内向型と外向型の上手な付き合い方

内向型と外向型が上手くつきあうには

もし、内向型と外向型の気質が南極と北極のように両極端に位置しているとしたら、いったいどうすればうまくやっていけるのだろうか。

とはいえ、この二つのタイプは、友人関係でもビジネスでも、そしてとりわけロマンスで、惹かれ合うことが多い。

内向型と外向型の組み合わせは、たがいに刺激を楽しみ、賞賛し合い、両方が合わさって完璧になるという感覚を持つ。

聞き手と話し手。

美に対しても暴虐な運命の矢玉に対しても敏感な者と、陽気に酒を飲んで暮らす者。

支払いをする者と、子どもたちのお遊び会を計画する者。

そういう組み合わせなのだ。

ただし、たがいが逆方向へ進もうとすると、問題が生じることになる。

グレッグとエミリーは深く愛し合いながらも、強い怒りを感じることもある、典型的な外向型と内向型のカップルだ。

三十代になったばかりのグレッグは、弾むような足取りで歩き、濃い茶色の髪はいつも乱れて額にかかり、よく笑う。

たいていの人は彼を社交的な人だと表現するだろう。

27歳のエミリーは理知的で、あけっぴろなグレッグとは正反対に控えめだ。

やさしい口調で話す彼女はとび色の髪をシニョンに結って、伏し目がちに人を見ていることが多い。

グレッグとエミリーはみごとに相手を補っている。

グレッグがいなければ、きっとエミリーは職場への行き来以外家から一歩も出ないだろう。

そして、エミリーがいなければ、きっとグレッグは孤独だと感じるだろう-社交的な性格なのに矛盾しているように思えるかもしれないけれど。

二人が出会うまで、グレッグは外向型の女性とばかりつきあっていた。

楽しい関係だったが、彼女たちはいつも「グループで出かける計画をしていた」ので、相手のことを深く知ることはなかったとグレッグは言う。

エミリーとは心の底で触れ合えると、彼はしみじみと語った。

そして、彼女は自分にとって船の「錨」のような存在だと表現した。

エミリーはといえば、グレッグの元気溢れる性質を高く評価している。

幸福で生き生きした気分にしてくれるというのだ。

彼女は昔から外向型の人に魅力を感じていた。

「会話をすべて引き受けてくれ、彼らにとってはそれがなんでもないこと」だからだ。

5年間のつきあいのなかで、二人の喧嘩の種は基本的にはいつも同じことだ。

音楽プロモーターのグレッグは友人がたくさんいて、毎週金曜日に自宅へ彼らを招いて一緒に食事するのを楽しみにしている。

パスタにワインの気のおけない集まりだ。

金曜の夜のディナーパーティは、彼にとっては大学四年生のときから続けている習慣で、一週間のハイライトであり、彼のアイデンティティの一部とさえ言えるほどだ。

その毎週のイベントが、エミリーにとっては大変な苦痛なのだ。

美術館の法務担当として忙しく働く彼女は人付き合いが苦手で、家へ帰ってまで客をもてなすなんてとんでもないと感じている。

週末のはじまりである金曜日の夜は、グレッグと二人で映画でも観てゆっくり過ごしたいというのが本音だ。

グレッグは年に52回のディナーパーティを望み、エミリーは一回もやりたくない。

この溝はけっして埋まらないように思える。

グレッグはエミリーがもっと努力するべきだと主張し、彼女を反社会的だと責める。

「私は社会的よ。あなたも家族も親しい友人たちのことも愛している。

ただディナーパーティがいやなだけ。

ああいうパーティは誰もが社交的にふるまっているだけで、本心を話したりはしない。

私があなたにだけエネルギーをそそぐのは、あなたにとって幸運なことなのよ。

あなたは周囲のみんなにエネルギーを振りまいているけれど」と彼女は反論する。

だが、エミリーはすぐに引き下がってしまう。

諍いがいやだからでもあるが、自分に自信がないからでもある。

もしかしたら私は非社会的なのかもしれないと思うのだ。

もしかしたら私が間違っているのかもしれない、と。

グレッグとこのことで言い合いになるといつも、彼女の心は子ども時代の思い出で一杯になる。

しっかり者の妹と違って、彼女にとって学校は苦しい場所だった。

家にいたいのにどこかへ行こうと誰かに誘われると、ノーと答えるのに散々苦労した。

友人はたくさんいた―友情を育む才能には恵まれていた―が、グループで旅行したことは一度もなかった。

エミリーは妥協案を提示した。

彼女が妹に会いに出かける週末に、グレッグだけでディナーパーティを開いたらどうかと。

だが、グレッグはひとりでホスト役をつとめたくなかった。

愛するエミリーと一緒にいたいし、友人たちもみんなエミリーが大好きなのだ。

なのに、なぜエミリーは隠れようとするのか。

エミリーの提案はグレッグを怒らせるだけだった。

エミリーなしの週末は、彼にとってはスーパーマンの超能力を無力化する物質クリプトナイトのようなものだ。

彼は一緒に冒険を楽しむような結婚生活を求めていた。

すべての中心にいるようなカップルでありたかった。

そして、自分自身では認識していなかったが、彼にとっての結婚とはひとりにならないことを意味していた。

それなのに、エミリーは彼女抜きで社交をしてくれと言う。

彼は彼女が結婚の誓約の基本的な部分を撤回しているように感じられるのだ。

そして、自分の妻はどうかしているとしか思えないのだ。

■参考記事
内向型と外向型はどこが違う?
内向型人間の心理
生まれつきの内向型
パートナーの内向型、外向型組み合わせ特徴
内向型の子育て

内向型が非社会的であるという誤解

私はどうかしている?

エミリーがそう自問するのも、グレッグが彼女を責めるのも、驚くべきことではない。

おそらく、性格タイプに関するもっともよくある―そして有害な―誤解は、内向型は非社会的で外向型は向社会的だという考えだろう。

しかし、この公式はまったくの誤りだ。

内向型と外向型は違う形で社会的なのだ。

心理学用語の「親密欲求」は内向型にも外向型にもある。

じつのところ、著名な心理学者デヴィッド・バスによれば、親密性を重要視する人は、「声高で、社交性に富んだ、パーティの盛り上げ役の外向型」であるとはかぎらない。

むしろ、かぎられた親しい友人を持ち、「にぎやかなパーティよりも心のこもった意義のある会話」を好む人々であることが多い。

つまり、エミリーのような人物だ。

逆に、外向型は人付き合いに必ずしも親密さを求めない。

「将軍が指揮権をふるうために兵士を必要とするように、外向型は自分の影響力を発揮するために人が集まる場を求める。

外向型がパーティに現れると、居合わせた誰もが彼らの存在を知る」と、心理学者のウィリアム・グラテツィアーノは語った。

言い換えれば、外向性の度合いはあなたの友人の数を左右するが、友情の質は左右しない。

心理学者のイェンス・アスペンドルフとスザンヌ・ヴィルパースは、ベルリンのフルボルト大学の学生132人を対象にした実験で、彼らの性格特性が仲間や家族との関係にどんな影響を与えているかを探ろうとした。

アスペンドルフらは、「外向性・内向性」「調和性」「開放性」「勤勉性」「神経症傾向」の5つからなる主要5因子性格モデルと呼ばれるものに注目した(数多くの性格心理学者が、人間の性格はこの5つの因子の組み合わせで要約できると考えている)。

アスペンドルフとヴィルパースは、外向型の学生は新しい友人関係になじみやすいと予測し、実際にそのとおりだった。

だが、もし外向型が向社会的で内向型が非社会的なのだとしたら、もっとも調和的な友人関係を育むのはもっとも外向的な学生のはずだ。

だが、これはまったくあてはまらなかった。

実際には、友人関係でもっとも衝突が少ないのは、調和性が高得点の学生だった。

調和的な人は温かく、協力的で愛情深い。

性格心理学者たちは、かれらをパソコン画面の前に座らせていくつかの単語を見せると、「奪う」「攻撃する」「悩ます」といった言葉よりも「親切」「慰め」「助力」といった言葉により長時間集中することを発見した。

内向型と外向型の調和性は同程度だった。

このことは、外向型の一部が人付き合いの刺激を好むものの、とくに親しい関係を築かないことを説明している。

そして、一部の内向型が―たとえば友達付き合いが得意なエミリーは調和性が高いタイプだと考えられる―親しい友人や家族には関心をそそぐが、たわいない世間話を嫌う理由もまた説明できる。

つまり、グレッグがエミリーに「非社会的」とレッテルを貼ったのは間違いだ。

エミリーはグレッグを社交生活の中心において、内向型ならではのやり方で結婚生活を大切にしているのだ。

ただし、それがあてはまらないときもある。

エミリーは大変な仕事を抱えているので、帰宅して夜になるともうエネルギーは残り少なくなっている。

グレッグと一緒にいるのはうれしいが、食事に出かけたり元気に会話をしたりするよりは、おとなしく並んで座っていたいときがある。

ただ一緒にいられるだけで十分なのだ。

それはエミリーにとってはごく自然だが、グレッグは彼女が同僚のために努力するのに自分のためにはそうしてくれないと感じて、傷ついてしまう。

このような関係は、内向型と外向型のカップルでは驚くほどたくさんいた。

内向型は休息時間を求め、外向型は他人が自分のパートナーの「最高の」自己から恩恵を受けているように感じて、いまいましく感じるのだ。

外向型にとって、忙しい一日の終わりに内向型が充電の必要をどれほど切実に感じているかを理解するのは難しい。

パートナーが眠る暇もないほど忙しく働いていれば、帰宅して口がきけないほど疲れているのはもっともだと理解できるが、社会的な刺激に耐えられないせいでそんな状態になると認識するのは困難なのだ。

また、内向型にとっては、自分の沈黙が人をひどく傷つけることがあると理解するのが難しい。

サラという名前の元気で活動的な外向型の高校教師から、こんな話を聞いた。

サラの夫ボブはロースクールの学長で内向型、昼間は寄付金集めに忙しく、消耗しきって帰宅する。

結婚生活が孤独に感じられてたまらないと、サラは涙ながらに訴えた。

「仕事となると、夫はとても愛想がいいんです。

会った人はみんな、彼は楽しい人だ、彼と結婚して幸せねとおっしゃいます。

そう言われると、相手の喉を締めあげたくなります。

毎晩、食事が終わったとたんに、夫はキッチンを片付けます。

それが終わると、ひとりで新聞を読んでから、写真の整理。

九時頃になると、寝室へ入って、私と一緒にテレビを観たがります。

でも、そんなときでさえ、本当に一緒ではないんです。

彼の肩に頭をもたせかけて、黙ったままテレビを観ていろと言うんですよ。

まるで子供どうしが近くで別々に遊んでいるみたいな感じです」と彼女は訴えた。

ボブとサラのように男性が内向型で女性が外向型という組み合わせだと、性別による人格の違いだと思われているようだ。

「火星人」は洞窟に引きこもる必要があるのに対して「金星人」は触れ合いを求めるのだから仕方がない、と片付けられてしまいがちだ。

だが、二人の溝が性別の違いにせよ気質の違いにせよ、重要なのはそれをなんとかして乗り越えることだ。

オバマ元大統領は著書『合衆国再生』で、ミシェル夫人と結婚して間もない当時、最初の本の執筆をしていて、「夜になるとよく、線路沿いのアパートの奥の自室にこもっていた。

私はそれが当然だと思っていたが、今思えばミシェルには寂しい思いをさせたろう」と回想している。

そんな生活スタイルを、彼は執筆のための必要性とほぼ一人っ子として育った環境のせいだと考えていたが、長年の結婚生活のあいだに、彼とミシェルはたがいが求めているものを満たすにはどうすればいいかを知り、たがいを尊重することを学んだそうだ。

内向型と外向型の敬意の表わし方は異なる

内向型にとっても外向型にとっても、問題解決の方法の違いを理解することもまた難しい。

いつも身だしなみには非の打ちどころがない法律家のセリアは離婚を望んでいたのだが、それを夫に言いだすのを恐れていた。

離婚にはもっともな理由があるとはいえ、夫に懇願されたらきっと心がくじけてしまうと心配していたのだ。

なによりも、思いやりのあるやり方で話を切りだしたいと願っていた。

そこで、セラピストが夫の役を演じて話の切りだし方を練習することになった。

「この結婚を終わりにしたいの。今度こそ、気が変わったりしないわ」セリアが言った。

「なんとか修復しようと手を尽くしてきたじゃないか。なんでそんなひどいことができるんだい?」セラピストが懇願した。

セリアはしばらく考えた。

「長い間考えてきたけれど、こうするのが一番だと心に決めたのよ」セリアの口調はひどく硬かった。

「どうすれば、きみの心を変えられる?」セラピストは尋ねた。

「それはできないわ」セリアはにべもなく答えた。

そう言われた夫がどんな気持ちになるか想像して、セラピストは唖然とした。

セリアの物言いはあまりにも紋切り型で、感情がまるで感じられない。

11年間も連れ添った夫と別れようとしているのに!

彼女には思いやりというものがないのだろうか?

もう一度、今度は感情を込めて話しかけてほしいと、セラピストは彼女に言ってみた。

「できないわ。できないのよ」セリアはいやがった。

それでも、もう一度やってみた。

「この結婚を終わらせたいの」セリアは悲しみで喉を詰まらせながら言った。

そして、どっと泣きだした。

セリアの問題点は感情が欠けていることではない。

コントロールを失わずに感情を表現することができないのだ。

セリアはティッシュで涙を拭いて、すばやく態勢を立て直すと、感情を見せないてきぱきした法律家モードに戻った。

まるで彼女は二つのギアを持っているかのようだ-感情を溢れさせるギアと、超然とした冷静沈着さのギアと。

ここでセリアの話をするのは、多くの点で彼女が、エミリーたち内向型の人々とよく似ているからだ。

エミリーは夫のグレッグに離婚ではなくディナーパーティの話をしたのだが、コミュニケーション・スタイルに関してはセリアと同じだ。

グレッグと意見の相違があるとき、エミリーの声は静かで平坦になり、態度はやや距離を置いた感じになる。

エミリーは攻撃性を最小限にしようとしているのだが―怒るのは気分がよくないから―まるでその話はしたくないという態度に見える。

その一方で、グレッグはまったく逆で、問題を解決しようと熱心になるにつれ、声は高くなり、好戦的に響く。

エミリーが尻込みして、傷つき、後ずさりするように見えるほど、グレッグの怒りが増す。

グレッグが怒るほどに、エミリーは傷ついて、気分が悪くなり、ますます殻に閉じこもる。

たちまち二人は逃れられない悪循環におちいってしまうが、それはひとつには両者が適切なやり方で議論していると信じ込んでいるからだ。

性格と紛争解決スタイルの関係に詳しい人ならば、この展開に驚かないだろう。

男女では紛争を解決する方法が違うように、内向型と外向型とでも違うのだ。

研究によれば、前者は衝突を回避しようとつとめ、後者は自分の立場を主張して対決をいとわない「対決型対処者」だ。

両者のアプローチが正反対なので、当然ながら軋轢が生じる。

もしエミリーが衝突をあまり嫌わなければ、グレッグの対決的なアプローチに対してそれほど強く反応しないかもしれない。

もしグレッグがもっと思いやりを持てば、臭いものに蓋をしようとするエミリーのやり方を評価できるかもしれない。

紛争を解決するスタイルをたがいに理解できれば、意見の不一致はたがいの視点を主張し合う機会にもなるかもしれない。

だが、エミリーとグレッグの場合はそううまくはいかない。

こうして闘っているあいだ、二人のたがいに対する好意は減少しているのだろうか?

この問いに対する答えはイエスだろうと、心理学者のウィリアム・グラツィアーノの研究が示唆している。

グラツィアーノは男子学生61人をチームに分けて、フットボールの偽試合をやらせた。

被験者の半数は協力的な試合に割り当てられ、「フットボールで勝つにはチーム全員が協力しなければならないから、フットボールは役に立つ」と教えられた。

残りの半数は、勝つこと自体が大事だとする試合に割りあてられた。

その後、学生たちはひとりずつスライドを見せられ、チームメイトや他のチームの学生について嘘の情報を教えられ、彼らについてどう感じているか評価するように指示された。

その結果、内向型と外向型との違いは注目すべきものだった。

協力的なゲームに割り当てられた内向型は、チームメイトだけでなく対戦相手のメンバーも含めてすべてのプレーヤーに対して、競争的なゲームに割りあてられた内向型よりもよい評価を与えた。

外向型は正反対の結果だった。

競争的なゲームに割り当てられた者のほうが、すべてのプレーヤーに対してよい評価を与えたのだ。

この発見は非常に重要な点を示唆している。

内向型は友好的な状況で出会った人を好み、外向型は競争的な状況で出会った人を好むのだ。

まったく違う、リハビリ中の脳卒中患者とロボットに関する研究でも同様の結果が出ている。

内向型の患者は、やさしい口調で「大変ですね。でも、これはあなたのためなんです」「よくできました。その調子ですよ」と話しかけるロボットに対して反応がよく、長時間リハビリに励む。

それに対して、外向型は「その気になれば、もっとできる!」「集中して!」などと、より攻撃的に鼓舞する言葉を使うロボットに対して反応がいい。

この発見は、グレッグとエミリーが興味深い問題に直面することを示している。

もしグレッグが押しの強い競争的にふるまう人をこのみ、エミリーが保護的で協力的にふるまう人を好むとしたら、彼らはディナーパーティの件でどうやってたがいに妥協できるのだろうか―しかも、愛情を損なわないやり方で。

好奇心をそそる答えが、ミシガン大学ビジネススクールの研究からあきらかになっている。

研究対象は違う性格型の夫婦ではなく、アジア人とイスラエル人という文化が違う人々だ。

被験者は香港とイスラエル出身のビジネススクールの学生76人。

数カ月後に結婚を控えて、披露宴のことについてケータリング業者と最終的な相談をするという設定で、業者が説明するビデオを見せられた。

一部の被験者が見たビデオでは業者は親しげな笑顔で、他の被験者が見たビデオでは業者は腹立たしげにきつい調子で説明するが、話している内容はいずれも同じだ。

当日に披露宴をやりたいというカップルがもう一組いて、料金が高くなったが、依頼するかどうか、というのが要旨だ。

香港出身の学生とイスラエル出身の学生は、まったく違う反応を示した。

前者は敵対的な業者よりも友好的な業者からの提案を受ける確率が高かった。

気難しい業者の提案を受けると答えたのはわずか14%、笑顔の業者からの提案を受けると答えたのは71%だった。

だが、後者はどちらの業者からの提案も同じ確率で受け入れた。

つまり、アジア人は交渉の際に内容だけでなくスタイルも配慮したが、イスラエル人は与えられた情報だけをもとに判断したということになる。

交渉相手が友好的だろうと攻撃的だろうと影響を与えないのだ。

このはっきりした違いは、二つの文化における敬意の定義と関連している。

アジアの人々は衝突を最小化することで敬意を示す。

だが、イスラエル人は「意見の相違を軽視のしるしとはみなさず、相手が関心を抱き、熱心に関わっている信号とみなす」のだと、研究者は言う。

グレッグとエミリーにも同じことが言えるだろう。

喧嘩の最中にエミリーが声を小さくして及び腰になるのは、否定的な感情を見せまいとすることによって敬意を示しているのだ。

だが、グレッグは彼女が話し合いから逃げようとしている、あるいはどうでもいいと思っているのだと考えてしまう。

同じように、グレッグが怒りの感情をほとばしらせるとき、彼はエミリーも自分と同じように、それが深く結ばれた者どうしの健全で正直な感情表現だと思っていると考えている。

だが、エミリーにとってそれは、グレッグが急に食ってかかってきたと思えるのだ。

■参考記事
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内向型と外向型のそれぞれの違いを認識する

キャロル・タヴリスは著書『怒り―誤解された感情』のなかで、道行く人を咬むベンガル地方のコブラの話を語っている。

ある日、ひとりのスワーミー(ヒンドゥー教の賢者)が、人を咬むのは悪いことだと諭した。

コブラは二度とやらないと誓い、それを守った。

しばらくすると、村の少年たちはコブラを恐れなくなり、いじめるようになった。

散々やられて血だらけになったコブラは、誓いを守ったせいでこんなにひどい目に遭ったと賢者に文句を言った。

「たしかに、咬むなと言ったが、シューッと音を立てて威嚇するなとは言わなかった」と賢者が答えた。

「このコブラのように、多くの人がシューッと威嚇する音と咬むことを混同している」とタヴリスは書いている。

多くの人々、つまり、エミリーとグレッグもそうだが、二人ともコブラの話から学ぶところがあるだろう。

グレッグは咬んではいけないと学び、エミリーは威嚇するのもされるのも許されると学ぶのだ。

グレッグは怒りに関する思い込みを変えるところからはじめるべきだろう。

彼は私たちの大半と同じく、怒りを発散させれば鬱憤を晴らせると考えている。

抑圧されて蓄積した怒りなどの感情は表に出すことで解消されるとする「カタルシス仮説」は、ギリシア時代に遡り、フロイトによって見直され、サンドバッグと原始の叫びで「すべてをさらけ出す」1960年代に勢いを得た。

だが、カタルシス仮説は神話なのだ-もっともらしく思えるし、筋が通っているように見えるにもかかわらず。

数多くの研究から、表に出しても怒りは静まらないと立証されている

それどころか、火に油をそそぐようなものだ。

怒らないでいれば、それが自分にとって一番いい。

驚いたことに、神経科学の研究から、ボトックス注射をして怒った表情をつくれなくしてしまうと、実際に怒りにくくなることがわかっている。

怒った顔になることが、扁桃体を刺激して否定的な感情を起こさせるからだ。

さらに、怒りはその場でだけダメージを与えるのではない。

いったん生じた怒りは、その後数日間も尾を引く。

喧嘩のあとのセックスはすばらしいというのはよくある妄想で、多くのカップルはふたたび愛を感じるまでに時間がかかるのだ。

怒りが込み上げてきそうなとき、グレッグはどうすればいいのだろう?

大きく息を吸う。

10分間一人で静かにしてみる。

そして、自分を怒らせている原因は本当にそれほど重要なことなのかと考えてみるといい。

もし重要でないとなれば、怒りを忘れられるかもしれない。

だが、もし重要だとなれば、それを個人的な攻撃ではなく、中立的な話題に変換して切りだせばいいのだ。

「きみは本当に非社会的だ!」ではなく、「おたがいが楽しめるような週末の過ごし方について話し合えるかな?」といった具合に。

この助言は、相手が繊細な内向型でなくても有効だろうが(威圧されたり軽視されたりするのは誰だっていやだから)、グレッグの妻はとくに怒りに圧倒されやすい女性だ。

そこで、彼は妻が真っ向から議論を受けて立つタイプではなく、衝突を避けようとしているのだと意識して対応する必要がある。

さて、今度はエミリーがどうすべきかを考えてみよう。

どうすれば、彼女はもっと違う対応ができるだろうか?

彼が理不尽に食ってかかってきたときは守りに回るとして、シューッと音で威嚇してきたときはどうだろう?

エミリーは相手の怒りに対して、罪の意識と防御のサイクルに陥るかもしれない。

多くの内向型は幼い頃から強い罪悪感を抱きがちだ。

そして、自分の反応を他人に投影しがちだ。

衝突を避けるエミリーは、自分はグレッグがよほどひどいことをしないかぎりは「食ってかかる」どころか威嚇することもしないので、彼にひどく食って掛かられると、自分が悪いのではと感じてしまう―いったいなにが原因かは誰にも分からないが。

エミリーの罪悪感はあまりにも強いので、彼女はそれに耐えられず、グレッグの主張をすべて、怒りで増幅された部分だけでなく正当なものまでも、拒絶してしまいがちだ。

だから、エミリーは、間違っていてもいいのだということを受け入れる必要がある。

最初のうちは状況を判断するのが難しいかもしれない。

グレッグが激しい感情を込めて不平不満を訴えるせいで、見極めるのが困難になるのだ。

だが、彼の激しさに引きずられないようにしなければならない。

グレッグが正当な訴えをしている場合には、彼のよきパートナーであるためにも、少しぐらい違反があっても問題ないと自分に教えるためにも、それをきちんと認めるべきなのだ。

そうすれば、傷つかないで済むし、グレッグの訴えが正当でなければ反論できる。

反論できる?だが、エミリーは闘うのが嫌いだ。

それはそれでいい。

だが、彼女は自分なりに威嚇できるようになる必要がある。

内向型は不協和をもたらすのには二の足を踏むだろうが、無抵抗のコブラのように、パートナーから一方的に辛辣な言葉を浴びるのも望ましくない。

さらには、反論しても、エミリーが恐れているようにやり返されないかもしれない。

それどころか、グレッグが引き下がるかもしれない。

なにもまくしたてる必要はない。

「それは納得できないわ」と口にするだけでいい。

エミリーにしても、自分の怒りを解き放ちたいと感じることもあるだろう。

グレッグにとって熱くなることはつながりを意味していることを思い出してほしい。

フットボールの試合の実験で外向型のプレーヤーたちが手ごわい対戦相手に好意を抱いたように、もしエミリーがやる気満々で試合に臨もうとするようなふるまいをしたら、グレッグは彼女に親近感を抱くかもしれない。

グレッグの本心は見た目ほど攻撃的ではないと理解できれば、エミリーは彼のふるまいに耐えられないという気持ちに打ち勝つことができるだろう。

とても激しい性格の妻を持つジョンという内向型の男性が話をした。

ジョンは25年間の結婚生活でなにを学んだか教えてくれた。

「ジェニファーはなにか文句を言うとなると半端じゃないんです。

私がキッチンを片付けずに寝てしまうと、翌朝になって、「キッチンが汚いじゃない!」と大声でわめくんです。

キッチンへ行ってみても、カップルがいくつか残っているだけ。

汚いと騒ぐほどじゃない。

だけど、そんなときはいつも、とにかく大騒ぎなんですよ。

これが、「もう少しちゃんと片付けてくれたら、褒めてあげられたのに」とかなんとか言ってくれれば、こっちだって「そうだね。ごめんよ、片づけるのが遅くなっちゃって」と答えられるのに。

だけど、時速200マイルの貨物列車みたいな勢いで頭ごなしに言われるから、こっちも「うるさい」と返したくなる。

そう言わないのは、結婚してもう25年、ジェニファーはそんな口のきき方をしていても、私の命を危険にさらすつもりはないとわかっているからです。」

では、激しい性格の妻とうまく折り合うためのジョンの秘訣はなんだろう?

彼は妻に彼女の言葉は容認できないと知らせるが、同時に彼女が本当はなにを言いたいかに耳を傾ける。

「私は思いやりを持つように心がけています。

彼女の口調は除外するんです。

攻撃的なところは抜きにして、彼女がなにを言いたいのか知ろうと心がけます」と彼は言う。

そして、貨物列車並みの勢いでしゃべる彼女の心の奥底にある気持ちは、とてもシンプルであることが多い。

私を大切にして、私のほうを向いて、私を愛して、といった具合だ。

ここまでのところグレッグとエミリーはたがいの違いを理解して話し合うための貴重な知識を得た。

だが、彼らはもうひとつの問いに答えなければならない。

いったいなぜ、彼らは金曜日の夜のディナーパーティーに対して大きく違う印象を持つのだろうか。

人が大勢いる部屋に足を踏み入れたとたん、エミリーの神経系が暴走して、逃げ出したくなってしまうのは、どうしてだろうか。

グレッグはまるで逆だ。

大勢の人や会話や出来事は外向型が求めて止まない刺激を与えてくれる。

では、カクテルを飲みながら人々が交わす会話について、もう少し詳しく掘り下げてみよう。

グレッグとエミリーの違いを橋渡しする鍵は、詳細な部分にあるのだ。

■参考記事
内向型と外向型、対照的な二つの性質
外向型はどのようにして文化的理想になったか
内向型、外向型のリーダーシップ
共同作業が創造性をなくす
内向型は生まれつきなのか

内向型が苦手とする場面

数年前、当時ハーバードの大学院生だった神経科学者のマシュー・リーバーマン博士がこんな実験をした。

まず、外向型と内向型の人それぞれ32人ずつに、数分間電話で会話させた。

それが終わると、被験者たちに質問表を渡して、会話のあいだの印象などについて詳細な問いに答えさせた。

会話のパートナーに好意を持ちましたか?

あなたは友好的でしたか?

電話の相手とまた話したいですか?

といった質問だ。

さらに、相手の立場で考える質問もあった。

パートナーはあなたに好意を持ちましたか?

あなたと話すときに、どれくらい神経質になっていましたか?

どれくらい積極的に話をしていましたか?

リーバーマンらの研究チームは質問表の答えを比較し、録音された会話を聴いて、会話をした当人たちがたがいに相手をどう思ったかを判断した。

その結果、外向型は内向型よりも、パートナーが会話を楽しんだかどうか正確に評価しているとわかった。

この発見は、外向型が内向型よりも社交的な合図を解読するのが上手だと示している。

最初これは驚きではなかったとリーバーマンは書いている。

外向型はその場の空気を読むのがうまいという一般論と一致していたからだ。

だが、リーバーマンが実験にひねりを加えたことで、それは正しくないと判明した。

リーバーマンらの研究チームは被験者の一部に、質問表に答える前に自分たちの会話のテープを聴かせた。

このグループでは、社交的な合図を解読する能力に関して外向型と内向型の差はなかった。

いったいなぜだろう?

それは、テープを聴いた被験者は、同時になにもする必要がなく、社交的な合図を解読できたからだ。

そして、リーバーマンがそれ以前に実施した数々の実験によれば、内向型はその解読がとても上手だ。

それどころか、ある研究では、内向型は外向型よりもすぐれた解読者だと判明した。

だが、これらの研究は内向型がいかに上手に社会的な力学を観察するかを測定したのであり、いかに上手に対応するかを測定してはいない。

実際に行動するためには、観察するのとはまったく異なる脳の働きが必要になる。

複数の処理を同時に行うことが必要とされる。

数多くの短期的情報を、混乱したり過度のストレスを感じたりせずに、即座に処理しなければならないのだ。

そうした脳の働きは、外向型のほうが適している。

つまり、外向型の脳は一度にいくつものことを処理するのが得意なので、彼らは社交的なのだ-ディナーパーティでの会話はまさにこれだ。

対照的に、一度に何人もの相手をしなければならない状況は、内向型にとっては居心地が悪い。

二人の人間が会話するというシンプルに思える状況には、驚くほどたくさんの仕事が必要になる。

相手が話していることを理解する。

相手のボディランゲージや表情の意味を読む。

話し手と聞き手がスムーズに入れ替わる。

相手が言ったことに答える。

相手が自分の話を理解しているかどうか評価する。

自分が相手によい印象を与えているかどうか判断して、状況に応じてさまざまな調整をする。

これらを同時にこなすのは、どれほど大変なことか!

しかも、これはマンツーマンの会話の場合だ。

ディナーパーティの席で、大勢を相手にこれをするとなったら、いかに大変だろう。

だから、内向型が観察者の立場になるのは、彼らが小説を書いたり「統一場理論」に思いをめぐらせたりするのと同じであり、ディナーパーティで静かになってしまうからといって、意志薄弱やエネルギー不足なのではない。

たんに自分の機能に適したことをしているだけなのだ。

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内向型の人間がスピーチをするには
なぜクールが過大評価されるのか
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性格特性はあるのか
内向型をとことん活かす方法

必ずしも外向型がセールスに向いているとは限らない

リーバーマンの実験は内向型が社交でつまずく原因を理解するのを助けてくれた。

今度は、内向型が自分らしさを発揮する例を考えてみよう。

ジョン・バーグホフという名前の謙虚な男性についてお話しよう。

ジョンは見るからに典型的な内向型だ。

針金のような体つき、鋭い輪郭を描く鼻と頬、眼鏡をかけて、いかにも思慮深い印象だ。

口数は多くないが、よく考えてからしゃべり、何人かで一緒にいるときはその特徴がとりわけ顕著になる。

「部屋のなかに10人いれば、しゃべるかしゃべらないか選択の余地がある。

僕はしゃべらないほうだ。

『きみはなにか話さないの?』とよく訊かれる」と彼は言う。

そんなジョンは、じつはティーンエイジャーの頃から優秀なセールスマンだ。

1999年夏、まだ高校二年生だった彼はキッチン用品で有名な<カツコ>の販売をはじめた。

顧客の家を訪ねて包丁を売る仕事だ。

広いショールームで車の説明をするのとは違って、商品を売ろうとする相手の家のキッチンに立って、実際に使い勝手を実演してみせるという、とても親密なセールスをしなければならない。

最初の八週間で、ジョンは5万ドル相当の包丁を売った。

その年同じ仕事に就いた4万人の新人のトップを切る売り上げだった。

まだ高校三年生だった2000年には、135000ドル以上の売り上げで数々の記録を打ち破った。

だが、学校では内気なままで、昼休みは図書館で過ごしていた。

ところが、2002年までには90人のセールスマンをあらたに雇って、地域の売り上げを500%増加させた。

その後、ジョンは<グローバル・エンパワーメント・コーチング>という会社を興して、セールス教育ビジネスに乗り出した。

ジョンの成功の秘訣はいったいなんだろう?

ひとつの重要な鍵を、カリフォルニア州立大学サンタクルーズ校の教授をつとめている心理学者のアヴリル・ソーンによる実験が教えてくれる。

ソーンは52人の若い女性―内向型と外向型各26人を集め、ペアを組んで会話をさせた。

各被験者は最初に自分と同じ性格型の相手と10分間会話してから、自分とは反対の性格型の相手と10分間会話した。

会話は録音されて、被験者はそれを聴かされた。

すると、驚くべき発見がいくつもあった。

内向型と外向型は同じくらいしゃべり、内向型はあまりしゃべらないという定説を裏切ったのだ。

だが、内向型どうしのペアがひとつか二つだけの真剣な話題にかぎって話したのに対して、外向型のペアは幅広い軽い話題を選んだ。

内向型は学校や仕事や友情など、人生の問題や葛藤について話すことが多かった。

おそらくはそうした問題について話すことが多かったせいだろうが、彼らは相談相手の立場をとる傾向があり、話題にのぼった問題についてたがいに助言したりした。

対照的に、外向型は相手との共通点になるような自分自身に関する軽い話題を提供した。

犬を飼ったの?

それはすごいわね。

私の友達はとっても大きな水槽で海水魚を飼っているのよ、といった具合に。

だが、ソーンがもっとも興味を抱いたのは、外向型と内向型がたがいを高く評価したことだった。

楽しい話題を選んだ外向型と話した内向型は、会話がしやすかったと報告し、外向型との会話を「新鮮な空気を吸っている」ようだと表現した。

逆に、外向型は内向型との会話はリラックスできるし、自分が抱えている問題を話しやすいと感じた。

実際以上に元気にふるまわなければというプレッシャーを感じなかったのだ。

これらは役に立つ社会的な情報だ。

内向型と外向型はたがいにうんざりさせられることもあるが、ソーンの実験はたがいが相手にどんな態度をとるべきかを教えてくれる。

外向型は、中身のない話を軽蔑するように思える内向型が、じつはうちとけた気楽な話ができると知るべきだ。

そして、自分がまじめな話ばかりしがちなのはよくないと思っている内向型は、他人からすれば、そういう話ができる有益な存在なのだと自覚するべきだ。

ソーンの研究は、ジョン・バーグホフの驚くべき成功を理解するうえでも役に立つ。

彼は真剣な話に共感する力を、そして説得ではなく助言する力を使って、顧客に対して一種のセラピーのようなものを施したのだ。

「この仕事をはじめて間もなく、お客さんは商品を理解するから買うのではないとわかりました。

自分が理解されたと感じるから買ってくれるんです」とジョンは語る。

ジョンはまた、相手にたくさん質問して、その答えをまじめに聴くという性質からも恩恵を受けている。

「誰かの家に行ったら、包丁を売ろうとするのではなく、いろいろ質問をします。

会話が成り立つかどうかは正しい質問をするかどうかにかかっています」そして現在では、コーチングのビジネスでもジョンは同じ方針で教えている。

「相手の心のラジオ局に周波数を合わせようとするんです。

相手が発するエネルギーに注意を払います。

僕はよく考えごとをしているので、そういうのは得意なんです」

だが、セールスという仕事には相手を興奮させ、その気にさせる能力が必要なのではないか?

ジョンによればそんなことはない。

「たいていの人は、セールスには口先のうまさや相手を説得するカリスマ性が必要だと信じています。

そういうものは外向的なコミュニケーションにはたしかに必要です。

けれど、セールスでは『耳は二つ、口はひとつなのだから、その数に合わせて使うべき』というのが自明の理です。

セールスマンやコンサルタントに一番重要なのは、真剣に聴くことです。

うちのトップセールスマンを見ても、外向的な性質は彼らの成功の鍵ではありません」と彼は説明した。

では、グレッグとエミリーの悩みに戻ろう。

私たちは二つの重要な情報を入手した。

第一に、エミリーが同時に複数の人を相手にコミュニケーションをとるのが嫌いなのには、ちゃんとした理由があること。

第二に、内向型は彼らなりのやり方をすれば、会話を楽しみ、相手とのつながりを楽しめること。

この二つの現実を認識してようやく、グレッグとエミリーは膠着状態を脱却する道を見つけた。

ディナーパーティの数ではなく、形に目を向けたのだ。

エミリーが苦手な四方八方へ気を配ることを必要とする大テーブルにみんなで着席する形ではなく、料理はビュッフェスタイルにして、招かれた人はソファでもどこでも好きな場所で少人数ずつの会話を楽しむというのはどうだろうか。

この形なら、グレッグは大好きな中央部に陣取れるし、エミリーは部屋の隅でじっくり会話を楽しめる。

この解決策は功を奏し、二人はパーティのことで衝突しなくなった。

それなりの紆余曲折のすえ、彼らは一カ月に二回パーティをすることにした。

つまり、一年に52回ではなく、24回ということだ。

今でもエミリーはパーティを心待ちにしてはいない。

それでも、時には心から楽しめる晩もある。

そして、グレッグはパーティのホスト役を楽しんで、自分のアイデンティティを維持し、心から愛する妻とつねに一緒にいられることを喜んでいる。