社会的ひきこもりと統合失調症の関係
社会的ひきこもりの初期診断の重要性
「社会的ひきこもり」は病名ではありません。
現在のところ、こうした状態を総称するような適切な病名はありません。
また「ひきこもり」をもって単一の疾患とみるべきではない、という意見もあり、これはそれなりに正当なものです。
もちろん、社会的ひきこもり以外にも、同じような状態にいたる疾患はいくつかあります。
初期の対応が明暗を分けることもあることを考えると、ここで関連する疾患について簡単に整理しておいたほうがいいでしょう。
疾患の説明に入る前に、簡単な精神科のおさらいをしておきたいと思います。
まず精神障害の分類についてです。
精神科の病気は、その原因によって三つに分けられます。
すなわち、「心因性」「内因性」「外因性」というものです。
「心因性」の疾患は、さまざまな心の問題が原因となって引き起こされます。
ショックやストレス、あるいは子どものころの心の傷などから起こる病気です。
したがって脳の機能そのものには異常がみられず、検査によって診断することができません。
「神経症」や「ヒステリー」「人格障害」などは心因性の疾患です。
「内因性」の疾患は、おそらく脳の機能の何らかの異常が原因となって引き起こされると考えられます。
しかしその機能の異常は、やはり検査ではみつけることができません。
いわゆる「精神病」、すなわち統合失調症や躁うつ病は、内因性の疾患です。
「外因性」の疾患は、器質性疾患ともいわれます。
脳神経系の実質的な異常があり、それが脳の機能に障害をもたらし、それによって起こる疾患です。
これらは脳のCTスキャンやMRI、脳波などの検査によって診断できます。
てんかん、精神発達遅滞、自閉症などは外因性の疾患とされています。
「社会的ひきこもり」は、以上の分類を用いるなら、心因性の疾患ということになります。
ただし、他の精神障害でも「ひきこもり」は起こります。
したがって、治療をはじめる前に、きちんと診断したうえで治療方針を決めておく必要があります。
「親御さんだけでは治療にならない、本人を連れてきてください」という病院が少なくないのは、直接に会わない限り、けっして診断ができないからです。
診断せずに本格的な治療にはいれないのは、当然のことではあります。
おそらく初期の対応でもっとも問題となるのは、「統合失調症か否か」という点でしょう。
もしそれが統合失調症によるひきこもりであるなら、治療は薬物療法が中心となります。
この場合は、適切な薬物療法がなされるだけで、すみやかに改善することも少なくありません。
逆に放置されると慢性化してしまい、時には人格まで変わり果ててしまったようにみえることもあります。
それでは、ひきこもり状態を起こすことのある疾患には、どのようなものがあるでしょうか。
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ひきこもりと統合失調症の区別
まずもっとも重要な疾患である統合失調症と社会的ひきこもりとは、どう区別されるでしょうか。
もちろん、統合失調症のなかでも「ひきこもり」を伴うものはその一部です。
多くの場合、幻覚や妄想などの症状を伴い、これらは明らかに異常な言動としてあらわれます。
こうした誰の目にも明らかな異常性(「陽性症状」といいます)がある場合、診断は比較的簡単につきます。
しかし統合失調症のなかには、もう少し症状の目立たないタイプのものがあります。
これが軽いためかというと、必ずしもそうではないところが、統合失調症診断の難しいところです。
こうした明らかな症状の目立たないタイプの場合では、むしろ「ひきこもり」や「無気力」が目立つようになります。
これらはさきほどの「陽性症状」に対して「陰性症状」と呼ばれます。
このような事例では、それが心因性の「社会的ひきこもり」なのか、統合失調症であるのかを判断することは、大変難しい問題となってきます。
「DSM-Ⅳ」という、ほぼ全世界共通の診断マニュアルも、統合失調症か心因性のひきこもりかを区別するうえでは、あまり役に立ちません。
「社会的ひきこもり」事例には、DSM-Ⅳでは統合失調症の特徴とされる「感情の平板化」「著しい社会的孤立またはひきこもり」「期待される社会的発達レベルまで達しないこと」「機能の著明な障害」「身辺の清潔と身だしなみの著明な障害」「会話の貧困や会話の内容の貧困」「自発性、興味、気力の著しい欠如」といった状態がしばしばみられるからです。
それでは、明らかな幻覚や妄想がみられるなら「統合失調症」と診断してよいか。
これもそう単純にはいきません。
社会的ひきこもりにも妄想らしきものが出てくることがあるためです。
「近所の人が窓の外で自分の悪口をいっている」「よその車が家の前に止まって、自分を監視している」などといった訴えがみられることも珍しくありません。
こうした訴えを、統合失調症本来の「妄想」と区別するのは、大変難しいことです。
あるいは専門家でも誤ることがあるでしょう。
つまり「妄想」とひきこもりの「妄想様観念」とは、理論的には区別できないのです。
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無理に理屈をつけようとすれば、「この妄想は統合失調症的ではないから統合失調症ではない」といった、もっともらしいが実は何もいっていないに等しい判断にならざるをえません。
しかし、そうした制約は承知の上で、ここではあえて統合失調症と社会的ひきこもりの印象の違いについて述べておきましょう。
まず一番の違いは、ひきこもり事例の「妄想様観念」では、なぜそのような観念を持つにいたったか、その筋道や因果関係をある程度理解できるということです。
いかに被害妄想的とはいえ、本人がなぜ被害的にならざるをえなかったかは、かなり共感できることが多いのです。
本人がどのような点にもっとも劣等感や恥ずかしさを感じているかを理解することで、こうした共感はある程度可能になるといってよいでしょう。
おおざっぱな言い方ではありますが、統合失調症の場合は、このような共感が難しいことが多いように思われます。
さらに統合失調症では、独特の「奇妙さ」がみられます。
この「奇妙さ」ばかりは、その感触を言葉でいいあらわすことが大変難しい。
ただ突飛であるとか、変であるとか、そういった表現ではくくれない違和感なのです。
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比較的多い例を挙げておくなら、「TVで自分のことが流れている」といってTVをまったくみなくなったり、あるいは「電波や電磁波が送られてきて苦しめられる」といった訴えがあります。
また、一人でいる時にぶつぶつと独り言をいっていたり、あるいは独り笑いをしきりにするような場合があります。
奇妙な行動の例としては、隣家に火のついた紙片を投げ込む、といった行動の事例もありました。
もちろん、これらとて絶対とはいえませんが、こうした言動を示す事例では、まず第一に統合失調症を疑うことにします。
社会的ひきこもりと統合失調症の最大の違いは、十分なコミュニケーションが成立するか否か、につきると思います。
どんなに無口な性格であっても、それが社会的ひきこもりの事例であるなら、本人のいいたいことや訴えたいことは、表情や行動などからなんとなく判ることが多い。
その苦しさを、周りの人も、ある程度努力すれば理解できることが多いのです。
慣れてくれば、例えば本人が無言のままどすんと床を踏みならした場合でも、何が気に入らなかったのか推測できるようになるものです。
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いっぽう、統合失調症の場合は、これが難しい。
本人がなぜそのような行動をとるのか、理解に苦しむことが多いのです。
およそ脈略がなく、唐突に奇妙な行動が繰り返される場合は、やはり統合失調症を第一に疑うことになるでしょう。
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このことに関連して、心因性のひきこもりと統合失調症とをみわける方法を精神科医の春日武彦氏は、治療者からの手紙やメモを家族を通じて本人に手渡してもらい、それを手にとって読むようであれば心因性のもの、まったく関心を示さないようであれば、統合失調症を疑う、ということでした。
社会的ひきこもりの事例では、人を避けているようで、実際には人とのふれあいを切望していることが多いのです。
いっぽう統合失調症の事例では、他人との接触を完全に避けようとするか、あるいは完全に無関心であることが多い。
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もちろん100%ではないにせよ、この鑑別法には、かなりの臨床的な有効性があると考えられます。