過剰な責任感で行動しない

過剰な責任感で行動しないとは

過剰な責任感で行動しない心理

責任感が強いということは、賞賛すべき長所です。

責任感の強い人は、いざというとき、仕事を任せられる信頼される人です。

若いうちは、責任感を努力と結びつけることで成長の原動力にもなります。

しかし、過度の責任感は私たちを苦しめます。

充実感や人に尽くす喜びよりも、苦しみや被害者意識の方が強い人は、過度の責任を引き受けないように努力するのが賢明です。

自分は特別な人間ではない

「自分には特別な責任が課せられている」と思っているかのように行動する人がいます。

なぜか周囲から自分に期待が寄せられている、と感じてしまうのです。

自分が責任をとらなければ相手を失望させてしまう、と思ってしまうのです。

こうしたことは、次のような心理や行動にみられます。

・会が終わったら、他の人はさっさと帰るのに、残って後片付けをしなければならないと思ってしまう。

・パーティでは招待された一人として楽しむのではなく、他の出席者を楽しませなければならないと思ってしまう。

・ある仕事の引き受け手がなかなか出てこないと、自分が引き受けなければと思ってしまう。

・いつでも、今以上のことが求められていると思い込んでいる。そのために、きちんとやっているのに、不全感にとらわれる。

私たちは、自分の快適さと他の人の快適さとのバランスをとりながら行動しています。

そして、大部分の人は「まず自分があって、他者がいる」と、自分を優先します。

ところが、過度の責任感を持つ人は、自分の心の快適さよりも、相手の心の快適さを優先させてしまうのです。

さらに、この良心的な心を利用して、過度の責任を負わせようとする人がいます。

そのために、面倒をみてあげた人への責任さえ、とらされてしまうのです。

「だって、あなたが『そうするといいよ』って言ったじゃないですか。

そう言われたのでやったから、こんな事態になってしまったんですよ」

親が子どもにこうした対応をしていると、子どもは無際限の責任を負う心を発達させてしまいます。

「お母さんを悲しませないでちょうだい」

「お父さんの機嫌が悪くなるようなことはしないで」

このようなことを親が名言することは少ないでしょうが、多くの家庭で親が機嫌良くいられる状態を作ることが子どもの役割になっています。

このために、子どもは親の前では屈託ない明るさを演じるのです。

この過度の責任感が広がって、天候にまで責任をもたされるかのような人もいます。

たとえば「私は雨女(雨男)。だから雨が降ったのかも」などと言う人がいます。

でも、その人に天候を左右するほどの力があるはずはありません。

過度の責任を感じてしまいそうなときには、「自分は特別な人間ではない」と、頭の中で何度も繰り返すことです。

被害者ゲームを演じない

過度の責任を感じる人の行動は、安請け合いとは違います。

安請け合いは物事を簡単に考えて引き受けることですが、過度の責任を感じる人は「大変だな~」と困難を予想しながら引き受けるのです。

それだけに悲劇的です。

こうした人は、自分に価値がないという感覚、すなわち、自己無価値感にとらわれており、他の人から必要とされることで自分の存在価値を獲得しようとしているのです。

特別な責任を果たさなければ、自己価値を感じられないのです。

過度の責任を引き受けることは、自分を被害者とする人間関係ゲームを演じることであることが少なくありません。

この場合、最初は自分が救助者の役割を演じ、最終的には被害者の役割を演じるのです。

たとえば、ある仕事の引き受け手がないとき、「それじゃあ、私がやります」と、他の人たちを助ける援助者の役割をとります。

しかし、その仕事を自分だけがやらなければならないことを理不尽に思い、「他の人は私に仕事を押しつけた」と、他の人を加害者として、自分を被害者として哀れむのです。

このように、過度の責任感を持つ人は、被害者意識にとらわれることが少なくありません。

だとしたら、最初から引き受けないことです。

そのためには、断る力をつけることです。

適切に「ノー」と言う力は、自分が自分であるために必要な力です。

また、断らない場合でも、自分だけで引き受けてしまうのではなく、「どのようにしましょうか?」と、責任を共有するかたちで対応することです。

過度の責任感から仕事を引き受けそうになったら、「被害者ゲームを演じない」と繰り返すことで、思いとどまるようにすることです。

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がんばり過ぎない

過剰な責任感を持つ人は、がんばり屋さんです。

がんばりは必要ですが、がんばり過ぎは禁物です。

がんばり過ぎると、周囲の人はあなたに「がんばる人」という役割期待をもってしまいます。

そして、その役割期待に応じて、あなたに接するようになります。

「がんばり屋」という期待で仕事をどんどん依頼するし、「がんばり屋」という見方で評価します。

このために、がんばり過ぎを緩めて、普通の状態に戻しただけで、「力を抜いている」「さぼっている」と評価されてしまいます。

がんばり過ぎて自分が思っている自分よりも良いイメージをもたれると、負担になります。

このために、人間的にも、仕事でも高く評価されているのに、惜しまれながら比較的短い期間で転職してしまう人がいます。

燃え尽き症候群で職場を去る人は、「いい人で、がんばり屋さん」が圧倒的多数です。

「がんばるぞ」という心は不可欠ですが、がんばり過ぎはマイナスです。

むしろ脱力するくらいがちょうどいいのです。

そうしたら、周囲の人も脱力できますから。

がんばり過ぎないことは、自分のためだけでなく、周囲の人のためでもあるのです。

●まとめ

過剰な責任を引き受けないように心がけよう。

引き受けそうになったら、「私は特別な人間ではない」「被害者ゲームは演じない」「がんばり過ぎない」と、何度も頭の中で繰り返そう。