社会的ひきこもりの統計調査
ここでは社会的ひきこもりの調査研究でもう少し理解を深められたならと思います。
調査の対象は六年間に、ある関連機関を受診した患者さんのうち、次の条件をみたす群です。
- スキゾフレニア、躁うつ病、器質性精神病などの基礎疾患がないこと
- 初診時点で3カ月以上の無気力・ひきこもり状態があること
- 六年間から半年経過した時点で、本人との治療関係が六カ月以上続いていること
- 少なくとも本人が5回以上来院していること(家族のみの相談も多いため)
- 評価表を記入するための資料が十分に揃っていること
これらの条件を満たしたものは80例(男性66例、女性14例)でした。
初診時の年齢は最年少の12歳から最年長34歳までで、平均19.6歳でした。
また調査時点での年齢は13歳から37歳までで平均21.8歳でした。
これらの事例について、評価表にもとづいて調査を行った結果があります。
分析結果にもとづいて、社会的ひきこもり事例の特徴についてざっと述べるなら、次のようになります。
- 調査時の平均ひきこもり期間は39カ月(三年三カ月)
- 圧倒的に男性に多い
- とりわけ長男の比率が高い
- 最初に問題が起こる年齢は、平均15.5歳
- 最初のきっかけとしては、「不登校」が68.8%ともっとも多い
- 問題が起こってから治療機関に相談におとずれるまでの期間が長い
- 家庭は中流以上で、離婚や単身赴任などの特殊な事情はむしろ少ない
さて、同じ調査結果にもとづいて、こんどは社会的ひきこもりに伴って出現する症状について検討してみます。
ここではいわゆる精神症状だけに限らず、長期化するにつれきわだった異常としてみられる状態について、網羅的に述べておきます。
もちろん症状によっては(過食・拒食のように)別の診断のもとで克服への試みをすすめるべきものも含まれています。
しかし、社会的ひきこもりから二次的に生じる可能性が少しでもあると判断した症状については、ここで検討することにしました。
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無気力のひきこもり
まず一般的な無気力・ひきこもりの状態とはどの程度のものなのでしょうか。
調査結果では、はじめて診察を受けた時点で「ほとんど外出しないか、時に近所まで出かける程度」のものが67%でした。
また調査時点での平均ひきこもり期間が39カ月でした。
ただしひきこもりの期間については、かなりばらつきもあります。
不登校ではじまったものが多いことを考えあわせると、ひきこもり期間がすでに数年以上にわたっている事例が多いのも当然でしょう。
アルバイト以外の就労経験を持つ事例もほとんどありません。
この結果から彼らを単なる「怠け」として捉えることは、果たして正しいのでしょうか。
彼らの気持ちを理解するには、とじこもった無為の生活を何年間も続けざるをえないという状況を想像してみることです。
こうした状況にまったく苦痛を感じない人がいたとしたら、そちらのほうが心配です。
年余に及ぶひきこもり生活をまったく苦にしていない人がいたとしたら、一度は精神病の可能性を疑ってみるべきです。
ひきこもる人たちの多くは、こうした生活をみずから望んで続けているわけではありません。
ひきこもり状態から抜け出したいと、誰よりも強く願いながら、それがどうしてもできないのです。
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不登校の社会的ひきこもり
こうした社会的ひきこもり状態の直後のきっかけとして、不登校が比較的多いという印象があります。
私たちの調査でも、ひきこもり状態に入っていくきっかけとして、不登校がもっとも多いという結果が出ています。
不登校とひきこもり状態は、かなり連続しているのでしょうか。
もしそうであるなら、現在たまたま学校に行っていない子どもを持つ家族は、またあらたな心配の種が増えてしまうことになります。
学校へ行けない子は、一生ろくに社会生活も送れないのではないか。
そのように案ずる家族も、実際少なくありません。
たしかにひきこもり状態のきっかけとしては、不登校が多いようにみえます。
しかし不登校とひきこもり状態の因果関係をいうためには、むしろ不登校の子どもたちが、どのくらいひきこもったままになるか、という調査の方が重要です。
こちらについては、「登校拒否の予後」研究などでずいぶんデータが集まっています。
その結果をみる限りでは、不登校全体からみて、「社会的ひきこもり」状態にまで至る事例は、それほど多くはないという印象があります。
不登校事例の大部分はこのような長期化をまぬがれうる。
それが事実といっていいでしょう。
ですから、「学校に行かないこと」をすぐに「社会的ひきこもり」に結び付けて考える必要はありません。
しかし、一部の事例がこのような深刻な状態にいたっているということもまた「臨床的」事実ではあります。
この事実を無視し過ぎても、誤った対応に結びつく可能性がないとはいえません。
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「不登校」を問題視しすぎる必要はありません。
しかしまた「今の教育制度においては、まともな感受性を持つ子なら不登校にならないはずがない、不登校こそが子どものあるべき真の姿」といった、ほとんど全面賛美に近いような擁護にも問題がないとはいえません。
こうした立場は、不登校児に肩入れしすぎるあまり、しばしばある種の鈍感さの原因となりやすい。
また不登校の問題を政治的な問題に重ねすぎるため、治療的な視点が締め出されてしまいがちです。
「不登校は病気じゃない」というスローガンが、その典型です。
もちろん、すべての不登校が克服への試みを必要とするわけではありません。
しかし一部の不登校が、何らかの治療的対応によって救われるということも事実なのです。
さきのスローガンが、「すべての不登校が病気とはいえない」という穏当なものでしたら、完全に賛同できるのですが。
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「不登校」自体はすでに現実として、もはや誰もが身近に経験していることです。
不登校児の中にも、大検などをどんどん受けて進路を選択できる子もいれば、そのままひきこもってしまう子もいます。
つまり不登校児を賛美しすぎることは、ことなったかたちの差別化につながってしまうのではないでしょうか。
見事に自立し、社会参加を果たした不登校児のエリートたちのかげには、焦りを感じつつも社会に踏み出すことのできない、膨大な数のもと不登校児たちがいるような気がします。
いってみれば、「不登校」を病気にたとえるなら風邪のようなものですが、これに対して「社会的ひきこもり」は肺炎や結核にたとえられるかもしれません。
疾患としてのすそ野の広さや慢性性もさることながら、対社会の関係において「社会的ひきこもり」が現代における「抗生剤以前の結核」のような位置にあるのではないかと考えています。
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誤解の恐れもありますので、少し詳しく説明します。
「社会的ひきこもり」も「かつての結核」も、1.なんらかの消耗体験(後にショックや疲労感が長く続くような体験)に引き続いて起こります。
また2.治療というよりは環境調整と「養生」的対応が必要になります。
3.対社会的には、いわれのない誤解・偏見が直接、回復の経過に影響することがあります。
4.かなりの程度、家族などの周囲を巻き込みます。
これは主として3によるためでもあります。
5.就労可能にみえて就労できないということから、つねに世間からの暗黙の非難にさらされます。
しかしこうした類比が正しいものであるなら、そこには何らかの治療論や症候論のヒントが秘められているかもしれません。
もっとも心の問題であるだけに、抗生剤の登場にあたるような、速くて確実な治療法を期待することは難しそうですが。
不登校は、かつては登校拒否などと呼ばれて社会問題化した経緯があります。
しかし全国で14万人ともいわれるほど増加し(2018年小中学生対象)、また日常化してくると、もはやそれを単に病的とみなす意見も説得力を失います。
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少子化の傾向に逆らうようなこの数量的増加は、不登校が社会病理の直接的な反映であったことを証明するものでしょう。
通常の精神疾患であるなら、こうした極端な増加はむしろ起こりにくいものです。
また一部の神経症が戦時下では減少するといわれるように、社会病理は必ずしも精神病理に直接に反映するものではありません。
さて、ひきこもり事例の中でこれまでに不登校を経験した人の割合は90%でした。
この数字だけみるなら、たしかにかなり高率といえるでしょう。
しかしこのことだけから、単純に不登校とひきこもりを関係づけるのは、前にも述べたように誤りです。
不登校自体はそのかなりの部分が、なんらかの形で復学や就職などの社会参加を果たしていきます。
しかし関連性がまったくないかといえば、もちろんそうともいえません。
不登校の一部が長期化して、社会的ひきこもりへと移行することも厳然たる事実だからです。
不登校もまた、さまざまな状態と要因をはらむ多義的な名前です。
ひとくくりにして扱うことが乱暴であるのは、社会的ひきこもりの場合と同じことです。
しかしまた「社会的ひきこもり」の群と「不登校」の群とが重なる部分が少なからずありうるという推測も、けっして無視されるべきではないでしょう。
さて、調査では、不登校を経験したもののうち、三カ月以上の持続的不登校が86%を占めていました。
このことからも、不登校が長期化し、そのままひきこもり状態にいたる事例が多いことが推測されます。
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社会的ひきこもりの特徴として、一度でもまとまった期間の就労などといった社会参加を経験した事例が少ない、ということがあります。
これは、社会的ひきこもりが一種の「未熟さ」と結びついていることから説明できるでしょう。
ひきこもり状況は、必ず思春期からの問題を引きずるかたちで生じてきます。
つまり、ある程度の社会的な成熟を経た後には、こうしたひきこもり状況はほとんど起こりません。
少なくともそのような事例はありません。