ひきこもりの実態
数字で見るひきこもりの実態
ひきこもりの実態について少し数字をあげて説明します。
「全国ひきこもりKHJ親の会・東海」の調査では、ひきこもりの人の兄弟姉妹の中で、一番多いのは長男でおよそ60%にのぼる。
次いで次男、長女と続いている。
ひきこもりの発生年代は成人が40%、高校時代21%、中学時代が20%、高卒から成人までが13%、小学生が6%である。
ここからは成人が圧倒的に多く、次いで高校時代となっていることがわかる。
ひきこもっている年齢は、ピークとなる年齢は三十一歳前後が一番高く、次いでニ十九歳、ニ十六歳、二十三歳、十七歳である。
ひきこもっている年数で一番多いのは、三年、四年、五年、七年、二年、次いで半年、一年、六年となっていた。
発生年代、そしてピークの年齢、ひきこもり期間を見れば、その状態が本人だけでなく家族にとってもかなり深刻な事態であることが容易に想像がつく。
ひきこもりに至った原因としては、もっとも多いのが「人間関係」で42%、次いで「いじめ」が17%、「裏切られた」が5%、これらはみな人間関係と考えられるので、総計すると64%となる。
「受験の失敗」が5%、「ケガ・病気」が5%、「身内の死亡」が4%、「不明」が14%と続く。
家庭内暴力の状況については、「暴力なし」が47%と約半分近く。
次いで「今は比較的おとなしい」、つまり「過去に家庭内暴力があったが、今はおとなしくなっている」というのが36%、「今もなお暴力を続ける」が10%、「暴力は数回あった」が3%となっている。
つまりひきこもりの約半数は何らかの家庭内暴力を起こしているのが実態である。
現在のひきこもりの状況については、「外出できる」が60%、「夜間・昼少し出られる」25%、「部屋・家から出られない」が15%。自分の部屋から出ないで、家族とも会話をしないのを「閉じこもり」と呼んでいるが、この「閉じこもり」も、15%もいる。
父親の年齢については一番多いのは六十歳代であり、次いで四十歳代から五十歳代となっている。
男女どちらにひきこもりが多いのかについては、多くのデータでは、80%は男性と報告されている。
たしかに精神科でのケースでも、ほぼ八対二の割合で男性のほうが多かった。
そして、やはり問題が深刻なのは男性のひきこもりである。
なぜなら、男性のほうが、自立して仕事を持ち、社会生活を送るのが当たり前だという社会的な圧力が大きいからである。
いまは女性も仕事を持つのが当たり前の社会にはなっているが、それでも、就職せずに家庭にいたとしても、家事手伝いをしているとか、花嫁修業をしているといった社会的な見方があり、それほど不自然には見られない。
そういう点では、女性のほうがひきこもっていても、社会的にはそれほど変な目で見られることも少なく、ある意味で逃げ場がある。
ところが男性が二十五、六歳になっても、家でごろごろしていたら、隣り近所から「いい年をして何をしているのだろう」と見られてしまう。
男性の場合には、周囲からの圧力によって、よけいに家の中にひきこもってしまうことになる。
女性の場合には、それほどプレッシャーもかからず、ひきこもりといっても、部屋に閉じこもらずに家族とも交流があるし、場合によっては少しは外にも出られるというような、ゆるやかなものになることが多いようである。
ひきこもりのきっかけは4タイプ
ひきこもりになるきっかけから、ひきこもりの型を整理してみよう。
ひきこもりになるのは、いじめがきっかけになるものが多い。
つまり、いじめ→不登校→ひきこもりという型である。
もうひとつは、精神的にも肉体的にもひよわで、自分から仲間に入れずにひきこもってしまうという型。
この二つは、精神的にひよわということでは共通している。
さらに、学力低下によって学校がおもしろくなくてひきこもってしまう、学力低下型。
もう一つは、家庭が安定しない、つまり夫婦の間に問題があって、離婚に至ったり、さらに再婚したりという家族関係が不安定な場合がある。
家庭が不安定なので、自分も不安定になり学校に行く余裕がないという、家庭問題型である。
あとは、うつ病、統合失調症などの心の病気(精神障害)があるケース。
思春期のうつ病は、うつ症状で目立つというよりも、万引き、不登校、喧嘩などといった行動で現われることが多い。
また、統合失調症も意外に多い。
ただし、統合失調症の場合のひきこもりは分裂病という病気の結果であって、一般的にいわれるひきこもりとはきちんと分けて考えなくてはいけないであろう。
つまり、大きく分けると、ひよわ型、学力低下型、家庭問題型、心の病気(精神障害)型の四つに分類できる。
なお「人格障害」はそれらのどの型にも関係してくることが多い。
四つのうち、ことに多いのがひよわ型の中の、いじめ→不登校→ひきこもり型である。
その場合、小学校、中学校時代のいじめられた体験が強迫観念のようになってしまい、その記憶から自由になれないのだ。
ある時期のいじめ体験が強迫観念になってしまって、外に出ていじめられた昔の同級生に会うかもしれないという恐怖によって、外に出られなくなるようなケースである。
相談機関に対する満足度と医者の診断
医者に受診した場合にどういう病名がつけられたかを見ると、一番多いのは「強迫性障害」と「対人恐怖症」がともに20%である。
次いで「人格障害」が17%、うつ病が5%、統合失調症が3%、その他が31%、となり、かなりバラツキが見られる。
「強迫性障害」が一番多いが、この強迫性障害をともなうひきこもりは暴力性がきわめて強い。
強迫性障害はかつての神経症である。
治療としては、まずこの強迫性障害を治すことが重要となる。
強迫性障害の場合、そのひきこもりは、他の障害から生じるひきこもりとは、少し性格が異なる。
彼らが怯えている対象は外の物であって、人ではない。
彼らは、「汚いものに触りたくない」ということで、外の物に触れられない。
電車に乗っても手すりにつかまれない、ドアの取っ手も触れない、人に触れることもできず、家にひきこもらざるを得ないケースである。
相談に行った機関と満足度という点では、「病院はあまり役に立たない」とするのが一番高い率で見られる。
しかし同時にまた、「やや満足」も一番高くなっている。
そして「満足する」率もやや多い。
病院に関しては「役に立つか」「まったく無駄か」と評価が真っ二つに分かれているようである。
保健所は「あまり役に立たない」「不満」という回答が高い率で見られる。
民間機関も「あまり役に立たない」が多く見られるが、「やや満足」「満足」も比較的多い。
カウンセリングに対しては、「あまり役に立たない」、あるいは「不満」がきわめて多い状況である。
このように見てくると、病院が一番彼らの行きたくないところにもかかわらず、そしてまた不満を持つにもかかわらず、「満足」のレベルが一番高く、次いで保健所、民間機関という順序になっている。
「役に立った機関」ということになれば、家族が中心に組織する会が一番多く、次いで病院・診療所となる。
これは先の報告と逆になるのだが、調査対象が少ないからだと考えられる。
ひきこもりの平均的ケース
このような調査結果から、典型的なひきこもりの人物像を描写してみよう。
年齢は二十代から三十代。
ひきこもり年数は三年ないし五年。
長男で、高校時代か、成人になってからひきこもりが発生しているケースが多い。
約半数に家庭内暴力が見られ、また半数以上は家から外出できる状況ではあるものの、夜間に主に出るという人が四分の一ほどいる。
医者の診断で一番多いのは、対人恐怖症と強迫性障害であり、次いで人格障害となる。
ひきこもるのは「成人から」が一番多いのだが、別のデータでは「高校時代から」が37.5%で、一番多いという報告も見られる。
また、ひきこもりの平均年齢は22歳9カ月というデータを奥山雅久氏(元全国引きこもりKHJ親の会代表)らは出している。
ひきこもりの原因として一番多いのは「対人関係」であり、次いで「いじめ」となっている。
これらは対人関係の問題と総括してよいであろう。
ひきこもりの人の内面的な特徴としては、対人関係能力の極端な低さが挙げられる。
日本人の子どもたちの対人関係能力は年々低下している。
親友がいないという状況が、このようなひきこもりを引き起こしている一つの大きな原因となっている。
有名進学中学・高校、国立大学を出てJR貨物に就職した青年が、全日空の旅客機をハイジャックして機長を殺したという事件があった。
彼は小学校の頃から友達がまったくいなかったという。
いかに勉強ができても対人関係ができなければ、社会に適応できないという状況に陥る危険性は高い。
対人関係こそ人間が生きる基礎であり、勉強はその次でしかない。
ひきこもりの背景には、対人関係よりも学力重視といういまの風潮が大きな問題となっていることがわかる。
さらに少子化とともに親の過保護が強くなっており、子どもを自立させる愛情ではなく、子どもを自分の一部、あるいはペットのように扱って、それを愛情と誤解している親がきわめて多い。
そのために子どもの独立心や自立心が損なわれ、学校へ行くこと、社会に出ることに怯える青年たちが増加しているのである。
引きこもりの中で長男が一番多いということも、彼らが親の過保護を受けやすいということに起因しているように思われる。
北風が吹いているような寒い社会に出られない、寒い学校に行けないという状況の中で、ぬくもりのある家庭、ぬくもりのある母の愛の中に隠れようとしているともいえるだろう。
ひきこもる人たちの実像
父親に反発し、母親を召し使いにする
ある精神科医の元に患者の父親から電話がかかってきた。
「妻が、ニ十歳の息子(H君)に廊下に立たされたまま、三日も食事をとっていないのです。
このままでは妻が死んでしまうから、何とか助けてください。
家に来ていただきたい」という訴えである。
父親の電話の声が切迫した様子だったので、すぐにスタッフと一緒に駆けつけた。
家に入ると、台所から異様な臭いがする。
台所にもテーブルの上にも、洗っていないままの食器がそのまま放置され、新聞紙でおおわれている。
臭気はここから発散されていた。
父親によると、H君はいやなことが起こると、何も動かしてはいけないというので、そのままにしてあるという。
H君は二階の部屋にいるというので、二階に上がると、外の廊下に母親が立ちつくしている。
「お母さん、なんでこんなところで立っているのですか。そんなに何日もこんなことをしていたら、命にもかかわるじゃないですか」と、声をかけると、
「動いたりしたら、あとで息子にひどい目に遭わされるので、立っていたほうがましなのです」と答える。
H君の部屋のドアを開けると、中は真っ暗だ。
部屋の中に差し込む光から、彼がベッドで横になっている様子がうかがえた。
「こんなところでいつまで寝ているつもりなんだい。どうするつもりなんだ。今後のことを一緒に考えようじゃないか」
そう呼びかけても、まったく反応はない。
結局、両親と相談して、彼を病院に入院させることにした。
両親からくわしく事情を聞いたところ、H君は部屋にひきこもるようになって、すでに四年ほど経っていた。
彼は小学校時代から不登校を繰り返していた。
その原因は父親がしばしば転勤し、それにともなって転校を繰り返したので友達ができず、どこの学校でも仲間をつくれず、浮いた存在になるからということであった。
中学校に入ってからは、いじめに遭い、学校に行かなくなってしまい、そのままずっとひきこもるようになった。
ひきこもるようになってからは、母親をこきつかい、すべてが自分の思いどおりにならないと、承知しないようになった。
H君にはH君なりの規則があって、それを母親が守らなければ、母親に暴力を振るう。
あるとき、母親が彼の命令に従わなかったことがあり、そのときから母親を廊下に立たせるようにもなった。
「なぜ、こんなことをやめさせられないのですか」と、父親に聞いたところ、
「息子は中学になってからは、私とまったく口をきかないのです」と言う。
H君は父親の転勤のせいで、自分がこんなふうになったのだと、父親を恨んでいた。
また、父親は毎日酒を飲んで、深夜に帰宅するという生活を送っており、そんな父親を、「赤鬼」と呼んで嫌い、反抗していた。
H君は、「僕がこんなふうになったのは、父が転勤、転勤で転校ばかりして、友達ができなかったからです。しかも、父は毎日、酒を飲んで、暴力を振るう。あんな奴は死んだほうがいい」とさえ言う。
しかし、彼の暴力は母親に対して発揮されている。
そのことを聞くと、「母は僕が思っていることも、いっていることもわからないから、その罰です」と答えるのだ。
病院に入院してから、彼の生活ぶりで特徴的だったのは、手を水で洗ってばかりいることであった。
時には、三十分以上も洗い続けている。
典型的な強迫性障害の洗浄強迫であった。
強迫性障害とは、かつて強迫神経症と呼ばれていた症例で、強迫観念と強迫行動の二つに分けられる。
強迫観念とは、ある一つのイメージが頭に浮かび、自分でもそれを止められないというものである。
強迫行動とは、ある行為を延々と続けなければ気がすまないという状態である。
このH君の洗浄強迫は、強迫行動に分類され、そのために家中が混乱状態に陥っていたのである。
彼の病院での生活は、洗浄強迫以外にはほとんど問題がなく、おとなしく優等生的。
そんな彼が、なぜ家庭では、両親に対してあれほど権力者として君臨していたのか不思議なほどであった。
彼の洗浄強迫は、ある日突然治ってしまう。
他の患者から「そんなに時間をかけて手を洗うなんて、水がもったいない」と叱られたことがきっかけだった。
普通は、洗浄強迫は、なかなか治らないものなのだが、そのひと言で治ったのには、私たちも驚かされたほどである。
このH君、強迫性障害から、不登校、母親への暴力、ひきこもりとなったケースである。
H君のように、ひきこもりの少年たちは母親を召し使いのようにして、こき使ったり暴力を振るったりすることが多いのである。
ひきこもって資格試験を受け続ける人の心理
司法試験を受ける、公認会計士の試験を受ける、あるいは医学部を受験するという形でひきこもっているケースも多く見られる。
司法試験を受けるといいながら、ほとんど外へ出ない人がいる。
結局最終的には、みな司法試験に受からず、三十代半ば、あるいは四十歳に達しながら他の仕事にも就けず、家でぶらぶらして、いわゆるひきこもりの代表的なパターンになってしまっていた。
彼らは「司法試験を目指す」と言うが、よく観察してみると、彼ら自身の対人関係能力に問題があり、会社組織の中で働くことができないことが多い。
自分でもそのことがわかっているので、人とあまり関係しないですむ、一人でできる仕事ということで、弁護士を志望するのである。
三十八歳の男性Iさんは、すでに司法試験を十五年も受け続けているが、けっして諦めようとはしない。
「このままではパスするわけはないから、もういい加減にやめてくれ」と親は再三言うのだが、Iさんは「いや、来年こそ」と、毎年受けていた。
そのIさんが入院してわかったことは、彼も対人関係がまったく持てないということだった。
非常に怒りっぽい性格で、台所で少し水がかかったり、トイレでちょっとぶつかったりしただけで他人と喧嘩になるというように、いつも人とのトラブルが絶えない。
当然、友達はできず、たくさんの患者の中でいつも一人でぽつんとして司法試験の勉強をしていた。
また、彼は「自分は頭がいいのだ。誰よりも能力があるのだ。だから弁護士になるんだ」という自己愛的な傾向が妄想的といえるほどに顕著だった。
彼には、他の患者と同じレベルで扱われては困るという意識がきわめて強かったのである。
そのために周りとよけいに摩擦が起こっていた。
病院の患者に対してだけではなく、外の社会の人に対しても、「おまえらなんかと俺は違うんだ」という優越感がとても強かった。
Iさんが四十歳になったとき、さすがに医師は「もう司法試験をやめるしかないのではないですか」としんみりと声をかけた。
「そうですね。これだけ親に依存していたのでは親にも申し訳ないですしね。これだけ落ち続けてきて、来年、再来年に受かる保証もないですしね」と、かなり現実感覚を持って彼は答えた。
そして司法試験の勉強を止めたものの、その後は何もせず、ボーっとして気が抜けたような顔をしていた。
やがて彼はタクシー運転手になったが、二ヵ月と続かない。
他の運転手と喧嘩になって警察沙汰になったり、車の運転が荒いので交通事故を起こしたり、とてもタクシー運転手をやっていけるような状態ではなかった。
会社でも孤立し、誰とも付き合うことはなく、「変人」と呼ばれていた。
そうして、彼は仕事を転々とせざるを得なかったのである。
やがて妄想と幻聴が生じ、統合失調症となり、再入院となってしまった。
ひきこもる人の中には分裂病の素質を持っている人がいて、ひきこもりが長くなると分裂病になってしまうケースはよく見られる。
Iさんもまさにその典型であった。
司法試験の勉強をして、ひきこもっている間は分裂病そのものにはならなかったのだが、いざあきらめて社会に出たとき、そのプレッシャーによって分裂病になってしまったのである。
しかし治療をすると、三カ月ほどできれいに幻覚妄想は取れ、また元の彼に戻ることができた。
アメリカ精神医学会の診断基準では、三カ月以内で治って、まったくその後も幻覚妄想がないということになれば、統合失調症と診断するのではなく、分裂病様障害という診断名になる。
このようなことが二回ほどあった後、彼はまた家にひきこもり、毎日ぼんやりと過ごすようになった。
ただそうした生活の中では、ある程度安定していて、統合失調症の症状を呈することはなかった。
いま、彼は何をすることもなく、日々を過ごしている。
挫折がきっかけで、幻聴、妄想症状が出る
やはり司法試験を目指していた29歳の男性Jさんは、大学在学中から司法試験を受け続けていたが、毎年落ちていた。
彼は熱心に勉強し、「来年こそ入りますよ」と余裕を持って言うのだが、いつも落ちてしまう。
とうとう父親から「もう司法試験はやめろ」と言われ、彼は「自分は会社に向いていないから」と、今度は司法書士の勉強をはじめた。
しかしそれも受からない。
それでは難関の司法試験など受かるはずはないではないかとつくづく思う。
「別の道を考えたらどうかな」とすすめても、彼は「必ず受かります」と猛然と反論する。
その頃、彼はある女性に恋愛感情を持ち、彼女に手紙を書いた。
しかしその内容は、彼女は当然自分のことを好きである、という前提のもとに書かれていた。
彼もまた、自己愛の強い、司法試験志願者の一人といえる。
結局、その恋愛も上手くはいかなかった。
そして、恋愛に失敗すると幻聴と妄想が生じた。
「トイレの上にビデオが設置されて自分を映している」「ステレオの方から自分に何か命令がやってくる」「テレビに出ている人物から指令が飛んでくる」といった典型的な分裂病の幻聴、妄想が生じたのである。
Jさんもやはり対人関係が苦手で、自分は集団の中に入れないことを認識して、司法試験の勉強をしていたのだ。
対人関係が極端に苦手な人は分裂病質人格障害、あるいは分裂病型人格障害というケースが多い。
このタイプの人格障害は分裂病になる可能性が高い。
Jさんの場合、分裂病質人格障害が疑われ、それを証明するように、分裂病症状を呈してしまった。
彼もIさん同様に二ヵ月ほどの投薬によってその症状は消え、その後、幻聴・妄想の発生はなかった。
したがって統合失調症ではなく、分裂病質人格障害と診断された。
彼は童顔で、外見からはとても29歳には見えない。
司法試験の勉強も、みんながいる図書館や予備校では気ずまりがすると、自分の部屋でひきこもって勉強していた。
ひきこもって司法試験の勉強をしている人には、このような「人とうまくやっていけないので弁護士になるしかない」という考えに固執している人が多い。
しかし、たいていは司法試験に何回挑戦しても、合格することはほとんどないのである。
人を恐れて外へ出られない
34歳の男性Kさんが医学部をやめて精神科を受診しに来た。
彼はそれまで何度も医学部に入りながら、結局やめてしまっていた。
やめて一年か二年、家でぶらぶらした後、また医学部を受け、合格はするのだが、やはり学校に通うことはできずにやめてしまう。
この繰り返しなのだ。
彼が合格したのはすべて一流国立大学の医学部であった。
彼は長男で、物静かな物腰で小声で話す。
しかし、表情は乏しく、ぼんやりと下をみつめることが多い。
「あなたはなぜ、医学部を目指し、せっかく合格してもやめてしまうのですか?」と聞くと、彼はこう答えた。
「医者になれば会社に勤めるよりも楽に思えるのです。
私は一人でできる仕事の方がいいと思うのです。
でも、医学部に入っても、学生がたくさんいるとその中にいることができず、そのためにやめてしまうのです。
そしてフリーターでもして暮らそうと家に戻るのですが、そのフリーターすらできずに、ひきこもってしまいます。
そうなると、また医学部へ行こうという気になり、医学部を受験して合格することはできるのです。
しかし、やはり同じパターンとなり、結局、入ってはやめてということを三回も繰り返してしまいました。
私はこれからどう生きていいかわからないのです。
人間嫌い、人間との付き合いができないということは、医者になるには致命的な欠点だと思うのです」
こう話して、情けなさそうな顔をしているのだ。
その後、彼はまた別の医学部に入学したのだが、はたして今度はどうなるのか、結果は出ていない。
同じように、毎年のように東大に合格しながら、そのたびにやめてしまうという奇妙な学生のLさんもいた。
LさんもまたKさんと同じように、「人がたくさんいるのが怖い」と言う。
Lさんは、はじめに東大の文1に合格するが、学生がたくさんいるのを見て、「学生の大群が怖い」と不登校となり、結局はやめてしまったのである。
そして家でぶらぶらしていたが、今度は東大の理系を目指し、また合格する。
しかし、今度もまた同じようにやめてしまった。
Lさんが入院してきたのは、このような時だった。
母親は超過保護で彼のそばを離れず、病院に一緒に付いて来ただけでなく、彼と一緒に入院する形となった。
彼は部屋から出てホールで他の患者と一緒に食事ができない。
また、一人で外へ出られず、近所での買い物もできない。
「外で人に会うのが怖い」と言う。
診断的には社会恐怖、対人恐怖、回避性人格障害といった診断名がすぐに浮かんだ。
その後Lさんは、某国立大学の医学部に簡単に合格した。
しかしそこでもまた、みんなの中に溶け込むことができず、人に怯え、集団に怯え、やめてしまう。
彼のぎこちない姿勢、硬く緊張の強い顔は、社会への不適応をよく示していた。
彼には対人関係の能力がまったく身についていないことがあきらかであった。
あまりにも母親との共生関係が強く、母子がまるで二人で一人のように生きているという状態である。
彼は、本来なら幼児期にできているはずの母親からの分離不安を克服していないといえる。
そのために、外の世界に出て同じ年頃の仲間に入っていけないのである。
彼は、結局ひきこもってしまい、いまでは26歳になっている。
彼も、ある種の資格を目指し、その資格を取れば一人で暮らせるという考えから受験を続けるケースのバリエーションである。
彼らに共通するのは、自らの対人関係能力の欠如を、多かれ少なかれ意識していることである。
だからこそ資格が取れる道を遊ぶ。
しかし、結局はうまくいかない。
彼らの多くは人が怖いという、分裂病質人格障害のケースに当てはまる。
彼らは、あまりの孤立、あるいは逆に強い社会的な刺激があると、分裂病的な症状を示すことが多い。
あるいはまた、実際に分裂病になってしまう例も見られる。
幼稚園や小学校の低学年で、子ども同士で徹底的に遊び、対人関係の基礎を身につけなければ、いかに優秀であっても社会に出て行く力にならないことを、彼らのケースは如実に示しているのである。
自分が醜いと思い込む
二十代前半の男性Mさんは、「人は私の顔を見ただけで不快な顔をします」と言って、四年間もひきこもっている。
彼は高校を卒業してから家にひきこもり、ゲームで遊ぶか、テレビを見るかという生活である。
息子がこのまま一生ひきこもったままになってしまうのではないかと両親は心配し、最初は両親だけで外来にやって来ていた。
本人は薬を飲みはじめて、ようやく一カ月後くらいに来院した。
彼は濃いサングラスをかけ、医師の顔を見ようともしない。
医師は「どうして私のほうを見ないの?」と質問すると
「先生が僕の顔を見れば、いやな顔をすると思うので、先生のほうを見たくないのです」と言って、あっちの方向を向いている。
しかし、少しずつ話を続けているうちに、次第に医師のほうを見るようになってきた。
外来がはじまって一カ月ほどすると、問題なく医師の顔を見るようになったのである。
ところが、病院から一歩外に出ると、またひたすら、下を向いて歩いている。
「きみは自分の顔がほんとうに醜いと思っているの」と聞くと
「はい、そうです。だって電車に乗ってくる時も、乗っている人たちの顔を見るとすぐにわかります」
と、ほとんど妄想がかった恐怖を示す。だが、彼の思考力が鈍っているとは思えない。
これは「身体醜形恐怖(身体醜形障害)」である。
「毎日、家にいて、これからどうしようと思っているの?」と質問すると、
「親も困っていると思いますが、自分でも困っています。早く何かの仕事について自活したいのです。
でも、人の目が気になって何もできなくなってしまうんです。
ただ家にいて、焦っているばかりです」
と答える。
やはり、彼の思考力に問題があるとは思えない。
その後、彼はコンビニやデパートなどに買い物に出かけられるようになり、活動範囲は広がっていったが、仕事を見つけるにはまだ時間がかかるようであった。
また、三十歳の女性N子さんは、自分の額がでっぱっていて醜い顔だといい、それを気にしてひきこもっている。
ところが実際の彼女は、誰が見てもかわいい顔立ちをしている。
「あなたは醜い顔ではないよ」
と医師が言うと、
「人のことだと思って、みんなそういいます。自分のことはわかっています。
会った人の顔色を見ればわかるんです。
私は醜いから、人からさげすまされているんです」
と本気で反論する。
そして、涙を流しながら、
「こんな顔では生きていてもおもしろくない。死にたい」と訴えるのである。
彼女は人の顔色が気になって、すでに十年近くひきこもっている。
本来、ひきこもりは男性に多いのだが、こうした「身体醜形恐怖」を原因とするケースでは、男女同じくらいの割合で見られる。
「身体醜形恐怖」というのは、自分の顔や体型などが醜いと思い込み、人と会うのを避け、社会生活に支障をきたすものである。
単に美醜にこだわるということだけでなく、それが、日常生活、活動に支障をきたしているものをいう。
身体醜形恐怖の人は、まわりの人がいくら「あなたは醜くない」と否定しても、自分の考えを改めることができない。
「自分は醜い」という考えが浮かぶのを自分の意志ではどうしても止めることができないのである。
一種の強迫観念である。
かつての神経症といえるが、DSM-Ⅳでは、「身体表現性障害」に分類されている。
こうした例は、日本では二十年ほど前まではあまり見られなかったが、近年では、身体醜形恐怖が原因でひきこもるケースが急速に増えている。
身体醜形恐怖はアメリカではすでに70年代からかなり見られていた。
高度経済成長を達成した日本も、その後を追っているといえる。
モノが溢れかえっている日本の若者がいま一番きになるのは、自分の顔や体の美醜ということのようである。
まさに、「衣食を足りて美醜を知る」時代なのかもしれない。
身体醜形恐怖によるひきこもりと似たものに、女性の「拒食症」によるひきこもりがある。
はじめのうちはただ痩せたいとダイエットをはじめる。
ダイエットの効果が表われ、体重が減っていき、まずは標準体重の85%を切る痩せすぎ状態になる。
それでもなお痩せ続けようとし、そうなると生理が止まり、自分が痩せているという認識がなくなってしまう。
それでも自分が痩せていると思わないのである。
そして、集中力がなくなり、体力の低下、気力の低下、そしてうつ状態がやってきて、まったく外に出なくなってしまう。
こうした拒食症も現代社会が生んだひとつの病理といえる。
重度の拒食症に陥ると、命の危険にさらされることもある。
治療者に依存してしまう例
21歳のO子さんは中学三年からひきこもるようになった。
その理由は「小学校から延々といじめが続いていたから」だと言う。
「どういういじめがあったの?」と聞くと、「自分でもよくわからないんだけど、必ず自分は敵になってしまう。
そしてみんなに悪口を言われ、仲間の中に入っていけなくなってしまうんです。
行ってもみんなはシラッとして、誰もしゃべってくれない。
そこで学校にはいられないなと思い、ひきこもりがはじまってしまった」
と答えていた。彼女は家でぶらぶらとし、何をするというわけでもなく、時に家庭内暴力を振るう。
父親と母親が一生懸命に学校に行かせようとしていたが、頑なで、絶対に学校には行こうとはしなかった。
また、精神科のある病院へ連れて行ったのだが、一回行っただけで行かなくなっていた状態であった。
O子さんがA病院に通うようになったのは、A病院の医師と気が合ったせいのようであった。
毎週、コンスタントに通うので、母親もびっくりしていたほどである。
少しずつ心を開き、高校には戻らず、大検をとって大学に行く希望を示していた。
医師が「しかし学力はそこまであるのかい?」と聞くと、にやにや笑って
「そこが問題ですね」
などと答えていた。
ところがある日、夜中の十二時頃に、医師の家の玄関の前に横になっている彼女を、家族が発見した。
医師が急いで玄関の戸を開け、彼女に「どうしたんだ?」と聞くと
「先生、ここにいさせてよ」と言う。
どうやら治療者である医師への「転移」を起こしてしまったようであった。
「転移」とは、過去に患者が親に抱いていた感情を治療者にぶつけてくるという現象である。
治療の過程で、患者は治療者を親のような重要な人物と思い込んで、治療者に感情をぶつけることはしばしばある。
転移には治療者に恋愛感情を抱く「陽性転移」と敵意、憎しみをぶつける「陰性転移」がある。
彼女の私に対する転移(恋愛転移)に関しては、医師にも迂闊な部分があったとは思う。
この後、彼女は医師の家に来たり、病院に来ても医師を追いかけ回したりと、ストーカーのような行為を繰り返すことになる。
そして最終的には「先生、私を抱いて」とまで迫るようになってしまった。
そのような態度に出られては、治療にならなくなってしまう。
母親に「一緒に来てもらわないと、私はこの子を診ることができません」と言うが、「精神科医なんですからそれくらい対応して」という冷たい言葉を返される。
それでも、彼女は何とか母親に付き添われて来ていたが、
「自分はここに来るのは苦しいからもう来ない」と、A病院の外来から去って行ってしまった。
人との接触が少なく、対人関係の距離がとれず、治療者に恋愛感情を持ってしまい、それが結果的に治療者から離れる原因になってしまったのだ。
せっかくひきこもりから脱しつつあったのに、彼女は、その後またもとの読書だけのひきこもり生活に戻ることになってしまった。
患者との関係がうまくいっているように思えるときでも、患者の治療者に対する信頼感が過度になり、それを恋愛感情と錯覚してしまうような転移を引き起こすケースもある。
治療者にとっては、いかに患者に心を開いてもらうかはとても大切な治療技術である。
それまで誰にも理解されていなかったと思い込んでいた患者にとって、自分を理解してくれる治療者は特別な存在になりやすい。
治療者―患者の信頼関係は、治療の前提ではあるが、患者側の治療者への過度の接近(時には憎しみ)をうまくコントロールしつつ、治療を進めていくのが精神科医の大切な技術といえる。
うまく治る道はけっしてマニュアル通りではない。
ケースに応じて治療者も柔軟な対応が要求される。
こうした治療で治ったというよりも、むしろなんとなく治っていく人が一番多く、その後の経過もいいようである。