怒りの原理
怒りの強さ
「ムカつく」「イライラする」「許せない」
こんな気持ちをシンプルな言葉に集約すれば、「怒りの感情」といえるでしょう。
「怒りの感情」というのは、じつはとてもやっかいです。
なぜなら、理屈では片付けられない感情だからです。
この記事のテーマは「どうすればもっと寛容力を高めることができるか」というものですが、そのためには、「怒り」とはどういった感情であるのかをよく知ることが必要です。
ここをしっかり理解すると、「怒り」だけでなく、「不安」や「悲しみ」など、あらゆる感情への理解が進み、心のコントロールがうまくできるようになります。
人の心は、「理性」と「感情」という二つの要素から成り立っていると理解できます。
「理性」は、物事を客観的に考察して、総合的な視点でとらえて判断しようとします。
もう一方の「感情」は、ある特定のテーマを直感的、迅速に解決しようとします。
人の心理や感情を理解するときには、原始時代の、本能をむき出しにして生きていた人間をイメージするとわかりやすいと思います。
私たちは、文明の発達した現代社会に生きていますが、その本能的な部分は原始人のまま変わらないところが多いからです。
人の感情にはさまざまなものがありますが、特に「怒り」の感情がもっとも頑固で勢いが強いといえます。
なぜなら、怒りの感情の目的は、その感情の持ち主の「命」を全力で守ることだからです。
原始時代の戦闘において、負けることは死を意味します。
だから戦闘が起こると、怒りの感情は瞬時に立ち上がり、心拍数や血圧を上昇させ、筋肉の緊張も高め、敵と戦うための態勢を必死で整えるのです。
このように怒りの感情は、「人を戦わせるための感情」「人を生き残らせるための感情」であり、それゆえに激しく、どうしても「過剰な反応」となって表れやすいのです。
たとえば、あなたが職場の誰かと意見が対立したときに、怒りの感情は、「あなたの意見が正しいことを相手になんとかわからせ、あなたを優位に立たせよう(生き残らせよう)」として立ち上がり、あなたを「攻撃モード」にします。
このように、心のメカニズムからすれば、怒りの感情は「自然現象」であり、そのため私たちがそれをいくら理性で抑えようとしても、なかなかうまくいかないのは当然のことなのです。
あなたが、自分の「寛容力」のなさに悩むとすれば、まずはこの自然現象とうまくつきあう必要があるのです。
感情から行動へ向かわせる
ここで、「感情」について整理してみましょう。
感情は、次ページの表のように、人間をある「行動」へと向かわせる目的を持っています。
感情は、人間をある「行動」へと向かわせる
感情 | → | 行動 |
驚き | 状況の変化に対応し準備する | |
怒り | 反撃、威嚇する | |
恐怖 | 逃げる | |
不安 | 将来の危険を予測する | |
後悔 | 過去の行動を反省し、現在を改善する | |
悲しみ | 引きこもる | |
恋愛 | 性行為 | |
無力感 | 距離をとる | |
あきらめ | 次の課題を考える | |
喜び | 安全・生命の維持情報を分かち合う | |
妬み | 自分の取り分を確保する |
感情は、基本的に”心配性で、お騒がせ屋さん”です。
自分が何か危機を感じたときには大きく反応をし、人の理性を失わせます。
わかりやすい例でいうなら、振り込め詐欺ではないでしょうか。
通常であればそんな詐欺話に引っかからないような人でも、「わが子の一大事!」という強い不安感を抱くと、パニックに陥ってしまう。
そして、お金を渡す、という通常ならば絶対にしないような行動に突っ走ってしまうのです。
感情は、人の心と体を乗っ取るのです。
「怒り」の感情は特に強力です。
人の感情は太古の昔から変わらないのですが怒りの感情を原始時代でイメージしてみると、たとえば、猛獣に襲われたシーンなどが浮かびます。
猛獣に襲われて、人が最初に感じるのは「恐怖」です。
しかし、猛獣を倒さなければ自分や家族が殺されるとなると、今度は「やられてたまるか!」「やっつけてやる!」という「怒り」が激しく湧き上がります。
DV、パワハラが起こる原因
もちろん、現代においては、戦う相手は猛獣ではなく人間ですから、怒りの度合いはもう少しおだやかで、多くの場合、その怒りは「威嚇」という形で表れます。
人間同士が集まると、そこには地位や縄張り、または食糧の分け前の多い・少ない、あるいは異性の取り合いなどをめぐって争いが必ず生じます。
しかし、現代において、怒りを感じたからといってそのたびに相手を「殺す」というわけにはいきませんから、何か衝突が起こると、その相手を「威嚇」して怖がらせ、従わせようとするのです。
たとえば、サル山のボスが周囲にリーダーの座を主張するときに大きい声を出したりするように、人も「自分は怒っているぞ」ということを表現し、怖がらせ、従わせ、戦いに勝とうとします。
鬼の形相を見せたり、大声を出したり、地団駄を踏んだり、物を叩いたり、物を投げつけたり。
家庭内で夫婦喧嘩があって、夫が大声を出したり、物に当たって大きな音を出したりすると、妻は本能的に命の危険を感じます。
夫にしたら暴力を振るったりしていないつもりでも、大声を出したり、物に当たって大きな音を出したりするだけで、妻は「命を脅かされた」と感じ大きな精神的ダメージを受けてしまうのです。
同じことが、職場でも起こります。
いわゆる「パワハラ」です。
上司が部下に対して大声で怒鳴る、暴言を吐く、机をバンバン叩いたり、物を投げつけたりする。
この場合、上司は部下に強烈な精神的ダメージを与えていることを自覚していないことがほとんどです。
人は、普段であれば「自分は絶対にそんなことはしない!」と思うようなことを、怒ったときにはしてしまうのです。
それほど、「怒り」という感情が私たちの心と体を乗っ取る力は強いのです。
このことはよく理解しておいていただきたいと思います。
繰り返しますが、人間の本能という観点からすれば、「怒り」は自然現象であり、自分を守るために必要な感情といえますが、その怒りにただただ身を任せてしまうのは危険です。
なぜなら、周囲に嫌な思いをさせたり、誰かを傷つけたりすることになるからです。
すると「寛容力のない人」「器の小さい人」として周囲から嫌われ、孤立し、その結果、人生はとても苦しいものになってしまうでしょう。
「被害者意識」が強い人ほど怒る
人は怒るほどに「被害者意識」をふくらませる―。
というと、不思議に思えるかもしれません。
怒っている人は、攻撃的になっているし、むしろ「加害者」なのでは?と思うのが一般的ではないでしょうか。
しかし、身に覚えがありませんか?
イライラしているときというのは、決まって「なんで私だけがこんな目に遭わなくちゃいけないの?」「こんなに頑張っているのに・・・」「自分ばかりが損をするなんて冗談じゃない!」という思いが心の中で渦巻いているものです。
じつは、この「被害者意識」も、「怒り」という感情の特徴的な働きによるものなのです。
ここでもまた「原始人モード」で考えてみましょう。
原始時代をイメージすると、人間にとって、自分が頑張った労働への成果(食糧の分け前)が期待外れに少ないことや、自分だけが疲労してエネルギーがなくなってしまうこと(戦闘力の低下)は、命の危機に直結します。
だから、人は、自分ばかりが損したり、苦労したりしていないか、つまり「自分の体力やエネルギーが他者から不当に奪われていないか」のチェックを、常に無意識のうちに行なっているのです。
また、人間の本能は、「自分の時間が無駄に費やされる」ことも、とても嫌います。
なぜ、そんなに「時間」が大事なのでしょうか。
原始人の寿命は、とても短いものでした。
病気や災害、食糧をめぐる戦闘など、「死」というものがとても身近にありました。
だから、人の心は、貴重な時間を無駄にするのが苦痛であるように設計されているのです。
現代人に引きつけていえば、たとえば、「自分の仕事は終わったのに上司が帰らないから帰れない」というシチュエーションは、とてもつらいわけです。
自分がやるべき仕事が片づかないから帰れない、というほうが、まだまし。
自分はやることがないのにただ上司が帰らないからとじっとしている、という状況は、まさに本能的な苦痛なのです。
また、誰かから「この書類のコピーを5人分取ってほしい」と依頼されたとしましょう。
そしてせっかく手伝ってあげたのに、相手が「あ、どうも」ぐらいのお礼しかいわず、「やってもらって当然」な態度を取ったとします。
すると、作業自体は単純だったにもかかわらず、必要以上に時間が奪われたような気がして、「こんな面倒な作業をさせられた!冗談じゃない!」と怒りの感情が湧き、被害者意識がふくらみ、寛容力が一気に低下してしまうのです。
■参考記事
不寛容な人が寛容力を培うには
自分を責めない寛容力
他人を許せば心は楽になる
寛容力が無い人が寛容力を育む方法
怒りという感情に密接な寛容力
怒りの頂点は、6秒から10秒
「怒り」の感情は、あらゆる感情の中でもっとも「客観性を失いやすい感情」です。
なぜなら、前述したように、自分(と自分の家族)の命を脅かそうとする外敵から身を守り、相手を攻撃するためにプログラムされた感情が「怒り」だからです。
命がけで相手と戦おうとしているときに、「自分は相手よりも強いかな、どうかな?」などと冷静に考えている余裕はありません。
このため、人はカッとなると、後先のことを考えず攻撃的な言動を取ったりしてしまうのです。
よく怒ったあとに当人が「あのときは頭が真っ白になっていた」「完全にわれを忘れて行動していた」といったりしますが、これは本当なのです。
もちろん、人を攻撃すると、相手から反撃されるおそれもあります。
怖い、不安だ、心配だ―だから、そんな不安のブレーキにも負けないほど、怒りの感情は強くその人の心と体を乗っ取るのです。
しかし、ここでお伝えしたいことがあります。
「怒りの感情の勢いは、じつは長く続かない」ということです。
心理学でも、怒りの衝動の頂点は、6秒から10秒ほどといわれています。
そこを過ぎれば、「何がなんでもやっつけてやる!」という湯を沸かすような勢いは弱まることがわかっています。
なぜなら、怒りの感情は激しいため、それを常にフルパワーで発していたらエネルギーがもたないし、また、不必要な戦闘を引き起こすことで結果的に自分がやられてしまう確率を高めてしまうからです。
怒った自分を責めない
「怒り」の衝動の頂点は、6秒から10秒ほどだとお伝えしました。
ならば、「寛容力」で悩むこともないのではないか、と思ってしまいそうですね。
しかし、「怒り」そのものの勢いは収まったとしても、そのときに、われを忘れて怒ったり、怒鳴ったりしてしまった場合、その「事実」が残ります。
それがいつまでも尾を引き、「自分には寛容力がない」「人間の器が小さい」などと自分を責め続けてしまう人が多いのです。
周囲の人に当たり散らしても、その後、まるで何もなかったようにきにしない人は、たしかにいます。
そういう人はそもそも「寛容力がほしい」と悩んだりはしないし、この記事を読むこともない。
だから考察の対象外とします。
一方、後々まで引きずる人は、「自分は、自分をコントロールできない駄目な人間だ」と、自分に対する自信をなくしていきます。
そのような人の中には、実際は相手に対して怒鳴ったりしていないにもかかわらず、「カッとして相手に激しい怒りを抱いてしまった」だけで自分を責めてしまう人もいます。
怒りが収まったあと冷静になればなるほど「あんなにイラッとした自分」「あんなふうに怒った自分」のことが非合理に思えてしまうのです。
しかし、繰り返しますが、「怒り」というのは、自らの地位や生命が脅かされそうになったときに発動されるものであり、人間の本能として当然なもの、自然なものなのです。
そのことを知らず、いつまでも自分を責めれば責めるほど、自分のエネルギーが失われ、さらに寛容力が低下していってしまいます。
ああ、今日もイライラしてしまった、怒ってしまった・・・と落ち込んだら、「でも、原始人モード(人の本能)で考えてみたら、これって当たり前だよね、怒って当然だよね」
と自分を認めてあげるべきなのです。
そのうえで、「でも、あの人にはいいすぎてしまったから、そこは謝ろう」「あの態度はちょっと大人げなかったかな。明日、フォローしよう」と、自分の行動をコントロールすることに意識を向けます。
「怒りの発生は認め、行動を選択していく」のが寛容力のコツなのです。
疲れが蓄積すると怒りやすくなる
現代に生きる私たちは、どこにいても追いかけてくるネットやメール、SNS・・・過剰な情報量によって疲労やストレスを感じやすい環境にいます。
疲れているときは、なるべくイライラせずに過ごしたい。
でも、くたくたのときに限って神経を逆なでするような出来事がなぜか続く・・・。
そう思うことがありませんか?
私たちは肉体的に疲れていると、いつもと同じバッグを何倍にも重たく感じるものです。
それと同じように、私たちは精神的に疲れると、「いつものこと」にもうまく対処できなくなる、つまり寛容力が低下するのです。
私たちが感じる疲労を、三つのレベル(段階)に分けてみましょう。
第一段階は「通常の疲労」です。
といっても、心地よい疲労ではなく、しんどく感じる疲労です。
このレベルの疲労は、なんだかだるいな、食欲がないな、疲れているはずなのによく眠れないな、というふうに体に表れます。
この状態で何かトラブルが起こったとします。
そのトラブルによるショックの度合いをA、回復までに必要とする時間をBとします。
そこからまた疲労が重なり、第二段階になったとします。
すると疲労は、「苛立ち」として表れはじめます。
これは、「これ以上、私を疲れさせないで!」という本能からのSOSともいえます。
この第二段階に疲労の度合いが進むと、第一段階のときとまったく同じトラブルが起こっても、そのショックの度合いは二倍になり、回復までにかかる時間も二倍になります。
さらに、もっと疲労が蓄積してしまったとします。
すると第三段階では、強い「自責の念」や「不安・無力感」が出始めます。
かなり深刻な疲労状態ですから、第一段階のときとまったく同じトラブルでもショックの度合いは三倍に、回復までに必要とする時間も三倍になります。
このように、疲労はそのレベルによって三つに分けてとらえることができますが、「寛容力」ということでいえば、「自分は駄目だ」「自分には寛容力がない」「人としての器が小さい」などと悩み始めるのは「第二段階」の疲労状態あたりからです。
なぜ、あなたは不寛容になってしまうのか?
答えは単純です。
あなたはかなり疲れているからです。
そのイライラは、本当にあの人が原因か?
あなたが朝、会社に出社したとします。
席に着くと、午前中に行なわれる予定の会議に必要な資料を部下が持ってきましたが、その資料に文章の誤りがありました。
「なんでこんな初歩的なミスをするんだ!」と怒鳴り、いつも自分を怒らせる部下に対して、あなたは、はらわたが煮えくり返りました―。
しかし、「こいつはいつも自分を怒らせる」というのは、あなたの思い込みであることが多いのです。
このことは、「時系列」で振り返ると、気づくことがあります。
たとえば、もし、あなたが出社して、部下に怒るまでの間に、こんなことが自分に起こっていたとしたら―。
- 朝、家を出る前に、妻とちょっとした口論をした
- 外に出ると、花粉症で鼻水が止まらない
- 駅までの道のりで、なぜかいつもより赤信号に多く引っかかった
- 電車の遅延があって大混雑、出社も遅れてしまった
- 席に着いてパソコンを立ち上げ、メールを開くと面倒な案件の連絡があった
そんなところに部下が会議用の資料を持ってきたが、誤りがあった。
そして、「なんでこんな初歩的なミスをするんだ!」と怒鳴ってしまった―。
いかがでしょうか?
このように「時系列」で振り返ってみると、あなたが部下を怒鳴るまでの間に、繰り返し繰り返し、怒りの火種が起こっていたことがわかります。
もし、1~5までのイライラがまったくなかったとしたら?
部下のミスに対して、「ここ、違っているよ。急いで修正しておいて」の一言で終わったかもしれないのです。
子育て中のお母さんで、「子どもを寝かしつける直前の歯磨きの時間に、毎晩のように怒ってしまう」という人がいました。
保育園から帰宅した子どもに、ご飯を食べさせて、一緒に遊んだあと、お風呂に入れて、パジャマを着させて、さあ、歯磨きをしたらおやすみなさいしようね、というときに「もっと遊ぶ~」「歯磨き、イヤ~」とグズられる。
「なぜ、うちの子はいつもそうなんでしょう。
子どもがちゃんと歯磨きしてくれれば、私も怒らなくてすむのに・・・」と、お母さんはいいます。
セラピストはこう答えました。
「私には、子どもが歯磨きを嫌がることがあなたの怒りの直接的な原因ではないような気がします。
その時間帯が、あなたの一日の疲れのピークなのではないですか。
一日中必死に頑張って、くたくたの時間。
子どもが寝てくれたらようやく一段落つけると思っているところでグズられる。
つまり自分の疲れによって堪忍袋の緒が切れやすくなっているのです。
怒らないためには、子どもの歯磨きにこだわるより、まず、あなたの蓄積疲労をコントロールすることが有効かもしれません」
怒ったり、イライラしたりする原因を「特定の相手」に決めつけてしまわないようにしましょう。
なぜなら、それをしてしまうと、そのうち、「自分の人生がうまくいかないのは、すべてこの人のせいだ」と思い込む危険性があるからです。
すると、その人とうまくやっていくことはもう困難になります。
それが身内や、職場の上司や部下など近しい人であったら、毎日はとても苦しいものになってしまいます。
誰かに怒りを感じたときは、「この怒りは、本当にこの人のせいなのだろうか?」と考え、時系列でその日、自分に起きた出来事を、ちょっと振り返ってみてください。
怒りという感情をコントロールして寛容力を高める
女性は体調に合わせて怒りが増す
女性の場合は、「理不尽なこと」などから怒りやイライラの感情を抱くより、「体調が悪いこと」から怒りやイライラの感情を抱くことも多く、それが寛容力の低下につながることがあります。
月経前や更年期は、特にホルモンバランスが乱れることによって、イライラが起こりやすくなります。
月経前にイライラして、むくみや頭痛などの不調が起こるのが月経前症候群(PNS)、閉経後の時期にイライラしたり、うつっぽくなったり、のぼせや冷え、肩こりなどが悪化したりするのが更年期障害です。
このようなときには、「朝、起きた瞬間からムシャクシャしている」「理由もなく涙が出る」というような不安定な状態になり、非常に苦しいのです。
これは、心のコントロールが下手だからではなく、ホルモンバランスの乱れが主な原因なのですが、それを知らず、いつもならやり過ごせたことに対してなぜかいちいち引っかかるようなことが続くと、ますますイライラが増したり、落ち込んだりして、心が不安定になります。
ホルモンバランスの乱れによって寛容になれないときには、そんな自分をダメだと責めれば責めるほどストレスや疲れは増幅します。
「心の問題」ではなく「体の問題」であることを、よく理解してください。
それをよく理解していないと、「寛容にならなきゃ!」と、無理して頑張ろうとしてうまくいかず、その結果、結局イライラして夫や子どもに当たってしまったりして、ますます落ち込み、さらに寛容力を低下させる・・・という悪循環に陥ってしまうので注意が必要です。
自分をどのように機嫌をとるか
もし、夫や子どもに当たってしまったとしても、自分を責めてはいけません。
「当たってしまったことはしかたがなかった。でも、私はなぜ当たってしまったんだろう?なんでイライラしてしまったんだろう?」と、自分の不寛容について、結果と原因をしっかり分けて考えることが大切です。
そして、女性の場合、その原因は「体の不調」である可能性が高いのです。
夫や子どもに当たり散らしてしまった・・・というような自分の不寛容について悩むことがあり、その解決策を考えるときは、「体調を整える」ことを優先順位のトップに持ってくるようにしてみてください。
ゆっくりお風呂に入る、ぐっすり眠る、軽く運動をする、ということから、ちょっと贅沢なランチを食べにいく、好きなお店で買い物をする、観たかったお芝居を観にいく、といった気分転換までふくめて、「自分のコンディションを整える」ことを最優先する意識を持ち、実践しましょう。
ちょっと贅沢なランチを食べにいく?
夫や子どもに当たり散らした自分にご褒美を与えるなんて・・・という人もいるかもしれません。
しかし「当たり散らしてしまったからこそ、自分をケアすべき時間」と考えてください。
二段階の疲れを三段階にしてしまわないための対応をいま、取るべきなのです。
自分で自分をご機嫌にする術を持っていることは、健やかに元気に生きていくためには、とても大切なこと。
夫や子どもを大切に思うからこそ、最優先でセルフケアをして、自分をご機嫌にしてほしいと思います。
インターネットのやりすぎはネガティブになる
人は怒り、不安などネガティブな感情を抱えているときほど、それを解消するために「情報」を集めようとするものです。
そして、その情報収集の主なツールのひとつが、インターネットです。
こんな話があります。
ある会社から内定をもらい、翌年の春にその会社に入社する予定の新卒の男性がいました。
期待に胸を躍らせていましたが、ある日、自分が入社する予定の会社の業績が悪化している、という噂を耳にしました。
不安がふくらみます。
そこで、インターネットにその情報がないかと検索。
しかし、特に、該当する情報は見当たりません。
にもかかわらず、「もしかして隠しているのでは?」と思い、さらに検索を続けると、同じ業界の競合会社が倒産の危機にあるという情報が。
「やっぱり自分の会社も危ないのではないか・・・」と、さらに不安が増大し、情報収集に躍起になり、疑心暗鬼に陥り、ついには入社を辞退することまで考えはじめた・・・。
そもそも、インターネットでは「安全情報」よりも、「こんなリスクがあるぞ!」という「危険情報」のほうが多く読まれます。
情報を提供する側は、そのことがわかっていますから、あえて確信犯的に、人の怒りや不安、心配をあおるような情報を流して注目を集めようとしています。
また、インターネットでは「匿名」で情報を発信することが可能です。
だから、たとえば、「この店は店員の態度が悪い。最悪だ。消えろ」などという、面と向かってのコミュニケーションでは使わないような劣悪な言葉も気軽に投稿されています。
「ネットなんて嘘だらけだし、あやふやな情報ばかりでしょ。わかっているから大丈夫」と思うかもしれませんが、人にとって、「毒」のある情報のほうが刺激的なため、知らず知らずのうちにネットの世界に取り込まれていき、その結果、心を不安定にさせてしまう危険性があるので注意が必要です。
また、LINEやTwitter、FacebookといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)との付き合い方にも注意が必要です。
SNSでは、特定のグループをつくることができます。
似た者同士で集まり、限定された付き合いの中で情報を共有することになるわけですが、こういったグループの中にいると、人は視野が狭まる傾向があります。
たとえば、ある映画が好きなコミュニティがあったとします。
こういったグループでは、その映画が全面的に好きなことが前提であり、それに反する意見を出すような人に対しては、「自分たちとは違う人間を排除する」という集団心理が働き、みんなで徹底的に攻撃するといった事態が起こったりします。
そして、前述のように、面と向かった会話であれば絶対に使わないような攻撃的な言葉、劣悪な言葉を使って叩いたりするのもネットの世界ならではの特徴です。
よく芸能人の不倫問題などで、日本中にバッシングの嵐が吹き荒れますが、そこには、「自分たちとは違う人間である」成功者や注目されている人の欠点を見つけて、攻撃したい、おとしめたい、というゆがんだ集団心理があります。
そしてネット特有の匿名性が手伝って、「なにがなんでも相手をやっつけてやる!」という狂気にも似た怒りが蔓延しているように見えます。
「寛容力を高める」ということに引きつけていえば、「インターネットというツールはとても便利だが、人の考え方や、ものの見方を著しく狭める、つまり不寛容にさせる危険性がある」
ということはよく理解しておく必要があると考えます。
「ネットと距離を置く」というのも大切な心のケアとなります。
たとえば、
「夜、9時以降はインターネットを見ない」
というふうに自分でルールを決めて実行すること。
スマホが手元に四六時中あるような人は、ネットと距離を置くと最初は不安になることがありますが、しばらくすると必ず落ち着いてきます。
おいしい食べ物や飲み物があふれている世の中ですが、だからといって際限なく食べたり飲んだりしていれば病気にもなります。
情報も同じで、欲求のおもむくままに暴飲暴食していると心の病気になります。
自分なりの方法で、うまくネットと距離を置いてみてください。
そうすれば、感情が安定します。
思考がクリアになります。
仕事がはかどります。
その他、多くのメリットを実感するでしょう。
価値観の違いを楽しむ寛容力
人は、つい、「自分がこう思っているんだから、相手も同じように思うはずだ」と考えがちです。
それが怒り、そして不寛容につながっていきます。
よく、「あの人とはまったく価値観が違う」などという人がいますが、そもそも価値観が同じ人など最初から存在しないのです。
そのくらい、物事の感じ方や受けとめ方はそれぞれで、千差万別です。
人の価値観は人それぞれ違う、ということは、他人との関係の中で「揉まれる」経験を通して学んでいくものです。
なかでも、人との価値観の違いをまざまざと感じ、大いに「揉まれる」経験ができるのが、「夫婦関係」ではないでしょうか。
こんな話があります。
静岡県で生まれたある男性が、東京都で生まれた女性と結婚しました。
年齢も近く、共通の趣味もあって、食の好みもわりと似ている―。
そんな二人が、新婚生活をはじめた日に大喧嘩をしたといいます。
喧嘩の原因は、なんと「お茶を出すタイミング」だったそうです。
お茶どころで生まれた夫は、子どもの頃から、食事のときには必ずお茶を飲みました。
お茶を飲みながら食事をし、食後にもお茶を飲みます。
ところが妻にはそのような習慣がありませんでした。
食事と一緒にお茶を出さない妻に対して、「あれ、お茶は?なんでお茶がないの?お茶を用意して」と責めるようにいってしまいました。
すると妻は、「せっかくおいしいごはんをつくったのに・・・なに?お茶、お茶、お茶、って。お茶は食事のあとに飲むものでしょ!」と怒り、そのあと激しい言い争いになってしまった―という話です。
異なる環境で生まれ育った他人同士が一緒に暮らすと、それこそ洗濯物の干し方から服のたたみ方まで、さまざまなことに「えっ、そんなふうにするの?」という「違和感」や「ギャップ」があります。
そういう経験を通して、自分と他人は違うんだな、人は人それぞれなんだな、ということに気がつき、それを認め、受け入れることができるようになります。
そしてその違いを楽しむ位の余裕を持つことが、他人に対する理解力や寛容力を育てていくのです。
夫婦が長年一緒にいると互いに丸くなっていくのは、「人それぞれ」を深く学び合う結果なのかもしれません。