どうしたら「他人をリスペクト」して自己肯定感を高めることができるのか

お互いの「領域」を守っていく

「嫌だな」と思う相手についても、「まあ、いろいろな事情があるのだろうな」と考えることによって、少しストレスが減って、穏やかで優しい気持ちになれることに気づかれたのではないでしょうか?

ここでは、他人をリスペクトするための5つの原則をお伝えします。

「こういうことか!」と、感覚的にもよりいっそうわかってくるでしょう。

まず原則1は、お互いの「領域」を守っていくこと。

ある意味ではこれがリスペクトの一番の基礎となる考え方かもしれません。

人にはそれぞれ、持って生まれた条件や、生きてきた中での様々な事情がある、ということは、これまでにもお話ししてきました。

それを、ここではその人の「領域」と呼ぶことにします。

持って生まれた条件や今まで生きてきた中での様々な事情、これらは、本人の「内心」に関わるもので、本人にしかわからないですし(本人すらわかっていないこともあるのですが)、他人が決めつけるような性質のものではありません。

彼女にはいつも幸せでいてほしいから、ネガティブなことを言うとイライラして、「もっとポジティブになりなよ」と言ってしまう。

これは一見、「親切な、思いやりのある態度」と思えるかもしれません。

しかし、彼女がネガティブなことを言うのには、それなりの事情があります。

それは「彼女の領域」内のことです。

もちろん、幸せでいてほしいと思うことは、決して「いけないこと」ではありません。

しかし、おそらく自己肯定感が低いであろう彼女にダメ出しをしてしまうと、彼女はますます自己肯定感を低下させて幸せから遠ざかってしまうでしょう。

「相手の領域」を守る、ということは、その人の「ありのまま」を尊重することです。

しかし、多くの人が、この例のように、「相手の領域」について、「ありのまま」では許せず、決めつけるようなことを言ったり決めつけるような態度をとったりしています。

たとえば、大切な人を失った、という人に対して「おかげさまで命の大切さを知りました」などと言うことは、喪失体験まっただ中の人にとっては、「不適切」「傷ついた」「うるさい」「余計なお世話」と聴こえることでしょう。

大切な人を失った場合は、誰もが「悲しみのプロセス」を通るものですし、そんな中で本人や周りは確かに「命の大切さを知った」という心境になることもあります。

しかし、悲しみの真っ只中にいて、未来に絶望しているとき、あるいは様々な後悔の念に苦しんでいるときに、他人が「おかげさまで命の大切さを知りました」などと言うのは、ハラスメントと呼んでもよいものです。

相手のデリケートな喪失体験の意味を勝手に決めつけるようなものだからです。

多くを語ってくれない相手の「ありのまま」を受け入れる、というのは、ただ、大変なときなんだな、という目で見守る、ということになるかもしれません。

「命の大切さを知った」などと決めつけるのではなく、その人にとって大切な人が生きていたという事実、そして亡くなったという事実をリスペクトすることが重要なのだと言えます。

お葬式に参列するなどというのは、それをリスペクトする行為と言えますね。

ポイント:「決めつけ」は「相手の領域」を侵す

「なるほど」の瞬間を積み重ねる

相手をリスペクトする際には、できれば相手の事情がわかったほうがよいもの。

「人それぞれ、事情があるんだな」と「ありのまま」を受け入れる境地に達するには、相手の話をよく聴くことが役立ちます。

最終的には、話を聴くことができない相手に対しても、この境地に達することができるのですが、人の話をよく聴くところから始めると、感覚をつかみやすいと思います。

締め切りを守らない部下を頭ごなしに叱りつけてしまった。よくよく話しを聴いてみると、クライアントの事情で本人にはコントロールできない案件だった

「この人はダメだ」という「決めつけ」の裏には、「なんでこんなことをするのだろう」「なんでこんなこともできないのだろう」という気持ちがあります。

つまり、なぜそういう言動をとるに至ったのか、という事情がわからないのです。

わからないものに対して、「ダメ」という決めつけをしてしまう、というのはよくあること。

人の話をよくよく聴いてみると、確かにダメな行動なのだけれど、事情を考えればそうするしかなかった、ということが腑に落ちてくるものです。

そういう意味では「ダメ」な言動などなく、その人と同じ条件に生まれて、同じ事情を抱えて生きてくれば、誰でも同じような言動をとっただろう、と思えるはず。

これが、「なるほど」の瞬間です。

人の話を真剣に聴いていくと、「なるほど」と思える瞬間が必ず訪れます。

訪れないとしたら、まだまだ聴き足りないということだと思います。

わからないところをさらに聴いていくことで、「なるほど」に達することができるでしょう。

「なるほど」には、道徳的な善悪の観念は全く必要ありません。

それがどれほど「悪い」ことだとしても、「なるほど」と思えればよいのです。

病気の母を抱え、お金がないときに、盗みを働いた、などというのは典型的な「なるほど」でしょう。

「なるほど」と思う体験を繰り返していくと、事情がわからない相手についても、「よくよく聴いていけば、きっと『なるほど』と思える文脈があるのだろうな」という気持ちで見ることが出来るようになります。

それは、「この人の言動は不適切だ」という「決めつけ」とは正反対の、リスペクトの姿勢だと言えます。

ポイント:決めつける前に、話を聴く

人を変えようとするのはやめる

人を見て「不適切だ」と思うときは、その人を変えたいと思っているときです。

その人の現状が今のようでなければよかったのに、という気持ちがあるからです。

しかし、「その人の現状が今のようでなければよかったのに」というのは、立派な「決めつけ」で、リスペクトを妨げます。

また、人は他人から否定されると、自己防衛に入るものです。

「ありのまま」を受け入れると安心してつながってくれる人でも、自己防衛していると、「心の防波堤」ばかりが高くなって、つながるどころではなくなってしまいます。

相手がどんな状態でもリスペクトし続ければ、「安全」と「温かさ」を与え続けることができますから、いつか相手の心も溶けてくれることが多いものです。

しかし、相手を変えようとすればするほど、相手は心を閉じてしまうでしょう。

そもそも、人は変えようとしても変わらないものです。

もちろん人は変わることができます。

でもそれは、その人の準備ができている、というタイミングで起こるのです。

こちらが変わってほしいタイミングで変わることなど、まずありません。

それよりも、変えようとする圧力に抵抗を感じて、せっかく芽生えかけていた「変わりたい気持ち」がつぶされてしまうかもしれません。

ですから、人を変えようとすることなく、ただ現状の「ありのまま」を受け入れていくことが、その人が変わるための最善の策であり、そうした態度こそが、「他人をリスペクトする」ということなのです。

なお、ここの「人」には、自分も含まれます。

自分も、変わっていくことができる存在だけれども、それは準備ができたとき。

変わることができない自分を責めるよりも、今の「ありのまま」を優しく受け入れることがとても大切です。

つまり、誰にとっても、合い言葉は、「今は、これでよい」なのです。

ポイント:人が変わるのには、タイミングがある

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リスペクトを示す話し方をする

他人をリスペクトするためには、「ありのまま」を受け入れることがカギです。

しかし、いくら「ありのまま」を受け入れるつもりでも、その話し方によっては、「リスペクト」の姿勢が伝わらない場合もあります。

なんと言っても、自分が話すときには、他人の「ありのまま」だけではなく、自分の「ありのまま」受け入れる話し方をする必要があるのです。

それは、「自分の領域」の中だけで話すこと。

恋人とケンカをして、黙り込んでしまった。「ちゃんと気持ちを話して!」と言われたので、「君にそんなふうに言われるのが、うざい」と正直に気持ちを話したら、もっと相手を怒らせてしまった。

この例もそうですが、よく、「気持ちを話して」と言われると、「あんたはこんなことを言ってひどい!」というような伝え方をする人がいます。

しかし、「あなた」が主語である場合、それは「自分の気持ち」ではありません。

たとえば、誰かにひどいことを言われた、という場合の「気持ち」は「私は落ち込んだ」「自分はこれではダメなのだと自信がなくなった」などというものでしょう。

先ほどの例であれば、「ちゃんと気持ちを話して!」と言われたときの「気持ち」は、「追いつめられた感じがする」「話は自分のペースでしたい」などでしょう。

こんな言い方であれば、「うざい」と違って、相手を怒らせるようなことはないと思います。

リスペクトを示す話し方とは、「私」を主語にしたものです。

「あなたはこんなことを言ってひどい!」というのではなく、「そう言われると、自分はこれではダメだと自信がなくなる」と、「自分の気持ち」を話すのです。

自分の気持ちを話すことには、確かに勇気がいります。

着ぐるみをはがされた、本当の、傷つきやすい自分が現れるように感じるからです。

だからこそ人は、「あなたは・・・だから」「あの人のせいで・・・」などと言って、傷ついてしまったナイーブな自分を隠すのだと思います。

しかし、「あなたのせいで」と言われた相手は自己防衛に入るものですし、それ以外にも、自分の名前が引き合いに出されると、人は警戒するもの。

その話し方が相手に、「自分はそんなつもりでやったのではない!」と思わせるようなものであれば(つまり、明らかに相手を「決めつけ」るような言い方をすれば)、今度は自分が相手を傷つけてしまいます。

これは「相手の領域」を侵害した、ということになります。

そうすると、返ってくるのは当然「反撃」。

「君がそんな言い方をするから」

「そもそもあなたが・・・」というような泥仕合になってしまうのです。

それを避けるためには、どこまでも自分の気持ちを「私」を主語にして話すこと。

「そんなふうに言われると、僕はとっても自信がなくなる」と言えば、相手から「ううん、よく頑張っているよ」「言いすぎてごめんね」などという言葉が返ってくる可能性が高くなります。

つまり、相手の領域を侵さない、リスペクトを示す話し方をすれば、結果としてリスペクトしてもらえる可能性がぐっと高まるということです。

ポイント:主語を「私」にして伝える

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自分が下した「評価」にとらわれない

私たちは生き物なので、自己防御機能がいろいろと備わっています。

物事を見たときに、とりあえず自分なりに評価する、というのも、安全を確保しながら生きていくための方策だと言えます。

自分が人やものをどう評価するか、ということは、自分が「その人やそのものと、どう関わっていくか」を決めるものです。

「あの人は怪しい」と評価を下せば、距離を置く、ということになるでしょう。

それが結果として自分を守ることになるというのは珍しくないと思います。

しかし、この「評価」は、「現時点での自分」がする、きわめて一時的・主観的なものです。

同じものを見ても、人によっては全く評価が異なることもありますし、同じ人でも、時期によってその評価は変わってきます。

評価を下しながら生きていくのは人間らしいことなので、それ自体が悪いというわけではありません。

ただし、それが「今の自分が下した評価」にすぎない、ということを認識しておかないと、唯一絶対の真実のように人に押し付けてしまったり、不寛容になって「相手の領域」を侵害してしまったりします。

「決めつけ」てしまうと、他人をリスペクトすることができないということでしたが、「決めつけ」とは、つまり、「今の自分が下した評価」の押しつけ、ということです。

「つねに正しくなければ気がすまない人」のところでお話ししましたが、自分の「決めつけ」を別の角度から見てみることができない人は、自己肯定感の低い人です。

自己肯定感を高めていきたい、と思うのであれば、「自分の考えこそが正しい」と思うのではなく、「いろいろな事情があるのかもしれない」という見方に慣れていきたいですね。

ここでは、主に「領域」という観点からリスペクトを見てきました。

おもしろいもので、「自分の領域」と「相手の領域」をきちんと区別する、という姿勢をとると、結果として相手との間につながりを感じやすくなります。

自他の区別をハッキリさせると、つながりがなくなってしまう、と思い込んでいる人もいると思いますが、実際はその逆なのです。

また、自他の区別をはっきりさせることは、それぞれを「かけがえのない存在」として尊重するということになります。

まさにリスペクトそのものですね。

ポイント:評価は一時的、主観的なもの