ある少年の父は年をとるに従って、ジョークやお気に入りの昔話を繰り返すようになった。
子どもたちが学校帰りに寄るお菓子屋の、グリーンおじさんの話は、とくに何度も聞かされた。
―ある日、「グリーンおじさんがサワーボール(すっぱい丸いキャンディ)をただでくれるという噂が広まった。
二人の少年にはいい話に思えたので、彼らはうわさがほんとうかどうか確かめようと店に行った。
グリーンおじさんは挨拶を返してくれたが、色とりどりのキャンディが詰まった大きな丸いガラス鉢の前にしばらく立っていても、黙ったままだった。
ついに、一人が勇気を出してサワーボールをただでもらえるかどうかたずねると、グリーンおじさんは「だめだ、ねだった子にはあげないよ」といかめしく答えた。
少年はしばらく呆然とそこに突っ立っていたが、遂にもう一人が、「グリーンおじさん、僕はねだってないよ」と言った。
グリーンおじさんは彼を見下ろしながら「だめだ、だって、きみは何もほしがらなかったから」と答えた―。
父が知っていたかどうかはわからないが、この話は、ほかの人に何か望むとき、いい人が陥るジレンマと一致する。
何かを要求するとき、自分は強欲と思われるのではないか、ほしいものを与えてもらえないのではないかと心配する。
だが、逆に要求しなければ、相手は何ものぞんでいないのだと思い込むだろう。
どっちみち望んでいるものは得られないのだ。
私たちは毎日、一般的でそこそこの、要求や欲求をもって暮らしている。
しかし、欲求がかなえられる恵まれた瞬間でも、それを口にすることすらしない。
自分がしたいことは何なのか、その欲求は正当か、かなえてくれる人に近づくタイミングといったことは、どんなときにわかるのだろうか?
たとえ、自分がしたいことをはっきり言葉にしていても、また、きちんと表現しないと何か大切なものを逃してしまうと直感的にわかっていても、私たちの社会では、しばしばはっきりと自己表現する力はさまたげられてしまう。
残念ながらその瞬間には、何かにじゃまされているとも、沈黙していては何事もうまくやれないとも、気がつかない。
また、たとえ気がついたとしても、その瞬間が過ぎ去ってしまうまで、何が間違っていたのかわからないのが普通だ。
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自分を信じられないと他人も信じられない
人付き合いにはパターンがある
五パターンの社会的交流が、この種の沈黙の代表例だ。
個人的なものも、ビジネスライクなものもある。
平凡で大して重要性をもたないように思われるものもあれば、個人の幸福に不可欠とされるものもあるが、すべては恐れや自分が傷つくのでは、という不安によってコントロールされている。
自分ががまんして成り立つ人付き合い
たとえば、ケーキを注文した店の近くで、親しい隣人が働いていたとする。
もし頼んだとしたら、彼は気軽に注文したケーキを取りに行き、家まで届けてくれるかもしれない。
だが、仮にそうでも強要はしたくない。
だから頼まないで、忙しいスケジュールのさなか、往復九十分もかけて自分の車で取りに行く。
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拒絶を怖がっては人付き合いできない
人を怒らせるかもしれない、無礼だと思われるかもしれない、または拒否され、ばつの悪い思いをするかもしれないという考えに、いい人はおびえる。
たとえば誰かの家を訪ねたとき、相手がタバコを吸っていたとする。
ちょうど気管支炎だったり、タバコの臭いが耐えがたいたちだとしても、いい人は「タバコをやめてくれ」とは頼みたくない、もしくは頼めない。
あるいは、まわりの迷惑になるほど行儀の悪い子どもがレストランにいて、内心ではその子の両親になんとか(大声で叫んでいることに対してなんとか!)してもらいたいと望んでいるのに、一言も言わない。
自分を利用しようとしている人との人付き合い
友人に夕食をごちそうしたが、ウェイトレスが過剰請求の伝票を持って来て、内心ドキッとする。
伝票を水増ししたのか勘違いなのかわからないが、いい人でいたいので、相手や自分自身にばつの悪い思いをさせたくない。
そこで説明を求めることなく勘定を支払う。
または、お金を貸していて返済の期限を過ぎている友人がいる。
友人は決してそのことにふれないし、自分も何も言わない。
力のある人や弱いものいじめをする人との付き合い
意地悪な人や権威者タイプの人が自分を脅すが、彼らに立ち向かっても損なだけ、と思い込む。
上司が自分に膨大な仕事を押しつけるのをやめてほしいと思うが、黙ってコツコツ働き続ける。
または、医師がさっさと今まで自分にはまったく効かなかった薬を処方しても、何も言わない。
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親しい相手との人付き合い
親密だと自分のしたいことを言うのが照れくさく、つらい場合すらある。
冷淡な配偶者にちゃんと評価してもらえない場合(とくに何年も続くようなら)、そのことを口に出すのが非常に苦痛だと思うかもしれない。
または配偶者と性的欲求については話し合えないかもしれない。
性生活はワンパターンになっていて、心の中では何か新しいことを試したいが、いざその段になるとそうしてくれとは言えない。
自分が何をしたいかを要求できると思わないために、いい人はどんな人付き合いにおいても、無意識に遠まわしの方法に頼る。
かかわる人を巧みに操ろうとしたり、罪悪感をもたせようとしたり、直接には言わずに自分の望むものを得たいと考えたりする。
または、別に口に出さなくても、親しい人なら自分の気持ちを読み取って、望みをかなえてくれるはずだとほのめかすこともある。
それでわかってもらえないと、相手に怒りを覚えるかもしれない。
このような企てが何であれ、自分が何をしたいかを気軽に直接言わないため、遠まわしになってしまう。
ある人は内気なたちではなかったが、七十代半ばになってはじめて、人に何を望んでいるかを言うことがどんなに大切かを知った。
それまでも主張することについては読んで知っていたが、まだ自覚がなく、人との摩擦や、利己的に思われることや、自分自身とまどうことを恐れていた。
そのため、必然的に黙ったままで何をしたいかを言わずにいるか、遠まわしにしか自分の望みを口にしなかった。
まとめ
自分がしたいことは何なのか、その欲求は正当なものなのかをわかっていることが大切である。
すべては、自分は嫌われるんじゃないか。という恐れや不安にコントロールされている。そして、他人に怒られるんじゃないか、拒否されるんじゃないかと、いい人はおびえる。
いい人は人付き合いに対し、無意識に遠回りに自分の要求を伝える。
そして付き合う人に罪悪感を持たせるようにわからないように操作し、自分の欲求を得ようとする。