精神分析学の流れに立つ一群の研究者は、子宮内部での安心感のある生活と誕生後の生活との対比が恐怖や不安を生むと考えました。
すなわち、子宮内部の安心感に満ちた至福の状態とくらべて、この世界は不快や危険に満ちています。
この危険のために無力な存在である赤ん坊は「この世はおそろしい」という感覚を持ってしまいます。
これが人に対するおそれの根源であると考えました。
しかし、その後の胎児の研究と乳幼児の研究の進展から、こうした単純な安心感の考え方に変更が迫られることとなりました。
その第一の理由は、赤ん坊は白紙の状態で生まれてくるのでなく、母体によって完全に保護された子宮のなかで「絶対的な安心感」を形成して生まれてくる、と考えられるようになったことによります。
このことを、自己心理学の提唱者であるH・コフートは、「赤ん坊は人に対する信頼感を形成して生まれてくる」と述べています。
すなわち、母体内で胎児はすでに母親の声や母親の感情状態に反応しており、人との心理的・情緒的な結びつきができ、安心感をもち、安心して人との接触を求める傾向を持って生まれてくるというのです。
この点で、たとえば乳幼児研究で著名なR・A・スピッツは、人の顔が赤ん坊にとって早いうちから特別な刺激となり、人の顔に類似した刺激に対して、赤ん坊は目で追ったり笑いかけるなど、肯定的反応をすることを実証しました。
子どもと親との愛着行動などの研究で有名なJ・ボウルビィも、膨大な観察記録の分析から、赤ん坊がもともと人に接することを喜ぶ傾向を持って生まれてくることを指摘しています。
じっさいの行動を見てみれば、この安心感を持って生まれてくることは明らかです。
最初から人をこわがる赤ん坊はいません。
通常、生後3,4カ月ごろになれば、誰に対してもほほえみかけるなど、人がそばにいることを喜んでいる安心感を示す様子がますますはっきりと見られるようになります。
彼らは、抱かれたり、話しかけられたり、なでられたり、トントンと軽くタッチされることに安心感を抱き、歓迎します。
それにより、安心感を抱き、泣き止んだり、声を出して喜んだりします。
安心感から人が来れば両手を差し出して、だっこを求めるそぶりをします。
安心感から人に接近しようとするかのような行動をします。
人が赤ん坊のそばを離れると、安心感が損なわれたように感じ、泣くようになります。
誰もいないと、安心感が損なわれたように感じ、泣いて人を呼び求めるようになります。
幼い子にとって、知らない場所に一人でいることほどこわいことはありません。
このようなときには、彼は安心感をもつ誰かと一緒にいようとします。
人といるのがこわいのではなく、人と一緒にいることが、安心感をもたらし、こわさから彼を守ってくれるのです。
このように、誕生したときから私達の心の深層には人と外界への基本的な安心感、信頼が形成されており、人との接触を歓迎する本能的な傾向があるのです。
もちろんこの安心感、信頼感は意識的なものではありません。
この安心感、信頼感は未発達な脳の奥深く刻み込まれた無意識のものです。
それだけにこの安心感、信頼感は容易には消えないものであり、一生を通して私達の心の根底にあるものなのです。
第二に、安心感を持って生まれてきた赤ん坊は生まれてきたこの世界の脅威に圧倒されるだけの無力な存在ではない、と考えられるようになってきたことです。
なるほど、客観的に見て、安心感を持って生まれてきた乳幼児は自分の生命さえも自分で維持できないほど無力な存在です。
しかし、安心感を持って生まれてきた彼らはそうした自分を無力な存在として意識しているわけではありません。
S・フェレンツィなどが明らかにしたように、乳幼児の未分化な意識は、次に述べるような理由で、彼らに無力感ではなく、むしろ全能感をもたらしているのです。
誕生前は安心感を持った赤ん坊は文字通り母親と一体でした。
誕生により身体は分離しますが、心はまだ安心感を持った未分化な状態です。
安心感を持って生まれてきた自分と母親とを分けて意識することはありません。
したがって、安心感を持った自分は母親であり、母親は安心感を持った自分でもあります。
安心感を持った自分が抱き上げられることを、「母親」が「自分」を抱き上げたとは受け取りません。
安心感を持った自分が自分を抱き上げたのであり、母親が自分を抱いて歩けば、それは安心感を持った自分が歩いていることなのです。
空腹や眠気の不快さなど、自分が明確に意識化できない欲求に、母親は的確に応えて満足させてくれ安心感をもたらします。
ちょっとした仕草や声などで、親は自分の要求に応えてくれ、安心感をもたらします。
このように、親や大人とは自分がコントロールできる存在なのです。
このために、乳幼児にとって親の能力は自分の能力なのであり、そのため彼らは、自分がなんでもできる「全能」の存在であるかのような安心感の感覚を持つのです。
乳幼児は親との未分化な意識により安心感、全能感を持つために、一方的に外界の脅威に圧倒される無力な存在ではないのです。
この乳幼児が持つ生得的信頼と安心感、全能感を、外界と他者と自己への確固とした現実的な信頼感へと発達させてあげることが、大人、とりわけ母親の最初の役割なのです。
E・H・エリクソンは、これを基本的信頼の獲得と述べました。
コフートは、赤ん坊は信頼感をもって生まれてくるのであるから、「信頼感の再確立」というべきであると主張しています。
しかし「再確立」とは、一度崩壊したものを再度確立するということですから、「信頼感の発達」というのがもっとも適切な表現であると考えられます。
人は安心感をもって生まれてくるのです。