ひきこもり青年への父親の役割

ひきこもり青年に父親が及ぼす影響

本人と父親の対話がないので母親が仲介

本人の父親への感情は、母親の私が代弁して説明しています。

父親に対してはまだかたくなな態度もありますが、私が家族会で勉強を始めてからはあきらかに変化をしてきて、次回の家族会には参加するといっています。

父親について本人には、私が間に入って、父もいろいろ考えてくれているのだと伝えています。

いつも私が本人と父親の間に入り、直接の対話はありませんが、今はこれでよいでしょうか?

お父さんの姿勢が、そのように徐々に良い変化に向かいつつあるのは、大いに評価できると思います。

なかなかできることではありません。

この変化がもう少し定着するまで、今はお母さんが仲介役をして関係を維持することもやむをえないでしょう。

いずれは直接話しかけて関係が深まることを期待したいところですが、あまり性急に事を運びすぎるのはよくないと思います。

まずは、お父さんにも家族会に参加していただき、対応の方針を十分に理解していただいたうえで、今後も少しずつ、確実に変わっていただくことが望ましいと思います。

理想を言い出せばきりがありませんが、しかしお父さんの態度が変わることの効果は、たとえわずかな変化であっても絶大です。

一般に、お父さんにはそのつもりがまったくなかったとしても、ご本人はお父さんに対して、威圧感とか権威といった漠然とした恐怖感や煙たさを感じているものです。

とくに避けられている場合は、ほぼ確実にそう思われているものと想定していただいたほうがいいでしょう。

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ですから、お父さんの望ましい変化とは、理解を示すことだけではなく、むしろ人間的な「弱さ」をみせることだと思います。

これに関連して、印象的なひとつのエピソードがあります。

ひきこもりの息子さんを抱えたあるご家庭で、何が気に障ったのか息子さんにひどく罵られた父親が、あまりの情けなさについ泣き出してしまう、ということがありました。

それも静かに涙を流す、という上品なものではなくて、ワンワン大声を挙げて泣いたというのです。

すると驚いたことに、それまで父親とはろくに口もきかなかった息子さんが、よく話しをするようになったといいます。

もちろんこれは一例で、このまま真似たとしても効果のほどは保証できませんが、私が言いたかったのは、ふとした折りに見せる父親の弱さこそが、コミュニケーションの糸口かもしれない、ということなのです。

けっして弱みを見せまいとして生きてきたお父さん方のプライドにとっては許し難いことかもしれませんが、ご本人のためにちょっとだけ鎧を脱いでいただきたいものです。

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父親を避けて母親とは良好の場合

父親を嫌って避けていますが、母親にはよくしゃべります。

父親が夕食後長く居間にいると不愉快そうな態度をあらわにするので、父親も察して自分の部屋に移ってしまい、唯一の団欒の時間もこころの交流の場になっていません。

息子の気持ちを優先すると、父親も家でくつろげず気の毒な気がします。

父親とどうしたらコミュニケーションがとれるようになるか、母親がするべきことは何かを教えてください。

お母さんとの良い関係が維持されていることは、まず喜ぶべきことと思います。

ただ、なぜお父さんとの関係改善のためにお母さんがするべきことをお尋ねになるのか、ちょっと不思議に思います。

お父さんとご本人の関係改善のためには、お父さんご自身が努力するのが一番効果的なのです。

ご本人に対してお父さんから直接に接近を試みることなく、お母さんの仲介だけで良い関係に至ることは難しいでしょう。

ご質問から連想したのですが、本来お父さんがご自分でなさるべきことがらを、いつもお母さんが代行されてきたということはないでしょうか。

そういう経緯がもしあったとすれば、そういったこともご本人がお父さんを嫌う要因になっていたのかもしれません。

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この反省に立って、まずなされるべきは、お母さんがお父さんを直接に説得することです。

ご本人ときちんと向き合い、たとえ拒否されても諦めずにお父さん自身が根気よくアプローチしつづけること。

その地道な努力だけが、関係改善の鍵を握っていると思います。

まずはそのことをお母さんからお父さんに伝えていただきたいと思います。

不愉快そうな態度についても、できるだけ穏やかに「お父さんがここにいると、いやな気持ちになるの?」「お父さんの、どういうところが嫌なの?」といった問いかけを、できればお父さんのほうからしていただきたいと思います。

何の返事もないかもしれませんが、なんとかしたい、という気持ちは伝わるでしょう。

お父さんが家でくつろげないのは本当にお気の毒なことですが、ひきこもり事例への対応においては、くつろいだ自然体はしばしば危険でもあります。

そういう姿勢から不用意な失言が飛び出したりすることが多いからです。

くつろぎと娯楽はできるだけ家の外に求めていただければ、ご本人の誘導にもつながる可能性があるため一石二鳥ではないでしょうか。

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父親をつい責めてしまう母親

夫婦で家族会に参加して、父親も正論が有害であることは理解してきたようですが、日常会話の端々に不用意に口にして息子を苛立たせ、あげく口論になって息子に責められています。

母親の私もついつい息子と一緒に父親を責めてしまい、父親は「みんなから責められている」と落ち込んでいます。

ご家族のストレスをどうするか、ということは、常に難しい問題だと思います。

それまでの習慣を変えることはご家族にとっては大変なストレスと負担をもたらすでしょう。

はじめから完璧ではなくても、さしあたり努力をする姿を見せることにも意義があるかもしれません。

投げ出すことはいつでもできます。

しかし、できればお父さんには、引き続きの努力を期待したいと思います。

ただ、お母さんが一緒になって責め立てるのは、ちょっと酷なのではありませんか。

かりに息子さんの前では味方のように振る舞った場合でも、後でお父さんをちょっとねぎらうという配慮は示してあげてもよいように思います。

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ひきこもり青年への父親の接し方

父親がひきこもり本人に言い過ぎる

父親が本人に向かって、「そこまで言わなくても」というようなことを言うときがあります。

そのように思ったときには、その場で父親に注意したほうがいいでしょうか?

こういうご質問をなさるということは、まだ克服への試みに対するご両親間の意見の一致がみられていないわけですね。

ひきこもり克服への試みのもっとも基本的な土台、欠くべからざる前提は、ご両親の一致団結した対応です。

それが十分になされていればいるほど、克服への試みの経過も良好なものになります。

ですから問題は、「注意したほうがいいかどうか」ではなく、こういった事態が起こる状況そのものを根底から見直すことにあると思います。

ただし、そうはいっても「両親の一致団結」がそれなりに可能なケースは、現実にはそれほど多くありません。

ですから、理想論は理想論として、現実問題としては、こうした場面でどうすべきかを考えてみましょう。

結論から言うと、お父さんに明らかな言い過ぎが見られた場合、多少喧嘩腰であっても、その場できちんとそれを指摘すべきだと思います。

そばで聞いているお母さんがそのように感ずるほどの言葉なら、ご本人は確実に傷ついているはずです。

自分の味方をしてくれるお母さんに対して、確実にご本人の信頼感はアップするでしょう。

たとえそれがご夫婦の、あるいは親子の喧嘩に発展したとしても、その信頼感は変化しないと思います。

ご両親の少なくとも一方は自分の味方であるという印象を持ってもらうことは、克服への試みの流れ全体の中でも、確実に良い影響が期待できます。

いっぽう悪者にされたお父さんは不機嫌になったり、夫婦仲が険悪になったりする可能性もあります。

それを最小限に食い止めるためには、あらかじめ「言い過ぎがあったらきちんと注意する」と予告しておくことと、事後のフォローアップが大切になるでしょう。

半年ぶりに部屋から出てきた息子が怒っている

父親の発言がきっかけで部屋にこもっていた長男が、父親がお詫びをして話したい旨手紙を書いたところ、六カ月ぶりに出て来てくれました。

ところが話をしてみても「何も変わっていない」と大声で両親を非難します。

理由を尋ねても教えてくれません。

「大声の非難」でも、まったくの無視や没交渉よりは一歩前進です。

そこからとっかかりをつけていくことが大切でしょう。

これは大きなチャンスで、あやまった対応をして再びひきこもってしまった場合、そこからもう一度連れ出すことは、これまで以上に困難になっていると思います。

会話が成り立つうちに、解決を図ることが望ましいでしょうね。

まず「何も変わっていない」というご本人の言葉の意味を、よく考えてみる必要がありそうです。

この場合、ただ「どうして?」「どういうこと?」と尋ねるだけでは誠実な対応とは言えません。

原因の究明をご本人に丸投げしてしまうのでは、いくら誠実に耳を傾ける姿勢があったとしても十分とは言えないのです。

この場合、まずご両親が原因についていろいろと推測したり想像したりして、具体的に「こういうこと?」とご本人に尋ねてみるほうがいいでしょう。

原因となったお父さんの発言が、どういう形でご本人を傷つけたのか。

ご本人が何に不満を持っていたのか。

ご両親にどんなことを期待していたのか。

こういったことを、ご両親で話し合いながらじっくりと考えていけば、おのずから答えがみえてくると思います。

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ひきこもり青年と父親との距離のとり方

本人の気に障る話はやめたほうがよいか

二十二歳の息子です。

ひきこもって五年になります。

精神科デイケアに週一回通院中です。

父親は説得することはあきらめ、できるだけ話し合いをと考えるようになりましたが、本人のほうは少しでも気に障ることがあると「お父さんはわかっていない」と言います。

また、この前は食事のことで、私が「ダイエットには豆腐がいい」と言ったら、「自分は納豆が好きなのだから勝手に押しつけるな」と言いました。

本人が気に障るような話は一切いけないのでしょうか?

これは話題ではなくて、言い方の問題ではないでしょうか。

お父さんの発言は、何気ないものでも権威的だったり威圧的にとられたりすることがしばしばあります。

何か意見を言う時は、かなり慎重な配慮が必要となるでしょう。

少しでも断定的な口調だったり、決めつけめいた表現が入っていたりすると、ご本人から強い反発が返ってくると思います。

意見や感想を伝える場合は、なるべく「お父さんはこう思うんだけどなあ」といった、控えめな個人的感想として伝えてみることをお勧めします。

また、くれぐれも説得や議論に巻き込まれないようにご注意ください。

いずれにしても、いまのようにご本人がお父さんに反論できるというだけでもかなりのものです。

そういう関係性を大切にはぐくみつつ、むしろできるだけいろいろな話題について意見を交換するようにされてみてはいかがでしょうか。

ただし、それがけっして押し付けにならぬよう注意すること。

ご本人の引け目や劣等感を刺激しないように配慮すること。

これらの点に留意していただければ、親子間のコミュニケーションは、さらに豊かなものになるでしょう。

定年後、家にいることが多いが、息子からののしられる

定年となり毎日家におりますので、ひきこもっている三十五歳の息子との対話もあります。

私自身は家事手伝いをしたり、罪滅ぼしで家内と国内旅行に出かけたりしています。

しかし息子からはときどき「父親は嫌いだ、言動が堅苦しい、ひきこもったのは父親のせいだ、母親が苦しんだのも父親のせいだ」とののしられることがあります。

どのように対応するべきでしょうか?

ひきこもりの若者たちとともに、そのご家族の年齢も徐々に高齢化し、定年を迎えはじめるお父さん方も増えつつあります。

これはひきこもりの当事者にとっては大問題なのです。

なぜでしょうか。

このご質問のご家庭はまだましなようですが、一般的にご本人にとって、父親が一日中自宅にひきこもっている状況は耐え難いことなのです。

別に父親が何かうるさいことを言うわけでも様子を見に来るわけでもないのですが、存在そのものが、えもいわれぬ威圧感を持つようなのです。

ですから、そろそろ定年後のことを考えようというご両親には、ぜひともこうしたご本人の気持ちに対する配慮をお願いしたいのです。

具体的には、終日自宅で過ごすことがないように、外出の機会を増やしていただきたいのです。

図書館でも趣味の同好会でもカルチャーセンターでも何でもかまいません。

可能な限り平日の昼間は家を空けて、外で過ごす工夫をしていただきたいと思います。

そうでなくとも親御さんが自宅にひきこもりながら、ご本人にだけは「社会参加せよ」と勧めたとしても、なんら説得力がありません。

ご質問のように、父親をののしるということも、ずっと家にいることが原因となっている可能性もあります。

ののしりの言葉については、可能な限り反論せずに耳を傾けていただきたい。

しかし実際の対策としては、やはり外出の頻度をできるだけ増やすということが重要になってくると思います。