心が傷つく心理

心が傷つくとは

心が傷つくのは仲直りより仕返ししたい?

心が傷つく心理としてほんの小さな場面でも、自分の心を覗くとさまざまな感情を感じています。

自分の感情に気づかない人は、傷ついた時、気づかないまま無数の痛みを抱えることになるのです。

そんな未解消の感情が蓄積していると、相手と離れられなくなっていくだけでなく、どんどん傷つけ合っていきます。

「あなたのせいでこうなったんだから、私の人生、返してよ」
「お前なんかと結婚したのが、失敗だったんだ」
「お前なんか、産まなきゃよかったよ」
「最初から、君の力なんて期待してなかったよ」

こんなひどい言葉を吐いてしまうのは、「仕返し」の気持ちが働いているからなのです。

心が傷つく人は気付かないうちに泥沼に

厄介なことに、自分の感情に気づかない人は、自分が仕返ししているという自覚すらありません。

自分にとっては、気づかない方が、仕返ししても罪悪感を覚えないで済むというメリットがあります。

事実、私たちは問題解決を望むより、無意識に”仕返し”していることがはるかに多いのです。

自分が発した言葉や行動に相手心が傷つくとき、「そんなつもりで言ったわけではなかったのに」

こんな言葉の奥にも、しばしば仕返しの気持ちが潜んでいて、自分がそれに気付いていないだけなのです。

家で誰彼構わず当たり散らすというのはよく聞く話です。

テレビを観ながら画面に向かって聞くに堪えない言葉を浴びせる人もいます。

感情を解消できない人ほど、こんな形で仕返しをするしかなくなっていくのです。

こんな仕返しの気持ちを抱きながら、「誰一人、自分をわかってくれる人なんていない」などと嘆いていれば、知らぬ間に「人が憎い」「社会が憎い」となって、自ら争いを仕掛け、よけい怖い状況を引き起こしていくことになるでしょう。

心が傷つく前に自分から行動する

では、こんな悪循環に陥らないためには、どうすればいいでしょうか。

それは、「自分を傷つけないために、自分から行動をする」ことです。

「だから私は、恋人に会いたいという自分の気持ちを大事にしていたんです」と答えていました。

けれども、そのために自分を犠牲にするというのは、賢明な選択でしょうか。

それは、自分の心が傷つく行為です。

実際、「彼女と彼」は、互いに傷つけ合ってばかりいました。

自分を犠牲にして「相手を大事にすることで、愛されたい」よりも、「私を愛したい」を選んでほしいものです。

そうすれば、「自分を傷つけてでも会う」方法ではなく、「自分を傷つけないで会う」方法が見つかります。

彼が「車で迎えに行く」と言ったとしても、「待つのは苦手だから、私があなたの家に行くわ」などと、自分を傷つけないための方法をとることができます。

相手の気持ちを試すよりも、「今月は、誕生日だから、プレゼント期待してるね」

などと、自分から先手を打つこともできます。

「一緒に楽しく過ごしたいから、しっかりと守れる日を決めてね」

と宣言することもできます。

約束を忘れやすい相手であれば、「忘れられるんじゃないかと気になるから、もう一度、伝えておきます」

こんなふうに「相手を待つ」よりも、自分から能動的に動いたほうが、自分に誇りを持つことができます。

また早めに対処できるので、感情の蓄積を防ぐことができます。

そのために無意識に仕返しをしたりして無用に傷つけ合うこともなく、離れるべくして離れる人とは離れ、親しい人とはより親しくなれるのです。

心が傷つく自分によって自分の心を満たす

居直る相手。逆ギレされた!

言い争いがエスカレートしてピークに達したとき、息子や娘が両親に、多くの場合、妻が夫に、あるいは恋人同士の女性が男性に言った後、こう返されます。

「”あのときは、あのときは”って、よく、君は昔のことを持ち出すよなあ。じゃあ、どうすればいいんだよっ!昔のことはどうしようもないじゃないか!」

怒鳴って言いながらとどめの言葉です。

確かにそうです。

相手に言われるまでもなく、過ぎ去ってしまった過去は取り戻せません。

だからこそ、過去のことが頭にこびりついていて、責めずにはいられなくなっているのですから。

そんなあなたに、相手から激しく「どうすればいいんだ」と言い返されれば、それ以上答えることができずに、黙るしかありません。

過去の話というだけでなく、相手のそんな反応に恐怖を覚えて、二度とそれについて言えない、とあなたは口を噤んでしまうかもしれません。

けれどもあなたが、そうやって相手を恐れて「二度と言えない」と思ってしまうと、いっそうあなたは「どうしようもない」気持ちに駆られていくに違いありません。

あなたは打ちひしがれながら、「過去のことを持ち出しても、どうしようもない。じゃあ、どうすれば」

と絶望的な気持ちになるでしょう。

でも、肝に銘じておいてください。

あなたが相手とのことで「あのときは、あのときは」と言いたくなってしまうのは、決してあなたが間違っているわけではありません。

あなたがそう言い募りたくなる心が傷つく理由が、ちゃんとあるのです。

それは、相手が「あなたに、それを言わせない」ような態度をとってきたからです。

繰り返します。

相手が、あなたと向き合おうとしなかったのです。

求めても応えてもらえないことも

物事を自分の問題として向き合えない人達がたくさんいます。

例えば、周囲の人に何も知らせずに黙って出掛ける人もそうです。

何でも内緒にしたがる人もそうです。

とりわけ家族には相談せずに、自分勝手に物事を進めようとする人が少なくありません。

男性に多いパターンですが、事後承諾の人もそうです。

行動してしまった後では、家族も反対のしようがありません。

これは、家族に言うと「十中八九、反対される」と思い込んでいるからです。

しかし独断でそうしながらも、本人は、自分がそうすることを心から認めているわけではありません。

秘密裏に行動するために、絶えず、反対されるのを押し切っているような罪悪感を抱いています。

もちろん、それを自覚できない人もいます。

相手に言えば「反対される」と頑なに信じている人達が、相手と向き合うのを恐れるのは当然のことでしょう。

それは、心が傷つく人の裏を返せば「自分を認めていない」ということです。

自分を認められない人が、あなたの言い分や主張に耳を傾けられるわけはないと思いませんか。

むしろ、あなたは、これを自覚してほしいのです。

自覚できれば、相手が向き合ってくれるのは、今は”無理”だとわかるでしょう。

「向き合えない相手」をすぐに変えることはできません。

では翻って、あなた自身はどうでしょうか。

向き合えない相手を、あなたは認めることができるでしょうか。

そんな相手を認めることができれば、あなたは、「あのときは、あのときは」というふうに、過去を持ち出したりはしないはずです。

過去のことを蒸し返したくなるほど、あなたは”満たされていない”気持ちで一杯になっています。

かといって、相手に「満たしてくれる」ように求めるのも無理とわかりました。

では、あなたのこんな気持ちは、どうすれば解消できるのでしょうか。

自分で自分にOKを出そう

あなたの視点で見れば、あなたが「あのときは、あのときは」と言いたくなるのは、どうしてでしょうか。

この中に、答えがあります。

そうですね。

「傷つくのが怖くて、自分がそれをすることを認められなかった・・・」

ということです。

もしあなたが”自分がそうすることを心から認める”ことができれば、「これから私は、自分の気持ちのほうを大事にします。自分のために行動します。だから、協力してください」と堂々と言えるはずです。

そして、「私は、今、これをしていたいのです」

「私には、無理ですね。お断りします」

「私は精一杯、努力してきました。だから、満足しています」

というふうに”自分を認めるための行動”をしていきましょう。

もちろん、あなたが幼い頃は、自分がしたいことをしようとしても、それを親が「認めない。許さない」ということもあったでしょう。

けれども、今のあなたは、「自分の気持ちや意志に添う」ことができるはずです。

さらにまた、あなたがそうやって自分を基準にして考えたり行動することが、「あのときは、あのときは」と言いたくなるような心が傷つく人の過去の呪縛から解放されていく最善の方法なのです。

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心が傷つく中でも満足を見つける

相手に満たしてもらえれば幸せ?

あなたは「相手に認めてもらえれば、満足できる」と信じていませんか。

「相手に愛してもらえれば、幸せになれる」と信じているかもしれません。

確かに、職場で社長に認められたり、愛する人に愛されている場面をイメージすると、そのプラスイメージによって、快楽物質が生産され、その気持ちよさに浸ることができます。

でもそれは、あくまでもイメージの上での気持ちよさです。

果たして、現実的にはどうでしょうか。

あなたがイメージするような心地よさや歓びを、実際にはどれくらい得ていますか?

例えば、上司があなたに「よくやってくれているね」と認めてくれたので満足しました。

パートナーが「愛している」と言ってくれたので満足しました。

でもその後、上司があなたに素っ気ない態度をとったり、別の人を誉めていたりすれば、そんな心が傷つく人の満足感は、たちどころに萎んでしまうのではないでしょうか。

あるいは、あなたの中に、相手を疑う心があったり強い不信感があれば、どんなに相手があなたに誠意や善意を持って尽くしてくれたとしても、あなた自身がそれを否定したくなるでしょう。

「ただ待つだけ」の人生なんてつまらない

ところが奇妙なことに、相手に対して不信感の強い人ほど、相手が自分に対して不実なことをしても、それを認めようとしません。

例えば相手が、あなたを「愛している」と言ったとします。

相手はそう言いながらも実際には、「忙しい」と言ってなかなか会おうとしなかったり、お金を借りても返そうとしません。

「愛している」という言葉とは裏腹に、相手の実際の行動は、どんなに割り引いて考えても誠実だとは思えません。

そんな相手でも、「愛している」という言葉にすがって、相手のほうからアクションがあるのを待ち続け、自ら行動を起こすことをしません。

それは、心が傷つく人の「相手と自分の関係」が”決定的な結論”に達するのが怖いからです。

それを自分ではすでにわかっています。

わかっているからこそ、”結論”が出るのを恐れて、現実を直視するのを避けようとするのです。

職場でも個人的な付き合いでも、あなたの根本的なパターンは変わりません。

もし、相手によってもたらされる満足の「賞味期限が切れてしまった」場合、あなたはどうしますか。

相手が与えてくれるまで、我慢していますか。

それとも、自分のほうから能動的に働きかけることができるでしょうか。

「気になるので、もう一度、確認させていただけますか」

などと、自分の気になる気持ちを解消するために行動したり、「あなたの考えは理解できるけれども、今のところ、これに関しては、私がこう決めたので、最後までやってみたいんだ。ありがとう」

などと「自分の満足」のために、相手に伝えることができますか。

さらにもっと自分の満足のために、あなたの満足を「数値化・定量化」してみましょう。

考えたことがないかもしれませんが、自分の感情をつぶさに観察すると、「自分の満足する時間・分量」というのが、確かにあるのです。

まさにこんなところが、自分中心でなければ見えてこない点ではないでしょうか。

自分の満足は自分で手に入れる

満足を時間に換算すると、あなたの満足は一日に何時間ぐらいですか。

満足度の質のレベルはどうでしょうか。

それを、数値化・定量化することができますか?

例えば仕事はどんな内容に満足感を覚えていますか。

どんな内容をつまらないと感じていますか。

どんなところがつまらないかを、具体的にわかっていますか。

集中力を高めるためには、どれぐらいの休憩時間を何回挟んだほうがいいですか。

同僚と一緒にいるとき、リラックスしていますか、緊張していますか。

何分だったら、楽に一緒にいられますか。

一対一はいいけれども、複数になると苦手ということもあります。

残業は、一週間のうち何時間以上になると負担になってきますか。

恋人だったら、月に何回会うことができれば、あなたは幸せでいられますか。

週に何回、メールをくれたら満足しますか。

夫婦であれば、相手とどんな時間をそういうふうに過ごせば、満足しますか。

家事は具体的にどういうふうに分担すれば、満足できますか。

こんなふうに書いていくと、心が傷つく人の「満足」というのは、相手よりも、自分自身が自分のために「満足できる状況」を数値化・定量化できるほど、具体的に把握できていると言えます。

そしてさらに、「自分の満足のため」に、言葉で表現できたり行動できることが、満足の鍵と言えるのかもしれませんね。