあるから、気が向いたら帰るし、電話も入れるよ」

長男はそれでも、絶対帰ってくるな、もう二度と電話するな、といきり立っていましたが、母親はそれには取り合わず、電話を切りました。

その後も母親は定期的に電話を入れ続けました。

はじめは電話を拒否していた長男も、数日後にはまた話すようになりました。

本人の話題は相変わらずで、「帰ってきてほしい」と懇願するか、「もう帰ってくるな」と怒鳴るかのいずれかでした。

面と向かうとすくんでしまって長男のいうがままだった母親も、電話ではほぼ理想的に対応してくれました。

必ず定期的に電話を入れ、本人に何をいわれようと冷静に応じる。

これをひたすら繰り返すことが、ここでの重要なポイントでした。

別居生活が二ヵ月ほど続いた頃、長男の態度も次第に鎮静化してきました。

もうあまり怒鳴るようなこともなくなり、変わって皮肉や嫌味が増えてきました。

「帰って来てくれ」ともいわなくなり「逃げちゃった人は気楽でいいねえ」「あんたの家なんだから、帰りたければ好きにすれば」といった調子になってきました。

そろそろ次の対応に移る時期です。

セラピストは時機をみはからってちょっと帰宅してみるようにと勧めました。

母親は最初、かなりためらっていました。

無理もありません。

十年ぶりに暴力のない平和な日々を味わってしまうと、もとの生活の異常さや恐怖が、いっそう強く感じられるものです。

しかしこれは母親の救済であると同時に、長男の克服への試みが最終目的なのです。

セラピストはかなり強硬に母親を説得して、やっと同意を取り付けました。

家を出て二ヵ月とちょっと経ったある日、母親はいつものように長男に電話を入れ、ごく当たり前のように「明日用事があるから家に行く」と伝えました。

長男は驚いたようでしたが、「わかった」といったんは答えました。

しかし少し話すうちに、だんだん腹が立ってきたのか、「逃げ出したヤツが今更なんだ、帰ってくるなと言ったろう、家に来ても絶対に入れないから覚悟しておけ!」などといいはじめました。

しかし母親はあくまでも冷静に「そういわずに、久しぶりに一緒にご飯でも食べましょう」と応ずるのみにとどめました。

翌日、意を決して母親が家に帰ってみると、長男は出かけていていませんでした。

母親を締め出すわけにもいかず、かといって顔を合わせるのもしゃくにさわるということでしょうか。

母親は少し長男を待ってみましたが、夕方になっても戻らないので、あきらめて帰りました。

しかし、何度かそういうやりとりを繰り返した後、長男はやっと母親を迎え入れる気持ちになったようでした。

「父さんのつくる飯はもう飽きたから、たまには夕飯つくりに来て」という言葉が、そのサインでした。

その日ようやく、三カ月ぶりに母親は長男に対面しました。

本人は照れくさそうでしたが、あまり憎まれ口も利かず、母親のつくった夕飯をきれいに平らげると、そのまま自分の部屋に入ってしまいました。

これを機会に、母親は頻繁に帰宅するようになりました。

やがてセラピストの指示を受けて、何日か泊まることも試みました。

長男は時おり「逃げられるやつは気楽でいいよなあ、俺みたいなダメ人間には、逃げ場もないもんなあ」などと嫌味をいうことはありましたが、もう二度と暴力を振るうことはありませんでした。

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家庭内暴力を鎮める基本方針

このケースでは結局、母親が完全に自宅に戻るまで、約五カ月ほどかかりました。

戻ってから一年ほどすぎた現在でも、まったく暴力の再発はみられていません。

時おり命令調になることはあっても、母親との関係は暴力がないぶん、非常に安定したものになりました。

また何といっても特筆すべきは、父親との関係が劇的に改善したことです。

それまでほとんど口も利かなかった父親と、しばしば二人でドライブに出かけるなど、良好な関係が続いています。

本人は暴力を封じられて、さぞストレスがたまるかと思いきや、むしろ食欲が出たり外出が増えるなど、活動性も高まっているようです。

暴力を拒否によって断念させたことは、結果としてきわめて有意義であったといえるでしょう。

これはさきほども述べたようにフィクションですが、細部は実例にもとづいています。

また、特にうまくいった事例を取り上げたわけでもありません。

そのセラピストはすでに、家庭内暴力からの避難を10例ほど試み、すべて暴力の鎮静化に成功しています。

要するに、基本方針をきちんとふまえて対応すれば、家庭内暴力を鎮めることは、比較的容易なことなのです。

少なくとも、ひきこもり状態を改善するよりは、はるかに確実に結果を出すことができます。

ここに挙げた事例で、やや理想化されている部分があるとすれば、両親の対応がほぼセラピストの指示通りなされている点くらいでしょうか。

残念ながら、これほどスムーズに治療者の指示が理解され、実行されることはまれです。

やはり長年続けてきた習慣をあらためるのは、きわめて困難なことなのでしょう。

しかし、もし対応さえ十分になされるなら、本人はほぼここに書いたような経過で改善していくはずです。

ここでもう一度、避難のポイントを整理しておきます。

  • 治療者と両親の間で、避難の方針と方法について十分に打ち合わせをする
  • 大きな暴力をきっかけにして避難する(「入院」という口実は、必ずしも必要ない)
  • 避難は必ず、暴力のあった当日のうちに完了する
  • 当日中に、必ず親から本人に電話を入れる
  • 電話では「これから定期的に連絡する、生活の心配はいらない、いずれは帰るがいるになるかは判らない、どこにいるかも教えられない、暴力が完全に収まるまでは帰らない」と伝える
  • この方針は本人の治療のために専門家と相談し、家族全員の同意を得てきめたことを伝える
  • その後は定期的に電話を入れ、必ず五分間だけ話す。時間が来たら途中でも切る
  • 本人が落ち着いたタイミングを見計らって、一時的な帰宅や外泊を繰り返す
  • 外泊時の様子で、特に暴力もなく、また母親と穏やかに会話できる状態で安定したら、帰宅する
  • 以上のことを専門家との密接な連携のもとで行う
  • 親の側は、暴力や脅しに屈せず、誠実で毅然とした態度でことに当たる
  • 帰宅までに要する期間はさまざまであるが、軽いものであれば一カ月程度でも十分に有効であり、長くても半年ほどで帰宅できることが多い

「ひきこもりカテゴリ」ですが、いささか家庭内暴力に比重をおきすぎたかもしれません。

もちろんそれは、私なりの考えがあってのことです。

家庭内暴力を鎮静化するのは、それほど難しくないのです。

それにもかかわらず、ひきこもり事例を抱える家族の半数近くが、ひきこもり状態の対応以前に、暴力への対処に頭を悩ませている。

そのような回り道をできるだけ短縮するためにも、できるだけ短期間で、確実に家庭内暴力を改善するための具体的方針を示したのです。

暴力が鎮まってはじめて、本格的なひきこもりへの対応が可能になるからです。