自分を裏切る心理と対処法

自分を裏切るとは、等身大の自分で他人と接していないことである。

つまり背伸びして生きている。

そうするとだんだん生きるのが辛くなる。

心身共に様々な症状が現れる。

会社へ行けなくなったり、学校へ行けなくなったりもする。

なぜ背伸びをしてしまうかというのは幼少期の自我が成長する時期の養育環境が関わっており、やっかいなことはやっかいだ。

そこで、なぜ自分を裏切ってしまうのか、自分を裏切るとどうなるか、自分を裏切るのをやめるためにはに焦点を合わせ、読んで下さった人に生きるのはこんなに素晴らしいことなんだと感じていただきたい。

自分を裏切るとは

自分を裏切るとはスーパーマンになること

自分を裏切るとは、本来の自然の自分で生きないで、周りの人に合わせて生きることである。

過剰な常識で生きている人である。

例えば、人前で話す時、緊張して声が震える。

しかし、声が震えたら変な人と思われないだろうかと思い、必死で声が震えるのを震えないようにしようとすることである。

自分を裏切っている。

過剰な常識とはスーパーマンになることである。

一トンの重りを一人で持てといわれて、持つことである。

そんなことをしたら潰れてしまう。

しかし、自分を裏切り続けてきた人は精神的に一トンの重りを背負って生きている。

やはり、そんなことをしたら潰れてしまう。

心身共に様々な症状が出てくる。

これが自分を裏切る人である。

また、一度緊張し、その緊張をしないようにしようとするとその緊張はさらに大きくなる。

自分を裏切り続ければ裏切り続けるほど生きるのが辛くなる。

見栄を張ると生きるのが辛くなる

自分を裏切る人は他人に見栄を張っている。

しかし、他人からみれば、その見栄はたいしたことない見栄である。

自分を裏切る人はそのつまらない見栄を必死になって守ろうとする。

その見栄に依存しているからである。

アメリカである人は、車の中で性行為を行なっていた。

そこへ、不審に思った警官がやってきた。

その人は、警官に向けて銃を乱射した。

これでもかというぐらいに乱射した。

それは自分が守ってきた見栄が脅かされたからである。

ある若い男の人は電車の中で、ガールフレンドと一緒にいた。

そこへ空き缶が転がってきた。

それを足で受け止めて、隅の方へ追いやった。

そこへ中年男性が「一回触ったものだから自分でゴミ箱に捨てなさい」と言った。

若い男の人はそれを無視して、ガールフレンドに「行こうぜ」と言ってその場を立ち去ろうとした。

その時、中年男性が待てと、若い男の腕を掴んだ。

その時、若い男は中年男性に殴りかかった。

若い男はガールフレンドにカッコつかない。

つまりガールフレンドに見栄を張っていたのである。

そしてその見栄を脅かされて殴りかかったのだ。

つまらない見栄を必死に守ろうとする行為である。

見栄を張ることとは背伸びして人と接することである。

それは自分を裏切ることになる。

自分を裏切る原因

幼少期の親の養育

自分を裏切る原因はほぼほぼ幼少期の親の養育で決定する。

幼児期、子どもは親の愛情を必要とする。

しかし、愛情をなかなか与えない親がいるとする。

子どもは母親に抱きしめてほしい。

しかし、母親の関心は生まれたばかりの弟にいっている。

そこで子どもはどうやったら愛情がもらえるか考えた。

それは親にとってのよい子になることであった。

子どもはおもちゃを片づけると、褒めてもらえた。

子どもはお腹いっぱいでもご飯を残さず食べたら褒めてもらえた。

子どもはよい子になることで親の関心を得ようとしたのである。

良いことをしたら褒めて、それ以外は何もしないとは、なんと危険な思考であろうか。

子どもは無条件の愛を求めている。

お腹いっぱいなのにご飯をたべるとは自分を裏切る行為である。

私は、社会に出てご飯を人と一緒に食べるということにとても悩まされた。

学生時代、レストランのホールの仕事をしていたのだが、まかないをシェフと一緒に食べるのだが、残さず全部食べなければ、という強迫観念に駆られ、緊張してご飯がひと口も喉を通らなくなった。

それは、幼少期に親にご飯を残さず食べさせられたことや学校で、ご飯は残さず食べるべしという思考の元、いつも居残り給食をしていたことが直結する。

過保護過干渉の親の支配

過保護過干渉の親も自分を裏切る人にとって問題である。

一見、子どものことを一生懸命世話しているんだなと思えるかもしれないが、子どもにとって過保護過干渉の親は死神である。

ご飯をもっと食べないと大きくなれないよ、といってスプーンでご飯を口まで運ぶ親、靴紐がほどけそうだよ!と怒りながら、親が靴紐を結んでやる。

そういう親の元で育った子は社会に出て、人とどうコミュニケーションとっていいかわからない。

いや、コミュニケーションできないのである。

社会的能力が育まれていない。

親に支配されて育った子は、支配されながらも親の愛情を欲しがる。

そんな愛情欠乏で育った人は、他人の好意も重要視する。

他人との関係が神経質なのである。

もっと突っ込んでいうと他人との距離感が近い。

もっと分かりやすく言うと、他人に見捨てられたら生きていけないと思っている。

他人がちょっと不機嫌になると、焦り出す。

自分を裏切る人は親を嫌い、しかし親に依存している。

例えば、親が勝手に自分の部屋に入ってきて、机の中をあさり出す。

自分はそれは嫌だ。でも嫌だとは言えない。

もしそこで勇気を出して嫌だと言ったら、過保護過干渉の親は「私のこと嫌いになった?」と尋ねてくる。

自分のことしか考えていない親が垣間見られるのである。

よい子は過保護過干渉の親に一トンの精神的重りを背負わされて生きているのである。

しかもその様子を親はすぐそばで見張っている。

消耗されるまで支配される。

愛着の問題

幼児期の子どもは親の無条件の愛を必要としている。

それは、生きる根っこの部分に安心があるか、不安があるか左右されるとても大事な問題である。

しかもそれは一生ついて回る問題である。

一生、根っこに安心があって生きるか、一生、根っこに不安があって生きるかである。

その中間の人もいる。

自分を裏切って生きている人は、不安型や回避型愛着スタイルの人が多い。

私は、学生時代の試験で悩まされた。

試験中、一回お腹が痛くなったのをきっかけに次の試験もお腹が痛くなったらどうしよう、最悪の場合、白紙で提出しなければならないのではないか。

と焦っていた。

ベースの部分に不安がある。

緊張が緊張を呼び緊張が膨らんでいった。

しかし、根っこに安心がある人は強い。

会社の怖い上司の叱責にも動じない。

根っこに不安がある人は、会社の上司の目の色をいつまでも観察し、その叱責に大変動揺してしまう。

関連記事>>人付き合いが怖いを克服する方法

自分を裏切るのをやめるには

自分の弱みをさらけ出す

自分を裏切ることをやめるには、自分の弱みを人前でさらけ出し、受け入れていくことである。

受け入れていくことは、自動的に心が反応するので、やっぱり大切なことは自分の弱みを人前でさらけ出すことを続ける!

これに尽きる!

赤面してしまう女子学生

ある女子学生は顔が赤くなるのをクラスの男子から指摘され、髪を伸ばし、それを隠そうとした。

立って教科書を読む時も下を向いてやり過ごした。

しかし、顔を隠すのを隠すほど恐怖は増していった。

ある日、日直当番で教壇の上に立って司会進行するという、どうしても逃げられない場面に出くわした。

本人はその日、仮病を使って休もうか本当に悩んでいた。

しかし、カウンセラーに肩を押され、当日を迎えた。

女子学生は教壇に立つと、顔が真っ赤になり、始めの一言が出ず、涙を流した。

それでも小さい声ながら日直の司会を進行した。

その司会が終わった途端、肩に乗っている想像を絶する荷がおり、生きることの楽さを知った。

その日以来、彼女は髪を切った。

生きていて楽しいということを知ったのだ。

その涙を見た生徒は、晩御飯の時には、そういえばそんなことがあったなと位にしか忘れていた。

会社のプレゼンを乗り越える

ある男性会社員の人は、人前で話すのが極端に苦手だった。

なぜなら人前では声が震えるからだ。

声が震えることを悪いことと思っている。

その人は何かにつけてプレゼンの機会を回避してきた。

しかし、どうしても今回ばかりは逃げきれない番が回ってきた。

会社の社長や取締役が集まる重要な局面だ。

内容は新商品のプレゼンだ。

彼は緊張で当日はほとんど眠れなかった。

そして午後一番のプレゼンということもあって、午前中の仕事は手につかず、お昼ご飯もほとんど喉を通らなかった。

そして、プレゼンの番が回ってきた。

登壇して話し始め、すぐに声が震え始めた。

そして呼吸が荒くなり、過呼吸になり、2,3分位、間があいた。

そして呼吸も落ち着き、プレゼンの続きを始めた。

声が震えながら15分間のプレゼンは終了した。

誰からも何も言われなかった。

たいして人は何も見ていないのだと思うと、

その時、その人が背負っている荷が下りて生きるのが楽になった感じがした。

そして、次のプレゼンの時、30秒位過呼吸になったが前回ほどではなく、声も震えながらプレゼンは終了した。

その次のプレゼンは呼吸は荒くなったが、過呼吸にはならず、声が震えただけだった。

その時には、声の震えなんてどうでもいいやと思っていた。

そして、プレゼンの回を重ねるごとに声の震えもなくなっていった。

緊張感もほぼなくなり、生きているってなんて素晴らしいことなんだと実感することになった。

この二つのケースに共通する大事なことは逃げないこと

顔が赤くなる女子学生のケースではちゃんと前を向いて話したこと。

プレゼンを乗り越える男性会社員のケースでは過呼吸が起きた時点で逃げなかったこと。

その逃げなかったことがポイントである。

それが自分を裏切らないということ。

男性会社員が過呼吸になってすぐにその場から離れたら、一生プレゼンできないような荷を背負うこととなる。

逃げないということは自然体の自分で人と接するということである。

心理的距離を離すと楽になる

緊張する人とは心理的距離を離すと楽になる。

心理的距離とは、例えているならば、長年連れ添ったあまり会話をしない夫婦や電車に座っている隣の全く知らない人などがイメージしやすい。

厳しい上司と一緒に乗り込んだエレベーターなどは心理的距離は近くなりやすいが、エレベーター出口上の方の階数表示を見てみると距離は離れる。

過保護過干渉の親とも心理的距離をとる努力が必要である。

実際の距離は近くても心理的距離を離せば楽になる。

人付き合いは腹六分目位がちょうどいいのだ。

一緒にいて楽な人ととの付き合いを増やす

自分を裏切る人は、一緒にいて楽な人との付き合いを増やすことで生きるのが楽になる。

それは自分の弱点を認めてくれるから。

その人たちは、自分は弱点があってもいいんだと思わせてくれる。

弱点をさらけ出す勇気を与えてくれる。

自然な等身大の自分で接してもいいとはなんて楽なことなんだろうと思わせてくれる。

あなたに弱点があっても(過保護過干渉な親以外)失望する者はいない。

あなたは自然なあなたでいい。

あなたは自分を裏切る必要はない。

まとめ

自分を裏切るとは背伸びした自分で人と接すること。

幼少期の親の養育の中で過保護過干渉の親の元で育つと社会的能力が欠如する。

子どもは無条件の愛を必要とする。その愛を受け取れるか否かで根底に安心があるか不安になるか決定する。

自分の弱みをさらけ出す際には決して逃げない。

人と心理的距離をとると楽になる。

自分の弱みを受け入れてくれる、一緒にいて楽な人を大切にする。