世の中には、客観的には結構恵まれているのに、慢性的に不幸な人がいる。
そうした慢性的に不幸な人でも、ちょっと見方を変えるだけで、幸せになれる人も多い。
でもその「ちょっと」がなかなかできない。
その「ちょっと見方を変えることの障害」になるのが、ドイツの著名な精神科医カレン・ホルナイの言う「内なる障害」である。
その人の無意識に「内なる障害」がるゆえに、ほんの少しの頭の切り替えができない。
「外の障害」ではない。
その「ちょっと見方を変えること」ができるかできないかが、その人の人生を決める。
つまりその人の「無意識のなにか」が、その人の人生を決めるのである。
人は「感情」をねつ造する
「苦しい」「つらい」「傷ついた、傷ついた」と騒ぐ人がいる。
しかしこの「苦しい」という言葉の裏にあるのは「苦しい」ではない。
人は苦しい、つらい、傷ついたと言っているとき、実は心の底では誰かを批判している。
直接その人を批判できないから、間接的な表現として「苦しい」と言っているだけである。
もちろん本人もそのことに気がついていない。
無意識にあるのは、批判、非難であるが、意識の領域では「苦しい」である。
他人を非難する手段が「苦しい」という叫びである。
他人が自分を苦しめているときには、他人が自分の幸せの妨害になっていることはすぐに理解できる。
しかし、自分が自分の幸せの妨害になっていることはなかなか理解しにくい。
他人が自分を苦しめているのではない。
自分が自分を苦しめている生き方を選んでいるのだということに気がつかない限り、死ぬまで幸せになれない。
厄介なのは、それが無意識でおきていることである。
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無意識で「死んでも苦しみを手放さない」という人
「死んでも苦しみを手放しません」と”無意識”で思っている人は世の中に多い。
もちろん本人はそれに気がついていないし、周囲の人から言われても認めない。
もし、「死んでも苦しみを手放しません」という無意識での思いを自分で意識化することができれば、幸せへの道が拓ける人は多い。
「死んでも苦しみを手放しません」と、無意識で苦しみに固執している人が、「自分は苦しみに固執することでなにを守ろうとしているのか?」と自分にもし問うことができれば次第に道は拓けてくる。
「私の内なる障害はなにか?」
それを考えるのが幸せへの鍵である。
「内なる障害」を乗り越える、それが苦しみからの開放への道である。