「自分はダメな人間だ」「何をやってもうまくいかない」と自信がもてない人がいます。
一方、自信たっぷりに見えても、ふとしたことで「もうダメだ」と落ち込んだり、積み上げてきた自信が折れてしまう人がいます。
なぜ、「自信がある人」と「ない人」がいるのでしょう。
どうして「自信たっぷり」だったはずなのに「折れてしまう」のでしょう。
「折れない自信」とは何なのでしょうか。
折れる自信の特徴
「自信がない人」って、世の中にはたくさんいます。
「仕事をしていても、いつもどこか自信がもてない」
「何をやっても、どこの職場でも、うまくいかない気がする」
「上司や同僚に怒られないか、間違いを指摘されないかとビクビクする」
「がむしゃらにがんばって一番の売上を達成して、一時は自信がついても、今度はいつ落ちるかを考えると不安でしかたない」
「実績を上げても、目標を達成しても、『これでいいのか』とあせる自分がいる」
このように、「自信がない人」の性格や状況や抱えている思いは人それぞれです。
しかし「自信がない」と悩んでいる人の話をよくよく聞いてみると、「自分には価値がない」と思っている-たいていが、こういうことなんです。
自分の「価値」が「ない」って思っているのです。
では、その「価値」を決めるのは誰でしょう?
上司やクライアント?まわりの人?「他人」だと思っていませんか?
あるサラリーマンは「自分の価値」を決めるのはずっと「他人」だと思っていました。
上司やクライアント、同僚などの「他人」が評価してくれたり、褒めてくれたりしたら、自分には価値があるんだと思っていたんです。
だからこそ、上司やクライアント、同僚などの期待に応えようと、ほめられようと頑張ってきました。
でも、期待に応えられることもあれば、当たり前ですが、がんばってもがんばっても、応えられないこともありました。
褒められるときもあれば、やってもやっても褒められないときもありました。
期待に応えられない、褒められないと、「まだ、がんばりが足りない」「もっと、がんばらなくちゃ」と、さらに頑張ろうとしていました。
「相手に認めてほしくて」走り続け、「認められてうれしくて」走り続け、「認められなくなるのが怖くて」走るのをやめられませんでした。
これは、本当にしんどかった。
でも、ある日、これまで自分が思い込んでいたことを「それ、本当かな?」と疑ってみたのです。
自分の価値を決めるのは「他人」なのだろうか、と。
本当に自分には価値がないんだろうか、と。
すると、気づいたんです。
自分の価値を決めるのは「他人」だと思って頑張ってきたけれど、でも、自分が一番自分を評価していなかったということに。
自分で自分を「価値がある」と思ってないのに、「素晴らしい」と思ってないのに、他人に対して「価値があると思ってよ」「素晴らしいと思ってよ」と求めていたんだということに。
「他人から」認められることばかり考えている人は、「他人」の評価という視点があっても、「自分」という視点がありません。
自分の評価や価値を、すべて「他人」基準に委ねてしまっている。
「自分」ではなく「他人」という軸を中心に生きてしまっている。
つまり「自分がない」のです。
自信って「自分を信じること」だと思っています。
自分で「自分には価値がある」と信じること。
自分で「自分は素晴らしい」と知ること。
これが僕のいう「自信」です。
「自信がない」という人は、「他人から」いいと言ってもらわないと、いいと思えない。
「他人から」価値があると認めてもらえないと、価値があると認められない。
「他人から」素晴らしいと信じてもらえないと、素晴らしいと思えない。
そんな人生を生きてしまっているのです。
「折れない自信」をつくるためには、まず、このことを知っていただきたいな、と思います。
「自分には価値がある」と思って生きる
ある人は、自分では「自分には価値が無い」と思っていました。
だから、「他人の評価」や「他人の目」を気にしていました。
すると会社内でどうするかというと、他人の評価や評判がものすごく気になって、それを必死で上げようとします。
自分の実力を示そうとします。
結果を出そうと一生懸命になります。
それで、認められたときはすっごくうれしくなります。
でも、結果が悪いと、けなされると、一瞬で落ち込んで自信が消え去ります。
もう、一瞬ですね。
でも、やっぱり認めてほしくて、がんばろうとあがきます。
あるいは、認められたいけど、思ったよりも認めてもらえない場合、見捨てられないよう、ダメなやつだって言われないよう、まわりの空気を読もうとします。
びくびく様子をうかがいます。
一方、「自分には価値がある」「自分は素晴らしい」と信じている人だったらどうでしょうか。
他人の評価や評判に振り回されません。
「評価を上げたい」と思ってがんばるかもしれませんが、自分を押し殺してまでといったような無理はしません。
上司や会社からの評価が高くても、その実力を誇示しようとはしません。
がんばって結果が出たときは、素直に「うれしい!」と思いますが、思うような結果が出せなくても「しょうがない。次がんばればいい」と思えます。
けなされても、「まぁ、そう思う人もいるよね」と深くは気にとめません。
批判されても、むしろ「次に挑戦するときの参考にしよう」と思ったりします。
つまり、「自分には価値がある」と思っている人と、「自分には価値がない」と思っている人とでは、とる行動が自然と違ってくるということです。
これは、会社内のことであっても、学校でも、家庭でも、どんな場面でも同じです。
「自分には価値がある」という「肯定の前提」で生きている人と、「自分には価値がない」という「否定の前提」で生きている人。
両者のとる行動は、まったく異なってきます。
「自分は好かれている」「自分はうまくいく」「自分には価値がある」「自分は素晴らしい」という「肯定の前提」でとる行動。
「自分は嫌われている」「自分はうまくいかない」「自分には価値がない」「自分は素晴らしくない」という「否定の前提」でとる行動。
「否定の前提」で生きるのか。「肯定の前提」で生きるのか。
人生が変わってくると思いませんか?
ありのままの自分で他人と接する
ある人は以前、「実績を積めば自信がつく」と思っていました。
”他人から”「すごい」「素晴らしい」と言われる「実績」や、売上や目標を達成して、”他人から”評価されることで積むことのできる「実績」です。
でも、実績を積んでも、なかなか自信はつきませんでした。
なぜなら、実績を積み上げても、そのなかの一つを”他人から”否定されると、積み上げてきたタワーがそこからぽきっと折れたからです。
でも、それって実は当たり前のことだったりするんです。
だってもともと”他人から”もらった自信なんですから。
他人から認められることでつく自信は、他人から認められなくなったら、なくなってしまうんです。
これは「折れる自信」なんです。
では、「折れない自信」とは、どういうものでしょうか。
自信は「自分を信じること」。
その信じる「自分」というのは、「誇らしげな実績のある自分」や「仕事ができる自分」、「他人から認められる自分」ではなく、「実績のない自分」「できない自分」「他人から認めてもらえない自分」だとも。
つまり、実績があってもなくても、できてもできなくても、よくても悪くても、「素のままの自分」「ありのままの自分」を信じるのが「自信」なのです。
「素のままの自分」「ありのままの自分」を信じるのですから、実績を積む必要もありませんよね。
積んだりしないのですから、折れることもありませんよね。
これが「折れない自信」です。
本物の自信って、「積み上げた実績」「残した結果」よりも「何もない自分」にOKを出せるかどうか、「ありのままの自分」を「素晴らしい」「価値がある」と、ただ、信じられるかどうか、だったりするのです。
おめでたい人間になる
「自分のことを自分で『素晴らしい』と思うなんて、そんな根拠のないことはできない」と言う人がいます。
あるいは、「他人が私のことを素晴らしいと思ってないのに、私がそう思うのは恥ずかしいし、不安で怖い」と言う人がいます。
でもね、自分で自分のことを「素晴らしい」と思ったって、誰にも迷惑かけません。
誰かを傷つけることもありません。
時間もお金もかかりません。
しかも、ノーリスクです。
だって、ただ、「自分は素晴らしい」と信じるだけ、なんですから。
しかも、「自分は素晴らしい」と思っていると、他人に認められたくて必要以上にがんばることもありません。
実績をつくりたくて、無理を重ねることもありません。
ほめられたら、素直に「うれしい!」と思うし、けなされても、悪口を言われても「悲しい、けどそういうこともある」と立ち直れます。
だって「自分は素晴らしい」んですから。
このように、「自分で自分のことを素晴らしいと思う」ことで得られるものは大きいのです。
思うのは簡単でノーリスクなのに、結果は、ハイリターンなのです。
え?それでもまだ、「自分は素晴らしい人間」って思えないって?
考えてもみてください。
「自分は素晴らしい人間だという根拠」もないだろうけど、「自分は素晴らしくない人間だという根拠」も、実はあんまりないんですよね。
どっちにしろ、単に「思い込み」って世界だったりするんです。
だったら、「自分は素晴らしい人間」って思ったほうが得だし、楽しいって思いませんか?
どうせ、思い込むんなら、いいほうに思い込むほうが幸せに生きられるんです。
どうせ、勘違いするなら、ハッピーな勘違いをしてほしいんです。
まずは、「自分は素晴らしい」と勘違いする。
よく「バカになれた人が、一番幸せ」と言います。
不幸に気付かないほどのバカ。
なんでも、いいほうに取ってしまうバカ。
嫌われてても気づいていないバカ。
まわりになんて言われようと、気づかないバカ。
「おめでたい人間」と言ってもいいかもしれません。
でも、そんな「バカ」が一番幸せなんだと思います。
ダメと指摘されたからといってダメな人間ではない
たとえば、仕事でやりたかったプロジェクトのメンバーに選ばれなかったことがあったとします。
「選ばれなかった」という否定の「事実」。
もちろん残念だし、悔しいし、落ち込むし、悲しい気持ちになるのはよくわかります。
しかし、「事実」と「私の価値」を重ね合わせないでほしいのです。
「私」は、確かに「選ばれなかった」のかもしれない。
でも「私」は、「選ばれなかったことはあるけれど、選ばれない人間ではない」ということ。
「選ばれないという経験はしたことはあるけど、選ばれない『ような価値の』人間ではない」ということ。
ここを「知る」必要があります。
価値があるのに、選ばない人もいる。
価値に気づかずに、選ばない人もいる。
「その時の価値」で捨てざるを得ないときもあるのですから。
けれども僕たちは、これに気づかずに、ついうっかり、混同しがちです。
「お客さんの前であんな話し方したらダメだろ」「そんな仕事のやり方をしていたら、うまくいくもんもいかないよ」と上司や同僚から否定される。
そういうことが重なると、「話し方」や「仕事のやり方」の話だったはずなのに、それができない「私」がダメだと思ってしまう。
やがて「私ってダメな人間だなぁ」と深く落ち込んでしまう。
「ダメと言われた」事実から、「私はダメな人間」と勘違いしてしまう。
「事実」と「私の価値」を混同してしまったりするのです。
「ダメと言われた」事実はあるにしても「ダメな人間」ではないのです。
「できなかった」出来事はあるにしても「できない人間」ではないのです。
「ダメと言われた」経験はあるにしても「ダメな人間」ではないのです。
そういう「出来事」があったからといって、そういう「人間」にならなくていい。
そういう「経験」をしたからといって、それを「すべて」にしなくていい。
「出来事」と「自分の価値」は関係がないのです。
まとめ
自信とは、「自分を信じること」。自分で「自分には価値がある」「自分は素晴らしい」と気づく。
ダメでも、情けなくても、ありのまま、そのままの自分を「価値がある」「素晴らしい」と信じてみる。
自分には「価値がある」と肯定的に思っている人と、「価値がない」と否定的に思っている人とでは、行動が違ってくる。
たとえ、「ダメと言われた経験」があっても、「ダメな人間」ではない。「経験」と「自分の価値」は関係ないと知る。
がんばって実績を積むことでつく自信は、「折れる自信」。ありのままの自分を信じる自信は、条件も理由もいらない。だから折れない。