「間違った努力をしない」、これが燃え尽きないためには必要である。
「間違った努力」とは満足をもたらさない努力である。
「犠牲を払うから幸せになれない」(ポーランドの哲学者でかつ美学者タタルケヴィッチの言葉)
なぜ頑張りすぎてしまうのか
同じ走っていても、追いかけて走っているのと、追われて走っているのとでは違う。
「顔色が悪いね、どうしたの」
この会話の動機はどのようなものであるか。
関係を円滑にするためにほめる、
いたわりの心でほめる、
活力を生み出すためにほめる。
お世辞でほめる、
取り入るためにほめる、
おだてて何かをやらせるためにほめる、
好かれようとしてほめる、
ほめることでしか相手とかかわれないからほめる。
これを間違えるのが神経症。
動機で成功と失敗は決まる。
「こんなに頑張っているのに」と、他人から見れば、自分のことばかりしている人は、自分の動機を反省する必要がある。
劣等感に苦しんでいる人は「私は一生懸命ウサギを飼っています」と言う。
「私は努力してウサギを飼っています」と言う。
しかしこちらが「ウサギを飼ってくれ」と頼んでいない。
だから「こんなに努力しているのに幸せになれない」のである。
劣等感に苦しんでいる人の努力は、基本的に人を見返すための努力なのである。
人を蔑むための努力なのである。
だから努力しても努力しても幸せになれない。
成功して見返すことができれば嬉しいかもしれないが、幸せにはなれない。
成功しても失敗しても孤独であることには違いがない。
人との信頼関係は相変わらずない。
だいたい自分の弱点を過剰に意識するときには人との信頼関係はない。
劣等感に苦しんでいる人の努力は、本質的に復讐のための努力だから努力が幸せには結び付かない。
つまり弱点を過剰に意識する心の裏側には憎しみがある。
憎しみからの努力はどこを間違えるか。
それは単に難しいことを達成しようとすることにおいてである。
難しいことをすれば人に認められるからである。
医学に興味がないのに医学部の入試が難しいからと医学部に入ろうとするような受験生の努力である。
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同じことを言っても、好かれる人と嫌われる人の差
社長に「おはよう」と言って嫌われる人と好かれる人がいる。
嫌われる人はリズムに乗っていない人である。
社長にもなれば悩みは多い。
そこでスカッと「おはよう」と言ってもらいたい。
つまって「おはよう」と言えば、嫌われるほうである。
また「おはよう」が建て前の人もいる。
本音は「あんたが嫌い」である。
これではいくら「おはよう」と言っても好かれない。
「社長、元気そうでよかったですね、今日も一日元気でいてくださいよ」という気持ちで「おはよう」と言えば好かれる。
行動は背後にある動機を強化する。
動機を間違えると、努力の仕方を間違える。
動機で成功と失敗は決まる。
努力と才能だけでは成功しない。