内向型と外向型はどこが違う?

自分にしかないものに感謝しよう

内向性は根本的に気質のタイプのひとつだ。

シャイであるとか、殻にこもっているということと同じではないし、異常でもない。

また、自分で変えられるものでもないが、この気質と衝突せずにうまくやっていくことはできる。

内向型の人のもっとも顕著な特徴は、そのエネルギー源である。

内向型の人は、アイデア、感情、印象といった自身のなかの世界からエネルギーを得ている。

彼らは、エネルギーの保有者だ。

外の世界からの刺激に弱く、すぐに「もう手一杯」という気持ちになる。

これは、イライラ、あるいは、麻痺に似た感覚かもしれない。

いずれにせよ、彼らは自分が消耗しないために、世間との付き合いを制限しなくてはならない。

その一方、外での時間を設けて、ひとりの時間とのバランスをとる必要もある。

さもないと、ものの見方はかたより、人とのつながりは失われてしまうだろう。

エネルギー量をバランスよく維持している内向型人間には、忍耐力、自由な発想、深い集中力、創造性がある。

では、外向型の人のもっとも目立った特徴はなんだろう?

それは、外の世界、つまり、さまざまな活動や人や場所や物からエネルギーを得ている点だ。

彼らはエネルギーの消費者なのである。

長時間、のらりくらりしたり、自己反省したり、ひとりで、もしくは、ひとりの人を相手に過ごしたりすると、彼らは刺激不足におちいる。

しかし外向型の人も、間に静的時間を設けて、動的時間とのバランスをとる必要はある。

さもないと彼らは、めまぐるしい活動のなかで、混乱をきたすだろう。

外向型の人は、社会に多くのものを提供する。

気楽に自己を表現し、結果のみに集中し、人混みや活動を楽しむのだ。

内向型の人は、充電式のバッテリーに似ている。

彼らには、いったんエネルギーを使うのをやめて、充電のために休息をとる必要がある。

この休息をもたらすのが、刺激の少ない環境だ。

それは、エネルギーを回復させてくれる。

そういった環境こそ、彼らの居場所なのである。

一方、外向型の人は、ソラーパネルに似ている。

彼らにとって、ひとりでいること、あるいは、なかにいることは、厚い雲の下で生きているようなものだ。

太陽電池板は、充電のために太陽を必要とする。

つまり外向的人間には、外に出て、人と交わる必要があるのだ。

内向性と同じく、外向性もまた、生来の気質である。

これを変えることはできない。

ただ、この気質とも衝突せずにうまくやっていくことはできる。

■参考記事
内向型人間の心理
生まれつきの内向型
パートナーの内向型、外向型組み合わせ特徴
内向型の子育て

エネルギーを内から得るのか、外から得るのか

エネルギーの取り込み方は、内向型と外向型のもっとも目立った違いだが、大きなちがいはあとふたつある。

刺激に対する反応と、情報や経験に対するアプローチだ。

外向型の人が、さまざまな刺激のなかで活気づくのに対し、内向型の人は多すぎる刺激をもてあます。

同様に、外向型がふつう、情報や経験を得るのに大きな網を打つのに対し、内向型はより焦点をしぼって、深くきわめるのを好む。

内向型と外向型の主なちがいは、そのバッテリーの充電方法にある。

外向型は外の世界からエネルギーを得る。

彼らのほとんどは、人と話したり、外のさまざまな活動に参加したり、人や活動や物に囲まれて働くことを好む。

外向型に対する一般的な認識に反し、彼らが内向型より社交的、もしくは、活発であるとはかぎらないが、その目は自分の外へ向けられている。

外向型の人はエネルギーを惜しげもなく使い、むしろペースを落とすのに苦労する。

彼らは外での活動によって、容易くリフレッシュすることができる。

選択肢がいっぱいの今日なら、なおさらだろう。

外向型の人は、人や外界と接触していないときに、孤独や疲労を感じる。

パーティーのあと、早くつぎへ行きたがり、「このあとどうする?」と切り出すのは、外向型の人だろう。

多くの場合、彼らにとってむずかしいのは、リラックスして体を休めることなのである。

これに対して、内向型の人は、なかの世界から、つまり、アイデアや感情やイメージからエネルギーを得る。

内向型に対するわたしたちの固定観念に反し、彼らは必ずしも無口であったり、殻にこもっていたりするわけではない。

ただし、その興味は自らの頭の中へ向けられている。

内向型には、物事をじっくり考え、自分を充電するための静かな場所が必要だ。

ふうっ!久々にBさんに会えてすごく楽しかったけど、パーティーが終わってくれてよかった!

彼らはほっとしてそう思う。

内向型の人にとってエネルギーを取り込むのは、たやすいことではない。

今日のようなテンポの速い世界においては、なおさらだろう。

内向型の人は、エネルギーを回復するのに時間がかかるうえ、そのエネルギーは外向型の人のそれよりも速く流出してしまう。

内向型の人は、各活動にどれくらいエネルギーを取られるか、どれくらい蓄えが必要かを計算し、それに従って計画をたてねばならない。

たとえば、Sさん(自宅を拠点にしているセールスウーマン)は、ロサンジェルス市内を車で回る、あわただしい訪問販売の日の前日には、外からほとんど邪魔されずに事務的な仕事をする静かな一日をキープしている。

そうして、早めに就寝し、おいしい朝食をとったあと、おもむろに出かけるのだ。

一日のスケジュールには、ひとりになって元気を回復するための休憩時間がいたるところに組み込まれている。

必要なエネルギーが保たれるよう計画を立てるので、彼女は枯渇してしまうことがない。

■参考記事
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刺激は好きな方?嫌いな方?

内向型と外向型の第二のちがいは、外部の刺激をどう感じるかにある。

外向型の人は、多くを経験したがるが、内向型の人は経験したことについて多くを知りたがる。

精神活動のさかんな内向型の人の場合、外からの刺激はなんであれ、感受性のメーターをたちまち上げてしまう。

それは、くすぐられるのにちょっと似ている。

その感覚は、気持ちよく楽しいという段階から、過剰で不快だというところまで一気に進んでしまうのだ。

内向型の人は、多くの場合、自分でもその理由に気づかずに過剰な刺激を受けないよう外からのインプットを制限している。

たとえば、Kさんは自宅の裏に庭園をつくりたくなったときのこと。

彼女は教師で、その精力のほとんどすべてを仕事に注がねばならない。

ガーデニング初心者の彼女は、腰を下ろして『ウィークエンド・ガーデニングの基礎』を読み始めた。

読み進むにつれて、徐々に先が見えてきた。

まず、緑陰樹、土壌の酸性度、根覆い、水やり、害虫駆除、日の当て方について、学ぶ必要がある。

苗畑へ行って、ぎらぎら照り付ける太陽のもとで苗を選ぶややこしさや、それに求められるエネルギーも予想できた。

検討すべき事項は山ほどあるのだ。

さらに彼女は、土の準備、植樹、草取り、害虫駆除、ナメクジ駆除、日々の水やりにかかる手間のことを思った。

楽しさは消えていった。

知っておくべきこと、やるべきことがあまりにも多いので、とてもやりきれないという気がしてきた。

頭がぐるぐる回っている。

彼女は息苦しさを覚えた。

そして結局、庭園にするのは敷地の小さな一画に留めることにしたのだった。

内向型の人も、ひとつかふたつの分野に焦点をしぼれるなら、ややこしさを楽しむことができる。

しかしプロジェクトの数が多すぎると、すぐに圧倒されてしまう。

内向型の人は、ただ人のそばにいるだけで刺激過剰となることもある。

彼らのエネルギーは人混み、教室、あるいは、騒がしい侵略的な環境にいると、枯渇してしまう。

なかには人間が大好きな人もいるが、彼らは通常、相手がだれであっても、話をしたあとはその場を離れ、ひと息入れる必要を感じる。

内向型の人に思考停止が起こるのは、このためなのである。

刺激が過剰になると、内向型人間の精神は閉鎖される。

「インプットはご遠慮ください」と明かりを落としてしまうのだ。

外向型の人にもやはり休憩は必要だが、それは別の理由からだ。

たとえば図書館へ行った場合、外向型の人は短時間しか勉強(内的プロセス)モードでいられず、すぐに書架のまわりを散歩したり、自動販売機へ向かったり、司書とおしゃべりしたりはじめる。

彼らが好きなのは、何かが起こっている活気ある環境なのだ。

外向型の人は、内部の刺激不足を感じれば感じるほど、燃料補給をしたくなる。

しかし休憩には、外向型の人の刺激を増すのと同様に、内向型の人の刺激を減らす効果もある。

たとえば勉強中の内向型人間は、庭園づくりを計画したときのキャサリンのように、あまりにも多くの情報を取り込みすぎて、圧倒されてしまうかもしれないのだ。

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外向型と内向型の第三のちがいは、広さと深さという問題にかかわってくる。

概して、外向型の人は、広さを好む。

大勢の友達、たくさんの経験、すべてについて少しずつ知ること、ゼネラリストになることを求めるのだ。

通常、彼らが外界から取り込んだものは、その経験が処理されていくときも、内部でふくうらむことはない。

彼らはすでに次の経験を目指している。

以前、外向型の友人がこう言っていた。

「パーティーであちこち飛び回って、それぞれの会話のいいところだけ聞くのが好きなの」彼女はどんなことも逃したがらない。

外向型の人にとって、生きるとは経験を収集することなのだ。

彼らは、この世の中を、品数が豊富な日曜のランチと見なしている。

ご馳走を少しずつ味見して、全種類の料理でお腹を満たし、はちきれそうになると去っていく。

彼らは、人生から得られる刺激を一滴残らずしぼり取ろうとする。

多様さは刺激とエネルギーを与えてくれるものなのだ。

内向型の人は、深さを好み、自らの経験を制限しようとするが、そのひとつひとつを深く感じている。

彼らの多くは友達が少ないが、より親密なつきあいかたをする。

また、テーマを深く探求することを好み、”量”より”濃さ”を求める。

テーマをひとつかふたつにしぼらねばならないのは、このためだ。

そうしないと彼らは、圧倒されてしまうだろう。

彼らの精神は、外界から情報を吸収し、それについてじっくり考え、さらにそれをふくらませる。

そして、情報を取り込んでずいぶん経ってからも、まだそれを噛み砕き、むしゃむしゃやっている―これは反芻する牛にちょっと似ている。

内向型が邪魔されると腹を立てるのもこのためである。

集中という深い井戸から自らを引き上げ、這い出てくるのは、彼らにはむずかしいことなのだ。

そして、もう一度改めて集中するためには、しばしば彼らにはない、余分なエネルギーが大量に必要なのである。

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休日の過ごし方も正反対

内向型と外向型のこうした違いのいい例が、Rさんと夫のMさんとの休暇の模様だ。

Mさんは外向型、Rさんは内向型である。

休暇の楽しみかたに関して、彼らの意見は一致しない。

休暇に関する好みがまったく逆なので、彼らはかわりばんこに行き先を決めている。

ある年はRさんが決め、翌年は彼が決めるという具合だ。

夫のMさんが”九日間で九つの国を回る”休暇を選んだ翌年、Rさんは、アメリカのコロラド州レッドウィルの歴史的工業地帯の探検以外何もしない休暇を選んだ。

一日目の午後、彼らはホテルの暖炉のそばにすわって、商工会議所のちらし「レッドウィルの見どころ」を読んだ。

Rさんはわくわくしていた。

Mさんは眠り込んでしまった。

映画《不沈のモリー・ブラウン》を見て以来、Rさんはホレス・テイバーが銀を発見した場所を見てみたいと思っていた。

レッドウィルには、テイバー・オペラハウス、文化遺産博物館、国立工業栄誉殿堂、大鉱山博物館がある。

それにもちろん、レッドウィル鉄道や、本物の鉱坑をめぐるツアーもだ。

これ以上、何が望めるだろう?

するとMさんが言った。

「レッドウィルは、明日の午後二時には見終わってしまうだろうね。そのあとどうする?」

Rさんは、一日に一カ所ずつ回る予定でいたのに。

一世紀前の鉱山労働者たちがどんな暮らしをしていたのか、私はその感触を味わいたかった。

Mさんは言った。「ほら、ここからならアスペンまでほんの約九十五キロだよ。明日の午後、車で行けるぞ」

「ちょっと待って」Rさんは言った。「今回、休暇の過ごし方を決めるのは誰の番?」

レッドウィルはほんとうに素晴らしかった。

コロラドでのその四日間のことで、その後何年もMさんにからかわれたが、Rさんは喜んで耐えた。

彼にはその四日が四年に思えたのだそうだ。

「よかったじゃないの」Rさんは言ってやる。「時間を長く感じられる人ってそんなにいないのよ。特に休暇中はね」

内向型と外向型はつながっている

1900年代の初め、精神分析学者カール・ユングは、精神分析学におけるふたりの先駆的理論家、ジークムント・フロイトとアルフレッド・アドラーとともに働いていて、不思議なことに気づいた。

ひとりの患者の病歴について論じるとき、フロイトとアドラーとでは注目する情報がまったく異なるのである。

ふたりはまた、正反対に近い理論を展開していた。

ユングは、その両者とも貴重なことをつかんでいると思った。

彼はこれについてしばらく考え(さて、ユングは内向型だろうか、外向型だろうか?)、独自の理論を展開した。

ユングは、フロイトは外向的な人だと考えた。

なぜならその個人的指向が、人や場所や事象という外の世界に向かっていたからだ。

フロイトの理論の多くは、大勢の同僚との数々の文通や議論とともに展開された。

フロイトは、心理学の目標は、外の現実世界において充足を見出すことだと考えていた。

ユングは、アドラーのほうは内向的だと考えた。

彼の理論と関心が、人の思考や感情へ向けられていたからである。

アドラーの理論は、彼が”劣等感コンプレックス”と呼んだ無力感を克服しようとする内面的苦闘に基づいている。

彼は人間を自らの人生を形作る創造的アーティストとして見ていた。

フロイトと、アドラーやユングとの理論における意見の相違は、苦い結末を招いた。

三人は袂を分かち、それぞれ自分の道を進んだのである。

その時点からフロイトは、自己愛に関する記述のなかで、内向性の概念を否定的に、”世界に背を向けて内を向く”という意味を含めて用いるようになった。

これによって内向性の概念は、それを健全とする方向でなく、不健全ととらえる方向へ進み、このあやまった考えは今日も残っている。

ユングは自らの理論をさらに発展させ、人間には持って生まれた一定の気質があり、それが極端な内向型と極端な外向型をつなぐ連続体のどこかにその人を位置づけているものと推測した。

彼はこうした傾向には、生理学的な理由があるものと信じていた。

そしていま、科学によって、彼の直観が正しかったことが明らかになろうとしている!

彼は、連続体の上を自在に移動し、必要に応じて内向的になったり外向的になったりできるなら、わたしたちは世の中にうまく適応できるのだと気づいた。

しかし、人間がそのようにできていないことも、彼にはわかっていた。

私たちはどちらかの方向へ向けられている、あるいは、引っ張られているのだ。

ユングは、人にはみな、いちばん力を発揮できる”本来の居場所”があるのだと結論付けた。

また、両極以外、連続体のどの位置も健全であると考えた。

彼は、子どもをその本来の気質の範囲外へ押しやることは有害で、それは「個人の生得的な性質を侵す」ことになると考えた。

そうすることは、ある種の精神病の原因になるとさえ見ていた。

その一方、彼は、われわれは連続体の別の方向へも到達しうると指摘している。

連続体の上を移動する能力は、その方法を認識することで高まる。

たとえば、エネルギーを蓄えることを学べば、それによって余力が得られ、自分のさほど自然でない側面を働かせることができる。

一日中、利き手でないほうの手で書き物をすることを想像してほしい。

できないことはないが、それにはふだん以上の努力と集中力が必要だろう。

ユングは、本来の居場所の外で活動するのは、これと似たようなものだと考えた。

できないことはないが、そうした活動は余分にエネルギーを消費し、新たなエネルギーを生み出すことはない。

あなたは内向型か?外向型か?-自己診断テスト

さて、お待ちかね。

あなたは、陸に打ち上げられた魚なのだろうか?つぎの〔小テスト〕か、そのあとのもっと長い〔内向型人間のための自己診断テスト〕か、好きなほうをやってみよう。

あるいは、両方をやってみて、どうなるか確かめてもいい。

あなたに近いのはどっち?-小テスト

つぎのふたつのリストの各項を見てみよう。

自分に近い、と感じるのは、A,Bどちらの性格だろうか?

自分がどうなりたいかではなく、ありのままの自分について答えよう。

第一印象に従うこと。

  • 物事の中心にいるのが好きだ。
  • 多様性を好み、単調だと飽きてしまう。
  • 大勢知り合いがいて、その人たちを友達だと思っている。
  • 相手が知らない人でも、おしゃべりするのは楽しい。
  • 活動のあとは高揚し、もっと何かしたいと思う。
  • 前もって考えなくても、話したり行動したりできる。
  • たいてい元気いっぱいだ。
  • 聞き手になるより話し手になることが多い。

  • 自分ひとりか、二、三人の親しい友達とくつろぐほうが好ましい。
  • 深く付き合っているひとだけを友達だと思っている。
  • たとえ楽しいことでも、外で何かしたあとは、休息をとる必要がある。
  • 聞き役になることが多いが、自分にとって重要なテーマについてはたくさん話す。
  • 無口で冷静に見え、観察するのが好きである。
  • 話したり行動したりする前に、考えることが多い。
  • 人前で、または、プレッシャーがかかったときに、頭が空っぽになったことがある。
  • せかされるのは好きでない。

どちらのリストが、より的確にあなたを表しているだろうか?

Aならば、あなたは外向型、Bならば内向型だ。

そのリストの特質すべてを持っていないとしても、あなたはどちらかにより近いのではないだろうか。

我々はみな、外向性にかたよった文化のなかで暮らしている。

あなたは職場や家庭で、外向的であることをかなり強く求められているだろう。

したがって、どちらの人物像が自分に近いか判断するのはむずかしいかもしれない。

もしも迷ったら、こう自問してみよう。

「自分がリフレッシュしたと感じるのは、どちらのときだろう?静かに過ごしたあと(内向型)か、活動的に過ごしたあと(外向型)か?」それでも確信が持てない場合は、つぎの〔内向型人間のための自己診断テスト〕をやってみよう。

30項目で徹底解明―内向型人間のための自己診断テスト

内向性を調べる次のテストを、ストレスで消耗していない、くつろいだ気分の日にやってみよう。

場所は、邪魔の入らない居心地のよい部屋の隅っこがよい。

どの項も、「自分がどうありたいか」「そういう場合があるかどうか」ではなく、「ふだんの自分にあてはまるかどうか」で考えよう。

分析したり、深く考えたりしないこと。

たいていの場合、第一印象に従うのがいちばんだ。

自分が外からどう見えるかについては、配偶者や友達に代わりに答えてもらってもいいだろう。

自分で出した得点を友達の出した得点と比べてみよう。

ふたつが一致しなかったら、お互いの意見を交換しよう。

設問には〇×で答えること。

全部答えたら、〇の数を合計し、リストの後ろの診断結果で、自分が内向型か、外向型か、その中間かを確認しよう。

  1. 休息が必要なときは、グループで過ごすよりも、自分だけか、二、三人の親しい人と過ごすほうが好ましい。
  2. プロジェクトに携わるときは、細切れでなく、まとまった長い期間を与えてもらうほうがいい。
  3. 話をする前に予行演習を行うことがよくあり、ときには自分用にメモをつくる。
  4. 概して、話すより聞くほうが好きだ。
  5. 人から、物静かだ、謎めいている、よそよそしい、冷静だと思われることがある。
  6. 祝い事は、大きなパーティーを開くより、一人の人か、数人の親しい友達だけでしたい。
  7. 通常、返事をしたり、話したりする前には、考えなくてはならない。
  8. たいていの人が気づかないような細かなことに気づく。
  9. 二人の人が喧嘩をした直後には、緊迫した空気を感じる。
  10. 何かすると言ったら、ほとんどの場合、そのとおり実行する。
  11. 仕事に締め切りや緊急性があると、不安を感じる。
  12. あまりに多くのことが同時進行していると、朦朧としてしまう。
  13. 何かに参加するかどうか決めるのは、しばらく見学してからにしたい。
  14. 長期的な人間関係を築くほうだ。
  15. 他人の邪魔をするのは好きでない。邪魔されるのも好きでない。
  16. たくさんの情報を取り込んだ時は、整理するのにしばらく時間がかかる。
  17. 刺激の多すぎる環境は好きでない。世間の人がなぜホラー映画を見にいったり、ジェットコースターに乗ったりするのか、さっぱりわからない。
  18. 匂い、味、食べ物、天候、騒音などに強い反応を示すことがある。
  19. 創造的で想像力に富んでいる。または、そのいずれかである。
  20. たとえ楽しんだとしても、社交的な催しのあとは消耗してしまう。
  21. 人を紹介するより、紹介されるほうが好きだ。
  22. 人の中や活動の場に長くいすぎると、不機嫌になることがある。
  23. 新しい環境には、しばしば居心地の悪さを感じる。
  24. 人に家にきてもらうのは好きだが、長居されるのは好きでない。
  25. 怖くて折り返しの電話をかけられないことがよくある。
  26. 人と会ったり、突然発言を求められたとき、頭が空っぽになることがある。
  27. ゆっくりと、あるいは、とつとつとしゃべる。疲れているときや、考えながら話そうとしているときは、特にその傾向が強くなる。
  28. ちょっとした知り合いは、友達とは考えない。
  29. きちんとしたかたちになるまで、自分の作品やアイデアは他人に披露できないと感じる。
  30. 周囲の人に、自分で思っているより頭がいいと思われて、驚くことがある。

さあ、〇の数によって、自分がどこにあてはまるか、以下の診断を見てみよう。

●20~30
完全な内向型。したがって、あなたにとっては、自分のエネルギーの流れを維持する手段と、自分の脳の情報処理の方式を理解することがきわめて重要だ。

あなたは、自らの考え、印象、希望、価値観を通して世の中とかかわっている。

外部の環境に左右されてはいない。

●10~19
中くらいに位置する。ちょうど両利きの人のように、あなたは内向的でも外向的でもある。

おそらく、一人になりたいという気持ちと、外出して人と交わりたいという気持ちの板挟みになることがあるだろう。

したがって、自分が確実に元気づくのはどんなときなのかに留意することが、とても大切である。

あなたは、独自の考えや感情と他の人の基準の両方に基づいて判断を下す。

そのため広い視野が持てるが、ときに物事の両面を見てしまい、立ち往生する場合もある。

エネルギーとバランスを維持するため、自分の気質を評価できるようになることが大切だ。

●0~9
外向型寄り。あなたは、他者の価値観や現実に照らして、判断を下す。

また、現実の枠のなかで働いて、変化をもたらす。

中年に近づき、体力が衰えてくると、人と会うのをちょっとやめて、ひとりになりたいものの、何をすればよいのかわからないという状態におちいり、驚くことがあるかもしれない。

孤独が必要になったとき何をするのが自分にとって最良なのか、思い出すすべてを身につけるといいだろう。

そのためには、あなたは内向型のスキルをもっと学び、外向型のスキルとのバランスをとらなければならない。

それでもまだ、自分が内向型なのか外向型なのか確信が持てなかったら、次のことを考えてみよう。

危機に際して、あなたは機能が停止したような、意識がやや遠のいた気分になり、スローモーションで動いているように感じるだろうか?

それとも、即座に体を動かし、何も考えずに行動に出るだろうか?

ストレス下にあるとき、人間は生来の行動様式に立ち返る。

もしもあなたが内にこもり、霧に包まれるように静けさに包まれてしまうなら、あなたは内向型寄りだ。

逆に、自らを行動へと駆り立て、反応するなら、外向型寄りである。

どちらの反応にも、それぞれ利点はある。

社会は内向型人間を必要としている

ユングは、よい人生とは完全への到達を目指すものだと考えていた。

完全というのは、あらゆる部分を備えることではなく、自分自身の強さと弱さを知り、それらを評価することによって、調和を達成することである。

これまで論じてきたように、ユングは、外向型/内向型連続体のすべての位置が、健全であり、必要であると考えていた。

世の中には、生まれながらに外向的な人もいれば、内向的な人もいるが、エネルギーを得られ、なおかつ、あまり消費せずにすむ自然な居場所はだれにでもある。

年をとるにつれ、わたしたちのほとんどは、外向型/内向型連続体の中央へと近づいていく。

しかし世の中のバランスを保つためには、両方の気質タイプの力が必要だ。

ここで論じようとしているのは、内向型の人の隠された長所と力である。

外向型の人はこれまでずっと、数々のよい評価を受けてきた。

ここでは内向型の長所を示すごとに、外向型の長所も示すということはしない。

むしろ内向型の長所がいかに外向型の限界を補えるかに焦点を合わせるつもりである。

それぞれの気質は、もう一方の気質の足りない部分に力を与えるものなのだ。

すべての人間に多くの面があることを忘れないでほしい。

善と悪に分けられてきた特質は、外向性と内向性だけではない。

どうやら人間には、自分たちをいい部分と悪い部分に分ける癖があるようだ。

たとえば1995年、ダニエル・ゴールマン博士は、革新的な本『EQ-こころの知能指数』を発表している。

それまで、知性は合理的な思考と結びつけて考えられてきた。

感情は、不合理で価値の劣るものと見なされた。

人間は”頭”と”心”に分けられていた。

ところが、誰もが気付いているように、世の中には、非常に知的だけれども、常識や他人に対する思いやりには欠けた人もいる。

その一方、共感の心と知恵にあふれているが、さほど知的でない人もいるのだ。

ゴールマン博士は、こう問いかけている―感情に知性を、街に礼儀を、社会に思いやりをもたらすには、どうすればよいのだろうか?

私たちは頭と心の両方を必要とする。

反対の能力を持つ人から学ばねばならないのは当然のことだ。

この社会は、人間性のあらゆる側面の恩恵を受けている。

内向型人間は、その所属集団に重要な特性をもたらす。

深く見つめる能力、変化が関係者にどんな影響を及ぼすかを見抜く力、観察力、枠にとらわれず考える力、歓迎されない決断を下す力、世の中のペースを少しだけ落とす力などだ。

もちろん、内向型の人はそれらの特性をそこに放り出し、家に飛んで帰ろうとするにちがいないが。