いまのあなたは、自分が内向型であることを認識し、自分らしく心地よく生きる道へと順調に向かっている。
ほんの少し、心地よくないほうへフォーカスをあててみよう。
これにはちゃんと理由がある。
なじみ深い領域内に留まっていれば気楽だろうが、それは必ずしも実際的とは言えない。
内向型の人がしなければならないことで、外向型のスキルが求められることは多々ある。
たとえば、新しい仕事をさがすときや、子どものかかりつけの医師を代えるとき、あるいは、新しい友達をつくるときは、外向型のスキルが必要となるだろう。
どんな人にも、目標や夢を達成するために外向的にならざるをえないときはある。
内向型の人たちは、自らの快適ゾーンを離れ、外に出掛けなくてはならない。
そのあとは、さっと引き上げてくればいい。
外向型の人は灯台に似ており、エネルギーを外に注ぐようにできている。
自分自身とは別のところへ注意が向けられており、彼らは絶えず、外の環境を探査しているのだ。
外界こそ、彼らがエネルギーを得る場所だ。
また、彼らはそこで、ドーパミンの活動により”快感のヒット”も得ている。
内向型人間はそうはいかない。
内向型の人は、カンテラのようにできている。
内部の力を示唆するほのかな明かりなのだ。
内向型の人の注意はつねに、内面をさぐっている。
現実世界へ出ていくときは、そのやりかたを変えなくてはならない。
なかの明かりを落とし、別の明かりをつけて、その光を外へ注がなくてはならないのだ。
外向型の人は、自信ありげに、恐れることなく、さっさと世界に飛び込んでいく。
彼らは話し好きで、開放的で、自然体で、ほとんどなんでもやってみたがる。
彼らに内向型人間のスキルを学ぶ必要があるように、内向型の人にも、彼らのスキルを学ぶ必要がある。
ここでは、あなたがなるべくすんなりと不安なく外へ向かえるよう、いくつかの戦略を教える。
あなたもきっと、さまざまな”外向型の態度”を取り込めるようになるだろう。
それは、より軽やかで、のんきで、自信に満ちた人生に対する姿勢だ。
そして、ほんの少量ずつ、短期的になら、あなたもそれを用いることができる。
「じっとしていれば快適」という幻想を捨てよう
幼少のころから、内向型の人はなじみ深いものによって安心感を得ている。
どんな気質の子どもも、なじみのない場所には毛布やぬいぐるみを持っていく。
その擦り切れた布地は、彼らに暖炉や家庭を連想させる。
すると、恐れや不安は消えていくのだ。
大人になってもなお内向型の人たちは、なじみ深いものを求めつづける。
それが、被圧倒感を和らげてくれるからである。
内向型の人は、外向型の人以上に、慣れ親しんだものから安心感を得ている。
外の新たな情報を取り込むのには、エネルギーが必要なのだ。
内向型の人は、心地よさが保たれていれば大丈夫だという幻想を抱いている。
しかし、その幻想には限界がある。
どんなに念入りに人生を構築しても、あなたは必ず、障害や困難や邪魔物、不快な感情に遭遇し、それらに対処する必要に迫られる。
そのときは、新しいやりかたを試み、いつもとちがう不慣れな感じに耐えなくてはならない。
また、成長とはそもそも、ちょっと新しい自分を感じることなのだ。
隔離された生活は不快な感情からあなたをまもってくれるかもしれないが、同時に新たな経験や人との出会いを制限してしまう。
このふたつはどちらも、あなたに力を与え、想像したことさえない喜びをもたらすものだ。
あまりに心地よい状態に収まっていると、人はその人格の多面性を失ってしまう。
使っていないと力の出ない筋肉のように、人格の各部もときどき動かさなければ、鍛えることはできない。
そのうえ、新たな情報や課題がなければ、あなたは退屈し、落ち込んでしまうだろう。
見捨てられ、拒絶され、失望することへの恐れは、そうした恐れが必ずしも現実に根ざしていないことを物語るプラスの体験がなければ、さらにふくらむ可能性がある。
外に向かっているとき、あなたは急速に燃料を消費している。
だが同時に、新しい考えや関係や経験を獲得してもいるのだ。
内向型の人はそのことを心にきざむべきである。
世界は刺激的な場所だ。
外向型の人とちがって、あなたには自分の光をあたり一面に降り注ぐことはできない。
しかし、自分の”外向エネルギー”を好きなエリアにピンポイントで注ぐことはできるだろう。
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内向型と外向型はどこが違う?
内向型人間の心理
生まれつきの内向型
パートナーの内向型、外向型組み合わせ特徴
内向型の子育て
内向型の人はいかなるときも自信を持つことができる
自分は本来のニッチでない環境下でもちゃんとやれる―内向型人間には、そんな自信が必要だ。
気むずかしい同僚に立ち向かったり、買ったモノを返品したり、販売促進活動を行ったり、子どもの学校に苦情を言ったり、読書クラブに入会したりすることは、どれも難題となりうる。
しかし難題とは解決しうるものであり、自分に自信を持つことは解決に向けてのよいスタート地点となる。
覚えておこう。
あなたにも、外向型の人のように輝くことはできる。
そのあとは炎をしぼって、いつものカンテラにもどればいい。
外に向かっている間は、自分の状態に充分注意し、ときどき休憩をとることだ。
報いはきっとある。
内向型の人の多くは、”外向型の世界”でちゃんとやれる自信がないために、自分の快適ゾーンに留まっている。
外を出歩いていると、彼らはしばしば圧倒され、自らの能力を思い出せなくなる。
外向型の人々と我が身を比べ、自分はだめだと決め付けることもあるだろう。
劣等感を感じたくないがために、彼らは引きこもってしまう。
内向型の人もまた、内向型の人の文化に幅を利かせている考え―個人の価値は、その人がだれかではなく、何をしたかで決まるという考え―にとらわれているのだ。
『自信―それを見つけ、それを生きる』の著者、バーバラ・デ・アンジェリス博士は、「あなたの自信が自分が何を成し遂げたかではなく、自分がだれであるかに基づいているなら、あなたは、どんな人もどんな状況も奪うことのできないものをつくりあげたことになる」と語っている。
内向型人間の能力の多くは外向型の世界では評価されていないので、内向型の人たちにとってこれはとても重要なことだ。
自信というのは、誤解されやすい言葉である。
世間の人は、この言葉を外向的に解釈し、行動がすばやいこと、エネルギッシュであること、多数の事柄を達成することとしてとらえている。
しかしもしそれがほんとうなら、自信があるのは、オリンピックの金メダリストのような人ばかりになるはずだ。
この世界はそのようにはできていない。
もしそうなら、大多数の人は取り残されてしまうだろう。
それに、ある分野で頂点をきわめ、偉業をなしたように見えながら、麻薬やアルコールに溺れるなど、自滅的な行動をとる人がどれほど多いことか。
加えて、もしも自信がすでに得意なことに根ざすものなら、新しいことに挑戦するのは難しくなる。
新しいことを始めるとき、あなたは初心者であり、学習曲線をたどらねばならず、不器用である。
成果のみに基づく自信は、新しいことに興味を抱き、取り組む力を削いでしまう。
また、もしも得意なことをやっているときにのみ自信を感じるのなら、それをやっていないとき、あなたはどうなるのだろう?
たとえば、子育てをしているときにのみ、自分の能力を確信できるのだとしたら、子どもがあなたを必要としていないときは、どうすればいいのだろうか?
あるいは、あなたが介助の仕事をしているとしたら、だれかに奉仕していないとき、あなたの自己認識はどうなるのだろう?
また、仮に病気になって、何も達成できなくなったら、あなたにはもうなんの価値もないのだろうか?
成果に基づく自信と、自己の内面的特性に基づく自信との間にはちがいがある。
学校を卒業する、かっこいい車を買う、昇進する、銀行に一定額の預金を持つ、といった特定の目標を達成すれば、気分はいいが、その喜びはすぐに薄れてしまう。
調査によれば、大出世のもたらす満足感は、長くても六カ月程度しか持続しないという。
内向型の人たちが自信を感じるためには、つねに自分に附随している何かが必要なのだ。
自信は、内向型の人たちが外で行う事柄でなく、内向型の人たちのなかにあるものに起因していなくてはならない。
では、あなたの内向的な自信を高めるには、どうしたらよいのだろうか?
必要なのは、ちょっとした観察力だけだ。
まず、銀行に自信の預金口座があるものと想像しよう。
そして、目標や優先事項へ自分を推し進める行動をとるたびに、金額を加えていく。
自分が”自信の硬貨”を口座に入れているところを思い描こう。
もっといいやりかたは、自信のノートに”預金額”を記録していくことだ。
自分の気持ちを信頼し、尊重することができたときや、前向きな気持ちになったときは、そのつど硬貨を投入しよう。
おっかなびっくりでもいやな電話がかけられたら、やはり入金だ。
他人からの批判を、全肯定もせず全否定もせず、客観的に検討できたときも。
そして、その批判にどう応じるか決められたときも。
何かに失望したら―たとえば、希望していた新しい仕事に就けなかったら―数日間は、落ち込んでいてかまわない。
その後、仕事は他にもあることを思い出したら、札束を口座に入れて、つぎのところへ履歴書を送ろう。
外に向かうときは、自信のノートを眺めるか、巨額の残高を思い浮かべてみるとよい。
その大きな金額は、ほしいものを得るために働く力が自分にあること、また、自分自身をあてにしてよいことを思い出すよすがとなる。
あなたには弾力がある。
必要とあれば、助けを求めることもできるし、行く手を阻まれたり失望を味わったりしても、すぐ立ち直ることができるのだ。
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生まれ持った内向性を大事に育む
固執したパターンを変える
外向型の人は一般的に、長時間、同じことをつづけはしない。
彼らは考えるより先に、立ちあがって動きだす。
しかし、内向型の人にとって何かに着手することは、エベレストに登るのにも等しい。
彼らは、踏み慣れた道の外へ出るとき余分なエネルギーがかかることを知っている。
それに、体を動かしても”快感のヒット”によって報いられることはないので、楽にじっとしていられる。
なじみ深いものと向き合うときは、さほどエネルギーはかからない。
しかし、世間に充分接していないと、内向型人間は、自分だけが多くの悩みをかかえていると思い込む恐れがある。
そうして、自分はどこかおかしいのだという考えが強化され、彼らはますます恥じ入り、孤立を深めてしまう。
内向型人間の多くは、人生にはストレスと緊張がつきものだということ、どんな人でもなんらかのかたちで苦労しているということに気付いていないのである。
では、マンネリズムにおちいった内向型人間は、どうすればよいのだろうか?
驚くかもしれないが、たったひとつの行動を変えるだけで、あなたは自分の望むどんな変化でも起こすことができる。
それはちょうど、池に石を投げ込むのに似ている。
さまざまな波紋が水をうねらせ、水面全体を変えてしまうのだ。
つぎの方法を試してみよう。
- 自分が変えたいひとつのパターンにねらいをつける。
- そのどこか一点をいつもとちがうかたちで行う。
- 別の状況下でうまくいった方法を用いてみる。
- 逆説を用いる。どうすれば問題がさらに悪化するか考えてみる。
- どうなっているか、ではなく、どうしたいかに気持ちを集中させる。
- 成功を祝う。いつもとちがうことをしてみると、解放感が味わえるものだ。
実際にこの方法を使った例を一つ挙げておこう。
内向型のAさんは、毎晩、仕事からまっすぐ家に帰ってテレビを見ているが、このパターンを変え、少なくとも週に一度は出かけたいと思っていた。
1.彼の場合、いったん家にもどったらなかなか外に出る気になれない。
そこでセラピストは、職場からまっすぐどこかへ行くようすすめた。
映画を見にいく、美術館を訪れる、同僚とカフェへ行く、ショッピングセンターをぶらつく、などだ。
2.次にセラピストは、この先三週間、どこへも出かけられないとしたらどんな気がするか、想像してみるよう彼に言った。
3.多くの場合、この想像は、驚くべき推進力となる。
それは恐怖心を消し去るのだ。
彼の頭には突然、行きたいところがたくさん浮かんできた。
そこでセラピストは、リストアップした楽しい場所のいずれかにいる自分を想像してみるようすすめた。
ゴルフの練習場でボールを打っているところ、プラネタリウムや書店にいるところ、木曜夜の美術館めぐりをしているところ、などだ。
さらにセラピストは、つねに自分の選択肢を思い出せるよう、「週末の遊び」と題した紙にそれらすべてを書き留め、職場か車の中に置いておくよう言った。
4.実際、彼は図書館に本を読みにいき、楽しい時を過ごした。
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外向型の人は、愉快なことが大好きで、世界との交わりを大いに楽しんでいる。
これに対して内向型の人は、気真面目過ぎるきらいがある。
きっと子ども時代、ふざけたことをして叱られたせいで、そうした一面を見せないのだろう。
また、内向型の人は自意識が強く、人の注意を引きたがらない。
だから、陽気に振る舞えば、馬鹿みたいな気分になると思っているのかもしれない。
しかし、遊びや開放的な行動は、内向型の人たちの活力を高め、人と人とを結びつけ、人生のすばらしさを増し、地平線を広げてくれる。
生の喜びがなければ、内向型の人たちは陰気で冷たい人間になってしまうだろう。
遊びとは、自分自身に”なんでもあり”の場を与えることだ。
どんどんブロックを積み上げていく子どもたちを見てほしい。
ブロックの山はやがて崩壊し、床に散乱して、世にも奇妙な模様を描く。
子どもたちは大喜びだ。
新しい何かが起こったのである。
幼児の研究は、親と赤ん坊のもっとも重要な絆が遊びであることを示している。
それは、人と人とをくっつける接着剤なのだ。
遊びはまた、緊張を解き放つ。
それは、さまざまな発想の間に新たなつながりを生み出して、あなたの思考を自由にし、脳にかかった蜘蛛の巣を吹き払ってくれる。
遊びが必要な一方、内向型の人にとって、開放的な環境は脅威となるかもしれない。
なぜならそれは、不確実を意味するからだ。
しかしこの世界は不確実なものであり、人生の魅力の多くはまさにそこから生まれている。
思いがけない発見は、さまざまなことを引き起こす。
あなたは初めて通る道で、未来の夫や妻に巡り会うかもしれない。
心を軽くし、人生の意外性を楽しむことができなければ、外に向かうこともできない。
内向型の人のほとんどに楽しい面がある。
遊び心は、内向型の人の恐れを軽減し、エネルギーの枯渇を抑えてくれる。
あなたの遊び心を引き出すために、昔からひそかにやりたいと思っていたこと(いつもはやらないようなこと)を五つ書き出してみよう。
枠にとらわれずに考えること。
以下にいくつか例を挙げておこう。
●レストランで、これまで食べたことのないもの、たとえば、エスカルゴを注文してみる。
●土曜日に、思い切り夜更かしする。または、すごく早起きをする。どちらでも、いつもとちがうほうを選ぼう。
●みたことのない古いミュージカルを見る。
●ネパール、タヒチ、ロシア、アマゾン河流域などへ、空想の旅をする。匂いや空気、景色や音がどんなか想像したり、そこで出てきそうな変わった食べ物を思い浮かべたりしよう。たとえば、ヘビのローストなど、どんな味がするか、想像してみよう。
●子どものころいつもやりたいと思っていたのに、まだ幼いからという理由で親に許してもらえなかったことをやってみる。
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外へ向かう七個の戦略
自信を高め、パターンを変え、遊び方を学んだなら、あなたはいつでも外の世界と向き合える。
以下は、その冒険をさらによいものにする七つの戦略である。
勇気を出して口を開く
外向型の人は話し好きだ(結果として、内向型の人よりも話を聞いてもらえる)。
外向型の人は、長いこと耳を傾けるのは好きでなく、内向型の人がゆっくりと、あるいは、ためらいがちに話していると、聞くのをやめてしまう可能性がある。
なかには、その小さな声や物事の両面を見る能力を理由に、内向型人間をあまり利口でないとか、煮え切らないなどと見なす外向型人間もいる。
あなたは、昔から発言を無視されたり見過ごされたりすることが多かったのではないだろうか。
あるいは、人に話を聞いてもらうのは容易でないと感じてはいないだろうか。
もしそうなら、あなたは自己を表現しようという気をなくしているかもしれない。
また、そのことによって、疎外感をも抱いているだろう。
しかし驚くのは、ほんのちょっとしたコツが、大きなちがいを生むということだ。
三週間つづけて週に二度、エネルギーがたっぷりあると思える日に、つぎの方法を試してみよう。
外に出掛けて二、三人の知らない人に声をかける。
すぐそばにいる人で親切そうな人を選び、その場にふさわしいことを何か言う。
「あのカエデの紅葉、すばらしくきれいですよね」「この店は、随分またせますねえ」「わたし、このパン屋のハチミツパンが大好きなんですよ」
ふだんよりやや大きめの声で、やや早口に話すこと。
言葉は短く。
内容はひとつにしぼる。
あとは、買い物するなり、座っているなり、列で待つなり、そのときしていたことを続ける。
どうなるかやってみよう。
自分が少し動揺しているかどうかにも注目しよう。
知らない人に話しかけるだけでも、たいていの内向型の人にとっては大きな刺激となる。
心が乱れる可能性を頭にいれたうえで、簡単なことを言ってみよう。
楽々としゃべっている自分の姿を思い浮かべるとよい。
話し掛けた相手が気軽に返事をするかどうかにも注意しよう。
相手が何も答えなかったら、きまりが悪いのだと見なす。
自分に問題があると考えてはいけない。
逆に、相手が話に乗ってきたら、気持ちのよい軽い会話が人と人とのつながりを感じさせることを再認識しよう。
この経験が動機となって、あなたは人と接触したくなったとき、もう少し余分にエネルギーを使うようになるかもしれない。
知らない人と突発的に話す練習ができたら、今度は力を結集し、もっと長い任務(あまり気の進まない何か)に当たる番だ。
たとえば、商品の返品(内向型の人は、返品をいやがることが多い)。
返品がどうしても無理なら、他のこと、たとえば、電話会社の請求書のおかしな点をただす、といったことに挑戦しよう。
不安度の高い任務を選ぶこと。
内向型の人は、この種のやり取りに必要な速いペースを恐れることが多い。
それは先の見えない交渉であり、即断即決が求められるかもしれず、軋轢も頻繁に起こる。
内向型の人の多くは、ひどい不安と混乱を味わうことになるだろう。
しかし、怯えて逃げ出してはいけない。
冒険に乗り出す覚悟ができたら、言うべき台詞を稽古しよう。
たとえば、「このセーターを返品したいんですが。あいにくサイズが娘に合いませんでしたので。これが領収書です」何度か予行演習を行えば、もう大丈夫だ。
調査によれば、大きな声で速くしゃべり、俗語を使わない人は、頭がいいと見なされるという。
子どもの学校の先生と話すときも、オフィスで同僚と打ち合わせをするときも、家で親戚が集まっているときも、短く明快な言葉を使い、力強い明瞭な声で、まっすぐ相手の目を見て話そう。
グループでいるときは、つねにつぎのようなつなぎの言葉を使おう―「ひとつ付け加えたいんですが・・・」「さっき〇〇さんが言ったように・・・」任務を完了したあとは、必ずちょっとしたご褒美を自分に与えよう。
心のイライラをすばやく鎮める
心をかき乱す出来事は、毎日あるものだ。
運転中、他の車に割り込まれる、大事な約束に遅れる、コンピューターがフリーズする、ボスに注意される、お得意様の名前を忘れてしまう、お気に入りのシャツに何かをこぼす・・・数えあげればきりがない。
内向型の人は一般的に、外向型の人よりも日々のイライラに影響されやすい。
彼らは、内なる世界を強く意識している。
そのため、ストレスに対する自らの反応を、より速く、より鋭敏にとらえるのだ(外向型の人は、内なる世界にさほど注意していないため、悪い情報も、アヒルの背中の水のようにはじかれてしまう)。
神経科学によれば、なんらかの反応が起こったら、その反応は増幅するに任せるよりも、処理したほうがよいという。
その著書『高エネルギーな暮らしかた』で、ロバート・クーパー博士は、どんな状況にも効く、心を鎮める方法を呈示している。
その方法を応用した”速効鎮静術”というものがある。
それは他の多くのストレス対処法とはちがって、この方法は、わずか数分しかかからず、5つのステップがあるだけで、どこででも実践できる。
呼吸をつづける
・・・ストレスを感じているとき、人は息を止めていることが多い。
この状態を断ち切り、正常な呼吸を再開しないと、あなたは不安、怒り、欲求不満へと駆り立てられるばかりだろう。
呼吸は、血液と酸素の脳や筋肉への流れをさかんにし、それによって緊張を緩和し、幸福感を高める。
穏やかな覚醒状態の目をする
・・・これは自宅の鏡の前で練習しよう。
表情を変えて、ほほえみながら、リラックスした覚醒状態のまなざしで一点を見つめるようにする。
音楽を鑑賞している人、あるいは、遊んでいる子どもを眺めている人の表情をまねるとよい。
自分自身にこう言おう―「わたしは覚醒していて、体は鎮まっている」それに従って、神経化学物質が変化し、気持ちを引き立てるように働きだす。
緊張を解き放つ
・・・ストレスがかかると、人は脱力するか、緊張する。
自分の姿勢と、体のどの部分が緊張しているかに注目しよう。
肩は硬くなっていないだろうか?
お腹に異常はないだろうか?
歯を食いしばっていないだろうか?
左右の足にバランスよく重心をかけよう。
ちゃんとできているかどうか、確認のため軽く跳んでみるとよい。
つぎに、だれかに頭のてっぺんをつかまれ、そっと引き上げられたつもりになる。
数センチ背を伸ばし、両肩を引き、胸を張ること。
緊張を和らげるエメラルド色の液体が血管を駆け巡り、緊張を溶かしていくさまを思い描こう。
特異な点に注目する
・・・まったく同じ状況などというものは存在しない。
意識的に考えれば、当然わかることだ。
しかし脳は、すべての経験をひとくくりにし、ただちに判断を下そうとする。
内向型の人たちの不安を和らげようとして、できあいの解決法を放ってよこすのだ。
だから、どんな場面もおなじみのカテゴリにすぐに入れてはいけない。
たとえば「ああ、また妻が僕を批判している」と思わずに、一拍置いて特異な点に注目する。
「妻はぼくを気遣っている。
これは批判的な声じゃない。
多分彼女は、助言しようとしているんだ」
これであなたも、その場に適した態度がとれる。
心の中の賢人を呼び出す
・・・あなたのなかの賢人、万人に備わっている賢い部分に、助けを求めよう。
問題の存在を認め、似たような場面をうまく切り抜けた過去の経験を賢人に指摘してもらおう。
そのときの気持ちを思い起こし、もう一度そこに立ち返ってみよう。
ちょうど、自信というスーツをまとってみるようなものだ。
たよりにすればするほど、あなたの賢人は必要に応じてちゃんと現れるようになる(問題を無視したり、その存在を否定したりしても、それは消えてはくれないし、たいていの場合、事態はさらに悪化するだけだ)。
自分に優しく
外向型の人は、自分の言ったことを逐一振り返ったりはしない。
それどころか、自分の発言を一顧だにしないこともしばしばだ。
そのせいもあって、彼らの多くはあれほど屈託なげなのである。
これに対して、内向型の人は、絶えず、自分の言ったことの是非を検討している。
彼らの脳のブローカ野には、あの活発な内なる声が存在する。
ブローカ野は、発話と言語理解を司っており、それと同じ経路には、さまざまな反応を査定し、過去と現在と未来を比較する他の野もある。
ときどき、この内なる声は、批判的になる。
外向型の人の頭のなかにも、批判的な内なる声は存在する。
しかしその注意は、彼らの発言より、むしろその行動に向けられている。
内向型の人の内なる声には、彼らの発言を抑制してしまうという困った作用がある。
あなたは、自分の内なる声に気付いているだろうか?
それは、味方なのか、それとも、敵なのか?
勇気を与えるのか、それとも、気をくじくのか?
内向型の人が外向型の世界へ勇気を奮ってでていったあと、みじめな気分になる場合、悪の元凶は実際に起こったことでなく、頭のなかの声であることが多い。
内向型で悩んでいるBさんは、その仕組みの完璧な実例を示してくれた。
あるプレゼンテーションのあと、彼はセラピストに、自分がどれほどばつが悪く、まぬけな気分であるかを語った。
聴衆の反応ををたずねると、Bさんは、みんな楽しんだし、彼自身も多くの賞賛を受けたことを認めた。
それでもなお、彼は悲惨な気分なのだった。
というのも、話のなかで触れた本のタイトルを聴衆の女性にたずねられたとき、そのタイトルが頭から吹っ飛んでしまったからだ。
セラピストとともにその体験を振り返るうちに、Bさんは、内なる声がタイトルを忘れた件で自分を責めているのに気付いた。
彼に必要なのは、その批判的な声に、黙れ、と言ってやることだった。
では、あなたの頭の中の非難がましい声について考えてみよう。
世界に出ていく前やあと、その声はなんと言うだろう?
それは誰の声ににているだろうか?
もしもその趣旨が、「おまえはそのままじゃいけない、もっと社交的になるべきだ」ということなら、それを言っているのはだれだろう?あなたのお母さん?お父さん?お姉さん?お祖母さん?それとも、高校時代のボーイフレンドだろうか?
もしもある声が「それくらいできるはずだぞ」と言っているなら、それはだれだろう?
頭の中の声は、あなた自身のように思えるかもしれないが、それよりも、あなたを思い通りに動かそうとした過去のだれかである可能性が高い。
彼らのさげすみに満ちたコメントは、あなたのありかたには関係なく、実は、彼ら自身のコンプレックスから生まれているのだ。
困ったことに頭の中の声は、ばたばたと忙しい実社会に対処する内向型の人たちの能力に影響を及ぼしかねない。
内向型の人はもともと快適ゾーンから出るのに乗り気でないし、燃料は刻々と減っているのだが、批判的な声はさらに内向型の人たちを消耗させ、やる気をくじいてしまう。
内なる声を新たな視点からとらえるために、幼い頃のあなた自身の写真を見つけよう。
少なくとも五分間、すわって、その写真を眺めてほしい。
子どもにとって、世界はしばしば大きくて恐ろしい場所となる。
その子が内向型ならばなおさらだ。
外向型の世界に出ていく際に、小さな子どもに必要なことを5つ書き出してみよう。
たとえば、次のように書いてみよう。
- この子に必要なのは、すがりつく手。
- この子に必要なのは、優しい励まし。
- この子に必要なのは、気まずさを味わうのはふつうのことだと教えてもらうこと。
- この子に必要なのは、心の鎮め方を学ぶこと。
- この子に必要なのは、どんな感情もいつかは消えると教えてもらうこと。
そして、この子にまったく必要ないのは、批判である。
今度、気まずさや居心地悪さを味わったときは、自分の発言の是非など考えてはいけない。
とにかく批判の声を静めること。
聞く気のないことをはっきりさせよう。
子どもの自分を思い浮かべ、あなたの発言にはなんの問題もない、と言ってあげよう。
つねにサバイバル・キットを持つ
内向型の人の多くは、外向型の人よりも、自分を取り巻く環境や、不快なもの、心を乱すものに敏感である。
屋外の環境に対処するのは、とりわけ難しい。
なぜなら彼らは、無防備な状態で五感への刺激にさらされていると感じるからだ。
こうした五感への攻撃は、彼らの使うエネルギー量に影響を及ぼす。
それは、栓の抜かれた浴槽の水のようにぐんぐんと減っていく。
そのうえ彼らは、外向型の人よりも食物の代謝率が高いため、血糖値はすぐに落ち込んでしまう。
これらの条件ゆえに、内向型の人には、外に向かう前に補給物資を仕入れることがきわめて重要になる。
生理的要求に対する適切なケアがあれば、彼らの対処能力は高まるだろう。
外界からの猛攻を和らげる道具を持っているだけで、疲労困憊することなく、快適に過ごせる場合がある。
つぎのものは、バッグやブリーフケース、車のなかなどに入れておきたい品々だ。
- 街の騒音をシャットアウトする耳栓。
- スナック菓子(ナッツ、プロテイン・バー、その他のプロテイン・スナック)。
- 水のボトル。始終、水を飲むことをお忘れなく。
- 癒し系の音楽と、ヘッドホンステレオ。
- 肯定的な文句の書かれたカード。たとえば、「きょうはリラックスして、どんなことでも楽しもう」など。
- 癒し系の香りを染み込ませた脱脂綿。いやな匂いに悩まされたら、それを嗅ごう。
- 乗り物酔いの薬。映画や思いがけない揺れで酔うことはよくある。
- 日射しが強いとき用に、傘か日傘。傘は、雑踏のただなかにいることを忘れさせてくれる。
- 日焼け止めクリーム、ハンドクリーム、リップクリーム。内向型人間の多くは皮膚が敏感だ。
- 電池式の扇風機か、水を入れたスプレーの小瓶。できれば、その両方(これは、会話のきっかけにもなる)。
- つばの広い帽子とサングラス。
- セーターか毛布。
- 便利な小型の携帯用カイロ。
- 風で耳が痛いとき用に、耳当てか、カラフルなスキー用ヘッドバンド。
外に向かうことが、なるべく楽しく快適になるよう心がけよう。
服は柔らかな素材のもの、靴は履き心地のよいものを選ぼう。
また、気温の変化に対応できるよう、重ね着をしよう。
そして、美と自然を加味することで、あらゆる外出をより好ましいものにしよう。
たとえば、どこかへ行くとき公園を通り抜けてもいいし、ついでに画廊をぶらついてもいい。
重要な連絡の入る予定がないかぎり、携帯電話やポケットベルの電源は切っておこう。
元気の出る詩や引用文、ことわざなどの書かれた小さな本をバッグに入れておき、列に並んでいるときや休憩時間に眺めよう。
できるときは、自分に合うよう証明を調節しよう。
人混みのなかでは、自分のまわりはバリアでまもられていると思おう。
自分自身をしっかりケアできれば、あなたはより長く外に向かっていられる。
定期的に燃料を補給する
内向型は、外に向かっていると、大量のエネルギーが消費される。
外向型の人のタンクは、ブドウ糖とアドレナリンによって満たされる。
だから、彼らが長いこと家にいたがらないのは当然なのだ。
これに対して、内向型の人が外に向かうと、エネルギーは適正レベルのはるか下まで落ち込んでしまう恐れがある。
この落ち込みに気づいたらすぐに、つぎの手順に従って、エネルギー・レベルを上昇させよう。
この方法は、架空の保養地をつくるというものだ。
あなたはひとつのキーワードによって、その保養地へ入っていくことができる。
まず、心安らぐ場所を連想させる言葉をひとつ思い浮かべよう―たとえば、ハワイ、庭園、ビーチ、池、森、などだ。
その場所を頭のなかで思い描き、さらに、五感を振り当てる。
そこには、どんな景色、匂い、音、味、感触があるだろうか?
内向型で悩むKさんは、”渓谷”というキーワードを使っている。
その架空の谷には、苔がむし、草が生え、野の花が咲いており、周囲は木陰をつくる樹木に取り囲まれている。
鳥たちはさえずり、空気はさわやかだ。
小川のほとりの草に埋もれ、冷たい水につま先を浸す自分の姿を、彼女は思い浮かべる。
背中には、温かい日射しが降り注いでいる。
やがてKさんは、体の緊張が解け、エネルギーがよみがえるのを感じる。
一日数回、目を閉じて、あなたのキーワードを思い浮かべよう。
そこにいるつもりになって、五感も振り当てよう。
キーワードを思い浮かべたらすぐそこに行けるようになるまで、練習を繰り返すこと。
この方法なら、すばやく簡単にエネルギーの補給ができる。
以下は、あなたのタンクをすばやく満たすその他の方法である。
- 手首に冷たい水を注ぐ。あるいは、温水と冷水を交互に十秒間、注ぐ。
- 立ち上がって、腰を曲げ、膝をみつめながら両腕をぶらぶらさせる。数秒間、緊張を解いて自然呼吸をし、その後、ゆっくり身を起こす。
- 明かりを消して、数分間、暗闇にすわっている。
- 窓の外に目を向け、人々を眺め、心を自由にさまよわせる。
- 座って目を閉じ、頭をそらせ、楽しかった過去の経験を思い浮かべる。
いつもユーモアを忘れない
外向型の世界へ出ていくときは、ユーモアのセンスを忘れずに持っていこう。
ユーモアは、客観性を保ち、ストレスを緩和し、体を強くし、日々の暮らしの喜びを増し、人とのつながりをつくるための近道だ。
内向型の人は、内側を向き、自らの経験ばかり見つめているため、視野が狭くなりがちだ。
ときには、いやな目に遭っているのは自分だけだと感じることもある。
彼らは、正しく外に向かっていれば、すべてうまくいったはずだと考えるのだ。
ユーモアによって、内向型の人たちは自分自身から抜け出し、もっと大局的に自らの人生を眺めることができる。
それは、突然、山の頂から人生を俯瞰するようなものだ。
そこに立てば、大事な目標が簡単に見つかる。
また、ユーモアは不安を和らげ、どんなこともやがては過ぎていくのだ、と気づかせてくれる。
それによって、内向型の人たちは、ささいな問題をやり過ごし、動揺するのは、生や死といった大事件に遭遇したときだけに留めることができる。
あなたのエネルギーには限りがある。
だから、くよくよ悩んで、貴重なエネルギーを無駄にしてはいけない。
アーノルド・グラソウは言っている。
「笑いは、副作用のない精神安定剤だ」
内向型で悩むAさんは、自分がどれほどユーモアに救われているかを語っている。
「雪の降るシカゴに着いたのに、手荷物が出てこなかったときもそうだったけど、腹の立つことがあるたびに、わたしはこう考えるの。
『まあ、これも話の種になるじゃない。午前二時に、極寒のオヘア国際空港で、荷物を全部なくして、カリフォルニア用の綿のカプリパンツで立っているなんて』」皮肉なことに、災難からはたくさんの楽しい体験が生まれるものだ。
Aさんはさらにつづけた。
「このときは、男の人が近づいてきてね、シカゴでアイスクリームの見本市があって、その人の会社のブースではお客さんにジャケットをプレゼントしていたんだけれど、そのあまりがあるから、ひとつあげましょうかって言うのよ。
わたしは、喜んでいただきます、と言ったわ。
そしたら、その人、暗い目で宙を見つめている、白黒の牛の顔がいっぱい描かれた大きなジャケットを取り出したのよ。
いまにもモーモー鳴く声が聞こえてきそうだったわ。
ホテルへのシャトルバスのなかで、わたしの牛のジャケットは、知らない人を大勢笑わせたものよ。
落ち込んだまま笑うなんて不可能でしょ?
結局、わたしは、週末いっぱいそのジャケットを着ていたの。
だって、たくさんの人がそれを見て、話しかけてくれるんだもの」
赤ん坊は生まれて十週目くらいから笑うようになる。
さらに六週間経つと、一時間に一度の割合で笑い、四歳になることには四分ごとにくすくす笑っている。
ところが、成人に達するまでに、悲しいことが起こる。
内向型の人たちは、一日平均十五回程度しか笑わなくなるのだ(多くの人はもっと笑わない)。
内向型の人たちのストレス解消の武器庫からは、貴重な武器が失われるのである。
楽しく笑ったあと感じるあのとびきりの幸福感を、あなたは覚えているだろうか?
心からの笑いは、顔、肩、横隔膜、腹部の筋肉のよい運動になる。
呼吸は速くなり、酸素が血液中を駆けめぐり、血圧と心拍数は一時的に上昇する。
研究者らは、ジョギングと同じく、笑いもエンドルフィンを放出させるのではないかと考えている。
エンドルフィンは、覚醒度を高め、痛みを緩和する。
研究の結果は、笑いがストレスを軽減し、免疫力を高めることを示している。
ある研究では、被験者にお笑いのビデオを見せ、それから徐々に難易度の上がっていく数学の問題を解かせた。
お笑いのビデオを見ることで、被験者のストレスは軽減された。
ただし―ここがおもしろいところだが―この効果は、日ごろからよく笑っている人々にしか見られなかった。
笑いの生理学的恩恵に浴するには、どうやら、つねにユーモア感覚に磨きをかけておく必要があるらしい。
別の研究では、ストレスにつねにユーモアで対処していると申告した人々は、疾患を防ぐ抗体の基準値が高いことがわかった。
また別の研究の結果は、ユーモアのセンスに富む人々は、ストレス下でも免疫反応が低下しないことを示した。
まれにしかユーモアを用いない人々でさえ、ユーモラスなビデオを見たあとは、唾液中の抗体値が高くなっていた。
以下にあげたのは、あなたの毎日にもっと笑いをもたらすためのアイデアだ。
●漫画やジョーク、笑えることわざを切り抜いて、自宅やオフィスのあちこちに貼る。
●他の人のジョークやおもしろい話には、必ず笑う。
●自分の弱点に目を向けるよう、また、人間らしさに共感するよう努力する。
●物事を大仰に表現してみる。クライアントがくよくよ悩み、行き詰まっているようなとき、あるセラピストは彼らの状況に対し大袈裟なコメントをする。「おやおや、絶望的ね。いったい、この先どうするつもり?」別に、相手をからかおうというのではない。
ただこうすることで、状況を客観的に見られる場合があるのだ。
そしてそろって笑いだす。
心から笑ったあとは、解決法も浮かびやすくなる。
●不適切でなければ、緊迫した状況下でユーモアを用いる。
レーガン大統領が、暗殺者に撃たれて病院へ運ばれる途中、夫人にこう言ったという話は有名だ。
「よけるべきだったな、ハニー」
ここで、注意事項をひとつ。
すべてのユーモアが健康的なわけではない。
嘲笑、皮肉、冷やかし、愚弄は、恐れや怒り、あるいは、ねたみに起因するものだ。
もしも誰かが、あなたに敵意あるコメントをよこしたら、笑ってはいけない。
笑えば相手は勢いづくだけだ。
そういう場合は、こんなふうに言ってみよう―「おおっ、痛烈だね。ちょっと待って、いま胸に刺さった矢を抜くから」そのあとは、話題を変えるか、他の人に何か質問するかして、会話を続ける。
もしも自分が皮肉な態度をとっているのに気付いたら、なぜ、自分がその相手に腹を立てているのか考えよう。
また、だれかがひどく沈んでいるときや、愛する人を失って苦しんでいるときは、ユーモアを持ち出してはいけない。
そうした状況下でユーモアが用いられるケースもあるが、相手が親友や親族であっても、何によって傷つくかはなかなかわからないものだ。
ネットワークをつくる
内向型の人は、集団のなかでは居心地悪さを覚える一方、皮肉なことに、コミュニティという観念に憧れを抱くことが多い。
彼らがコミュニティづくりに二の足を踏むのは、世間との交流を全部ゼロかと考えているせいかもしれない。
内向型の人は、人はつねにつきあいに忙しいか、さもなければ、完全に孤立しているかだと考えがちなのだ。
しかし別に宴会から宴会へ飛び回らなくても、広い意味での親睦を楽しむことはできる。
既婚者でも、独身でも、子育て中でも、退職間際でも、人はさらなる親しい関係を求めるものだ。
内向型で悩む人で、もっと人と知り合いたいと願っている人たちは、たいてい同じことを言う。
「どんなふうに始めればいいのか、わからないんです」
こんなやりかたはどうだろうか。
白い紙の中央に、カラーペンで自分の名前を書き、そのまわりに円を描く。
つぎに、グループごとにちがう色を使って、あなたの現在のネットワークを書きこむ。
たとえば、青は親しい友人たち、赤は家族、オレンジは仕事関係の人々、紫はあなたの属する何か他のグループだ。
これまでかかわってきた人やグループをすべて思い浮かべてみよう。
好きだったのに、つきあいがなくなってしまった人々にも注意を払おう。
過去をよく振り返ること。
かつての楽しみで、再開したいことがあったら、そのグループも書き加えよう。
新しい関係には、成長のシンボルである緑がふさわしいかもしれない。
つぎの各項について、自分があてはまるかどうか考えてみよう。
あてはまるなら、その思いを自分のネットワークに組み込むにはどうすればよいか、検討にかかろう。
もしかすると、現在のネットワークのなかにすでにあなたの力になれる人がいるかもしれない。
- 気持ち良く付き合える友達がもっとほしい。
- 趣味、価値観、育った環境、職業、趣味、信仰、政治的見解の共通する人々のグループに入りたい、あるいは、そうしたグループをつくりたい。
- 育った環境、興味、考えの異なるグループに入って、経験の幅を広げたい。
- 世の中をよくするグループに入りたい。
- 新規退職者の会のような、メンバーを支援するグループに入りたい。
- 図書館の友、PTA、少年少女のための指導グループ、地元博物館のガイド・プログラムなど、地域の組織で積極的に活動したい。
- 既存のグループに入るほうが好ましい。
- グループには入りたくない。ただ友人のネットワークを広げるだけでよい。
さて、ここからが、内向型人間にとってむずかしい部分―恐れ、不安、抵抗感の克服である。
「きっと居心地の悪い、不安な思いをするだろう」「そんなエネルギーはない」「傷つけられたり、拒絶されたりするかもしれない」「親しくなるまでの過程が苦手だ」「責任でがんじがらめになるにちがいない」
これらは、内向型の人に共通する恐れだ。
これらの恐れを鎮めるために、まず、そこに隠されている気がかりについて考えてみよう。
たとえば、あなたが恐れているのは、拒絶されることなのか、きまり悪さを味わうことなのか、傷つけられることなのか?
それとも、単に、未知のものが怖いというだけのことなのか?
つぎに、恐れは現実でも前兆でもないということを思い出そう。
それは、あなたが特定の意味をあてがった電気エネルギーにすぎない。
内向型の人たちの案じるほとんどのことは、実際には起こらないのだ。
そして最後に、何があろうと楽しくやると心に決めよう。
以下は、あなたが外界に乗り出すとき役に立つ戦略である。
●新たにつくりたい関係か、かかわりを深めたいグループをひとつ選んで、一歩前に進む。
たとえば、教会の独身者の集いに行く、サルサのレッスンに通う、地元の植樹委員会の会議に出席する、友達を誘って読書の会に参加する、子どもの学校のバザー委員会でボランティアをする、など。
小さなことから始め、少しでも前進したらお祝いをしよう。
●友達のひとりと、週に一度の定例デートか電話でのやりとりをする。
毎週時間をとってくれるよう、相手に正式にたのむとよい。
その人がだめだったら、また別の人にたのもう。
●友達をふたり家に招いて、共通の関心事を話題にする。
●ローマは一日にしてならず。
外へ向かうプランのなかには、失敗に終わるものもあるだろう。
それは当然予想されることだ。
何度か試してみてしっくりこないときは、別のグループや人にあたってみよう。
どこにでもぴったり合う人間などいない。
最終的には、あなたにもうまくなじめて、刺激も得られる、楽しい人間関係や組織がみつかるはずだ。
もうひとつ頭に入れておいてほしいのは、インターネットのコミュニティもまた、内向型の人にとって、よい場となるということだ。
それは、ネット上の新たな関係づくりにも、友達や家族との連絡にも使える。
コンピューターが孤立を招き、生身の交流を減少させ、コミュニティ意識を希薄にするという恐ろしい予言にもかかわらず、現実には、インターネットは内向型の人々の人脈を増やしているようだ。
また、それを利用すれば、病気の人々、孤立している人々、地球の裏と表で暮らす人々、直接会えない人々が、恒常的にお互いの様子を確認し合うこともできる。
そのうえ、Eメールなら、自分の言いたいことをたっぷり時間をかけて考えられるし、送信ボタンや返信ボタンを押す前に、好きなだけ修正を加えることもできるのだ。
インターネットでは、共通の興味を持つ人々のチャットルームに参加したり、掲示板を見てさまざまな組織の情報を得たりすることもできる。
注意事項をひとつ。
1998年に英国心理学協会が行ったインターネット依存症に関する研究では、もっとも頻繁にネットを利用するのは、三十代の内向型の男女であり、彼らは鬱になる傾向が強いことがわかっている。
したがって、あなたが生活のかなりの部分をネットに費やしている場合や、友人や身内があなたのネットの使い方に苦言を呈している場合、または、あなたが憂鬱を感じている場合は、医師の診察を受けることを考えてみよう。
鬱は、心理療法と薬物療法の併用によって、充分治すことができる。
次の一歩が新しい世界へ導く
たよりになる戦略の蓄えが充分あること、そして、すぐにホームベースにもどれることがわかっていれば、あわただしい外向型の世界へ飛び込むのもいくらかは楽になる。
新たなテクニックを実戦に用いる努力と勇気とは、新しい友、仕事の選択肢、ロマンス、周囲からの認知、そして―これが何より重要なのだが―自らの内なる長所と力に対する確信をもたらしてくれる。
世界もあなたの働きにより、恩恵を受けるだろう。
家でくつろぐ時間のリフレッシュ効果は、これまでの二倍になるだろう。
もはやあなたは、世間を避けていることから生じる孤立感や罪悪感にとらわれてはいないのだから。
ゆっくりお休みなさい。
内向型人間は楽に生きられる
外向型の世界のなかで内向型人間でいるとは、どういうことなのか。
自らの内向的気質を受け入れることで、きっとあなたは、自分自身によりよいケアを与え、内向的であることからくる罪悪感や羞恥心を和らげることができるだろう。
内向型の人がなんの気兼ねもなくありのままの自分として生き、自らの道を歩むとき、世界はもっと豊かになる。
あなたがその力を分け与えれば、あなたと出会うすべての人の人生が明るくなるのだ。
友達に、身内に、同僚に、内向型はすばらしいという噂を広めよう。
内向型人間の生きるよすがとなる言葉
遊び心を持とう。
休憩をとろう。
自分の内なる世界のすばらしさを認めよう。
誠実であろう。
好奇心を持ち続けよう。
協調性を保とう。
孤独を大いに楽しもう。
感謝の心を持とう。
あなたでいよう。
そして、あなたの光で世界を照らそう。