家の中に引きこもる
これもしばしば誤解されていることですが、社会的ひきこもりの人たちは、けっして内弁慶ではありません。
外に向けては臆病、内向きには暴君、とは限らないのです。
むしろ彼らの大半は、自宅でも家族を避けて過ごしていることも多く、ほとんど自分の部屋から一歩も出ないで生活していることも珍しくありません。
私たちの調査では、家族の話し相手が限られているか、またはまったく会話がない事例が60%もありました。
ひきこもりが重度になってくると、自分の部屋にこもりきりとなり、入浴もせず、トイレも空き瓶などで済ませたり、食事は家庭に部屋まで運ばせたりするようになります。
こうなってしまうと、ほとんどコミュニケーションをとることもかなわない状態となってしまいます。
また当然のことながら、家族以外の人、例えば親戚などが自宅に入ることも嫌がるようになります。
内装工事などで職人が入るようなことも非常に嫌います。
ひきこもりもここまで徹底してくると、本人自身何ごとも手につかず、終日茫然として過ごしたり、布団にもぐったまま無為に過ごすような生活になっていきます。
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ひきこもりの退行
「退行」は、症状というよりは、精神症状の生じてくるメカニズムの説明のための言葉です。
本来は、成長した個体が、発達段階のより未熟な状態に逆戻りすることを意味していますが、ここではごく簡単に「子ども返り」の意味で用いています。
私たちの調査結果では、攻撃的態度と依存的・退行的態度が交互に認められる、といったような「家族関係の不安定さ」は、44%でみられました。
また、一時的にせよ「親に対する依存的態度、幼児的振舞い」が認められた症例は、36%でした。
これらはいずれも、退行によって起こるものと考えてよいでしょう。
ひきこもり状態は、この退行をしばしばひき起こします。
仮説ですが、これはある意味で、彼らが「健康」であるために生じる現象だと思います。
誰しもある限られた空間で、他人に頼らざるをえない状況下に長くおかれると、程度の差はあれ退行を起こすものです。
いちばん判りやすい例は入院生活です。
ある期間入院生活が続いた患者さんは、相当の社会的地位のある人でも、意外なほど幼稚だったりわがままだったりする側面をのぞかせます。
これは自然な反応であって、まったく退行することができない人がいたとしたら、それはそれで問題でしょう。
さて、話を戻しましょう。
長くひきこもり状態にあった人は、しばしばこの退行、つまり子ども返りの状態に近づきます。
その結果、いつも母親にまとわりつき、幼児のように甘えた声を出したり、母親の体に触れたがったりします。
時には母親と同じ布団に寝たがり、それほどではなくとも同じ部屋でないと眠れないという事例は珍しくありません。
夜中に母親を起こして、長時間延々と話を聞いてほしがることも、一種の退行による症状と考えられます。
要求がかなえられないと、ほんとうに子どもが駄々をこねるように、泣き声でせがんだり、手足をじたばたさせたりするような光景もみられます。
退行が問題なのは、これがしばしば暴力につながるためです。
家庭内暴力のほとんどは、退行の産物です。
これは子どもが親に振るう暴力に限りません。
夫が妻に振るう暴力も、退行の産物です。
その暴力が退行によるものかどうかをみわけるのは簡単です。
その人が家族以外の人に対しても暴力的に振る舞うか否かをみればよいのです。
家族以外には紳士的で、家庭では暴君という人は、この退行を起こしているとみてよいでしょう。
また、常に暴力的な人は退行的ではないかというと、そのような人は単に人として未成熟であるとみなすことができるでしょう。
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ひきこもりの家庭内暴力
さて、ここで家庭内暴力についてもふれておかなければなりません。
ひきこもり状態と家庭内暴力は、きわめて密接な関係にあるからです。
まず調査の結果から示すことにします。
「家族への攻撃性」については、一時的に認められたものを含めると62%の症例で、何らかの形で(暴力以外の)攻撃性を認めました。
また、いわゆる「家庭内暴力」は、一過性のものを含めると51%の症例で認められました。
これらは複数回答での集計ですから、重複部分が相当あるものと考えてよいのですが、それでも半数以上の事例で家庭内暴力が出現していた事実には、あらためて驚かされます。
さきにもふれたように、家庭内暴力は退行によって起こるものです。
ただし、厳密には退行と同じものではありません。
退行が発達の未熟な段階へと戻ることであるなら、彼らの大半は、ほとんど反抗期すらなかったほど「よい子」なのです。
つまり家庭内暴力に関しては、かつての状態に戻るということではなくて、退行によってあらたに生じた症状とみなされるべきなのです。
家庭内暴力にもさまざまなものがあります。
しかしみな、根は一緒です。
私が経験した事例の暴力を、思いつくままに挙げてみましょう。
- 壁を叩く、足を踏み鳴らす
- 大声を出して叫ぶ
- 窓ガラスを割る、壁に穴を空ける、食器を投げるなどの器物破損
- 家の中に灯油を撒き、「火をつける」と脅す
- 兄弟を無理にゲームに誘い、断ると殴る
- 母親に昔の恨みつらみを話すうちに、興奮して殴る
- 母親を殴るのを止めに入った父親に殴りかかる
こうした暴力は、基本的には親への恨みがこめられています。
恨みにはかなり具体的な理由がある場合も少なくないのですが、しばしばみられるのは「こんな状態に育てたのは親が悪い」というものです。
小さい頃に体罰として叩かれたこと、無視されたこと、辛い時期にそれを判ってくれなかったこと、このあたりはまだ理解することもできます。
しかし時には、ほとんどいいがかりに近いような恨みもあります。
「何か頼んだら一瞬顔をしかめた」「話を聞きながら居眠りしていた」「『こんな息子では世間体が悪いか』と尋ねたら、強く否定しなかった」などといったものです。
家庭内暴力の原因として本人が主張する「恨み」については、それが事実であったか否かを問題にすべきではないと考えます。
ここで重要なのは、本人が暴力に訴えてまで家族に伝えたいことは何であるのかを理解することなのです。
家庭内暴力は、さまざまな精神症状と密接な関係にあります。
とりわけ関連性が深いのが、強迫症状です。
家族に強迫行為を代行させるタイプのものでは、行為を断ったりうまくやらなかったりすると、激しい暴力にいたるということがしばしばみられます。
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被害関係念慮のひきこもり
ひきこもりが長期間続いた事例などにみられることですが、時おり「近所の人が自分の噂をしている」「家の外で自分のうわさ話をしているのが聞こえた」「子どもたちが通りすがりに自分の悪口をいっている」などといった訴えをする人がいます。
これらは被害関係念慮などといわれますが、精神医学的には幻聴や妄想の存在も一応疑っておくべき症状ではあります。
より確信性が高い場合は妄想と呼ばれることもありますが、実際にはこれらは、区別が難しいことが多いようです。
調査でも「幻覚・妄想体験」については、軽度の被害関係念慮なども含めると20%の症例に伴っていました。
この症状が重要であるのは、統合失調症との鑑別が早急に必要とされるためです。
統合失調症による症状でなければ、それは妄想様観念といって、本当の意味での妄想とは異なります。
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抑うつ気分とひきこもり
感情の不安定性、とりわけ抑うつ気分も、しばしばみられる症状の一つです。
調査結果では、慢性的に気分の変動が激しいものが31%、軽度の抑うつ状態がみられたものが59%をしめていました。
また抑うつとは微妙にことなりますが「絶望感、希死念慮、罪責感」は、軽度のものは53%が経験していました。
しかし全体的にいえることは、ひきこもり状態の抑うつ気分がきわめてうつろいやすいということです。
本来の意味での病的なうつ状態は、むしろ少ないとすらいいうるでしょう。
精神病としてのうつ病によるひきこもり状態は、むしろ例外的なものです。
ただし、軽い躁うつ病の症状を伴う「循環性気分障害」によるひきこもり状態は、時おりみられます。
多くの事例が経験している絶望感や希死念慮は、うつ状態とは無関係なのでしょうか。
必ずしもそのように断定はできませんが、これらの感情も理解や共感で受け止めることが可能なものです。
例えば彼らの実に88%が「孤独感、退屈、空虚さ」を経験しているという結果が出ています。
何度も強調してきたことですが、ひきこもりの青年たちが安穏に怠惰な生活を送っているというのは明らかな誤解です。
彼らは周囲の家族以上に、社会参加できない焦りや絶望感に何度も襲われながら、それほどまでに本人を追い詰められた気分にさせるものです。
ですから、彼らの多くがこのような絶望感や希死念慮におそわれるというのも、彼らの判断力が正常に保たれているということを意味しているとみるべきでしょう。
「うつ病」との違いを強調しておくなら、うつ病の患者さんは、しばしば「何もかも手遅れで、取り返しがつかない」と考えています。
しかしひきこもりの事例では「一日も早く、何としてでもやり直したい」という葛藤を抱いていることが多い。
ただし、あまりにも余裕というものがないために、こうした考えが「希望」に結びつかず、「焦燥感」や「絶望感」にしかつながらないところが、彼らの不幸なのです。
社会的ひきこもりの希死念慮と自殺企図
さきにもふれたように、彼らはしばしば強い絶望感や空虚感に襲われながら日々を過ごしています。
そして、それが耐え難いほど高まる時、ふと自殺を考えてしまう事例も珍しくありません。
こうした「希死念慮・自殺企図」については、46%にみられ、自傷、自殺未遂歴のあるものは14%でした。
この数字はきわめて深刻なものですが、反面意外に少ないともいいうるかもしれません。
少なくとも、他の精神疾患一般に比較した場合、それほど高い数値とはいえません。
臨床上でも、他の精神障害をともなわない事例で自殺にいたったものは皆無です。
この事実についても、もちろんさまざまな解釈が成り立つでしょう。
しかしここでは彼らの生きようという健全な意志のみを確認しておきたいと思います。
ひきこもりと摂食障害
「過食・拒食」といった摂食障害の症状が、一過性にみられることがあります。
一般には女性のほうに圧倒的に多く、この場合に限っては、むしろ摂食障害の治療を第一に考える必要があります。
男性でみられる場合は、経過からみてやはり、ひきこもり状態に続いて起こったと考えられる事例が多いように思います。
心身症とひきこもり
心に原因があって体に症状が出る病気を「心身症」と呼びます。
ストレス性の胃炎や高血圧などが代表的なものですが、摂食障害なども心身症の一つとされています。
こうした「心身症状」については、もっとも多いものが心因性と思われる「自律神経症状」です。
こちらは全体の66%にみられました。
原因については生活の不規則性が最大のものと考えられます。
このほか心因性のストレスもかなり関与していることは間違いないでしょう。
とくに病気でもないのに「病気なのではないか」「病気になるのではないか」といったことが気になる症状、「心気症状」については、自分の健康状態に敏感なものをふくめると60%に認められました。
また、こちらは非行との関連性がもっとも強いのですが、シンナーやブロンなどを常用するような「薬物嗜癖」については、慢性的なものが6%、一度でも経験のあるものを含めると18%に認められました。
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社会的ひきこもりの背景
ここでは社会的ひきこもりについて、さまざまな背景についてふれておきます。
事例の家族背景については、父親は大卒の会社員、とりわけ管理職が多く、母親も高卒かそれ以上で専業主婦というパターンが平均的で、多くは現代日本の中流以上の階層が占めています。
また離婚、単身赴任などの特殊家庭事情については、特に問題ないものが七割近くを占めています。
臨床上の印象からみても、ひきこもりの事例の背景に、極端に破綻した家庭環境や、虐待などといった「大きな」問題が控えていることは少ないように思います。
むしろ「ひきこもり」が、さまざまな意味でわが国のもっとも平均的な家庭にみられるという事実は、この問題が現代日本の社会病理と深い関わりを持つことの傍証でもあるでしょう。
おそらくそれは「青少年の無気力化」といった、一種素朴な問題意識ではすくいきれない病理性ではないかという、漠然とした予感もあります。
兄弟については、本人も含めて二人以上が85.0%で、順位では第一子が60%と過半数を占めていました。
さらにこのうち、第一子長男の占める割合が49%となっています。
長男は第一子とは限らないため、長男だけの比率は確実に過半数を占めることになり、「社会的ひきこもりは男性、とりわけ長男に多い」という推測は、あながち無根拠なものではありません。
長男に過大な期待がかかりがちな日本の社会的背景から考えても、興味深い結果といえるでしょう。
事例がひきこもり状態にいたるきっかけについては、「不明」であるものがもっとも多く39%、次いで「家族以外の対人関係の問題」が38%、「学業上の挫折体験」が18%、「就学環境の変化」が10%という順になっていました。
最初にどのような症状ではじまったかについては、「不登校」がもっとも多く69%、ついでひきこもりの29%、無気力の25%となっていました。
またひきこもりの持続期間については、初診時点で平均23カ月、評価の時点では平均39.0カ月間であり、もっとも長期のものは168カ月(14年間)におよんでいました。
発症した時点での所属は「高1」が23%ともっとも多く、ついで「中二」、病院にはじめて受診した時点の所属は「所属無し」が45%と半数近くを占め、ついで「高1」「高2」の順でした。
この結果は、問題が生じてから相談機関を訪れるまで、年単位の時間がかかってしまうという事情を反映しています。
また本人の最終学歴は「中卒」がもっとも多く31%、ついで「高卒」29%、「高校中退」18%となっており、現在の職業については「無職」がもっとも多く48%、次いで「学生」が44%という結果でした。
「社会的ひきこもり」の「発症」のきっかけで、明らかなものとしては「学校関係」が大半を占めています。
発症時平均年齢は15.5歳ですから、彼らの多くは問題が起こった時点では学生であり、これは当然の結果といえます。
したがって最初の「症状」として、いわゆる「不登校」が七割近くの事例で認められたこと、また経過中に起こったものをすべて含めるなら、9割近い事例に不登校を伴っていたことは重要です。
不登校は思春期・青年期における不適応のサインとして、あるいはなんらかの精神疾患の初期症状としてきわめて重要ですが、この結果はそれを裏付けるものです。
不登校の予後調査はこれまでにいくつかの報告があります。
しかし予後不良の群についての十分な追跡調査は、ほとんどなされて来ませんでした。
経過の思わしくなかった不登校群の予後調査という側面もあるように思われます。
ともかく、一部の不登校事例がひきこもり状態として長期化の経過を辿り、ひきこもりの経過が長くなるほど社会復帰が困難になるという事実は、軽視されるべきではありません。
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ひきこもりの心因
「ひきこもり」が心因性の障害であるとして、その「心因」とは何なのでしょうか。
たしかに、そのきっかけとして、学校でのさまざまな挫折体験、例えば失恋であるとか、成績不振、受験の失敗、あるいはいじめられ体験などが考えられますが、それが原因のすべてなのかどうか。
もしそれだけが心因であるとすれば、そうした外傷体験が、これほど長期間の影響をもたらすのはなぜでしょうか。
なるほど、ある種の心因性の疾患は、その心因となる体験の後、何年間も症状が持続します。
しかしそれらは多くの場合、体験と症状のつながりが、はっきりとは意識されていない場合が多いのです。
記憶の底に封じ込めてしまったはずの辛い体験が、無意識を通じて症状をひきおこすというのが、さまざまな神経症のパターンです。
これに対してひきこもり事例では、きっかけとなった体験に関する記憶が、鮮明に保たれていることがほとんどです。
ひきこもりの場合は、心因とされる経験に比べて、それがひきおこす事態の深刻さがあまりにも重大であるという印象があります。
これはおそらく、ひきこもりが単一の心因にもとづいて起こる障害ではないためでしょう。
それは原因において複合的であると同時に、外傷が外傷を生み出していくような、一つの悪循環のシステムであろうと考えられます。
たしかに、発端は成績の低下、友人との不和、いじめられ体験などにあるでしょう。
しかし、このためにひとたびひきこもってしまうと、対人関係によって補われるはずの治癒の機会が奪われてしまいます。
そう、外傷やストレスは他人から与えられるものですが、同時に他人からの援助なくして、外傷からの回復もありえないのです。
「ひきこもり」の自然治癒が難しいのも、他人との有意義な接点がないことが原因の一つと考えられます。
つまり「ひきこもっていること」それ自体が、外傷にひとしい影響を持ってしまうのです。
また、そのように考えなければひきこもりにおける心因と、その結果のアンバランスを説明できません。