ひきこもり青年のコミュニケーション

ひきこもり青年との会話

コミュニケーションのなさを指摘された

家族のコミュニケーションが欠如していると言われても、漠然としていてよくわかりません。

なぜコミュニケーションのとり方を見直す必要があるのでしょうか?

ひきこもり事例を抱えたご家族は、一種の悪循環に取り込まれています。

この悪循環を支えているもののひとつが、ご家族間の「コミュニケーションの欠如」です。

お説教や叱咤激励などといった、ご家族からの一方的な刺激はご本人には届きません。

また、そのような状態では、ご家族の側も、ご本人のひきこもりという行動に込められたメッセージを共感をもって受け止めることができません。

こうしたすれ違いが起こっている状況を、私は「コミュニケーションの欠如」と呼んでいます。

まず手始めに、現在のご家族間コミュニケーションのあり方がいびつなものになっていることをみとめなくてはなりません。

これまで何年間も当たり前のこととして通ってきたことを、一回ひっくり返す必要があるのですから、これはかなりの苦痛を伴う作業となるでしょう。

でも、それは十分に可能なことです。

コミュニケーションを見直すこと。

それは悪循環を止めることにつながります。

ここで「コミュニケーション」と呼んでいるものは、つまるところ「コミュニケーションとしての会話」のことです。

単なる会話でも、単なるコミュニケーションでもない、という点が重要です。

そのような会話が親子間で成立するだけで、ひきこもり状態は少しずつ変化しはじめることでしょう。

ですからまず、ご本人との会話のきっかけがつかめるように、ご家庭内の雰囲気を調整していただく必要があるでしょう。

具体的な方法について説明する前に、あらためて強調しておきたいのは、「コミュニケーションの変化」は、まずご両親の間からなされなければならないということです。

ご両親がそれぞれ、てんでにご本人と会話する機会を持っていたとしても、それでは不十分です。

まずご両親の間の会話と意志疎通を十分に図ることから始めるべきです。

この段階をとばして、いきなりそれぞれがご本人と向き合っても、かえって迂遠な回り道になる可能性が大きいと思います。

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メモだけで半年、このままで大丈夫か

ひきこもっている息子と、コミュニケーションがとれなくて困っています。

メモだけの一方通行で半年以上になり、本人が誰にも声を発しないのが心配です。

メモだけでもよいのでしょうか?つぎにどうしたらいいか教えてください。

前の項目にも書きましたが、私が治療上重視しているのは、あくまでも「コミュニケーションとしての会話」です。

極論ですが、会話以外のものはコミュニケーションの名に値しないと考えています。

電話、メモ、メールなども一応はコミュニケーションですし補助的な効果はありますが、会話に比べたらずっと影響力は少ないからです。

現在、「声掛け」はどのくらいされているでしょうか。

挨拶をはじめとして、日頃から機会をとらえては声をかけつづけるようにしていますか。

メモだけというやり方は、会話の必要がなくなり、結果的にコミュニケーション不足が慢性化してしまうがゆえに禁物なのです。

メモで伝えた内容は、部屋の外からでかまいませんから、かならず言葉でも伝えるようにしてください。

もちろん最初はまったく反応がないでしょうから、続けるには根気と覚悟がいります。

しかし、毎日毎日これを繰り返すうちに、ご本人からの反応が必ず返ってくるはずです。

なんといっても、ご本人自身が一番立ち直りを望んでいるのですから。

ただし、一見徒労にも見える声掛けを継続するためには、周囲からの理解と励ましが必要となるでしょう。

専門家との相談に加えて、家族会の場やインターネット上のグループチャットなども利用しながら、気力の維持を図ることが大事です。

このような働きかけを、十分な密度で半年から一年以上も続けたにもかかわらず、まったく何の反応もないということは、ちょっと考えにくいことです。

もしそのような状況ならば、ひきこもり以外の疾患の可能性についても考慮する必要があるかもしれません。

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言葉より態度で表したほうがよいのか

言いたいことは言葉ではなく態度で示すほうがよいという話をよく聞きますが、本当のところはどうなのでしょうか?

家族間の会話を最も重視する立場からは、言いたいことは可能な限り、すべて言葉で伝えていただきたいと思います。

ところが、しばしば多くの親御さんは、言葉を介さないノン・バーバルなコミュニケーションをしたがります。

たとえば、ひきこもりに関する新聞記事の切り抜きや本、アルバイト募集のちらしなどを食卓に黙って置いておくとか、部屋のドアからこっそりすべり込ませるとか、そういう行為が典型です。

これではご本人を動かすどころか、非常に怒らせる結果にしかならないでしょう。

どうせ渡すのならば、必ず言葉を、肉声を添えていただきたい。

たとえば「お母さんはこの本を読んでとてもよかった。あなたにもぜひ読んでもらいたいからここに置いときますよ」などという具合に。

親御さんの意図さえはっきりしておけば、もちろん読まない可能性もありますが、それほど怒りを買うこともないでしょう。

ご本人を怒らせるのは、親御さんが暗黙の内にご本人の生活に干渉したり、操作しようとしたりする態度です。

できるだけ裏表のない、率直でわかりやすい態度が理想です。

お子さんがひきこもっていて会話が少ないご家庭では、お互いに腹の探り合いになってしまっていることが多いのです。

例えば親御さんが何かの弾みにドアを強く閉めたとき、その音がご本人にとっては「いますぐ家から出て行け」というメッセージとして受け取られることがあります。

ご本人がそういうご家庭の雰囲気を含む、さまざまなノン・バーバルなメッセージに怯えながら生きているということを想像してみてください。

いかに会話が大事かということが、おわかりいただけると思います。

これとは逆に、親御さんもご本人について勘ぐることがあります。

ご本人の態度の表面だけをみて「もうこの子はいっさい社会に出てゆくつもりがないのだ」と決め付けてしまうこともその一つです。

もちろんそれは事実ではありません。

会話する関係が成り立つだけで、こうした硬直した関係は徐々に変化していきます。

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ひきこもり青年への話し掛け方

「食事を部屋まで運んでほしい」と言われた

いままで一緒に食事をしていた息子が、だんだんいつもの時間にキッチンに下りてこなくなり、時間をずらして食べることが増えてきたように思います。

先日は部屋まで持って来て欲しいと言われてそれは断りました。

本人の要求どおりにするべきでしょうか?

食事時は、ご家族が顔を合わせる大切な機会です。

会話があればなお結構ですが、まったく口をきかなくても、一緒に食事をする行為は、コミュニケーションに準ずる大きな意義を持っていると考えます。

長くひきこもっている人は、しばしばご家族とも顔を合わせたがらず、食事も一緒にはしなくなってしまうことが多いようです。

しかし、それはとても残念なことです。

もしそれまでは一緒に食事をしていたにもかかわらず「別々に食事をしたい」という要望が出てきたら、必ず理由を尋ね、できれば引き留めていただきたいと思います。

ご本人が一緒の食卓につきたくないとおっしゃる気持ちの中には、ご家族のなんらかの態度が気に入らないとか、何気ない言葉で傷つけられたような思いがあるのかもしれません。

はっきりした理由があるのなら、それをきちんと聞き取り、できるだけご本人の気持ちが楽になるような対応を心掛けていただきたいと思います。

そのうえで「食事だけは一緒にしよう」とお願いしていただきたいと思います。

それから、ご本人からいかに要望があっても、部屋まで食事を運ぶことには応じないでください。

そこまで認めてしまうと、もはやともに食卓を囲むチャンスはけっしてやってこないでしょう。

ここは最後の砦として、踏ん張っていただきたいところです。

すでに別々の食事をとるのが習慣になっているご家族については、もう一度ご本人に働きかけてみることをお勧めします。

基本的には食事時に、必ず一声かけて誘うようにしていただきたいのです。

ほかの頼み事と一緒で、拒否されたり返事がなかったとしても、怒ったり説教したりしてはいけません。

声かけをして、とりあえず数分待つ。

それでもご本人が来なければ、「先にいただいてますよ」と一声かけて食事をはじめる。

これはいってみれば、ひとつの「儀式」ですね。

そのくらい形式的な声掛けになってしまってもかまいません。

ともかく、こういった試みを、必ず毎日続けてみてください。

もちろんひきこもっているご本人には煩わしいことでしょう。

しかし、食事をともにすることの意義を考えると、わずかなチャンスでもそこに賭けてみていただきたいのです。

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話しかけ方で気をつけること

話しかけの仕方としては、どんなことに気をつけたらいいでしょうか?

コミュニケーションとしての会話ということを心掛けるなら、そこにやはり相互性がなくてはいけません。

相手の言ったことをちゃんと聞き、よく理解し記憶して、その内容に見合った返答をする。

これが理想的な「相互性」です。

そういう「言葉のキャッチボール」をイメージしてみてください。

よく親御さんのほうは「自分は変わらずに本人だけを変えよう」と発想しがちですけれども、それは間違いです。

「相互性」のもう一つの意味は、会話を通じて相手も変わり、自分も変わることができるという意味でもあります。

話しかけるにあたっては、話す時の表情や口調にも注意が必要です。

どんなにご本人を気遣う言葉であっても、苦虫を噛み潰した顔で、切り口上で言われたのではなんにもなりません。

とくにお父さんがたに多いのは、上から見下ろすような権威的な話し方や、断定的な口調です。

たとえば会社などで高い地位にある人ほど、息子さんに対しても部下に向かって話すような口調になっていることが多いのです。

そうでなくても父親は、家庭内にあっても社会を代表するような、たいへんに煙たい存在です。

そんな立場の人から「それは〇〇に決まっている」「世間では〇〇が当たり前なんだ」「そんなことで社会でやっていけると思うのか」などと言われても、およそ会話は成立しないでしょう。

あくまでも一個人として「どうもそれは〇〇なんじゃないかなあ」「お父さんは〇〇がいいように思うけど」といった、ソフトな言い方を心掛けるべきでしょう。

このような話し方が自然にできるようになると、コミュニケーションはずっと深まりやすくなります。

また、ご本人への呼びかけは、「お前」や「君」では反感を買いやすいので、名前を呼び捨てないで「さん」づけするか、「あなた」という言い方がよいでしょう。

いっぽうお母さんがたは、しばしば「皮肉」や「あてこすり」の名人です。

厳しい言い方はしないかわり、行間を読ませるような表現や巧妙な比喩、疑問の形をとった批判や命令など、複雑なレトリックでご本人を苦しめていることが多いのです。

こういった態度も、会話への意欲をそこなうものです。

対応の基本は、あくまでも誠実かつ率直な「正攻法」だということを、もう一度強調しておきましょう。

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何カ月も会話がない。何から話せばよいのか

もう何カ月も家族の誰とも口をきいていないので、話しかけるといっても、親のほうが緊張してしまい何を話せばいいのかわかりません。

たまに声をかけてもすべて無視されてしまいます。

まず手はじめは、やはり「挨拶」がいいでしょう。

「おはよう」「いってきます」「ただいま」「おやすみ」などの挨拶をご本人に対してだけでなく、ご家族みんなで交わすようにすれば、必ずよい影響があるはずです。

迷惑そうな顔をされることもあるかもしれませんが、挨拶によってご本人が深く傷つけられることはありません。

ここで最も大事なことは、一度はじめた挨拶を、途中でけっして中断させずに続けていくことです。

どんなにご家族を避けているように見えても、ご本人は家族の動静を大変気にして、いつも様子をうかがっているものです。

ですから、ご家族が急に話しかけるようになると「また何かはじまったぞ」と、ご本人は必ず気がついているはずです。

警戒しながらも、実はちょっとだけ期待している場合もあります。

ですから、せっかくはじめた働きかけを中断するということは、ご本人に期待させてからもう一度裏切るということになってしまうわけです。

それを避けるためにも、挨拶や話しかけを、当面は壁に向かって話しかけるようなつもりで続けていただきたいと思います。

けっしてむきにならず意地にならず、淡々とした一定のペースで。

挨拶も返ってこないときには、メモを併用されることをお勧めします。

「晩のおかずは何がいいか」とか、「買い物にいくけれど、何か買ってくるものはあるか」といった内容のものでけっこうです。また、時には誘いかけもまじえてみてください。

「天気がいいからドライブに行きましょう」「たまには外で美味しいものを食べましょう」「観たい映画があるからつきあって」などなど。

100%無理とわかっていても、こうした誘いかけをすることには意味があるのです。

なお、やりとりがすべてメモだけになってしまう危険を避けるために、必ず同じ内容の声かけとともに行ってください。

こういった働きかけを辛抱強く続けていくと、ご家族に対する警戒心が薄らいできて、必ず会話の糸口が開かれてくるはずです。

また、声掛けや誘いかけを無視しつづけることは、かなりエネルギーを要することです。

無視しても非難されないことで、ご本人の中に、徐々に親御さんに対する罪悪感が溜まっていきます。

そうした気持ちの変化が積もり積もって、会話のきっかけがつかめるようになるのです。

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ひきこもり青年との会話の話題

会話するときの禁句は

息子にうっかりしたことを言うと、部屋にひきこもったり物に当たったりします。

どう対応するのがよいのでしょうか?

話題の選択は大事なポイントです。

とりわけ言ってはいけないこと、「禁句」というのがいくつかあるわけです。

それをここでいちいち列挙する前に、ひきこもっている人の気持ちをリアルに想像してみることが大切です。

もし自分がひきこもってしまったら、どんな気持ちになるか。

相手の立場に立ってみることはコミュニケーションの第一歩です。

世間から取り残された不安と焦燥感

同世代の人間に対する劣等感と引け目。

家族に対する罪悪感と憎悪。

将来への激しい絶望感。これらの気持ちに共感できれば、何を言ってよく、何を言って悪いかが実感としてよくわかるはずです。

以下は、どうしてもわからない方のために「禁句」を具体的に挙げていきます。

まず言ってほしくないことは「将来」の話です。

よく無害な質問のつもりで親御さんが「あなたは本当は何がしたいの」と聞くことがありますが、これは非常にご本人を傷つけます。

理解ある、開かれた態度のようでありながら、実はご本人を追い詰めるだけの質問だからです。

そもそもひきこもっている当事者にとって、「未来」とは「不安」の同義語であると言ってもよいくらいです。

それから「学校」の話、「仕事」の話、同世代の友人の噂話-「あなたの同級生の〇〇さんが結婚した」「△△君が就職した」-なども代表的な禁句です。

ひきこもっているご本人は、自分が決定的に同世代から取り残されていて、他のみんなは順調な人生を歩んでいるという感覚にさいなまれています。

そこへ親御さんがそういう話をすると、ご本人は会話の端々に「それに比べてあなたは」という言外の意味を聞き取ってしまうわけです。

それはすぐさま、親御さんへの不信感につながってしまいます。

それから、これは話題ではありませんが、念のために。

原則として、いかなる場合でも「議論」と「説得」は禁物です。緊急の場合などを除き、ほとんど例外はありません。

正論や叱咤激励と同じことですが、理詰めで「正しさ」を追求しはじめたら、ひきこもっている人は圧倒的に分が悪い。

どれほど正しいことを主張しようとも「偉そうなことを言うなら、自分の食い扶持くらい自分で稼いでみろ」の一言で言い負かすことができます。

事実、そうしたやりとりになってしまっているご家族の話をよく耳にします。

しかし、そんな残酷な結論しか出せない議論に、どんな意味があるでしょうか。

弱い立場のご本人にも拒否する権利を残しておくために、せめてそういったやりとりはできる限り避けていただきたいと思います。

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どのような話題がいいのか

「禁句」がそれだけあると、何を話してよいかわからず途方に暮れてしまいます。

あれもだめ、これもだめでは何を喋ってよいかわからない。

そうおっしゃる親御さんも多いのですが、そんなことはありません。

話してよいことはたくさんあります。

まず時事的な話題です。

たとえばニュースの話、芸能人の話。スポーツの話。

こういう話題は、ご本人がおかれている状況から距離がありますから、どんどん話していただいてかまいません。

そうはいっても、もちろん「ひきこもり」や「少年犯罪」など、ご本人が自分と関連づけそうな話題は避けるべきですが。

一般に時事的な話題は、ご本人のほうが関心が高く、親御さんよりも詳しかったりしますから、ニュース解説をお願いするようなつもりで聞いてみるのもよいかもしれません。

ただ、政治がらみの話題は、さきほど禁句で述べたような議論につながりやすいところがあります。

こういった問題について、もしご本人から意見を求められても、論戦にならないように親御さんのほうが気をつけたほうがいいでしょう。

食い違いが起こっても「お父さんは個人的にはこう思う。でもあなたの意見もなるほどと思う。いまは議論はしたくない」と、はっきり意思表示をするほうがいいでしょう。

ただ、もちろん純粋に知的なゲームとしてディベートを楽しめるのなら、そこまで反対はしません。

他にも、たとえば犬を飼い始めたら会話が増えたといった話はよく耳にします。

その意味ではペットも悪くないかもしれません。

また、最近お勧めなのは、サッカーくじの「toto」です。

あまりギャンブル性が高くない上に、試合を一緒に見る口実になったり、なかなかよいものだと思います。

ギャンブルといえば、競馬や麻雀も悪くない。

ご家族で一緒に楽しめれば、最高の娯楽になるのではないでしょうか。

ぎこちない話し掛けでも大丈夫か

夫が話しかけると、どうしてもぎこちなくなってしまいます。

無理に話しかけていると本人に悟られてしまっても、話しかけを続けたほうがいいのでしょうか?

長い間ひきこもって話もしなかったご本人に話しかけるのですから、不自然にならないほうがおかしいでしょう。

わざとらしくても、不自然でもかまいませんから話しかけを続けて下さい。

要は、親御さんが自分と話したがっていること、そのために努力しているのだということが、ご本人に伝わることが大事です。

むしろ無理に自然を装った語り掛けのほうが、ご本人の気に障る可能性すらあります。

ですから、家の中で偶然顔を合わせたから声をかけたというふうに装うよりは、ご本人の部屋に日参して、ドア越しに声をかけることを続けるほうがよいのです。

ただし、話しかけるときに不快そうな表情をしたり、切り口上で話すのでは逆効果です。

どんなにぎこちなくても、ご本人に対して「誠実であること」だけは示す必要があると思います。

また、パソコンなどを材料になにか「本人に教わること」がみつかれば、これをきっかけにしない手はありません。

上から抑え込むような存在だった父親との関係が、いっとき逆転することで、ご本人の父親への態度もずいぶん変わってくる可能性があります。